表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/173

第56話 管理委員会、予算を盾にする

 王都行政庁の会議室には、いつも紙の匂いがしていた。


 磨かれた長机。

 高い天井。

 壁際に並ぶ書棚。

 窓から差し込む光は明るいのに、部屋の空気はどこか重い。


 辺境安全管理委員会の正式協議は、朝から荒れる気配を見せていた。


 議題は、リベル村への支援予算。


 表向きは、危険古代設備を抱える辺境村の安全対策と復興支援である。


 だが、その予算を誰が握り、何と引き換えに出すのか。


 問題はそこだった。


「リベル村の旧水路復旧、畑再生、治療所支援は、周辺地域の安定にも関わる案件です」


 行政庁のオルブライトが、淡々と資料を読み上げた。


「設備台帳、旧水路復旧記録、薬草試験栽培記録は確認済み。村側の自主管理能力は、少なくとも初期段階として評価できます」


 机の上には、リベル村から提出された分厚い写しが積まれている。


 井戸の管理記録。

 水車の点検記録。

 旧水路の呪印片発見と浄化記録。

 畑側通水の記録。

 薬草予定地の試験栽培記録。


 辺境村の提出物としては、異例だった。


 だからこそ、ローゼン家寄りの商会代表は面白くなさそうに口を開いた。


「確かに、記録は整っています。しかし、記録があることと、安全が保証されることは別問題です」


 ラウル査察官が視線を上げる。


「安全の保証など、王都にもできない。だから記録と管理体制を見る」


「ですが、古代設備の内部は非公開のままです」


「外縁部確認では重大異常なし。測定具の問題を起こしたのは村側ではなく、貴族家推薦技師です」


 ラウルの言葉に、部屋の端に座るクラウス技師の顔がわずかに強張った。


 クラウスは前回の外縁部確認以降、発言を控えている。

 控えざるを得ない、と言った方が正しい。


 提出外機能のある測定具。

 境界線を越えようとした行動。

 そして、「王都が一度止めたもの」という失言。


 どれも単独では決定打ではない。


 だが、並べれば十分に不穏だった。


 商会代表は話題をずらすように咳払いした。


「だからこそ、支援予算を出すなら、設備調査権限を拡大すべきです。魔石、農具、薬草種、布、金具。これらを安全に投入するには、設備の全容確認が不可欠です」


 オルブライトが眉を動かした。


「支援予算と調査権限を結びつけるのですか」


「当然でしょう。危険な場所に資材を送るのですから」


 別の委員、ローゼン家に近い貴族筋の代理人が続ける。


「リベル村は復興支援を必要としている。ならば、一定の監督を受け入れるのが筋です。井戸、水車、治療所も、古代設備の影響を受けている可能性がある以上、調査対象に含めるべきでは?」


 その瞬間、ラウルの目が冷えた。


「またそこへ戻すのか」


「安全のためです」


「生活設備と医療区画を調査対象にする理由にはならない」


「しかし、治療所支援機能という記述があります」


 貴族代理は資料を叩いた。


「支援機能があるなら、治療所も古代設備の一部では?」


「患者情報と治療補助者の安全に関わる」


 ギルド側代理が口を挟んだ。


「治療所内部への立ち入りは、ギルドとしても慎重であるべきと判断します。セリア・ルミナス本人の神殿検査結果でも、現時点で危険性は認められていません」


 商会代表は薄く笑った。


「危険性がないなら、見せられるはずでしょう」


 ラウルが短く返す。


「危険性がないことは、無制限に覗いていい理由にならない」


 会議室が静まった。


 オルブライトはその沈黙を利用して、書類を一枚めくった。


「リベル村側は、支援を拒否していません。ただし、条件を明確にしています。村代表、防衛局、ギルドの立ち会い。器具使用前の鑑定。作業範囲の記録。これを不合理とは言えません」


「不合理ではないが、非効率です」


 商会代表が言う。


「王都の支援は速度も重要です。村側の手続きに合わせていては、予算執行が遅れる」


「遅れさせているのは誰か」


 ラウルが静かに言った。


「リベル村向けの種や資材取引が、管理委員会判断待ちという名目で渋られている。正式な禁止は出していないはずだ」


 商会代表の表情が一瞬固まった。


「商人たちが自主的に慎重になっているだけでしょう」


「その自主性は、ずいぶん足並みが揃っているな」


 ギルド側代理も資料を出した。


「複数の商人から、リベル村向け取引が控えられているという報告があります。理由は、ほぼ同じ。“管理委員会の判断待ち”。誰がその言い方を広めたのか、ギルドとして確認中です」


 オルブライトは何も言わず、その発言を記録した。


 沈黙が、商会代表にとって不利な重みを持ち始める。


 そこへ、ローゼン家側の貴族代理が低く言った。


「いずれにせよ、予算には責任が伴う。支援を受けたいなら、調査範囲を広げる。それが道理では?」


 オルブライトは淡々と答えた。


「支援予算を条件に、村の生活設備と医療区画への権限拡大を求める。そう記録してよろしいですか」


 貴族代理の顔がわずかに歪んだ。


「言い方が悪い」


「内容は同じです」


 ラウルが言った。


 会議室の空気が、また重くなる。


 王都の政治は、声を荒げるよりも、記録の言い回しで勝負が決まることがある。


 ローゼン側はそれを知っている。

 だから、オルブライトの一文を嫌がった。


 結局、その日の協議は結論を出さなかった。


 支援予算は継続審議。

 ただし、ギルドが中立取引の確保を検討。

 防衛局はリベル村の自主管理能力を暫定評価。

 行政庁は支援予算と調査権限拡大の関連づけについて、追加審査。


 曖昧な決着だった。


 だが、ローゼン側にとっては、思ったほど押し切れない結果だった。


 会議後、廊下で商会代表が貴族代理に小声で言った。


「リベル村の記録が邪魔です」


「分かっている」


「設備台帳、薬草記録、旧水路記録。あれがある限り、管理不能とは言いにくい」


「なら、別の不安を広げる」


 貴族代理は短く答えた。


「周辺村だ」


 その言葉に、商会代表は目を細めた。


「水ですか」


「そうだ。リベル村が水路を戻した。なら、次は水を握る村になる。周辺村にとって、それは不安材料になる」


「リベル村が水を独占する、と?」


「独占すると言わなくていい。“将来的に不公平が生まれるかもしれない”で十分だ」


 廊下の角の向こうで、その会話を聞いていた者がいた。


 オルブライトではない。


 ミリア監査員の部下だった。


 彼女は足音を殺して、その場を離れた。


 報告すべき内容がまた増えた。


 同じ頃、ローゼン侯爵家の執務室では、侯爵が静かに報告を聞いていた。


 アルヴィンが頭を下げる。


「本日の協議では、予算を盾にした調査権限拡大は保留となりました」


「押し切れなかったか」


「リベル村の記録が想定以上に整っています。オルブライト、ラウル、ギルド側が、それを盾にしました」


「辺境村の紙切れが、王都の会議を止めるか」


 侯爵は冷たく笑った。


「面白くないな」


「商流圧力は効き始めています。種や農具は手に入りにくくなっているはずです」


「それだけでは足りん」


 侯爵は机の上に置かれた地図を見た。


 リベル村。

 その周囲に点在する小さな集落。

 古い水路跡。森。祠。畑。


「周辺村へ書状を送れ」


「内容は?」


「水路復旧に関する懸念。古代設備の影響が周辺水脈へ及ぶ可能性。リベル村が今後、水の配分に関与する可能性」


「不安を煽る形になります」


「そのために書く」


 侯爵は淡々と言った。


「人は、飢えより少し早く、水の不安で動く」


 アルヴィンは一瞬だけ沈黙した。


「……承知しました」


 彼は頭を下げたが、その表情にはわずかな迷いがあった。


 リベル村を締めるために、周辺村の不安を使う。


 それは政治としては有効かもしれない。


 だが、辺境の小村同士を疑わせるやり方は、あまりに後味が悪い。


 侯爵はその迷いに気づいたのか、冷たく言った。


「アルヴィン。情けを出すな」


「はい」


「リベル村は、ただの村ではなくなりつつある。放置すれば、こちらの過去まで掘り返す」


 侯爵の指が地図の上を叩く。


「芽は小さいうちに摘むものだ」


 その言葉は、薬草予定地に出かけた小さな根のことなど知らないまま、冷たく部屋に落ちた。


 行政庁の別室では、オルブライトがその日の議事録をまとめていた。


 彼は筆を止め、窓の外を見た。


「支援予算を盾に、調査権限を広げる……」


 声に感情は少ない。


 だが、眉間には深い皺がある。


 彼は新しい紙を取り出し、短い覚書を書いた。


『リベル村への商流圧力の可能性あり。

ギルドとの情報共有を要す。

周辺村への不安拡散にも警戒。』


 それから、もう一文。


『リベル村側の記録体制は、現時点で一定の信頼性あり。』


 彼はその一文をしばらく見つめ、静かに砂を振って乾かした。


 王都の会議は終わった。


 だが、決着はついていない。


 リベル村の紙の盾は、一度は予算という刃を受け止めた。


 しかし、ローゼン家は次の刃を用意している。


 今度は、村の外から。


 周辺村の不安という、目に見えにくい刃を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ