第54話 古種の修復
地下工房の作業台に、小さな皿が三つ並んでいた。
一つ目には、傷洗い草の古種。
二つ目には、熱下げ葉の古種。
三つ目には、春蒔き豆の古種。
どれも乾いていた。
指でつまめば、そのまま砕けてしまいそうなくらい軽い。長い間、暗い木箱の中で忘れられていたものだ。
セリアは、その皿の前でじっと手を合わせていた。
「祈っているのか?」
リーゼが尋ねる。
セリアは少し恥ずかしそうに首を振った。
「祈りというより……声を聞こうとしていました」
「種の?」
「はい」
トマが横から覗き込む。
「種って喋るのか?」
「喋りません。でも、治療する時も、相手の状態をよく見るでしょう? 傷が熱を持っているとか、血が止まりにくいとか、痛がっているとか。種も、たぶん同じです」
ダリオが腕を組み、妙に感心した顔をした。
「いい考えだ。技師も設備の声を聞く。軸が鳴る、炉が詰まる、水が嫌がる。実際には喋らんが、まあ似たようなもんだ」
「水が嫌がるのか」
リーゼが聞く。
「嫌がる流路はある」
「また変なことを言っているようで、分かるのが腹立たしいな」
俺は皿の種を鑑定した。
《傷洗い草の古種》
《状態:長期乾燥》
《生命反応:微弱》
《発芽率:低》
《呪印残滓:微弱》
《推奨:低浄化/湿度調整/段階活性》
《熱下げ葉の古種》
《状態:長期乾燥》
《生命反応:極微弱》
《発芽率:極低》
《呪印残滓:なし》
《推奨:湿度回復優先》
《春蒔き豆の古種》
《状態:休眠深度:高》
《生命反応:微弱》
《発芽率:低》
《外殻硬化》
《推奨:外殻軟化/低出力活性》
「全部、完全には死んでいません」
俺が言うと、セリアの顔に少し光が戻った。
「よかった」
「ただ、無理に起こすと腐ります」
「水車と同じですね」
「はい。剣技回路とも、治療とも同じです」
リーゼが苦笑した。
「この村では、何でも少しずつだな」
「急いで壊されたものばかりですから」
俺がそう言うと、部屋が少し静かになった。
セリアは傷洗い草の種を一粒、白い布の上へ置いた。
「最初は、この子にします」
「理由は?」
「一番、反応があります。それに、傷洗い草は治療所で一番使います」
その言い方が、もう治療所の主のようだった。
本人は否定するだろうけれど。
俺は修復炉の出力を確認した。
《修復炉》
《出力:五%》
《低出力支援:使用可》
《古種修復補助:可能》
《注意:過活性禁止》
「炉の支援をほんの少しだけ流します。セリアは浄化水を薄く。ダリオさんは湿度調整をお願いします」
「任せろ」
ダリオは小さな陶器の器に井戸水を入れ、作業台の下に置いた。
「直接濡らすな。乾いた種に水をぶっかけるのは、寝起きの病人を川に投げ込むようなもんだ」
「分かりやすいけど、ひどい例えですね」
セリアが言う。
「覚えやすいだろ」
トマは入口の横で見守っていた。
「俺は何する?」
「見守りを」
「また地味だな」
リーゼが答える。
「地味な役がいないと、派手な失敗をする」
「今日のリーゼ、たまにいいこと言うな」
「たまに、は余計だ」
小さく笑いが起きた。
俺は修復針を種の近くへ置いた。
針先から、細い光を流す。
セリアが浄化水を指先に一滴だけ取り、さらに井戸水で薄める。
彼女はその水滴を、種に直接落とさなかった。
白い布の端に触れさせ、そこからゆっくり湿り気が広がるようにした。
種は何も反応しない。
最初は、ただ沈黙していた。
セリアの表情に焦りが浮かびかける。
俺は静かに言った。
「待ちましょう」
「はい」
時間がかかった。
地下工房の炉の音が、かすかに響く。
水車の遠い音も聞こえる。
地上では、村人たちが畑の端を整えているはずだ。
しばらくして、鑑定表示が変わった。
《傷洗い草の古種》
《湿度回復:開始》
《呪印残滓:低下》
《生命反応:微弱維持》
「湿度が戻り始めています。呪印残滓も下がっています」
セリアはほっと息を吐いた。
「でも、生命反応はまだ……」
「維持できています。それだけで成功です」
ダリオが頷く。
「乾いた種は、まず死なせないことが大事だ。起こすのはその後だ」
リーゼが種を見つめて言った。
「眠っている相手に、起きろと怒鳴っても駄目か」
「駄目です」
セリアが答えた。
「たぶん、怖がらせてしまいます」
その言葉は、どこか彼女自身にも向いているようだった。
次に、熱下げ葉を試した。
こちらは反応が弱かった。
浄化水を近づけても、炉の支援を薄く流しても、なかなか変わらない。
セリアの眉が下がる。
「この子は、難しいですね」
「今日は無理に起こさない方がいいです」
俺は表示を見ながら言った。
《熱下げ葉の古種》
《生命反応:極微弱》
《湿度回復:微小》
《過干渉危険》
「過干渉危険。これ以上は負担になります」
セリアは名残惜しそうに皿を見たが、すぐに手を引いた。
「分かりました。今日はここまでにします」
リーゼが感心したように言う。
「止まれるようになったな」
「リーゼさんに言われると、少し不思議です」
「私もそう思う」
二人は顔を見合わせ、少し笑った。
最後は春蒔き豆だった。
これは外殻が硬くなっている。
中に生命反応はあるが、閉じこもりすぎている。
「これは、どうする」
トマが聞く。
「外側を少し柔らかくする必要があります」
ダリオが豆を見て言った。
「でも削るなよ。傷つけたら終わりだ」
「井戸水を含ませた布で包みます」
セリアが提案した。
「いきなり水を吸わせるのではなく、湿った空気の中に置く感じで」
「いい」
ダリオが即答した。
「治療補助者、種の扱いも上手いな」
「種は初めてです」
「初めてでそれなら十分だ」
セリアは少し嬉しそうだった。
春蒔き豆は、布に包んで小さな木箱へ入れた。
箱の底には湿度調整用の水皿。
上から修復炉の低出力支援をほんの少しだけ通す。
鑑定表示が、ゆっくり変わる。
《春蒔き豆の古種》
《外殻軟化:開始》
《生命反応:微弱上昇》
《発芽準備:未到達》
「生命反応が少し上がりました」
俺が言うと、トマが思わず声を上げた。
「おお!」
「静かに」
セリアが人差し指を立てる。
「驚かせたら駄目です」
「種、驚くのか?」
「分かりません。でも静かな方が良い気がします」
トマは慌てて口を閉じた。
その様子に、リーゼが小さく笑った。
作業は半日かかった。
結果として、完全に発芽した種はない。
だが、傷洗い草の古種は湿度を取り戻し始めた。
春蒔き豆は生命反応が少し上がった。
熱下げ葉は、無理をせず保存に戻した。
失敗ではない。
急いで成果を求めない。
それが、今日の成果だった。
夕方、セリアは作業台の前で記録を書いた。
『古種修復記録
傷洗い草:湿度回復開始。呪印残滓低下。
熱下げ葉:過干渉危険のため処置中断。保存継続。
春蒔き豆:外殻軟化開始。生命反応微弱上昇。
すべて発芽には至らず。焦らず継続。』
ニコルが横から覗き込む。
「セリアさん、記録上手くなってます」
「本当ですか?」
「はい。僕より字が綺麗かも」
「それはありません」
「あります」
ニコルは少し悔しそうだったが、嬉しそうでもあった。
夜、村長宅で報告すると、トマが少し残念そうに言った。
「芽は出なかったか」
「今日は出ません」
セリアが答える。
「でも、少しだけ水を思い出してくれました」
村長が頷いた。
「よい。眠っていたものが、いきなり走る必要はない」
リーゼが静かに言う。
「私も、そうだった」
その一言で、皆が少し黙った。
重い沈黙ではない。
分かち合うような沈黙だった。
俺はその日の個人記録を書いた。
『古種の修復を開始。
傷洗い草、湿度回復。春蒔き豆、生命反応微弱上昇。熱下げ葉は無理をせず保存。
発芽はまだ。
だが、今日の目的は芽を出すことではなく、死なせないことだった。』
最後に、作業台の小さな種を見ながら書いた。
『種も、人も、村も。
起き上がる前に、まず安心して眠り直す時間がいる。』
炉の火は、今日も低く灯っている。
小さな木箱の中で、古い種は静かに湿り気を取り戻していた。
まだ芽は出ない。
けれど、完全には終わっていない。
それだけで、リベル村には十分な希望だった。




