第53話 種を買えない村
最初に異変に気づいたのは、王都帰りの商人だった。
彼はいつものように荷馬車を村の入口に止めたが、積み荷が少なかった。
布も少ない。
薬草も少ない。
金具も少ない。
そして、畑に使う種袋がなかった。
「すまん」
商人は、荷台を見せながら頭を下げた。
「買えなかった」
トマが眉をひそめる。
「売り切れか?」
「いや。売ってはいる。ただ、リベル村向けだと言うと、急に在庫がないと言われる」
広場にいた村人たちがざわついた。
セリアは薬草予定地の方を見た。
まだ土を起こしたばかりの、小さな区画だ。
「薬草の種も、ですか」
「ああ。薬草種は特に渋られた。管理委員会の判断が出るまで、危険設備区域への取引は控えるべきだとか何とか」
ダリオが露骨に嫌な顔をした。
「来たな。商流を締めてきやがった」
リーゼが静かに言う。
「ローゼン家か」
「直接の証拠はない」
俺は答えた。
「でも、時期を考えると可能性は高いです」
トマが拳を握る。
「水路が戻ったのに、種が買えないってのかよ」
「そういう締め方です」
ダリオは荷台を見ながら言った。
「畑は水だけじゃ育たない。種、農具、肥料、布、薬草。足りないものを外で止められると、村はじわじわ困る」
商人は申し訳なさそうに言った。
「俺も別名義で買おうとしたが、今回は目をつけられてる。大口は無理だ」
村長は怒らなかった。
ただ、少し目を細めた。
「分かった。運べたものだけでもありがたい」
「すまん、本当に」
「謝るな。知らせてくれただけで助かる」
商人はほっとしたように息を吐いた。
だが、村人たちの不安は消えなかった。
畑に水は来た。
土も起こし始めた。
薬草予定地も作った。
その矢先に、種がない。
未来の入口に立ったところで、扉の鍵を隠されたようなものだった。
昼前、村長宅で対応会議が開かれた。
トマは開口一番に言った。
「王都に文句を言う」
「言うとしても、どう言うかが大事です」
俺は答えた。
「商人が売ってくれない、だけでは弱い。管理委員会判断待ちという名目を使われています」
リーゼが頷く。
「つまり、向こうは正式な禁止ではなく、空気で止めている」
「はい」
ダリオが水を飲みながら言った。
「一番面倒なやつだ。命令書はない。だから責任者もいない。だが皆が空気を読んで売らない」
セリアは手元の薬草予定地の記録を見つめていた。
「……種がなければ、薬草畑は作れません」
「外から買えないなら、内を探す」
村長が言った。
全員が村長を見る。
「昔、この村にも畑はあった。薬草を育てた者もいた。倉庫、納屋、古い家。残っている種があるかもしれん」
トマが顔を上げる。
「古すぎて使えないんじゃないか?」
「使えるかどうかは、レオン殿が見る」
急に来た。
俺は頷いた。
「見ます。生きている種が少しでもあれば、修復炉と浄化水で可能性を上げられるかもしれません」
セリアの目に、少しだけ光が戻った。
「探しましょう」
午後、村中の古い倉庫探しが始まった。
使われていない納屋。
壊れた棚。
祖父母の代から残る木箱。
雨漏りした物置。
子供たちは宝探しのように張り切り、大人たちは埃に咳き込みながら古い袋を引っ張り出した。
「これは?」
「石だな」
「これは?」
「虫の巣だ。触るな!」
「これは?」
「古い釘。使えるかも」
トマが笑いながら仕分けしている。
ダリオは錆びた農具を見つけるたび、妙に嬉しそうな顔をした。
「この鍬、柄を替えれば使える」
「こんな錆びたのが?」
「鉄が残ってりゃ勝ちだ」
リーゼは古い家屋の床板を確認しながら、隠し収納を見つけた。
「ここ、空洞がある」
板を外すと、小さな木箱が出てきた。
中には、乾いた布袋がいくつか入っている。
袋には、かすれた字で書かれていた。
『傷洗い草』
『熱下げ葉』
『豆・春蒔き』
『芋種・保存用』
セリアが息を呑んだ。
「薬草の種……」
村長が箱を見て、懐かしそうに目を細めた。
「チヨ婆さんの家か。昔、薬草を育てていた」
「まだ生きていますか」
セリアの声は小さい。
期待しすぎないようにしているのが分かった。
俺は袋を開け、乾いた種を数粒、手のひらに乗せた。
鑑定する。
《傷洗い草の古種》
《状態:長期乾燥》
《生命反応:微弱》
《発芽率:低》
《呪印残滓:微弱》
生きている。
わずかに。
「生命反応があります」
セリアの顔が明るくなる。
「本当ですか」
「ただし発芽率は低いです。呪印残滓も少しあります」
「浄化すれば?」
「可能性は上がります。でも、一気に力を入れると駄目になるかもしれません」
ダリオが横から言う。
「病み上がりの種か」
「そうです」
リーゼが小さく呟いた。
「捨てられた種、か」
セリアは種袋を両手で受け取った。
「この子たちも、捨てられていたんですね」
誰も笑わなかった。
村の片隅で、誰にも見られず乾いていた種。
水路が止まり、畑が死に、薬草を育てる人もいなくなった後、それでも完全には死なずに残っていた。
まるで、この村そのものだった。
夕方までに、いくつかの成果が出た。
薬草の古種が三袋。
豆の古種が一袋。
芋種はほとんど駄目だったが、一部にわずかな反応。
錆びた鍬が四本。
曲がった鎌が二本。
古い布。
そして、壊れた手押し播種器。
トマが手押し播種器を見て首を傾げる。
「何だこれ」
ダリオが目を輝かせた。
「種を一定間隔で落とす道具だ。古いが直せる」
「また直すものが増えたな」
「この村は宝の山だ」
「ガラクタの山にも見えるが」
「技師には同じだ」
夜、地下工房に古種が運ばれた。
セリアは真剣な顔で、小さな皿に種を並べる。
「全部は試さない方がいいですよね」
「はい。まず数粒だけ」
俺は修復炉の低出力支援を確認する。
《古種修復》
《推奨:低浄化/湿度調整/段階活性》
《危険:過活性による腐敗》
「焦らずやりましょう」
セリアが頷く。
「焦らず、ですね」
リーゼが種を見つめる。
「何度も聞いた言葉だが、今日は特に重いな」
ダリオが言った。
「種は急かしても芽を出さねえ。王都の役人と違って、書類で脅しても無駄だ」
トマが吹き出した。
少しだけ場が和らいだ。
俺は個人記録に書いた。
『王都周辺で、リベル村向けの種・薬草・資材取引が渋られる。名目は管理委員会判断待ち。実質的な商流圧力。
村内倉庫を捜索し、古い薬草種、豆種、芋種、農具を発見。
傷洗い草の古種に微弱な生命反応。呪印残滓あり。
セリア、古種を治療対象として扱う意思。』
最後に、一文を加えた。
『買えないなら、残っているものを探す。
リベル村は、捨てられたものの中から未来を拾い上げる。』
炉の火が低く揺れる。
皿の上には、小さな種が数粒。
乾いて、軽くて、頼りない。
けれど、完全には死んでいない。
それだけで、今のリベル村には十分だった。




