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第59話 クラウス、追い詰められる

 王都技師組合の保管庫は、石と埃の匂いがした。


 古い設計図。

 失敗した工事の記録。

 事故報告書。

 却下された改善案。

 そして、誰かにとって都合の悪かった告発文書。


 それらが、地下の棚に無造作に積まれている。


 王都では、記録は人を守るためだけに残されるわけではない。

 責任を押しつけるため。

 後で言い逃れするため。

 あるいは、誰かを葬った事実を、葬った側が忘れないため。


 その保管庫に、行政庁のオルブライトが入ったのは昼過ぎだった。


 同行しているのは、防衛局のラウル査察官と、冒険者ギルドから派遣された記録官。技師組合側からは、白髪混じりの管理官が一人ついていた。


「ダリオ・ガンツの旧告発文書ですね」


 管理官は嫌そうに棚を見上げた。


「かなり前のものです。内容も、当時の審査で虚偽および過剰報告と判断されています」


 ラウルが静かに言った。


「判断したのは誰だ」


「当時の審査部です」


「その審査部に、ローゼン家の推薦技師は?」


 管理官は答えなかった。


 沈黙は、時に返答よりも便利だった。


 オルブライトは感情を見せずに言う。


「文書を確認します」


 管理官は渋々、古い棚の鍵を開けた。


 中から出てきたのは、黄ばんだ書類の束だった。


 表紙には、乱暴な筆跡でこう書かれていた。


『ローゼン侯爵家別邸結界炉施工案件における不正制御機構の疑い

提出者:二等魔道技師 ダリオ・ガンツ』


 ラウルが表紙を見て、眉を動かした。


「二等技師だったのか」


「腕は良かったようです」


 管理官は苦い声で言った。


「ただ、口が悪く、上に逆らう」


「それは記録に必要な情報か?」


 ラウルが聞くと、管理官は黙った。


 オルブライトは文書をめくった。


 中には、結界炉の構造図があった。


 出力調整回路。

 安全遮断部。

 外部監視端子。

 そして、通常の設備には不要なはずの管理紐付け線。


 オルブライトの指が、その線の上で止まる。


「これは……クラウス技師の測定具と似ていますね」


 ギルド記録官が、外縁部確認時の鑑定写しを広げる。


 そこにも同じような構造があった。


 結界柱の反応値を外部記録し、後から管理側へ紐付ける機能。


 ラウルの声が低くなる。


「偶然か」


 オルブライトは答えなかった。


 代わりに、ダリオの古い報告文を読み上げた。


『本機構は、結界炉の安全監視を名目としながら、実際には所有者または管理者の許可なく、外部から出力傾向を記録・制御する下地となり得る。

施工者側は補助監視機能と説明するが、管理権の移譲に近い危険性あり。

使用者への説明がない場合、契約上重大な問題となる。』


 ラウルは小さく息を吐いた。


「リベル村で言っていたことと同じだな」


「はい」


 オルブライトはさらにページをめくる。


 そこには、赤い印が押されていた。


『過剰報告。

技師ダリオ・ガンツの独断による現場混乱。

処分相当。』


 署名欄に、クラウスの名があった。


 クラウス・ベルナー。


 当時は、ローゼン侯爵家案件の主任補佐。


 今は、貴族家推薦技師として管理委員会に出席している男。


 ギルド記録官が硬い声で言った。


「つまり、クラウス技師は過去にも同様の管理紐付け機構に関わっていた可能性があります」


「可能性、ではまだ弱い」


 オルブライトは冷静に言った。


「しかし、説明を求めるには十分です」


 ラウルは書類を見下ろした。


「ダリオは、負けたわけではなかったのかもしれんな」


「当時は負けたのでしょう」


 オルブライトは淡々と言う。


「ただ、記録は残っていた」


 その言葉に、保管庫が少し静かになった。


 数刻後、クラウスは行政庁へ呼び出された。


 会議室には、オルブライト、ラウル、ギルド記録官、そして技師組合の管理官がいた。


 机の上には、古い告発文書と、リベル村外縁部確認の記録が並んでいる。


 クラウスはそれを見た瞬間、ほんのわずかに表情を変えた。


 だが、すぐに落ち着いた顔を作る。


「ずいぶん古いものを引っ張り出しましたね」


 オルブライトは答えた。


「必要があったので」


「ダリオ・ガンツの妄言ですよ。当時も処分済みです」


「当時、あなたは審査側でした」


「主任ではありません」


「関与はしていた」


 クラウスは椅子に座り、手袋を直した。


「若い頃の話です。記憶は曖昧です」


 ラウルが文書を一枚出した。


「では、これは?」


 クラウスの署名がある処分意見書だった。


『報告者ダリオ・ガンツは、標準監視機構を不正制御機構と誤認し、施工主との信頼関係を損ねた。技師組合の信用を著しく傷つけたものと判断する。』


 クラウスは一瞬だけ目を細めた。


「標準監視機構です。今でもそう判断します」


「リベル村に持ち込んだ測定具も同じか」


「ええ。標準的な補助機能です」


「事前提出していないが」


「細部まで書く必要はありません」


 オルブライトが静かに筆を置いた。


「クラウス技師。あなたの言う“標準”は、誰の標準ですか」


 クラウスは答えなかった。


 オルブライトは続ける。


「少なくとも行政庁の提出基準では、対象設備の反応値を外部記録し、後日の管理紐付けに利用できる機能は、明記すべきです」


「過剰解釈です」


「その言葉は、昔ダリオ・ガンツの報告にも使われていますね」


 クラウスの口元が硬くなった。


 ラウルが低く言う。


「リベル村で、あなたは“王都が一度止めたもの”と言った」


「言葉の綾です」


「古い告発文書には、ローゼン家施工案件で、設備の出力傾向を外部から記録・制御する危険性が指摘されている」


「関係ありません」


「関係がないなら、説明できるはずだ」


 クラウスは沈黙した。


 彼は追い詰められていた。


 だが、完全に折れてはいない。


「リベル村は危険です」


 クラウスは話を変えた。


「古代設備を独自に稼働し、除名技師を抱え、治療能力者と元騎士を置いている。あれを放置する方が危険です」


 オルブライトは表情を変えなかった。


「その評価は、あなたの測定具問題を説明するものではありません」


「私は安全確認をしようとしただけです」


「提出外機能のある測定具で?」


 ギルド記録官が確認するように言った。


 クラウスはギルド記録官を睨んだ。


「現場を知らない者が、記録だけで技師を裁くのか」


 その言葉に、ラウルの声がさらに低くなった。


「記録も残さずに現場を動かす技師の方が危険だ」


 部屋が静まり返る。


 オルブライトは最後に言った。


「本件について、クラウス技師の管理委員会参加資格を一時保留します。正式判断までは、リベル村関連調査から外れてください」


 クラウスの顔から、笑みが消えた。


「私を外すと?」


「はい」


「誰の判断ですか」


「行政庁、防衛局、ギルドの共同判断として記録します」


 クラウスは立ち上がった。


「後悔しますよ」


 ラウルが答えた。


「その発言も記録する」


 クラウスは唇を噛み、何も言わずに部屋を出た。


 廊下に出たクラウスは、拳を握りしめた。


 記録。

 記録。

 記録。


 リベル村に行って以来、その言葉ばかりが自分の足首へ絡みつく。


 あの村の若い記録係。

 除名されたはずのダリオ。

 追放鑑定士のレオン。

 逃げたはずのリーゼ。

 神殿から外れたセリア。


 捨てられた者たちが、紙で王都へ噛みついてくる。


「ふざけるな」


 小さな声だった。


 だが、廊下に冷たく響いた。


 その日の夕方、ローゼン侯爵家にも報告が届いた。


 クラウス技師、リベル村関連調査から一時除外。


 侯爵は報告書を読み、静かに机へ置いた。


「切る」


 短い一言だった。


 アルヴィンが眉を動かす。


「クラウスを、ですか」


「あれはもう使えん。失言し、測定具で足を取られ、古い文書まで掘られた。これ以上庇えば、こちらへ火が移る」


「しかし、彼はローゼン家案件の多くを知っています」


「だからこそ、早めに切る」


 侯爵は冷たく言った。


「必要なら、すべて技師個人の過剰判断とする。ローゼン家は知らぬ。管理委員会にも、行政庁にもそう伝える」


 アルヴィンは少し沈黙した。


「クラウスは黙っていますか」


「黙らせる」


 その言葉には、説明がいらなかった。


 アルヴィンの背筋に、わずかに冷たいものが走る。


 侯爵はさらに続けた。


「ダリオ・ガンツの過去の告発文書。あれも厄介だ。どこまで残っているか調べろ」


「処分しますか」


「今さら消せば、消した記録が残る。だから、価値を下げる。除名技師の妄言として噂を流せ」


「承知しました」


「それと、周辺村への書状は?」


「すでに手配しています」


「よい」


 侯爵は地図へ目を落とした。


「リベル村は、内側からは折れにくい。なら、外を揺らす」


 その頃、行政庁では、オルブライトがリベル村へ送る短い連絡文を書いていた。


『クラウス技師の測定具および過去文書について、行政庁・防衛局・ギルドにて確認中。

同技師は当面、リベル村関連調査から外れる。

貴村提出記録は、引き続き有効資料として扱う。

周辺村への不安拡散に注意されたし。』


 彼は最後の一文で少し筆を止めた。


 周辺村への不安拡散。


 そこまで書くべきか。


 少し考え、彼はあえて残した。


 リベル村は、警告を理解できる村だ。


 そう判断したからだ。


 砂を振り、文書を乾かす。


 王都では、クラウスが追い詰められた。


 だが、それで終わりではない。


 一人の技師が切り捨てられようとしている裏で、ローゼン家はさらに広い網を投げようとしている。


 今度は、リベル村の外へ。


 周辺村の不安という、見えにくい網を。

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