表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/17

第5話 壊れた村と、壊れていない聖女

 朝になっても、井戸の周りには人がいた。


 夜明け前の冷たい空気の中で、村人たちは桶を手に並んでいる。誰も大声ではしゃいでいない。けれど、その顔は昨日までとは少し違っていた。


 諦めきったような沈黙ではない。


 今日は畑に水を撒ける。

 子供に飲ませる水を、少し多めに汲める。

 鍋を洗う時、底に残った一滴を惜しまなくていい。


 たったそれだけのことが、村全体の表情を変えていた。


「おはようございます、レオンさん」


 背後から声をかけられて振り返ると、セリアが立っていた。


 昨日の泥だらけの修道服ではない。村の女たちが貸してくれたのだろう、生成りの上着と長いスカート姿になっている。まだ少し大きいらしく、袖の先から指が半分だけ出ていた。


「おはようございます。眠れましたか」


「はい。久しぶりに、ちゃんと眠れた気がします」


「それはよかった」


「レオンさんは?」


「俺も。少しだけ」


「少しだけ?」


 セリアが眉を寄せる。


「もしかして、あまり寝ていませんか?」


「いや、昨日はいろいろ考えることがあって」


「だめです」


 即答だった。


「だめ、ですか」


「はい。人には無理しないように言うのに、自分は無理する人の顔です」


 意外と鋭い。


 俺が返事に困っていると、セリアは少し得意げに胸を張った。


「神殿にいた頃、怪我人や病人の顔色を見る訓練は受けました。私は失敗ばかりでしたけど、見るだけなら少しはできます」


「じゃあ、俺も患者扱いですね」


「必要なら」


 真面目に返されて、思わず笑ってしまった。


 それを見て、セリアも少し笑う。


 昨日出会った時の怯えた顔からは、まだ完全に遠い。けれど、確かに彼女の表情には生気が戻り始めていた。


「レオン殿!」


 井戸の方から村長が呼んでいる。


 白髭を揺らしながら、杖を片手にこちらへ歩いてくる。昨日より背筋が少し伸びて見えた。


「おはようございます、村長」


「うむ。よく眠れたか」


「はい。空き家を貸していただいて助かりました」


「掃除もろくにできておらん家ですまんかったな」


「屋根があるだけで十分です」


「そう言ってもらえるとありがたい」


 村長は井戸を振り返る。


「昨夜から水は出続けておる。濁りも少しずつ取れてきた。まるで昔の井戸が戻ったようだ」


「完全に安定するまでは、数日は様子を見た方がいいと思います。魔力の流れは仮復旧なので」


「仮復旧でこれか」


 村長は苦笑した。


「王都の技師に聞かせてやりたいわい」


「やめてください。面倒なことになりそうです」


「もうなっておる気もするがな」


 その言葉に、俺は返事をしなかった。


 村長はたぶん、半分冗談で言ったのだろう。

 けれど、俺は笑いきれなかった。


 昨日見えた表示。


《真職業:修復鑑定士》

《分類:神職系・希少職》


 これが本当なら、俺の力はかなり珍しい。珍しい力は、人を助けることもできるが、厄介事も呼ぶ。


 勇者パーティーでさえ、鑑定士の俺を使い潰していたのだ。

 神職系の希少職などと知られたら、どこから手が伸びてくるか分からない。


「レオン殿?」


「あ、すみません。考えごとを」


「水車を見てもらってもよいか」


「はい」


 俺たちは村の東側へ向かった。


 井戸から少し離れたところに、小さな水路があった。今はほとんど乾いている。その先に、古い水車小屋が建っていた。


 木の板は黒ずみ、屋根の一部は苔に覆われている。水車は半分ほど傾いたまま、長い間止まっているようだった。


「昔は、あれで粉を挽いたり、畑に水を送ったりしておった」


 村長が言う。


「井戸が細ってから、水路も弱り、水車も止まった。直そうにも、木材も職人も足りん。王都へ頼めば金がかかる。結局、放置だ」


「見てみます」


 水車に近づく。


 手を触れる前から、いくつもの壊れた箇所が目に入った。


 軸の歪み。

 羽根板の腐食。

 水路の詰まり。

 歯車の欠け。

 魔力補助石の沈黙。


 ただの水車ではない。

 これも井戸と同じ、古い魔道設備の一部だ。


《対象:リベル村・東水車》

《状態:停止》

《主原因:軸歪み/水路閉塞/補助魔石劣化》

《修復可能》


「直せそうですか?」


 セリアが横から尋ねる。


「一日で完全には無理です。でも、応急的に動かすだけなら」


「本当か!」


 村長が思わず声を上げる。


「はい。ただ、人手がいります。水路の泥を掻き出す人。羽根板を外す人。軸を支える人。あと、木材と鉄具が少し必要です」


「人なら出せる。木材も古い納屋を崩せば使えるはずだ」


「壊していい納屋なんですか」


「昨日、半分吹っ飛んだ納屋だ。どうせ直さねばならん」


 村長の声に、少しだけ笑いが混じっていた。


 セリアが申し訳なさそうに肩を落とす。


「すみません……」


「責めとらん。あれのおかげで、古い梁が腐っていたことも分かった。いつか誰かが潰されていたかもしれん」


 村長はそう言ってから、少し照れくさそうに咳払いした。


「それに、井戸が戻ったのだ。納屋の一つくらい、安いものよ」


 セリアは何かを言おうとして、結局小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その声は震えていたが、昨日ほど怯えてはいなかった。


 村人たちが集められ、水車修理が始まった。


 俺は壊れた箇所を見ながら指示を出す。


「その板はまだ使えます。腐っているのは端だけなので、切れば大丈夫です」


「この鉄具は?」


「右側はだめです。左側は磨けば使えます」


「水路の泥はどこまで掻き出せばいい?」


「その先の曲がり角まで。そこに石が詰まってます」


「見えるのか?」


「まあ、一応」


 村人たちは最初こそ半信半疑だったが、俺の言った通りに泥を掻くと本当に石が出てきたり、使えないと思っていた部品が再利用できたりするたび、目の色を変えていった。


「おい、鑑定士ってこんなことまで分かるのか」


「王都の鑑定士は、宝石の値段を見るくらいだと思ってたぞ」


「いや、レオン殿が特別なんじゃないか」


 聞こえている。

 聞こえているが、反応に困る。


 俺自身、その答えが分からないのだから。


 セリアは水路のそばで、子供たちと一緒に泥を運んでいた。聖女候補だったというのに、嫌な顔ひとつしない。むしろ、桶を持つ子供が転びそうになるとすぐに手を伸ばして支えている。


 その手から、淡い光がこぼれた。


 子供の膝にできた小さな擦り傷が、ふわりと消える。


「あ」


 セリアが固まる。


 子供も固まった。


 周囲の大人たちも、一瞬だけ緊張した。


 昨日までなら、ここで誰かが叫んだかもしれない。


 けれど、子供は自分の膝を見て、ぱちぱちと瞬きをしたあと、にっと笑った。


「痛くなくなった!」


 セリアは戸惑いながら言った。


「ご、ごめんなさい。勝手に」


「なんで謝るの? ありがとう!」


 子供はそう言って、また泥の入った小桶を持って走っていった。


 セリアはその後ろ姿を、呆然と見送っている。


「……ありがとう」


 誰に言われたのかを、しばらく理解できなかったような顔だった。


 俺は水車の軸を確認しながら、少しだけ笑った。


 壊れていたのは、彼女の力だけではない。

 彼女が受け取ってきた言葉も、たぶん壊れていた。


 失敗作。

 災厄。

 役立たず。


 そういう言葉で塞がれていたものが、少しずつほどけていく。


「レオン殿、こっちはどうする!」


 村人の声で、俺は作業に戻った。


 昼を過ぎる頃には、水車の形はずいぶん整っていた。羽根板は全部直せなかったが、半分以上は交換できた。軸の歪みも、応急の支えを入れて動かせる状態になっている。


 問題は、魔力補助石だった。


 水車小屋の奥に埋め込まれた青い石。これが水の流れを安定させ、水車の回転を補助する役目を持っていたらしい。


 だが今は、完全に濁っている。


《補助魔石》

《状態:劣化》

《魔力伝導率:二十一%》

《修復可能:低負荷再起動推奨》


「完全復旧は無理ですね」


 俺は呟いた。


「だめですか?」


 セリアが心配そうに覗き込む。


「だめではないです。ただ、一気に動かすと割れます。最初は低い水量で回して、魔石を慣らす必要があります」


「人みたいですね」


「え?」


「急に頑張ると壊れてしまうところが」


 セリアはそう言ってから、少し慌てた。


「あ、すみません。変なことを」


「いや、分かりやすいです」


 実際、そうなのかもしれない。


 壊れたものを直すには、ただ元に戻せばいいわけじゃない。長く止まっていたものには、少しずつ動き方を思い出させる時間が必要だ。


 人も、道具も、村も。


「セリア、少し手伝ってもらえますか」


「はい」


「魔力をこの石に流してください。ただし、井戸の時よりずっと弱く」


「弱く……」


「蝋燭に火を灯すくらいです」


「分かりました」


 セリアが補助魔石に手をかざす。


 淡い光が、青い石に染み込んでいく。


 俺はその流れを見ながら、濁った部分を少しずつ整えた。完全に綺麗にはならない。だが、魔力が通る道だけを確保する。


《修復鑑定:部分発動》

《補助魔石:低負荷再起動》


 青い石が、ほのかに光った。


 水路に水が流される。


 細い流れだった。

 それでも、水車の羽根に触れた瞬間、ぎし、と音が鳴る。


 村人たちが息を止める。


 ぎし。

 ぎし、ぎし。


 止まっていた水車が、少しずつ動き出す。


 最初は苦しそうだった。長い眠りから覚めた老人のように、軋みながら、ためらいながら。


 やがて、回転が続く。


 水車が回る。


「動いた……」


 誰かが呟いた。


 次の瞬間、歓声が上がった。


「水車が動いたぞ!」


「本当に回った!」


「これで畑に水を引ける!」


 村人たちが手を叩き、子供たちが水車の周りを走り回る。村長は杖を握ったまま、何度も頷いていた。


「戻ってきた……」


 村長が小さく言った。


「村の音が、戻ってきた」


 水車の音。


 水が落ちる音。

 歯車が回る音。

 人が笑う声。


 確かに、昨日までのリベル村にはなかった音だった。


 セリアが隣で静かに泣いていた。


「また泣いてる」


「すみません……」


「いや、悪い意味じゃなくて」


「分かっています。でも、止まらなくて」


 彼女は袖で目元を拭う。


「私、神殿にいた時は、祈れば祈るほど壊していました。誰かを治そうとすると、物が割れて、人が怖がって……だから、私の力は間違っているんだと思っていました」


「間違ってませんよ」


 俺は水車を見ながら言った。


「昨日も今日も、ちゃんと人を助けています」


「レオンさんがいてくれるからです」


「きっかけはそうかもしれない。でも、力を流しているのはセリアです」


 セリアは黙った。


 それから、小さく聞いた。


「私、ここにいてもいいんでしょうか」


「それ、昨日も聞いてましたね」


「何度も聞きたくなります」


「なら、何度でも言います」


 俺は彼女を見る。


「いていいと思います。少なくとも、この村には君の力を必要としている人がいる」


 セリアはしばらく俺を見ていた。


 そして、深く息を吸ってから、こくりと頷いた。


「……はい」


 その声は、まだ小さい。


 けれど昨日のように、自分を責めるだけの声ではなかった。


 作業が一段落した頃、村の女たちが簡単な食事を用意してくれた。黒パン、豆の煮込み、井戸水で薄めた山羊乳。豪華ではないが、温かかった。


 俺が木の椀を受け取ると、昨日助けた老人が隣に座った。


「足はどうですか」


「痛みはあるが、歩ける。セリアのおかげだ」


 老人はそう言ってから、少し照れくさそうに声を潜めた。


「昨日までは、あの子を見ると怖かった」


「はい」


「だが、怖い顔をしていたのは、こっちだったのかもしれんな」


 俺は返事に迷った。


 老人は自嘲気味に笑う。


「年を取ると、知らんものが怖くなる。若い娘が苦しんでいるのを見ても、自分たちに害があるかどうかで考えてしまう」


「責めるつもりはありません」


「責められた方が、楽な時もある」


 老人はそう言って、豆の煮込みをすすった。


「だが、まあ。今日から変えればいい。水車も回ったことだしな」


 その言葉は、不思議と胸に残った。


 今日から変えればいい。


 壊れていたとしても、直せるなら。

 間違っていたとしても、やり直せるなら。


 そのための今日なのかもしれない。


 その頃、王都へ続く街道の反対側では、勇者パーティーが重い足取りで野営地へ戻っていた。


 魔物の巣の攻略は成功した。

 だが、予定より時間がかかり、消耗も激しかった。


 エレナの杖は先端の宝玉が黒ずみ、火力が安定しない。ガレスの鎧は肩当てが外れかけ、マリウスは苛立ったように荷物を漁っている。


「レオンの記録帳はどこだ」


 マリウスが言った。


 ガレスが眉をひそめる。


「知らん。あいつが持っていったんじゃないのか」


「いや、予備の写しがあったはずだ。魔物の分類表と、装備の整備予定がまとめられたものが」


「そんなものまであったのか」


「……あったはずだ」


 マリウスの声は歯切れが悪い。


 普段、彼はレオンの記録を馬鹿にしていた。細かすぎる、実戦では役に立たない、学術的価値が低い。そんなことを何度も言っていた。


 だが今、彼が探しているのはその記録だった。


 カイルは焚き火の前に座り、聖剣を膝に置いていた。


 刀身の根元に、ひびがある。

 見間違いではない。


 さっきの戦闘で、ひびはさらに伸びた。


「カイル」


 エレナが声をかける。


「王都に戻ったら、鍛冶師に見せた方がいいわ」


「必要ない」


「必要あるわよ。聖剣でも壊れる時は壊れる」


「壊れない」


 カイルは低く言った。


「これは聖剣だ。俺が選ばれた証だ」


「でもレオンは――」


「その名前を出すな!」


 カイルの怒声に、エレナは黙った。


 ガレスが重く息を吐く。


「怒鳴っても、ひびは消えんぞ」


「お前まで俺に指図するのか」


「指図じゃない。事実だ」


 空気が悪くなる。


 以前なら、こういう時、レオンが間に入っていた。

 装備の話にすり替えたり、次の行程を確認したり、火に薪を足しながら自然に場を流していた。


 今は誰もやらない。


 焚き火の炎だけが、ばちばちと乾いた音を立てている。


 マリウスがようやく古い紙束を見つけた。


「これだ」


 彼は紙を開き、眉をひそめる。


「……細かいな」


 そこには、魔物の活動周期、地形ごとの注意点、各自の装備点検日、消耗品の補充予定、カイルの聖剣の状態まで書かれていた。


 最後の項目に、赤い線が引かれている。


《聖剣アークレイヴ:内部亀裂進行。次回大規模戦闘前に必ず再調整》


 マリウスの顔色が変わった。


「どうした」


 ガレスが覗き込む。


「……いや」


「見せろ」


 ガレスが紙を奪うように受け取り、目を通す。


 そして、カイルを見る。


「おい。これ、レオンは前から気づいていたんじゃないか」


 カイルは答えない。


 エレナも紙を見た。


「だから、昨日……」


 カイルの手が聖剣の柄を強く握る。


「黙れ」


「カイル」


「黙れと言っている!」


 怒鳴った拍子に、聖剣がわずかに揺れた。


 その瞬間。


 ぴしり、と音がした。


 焚き火のそばにいた全員が、動きを止める。


 聖剣のひびが、ほんの少しだけ広がっていた。


 誰も何も言わなかった。


 言えなかった。


 リベル村では、夕方になっても水車がゆっくり回っていた。


 完全な回転ではない。軋みもある。途中で何度か止まりかけた。それでも、村人たちはそのたびに水量を調整し、軸に油を差し、慎重に動かし続けた。


 村長は俺に、空き家をしばらく自由に使っていいと言った。


「村を助けてもらっておいて、何も返せんのが心苦しいが」


「十分です。宿代が浮きます」


「若いのに欲がないな」


「追放されたばかりなので、欲を出す余裕がないだけです」


 そう言うと、村長は目を丸くした。


「追放?」


「あ」


 しまった。


 つい口が滑った。


 村長は何かを聞きたそうにしたが、すぐに首を振った。


「話したくなったら聞こう」


「すみません」


「誰にでも、言いたくない荷物はある」


 そう言って、村長は水車の方へ歩いていった。


 俺は空き家へ戻る途中、セリアが井戸のそばに立っているのを見つけた。


 彼女は両手で水をすくい、じっと見つめていた。


「セリア?」


「あ、レオンさん」


「どうしました?」


「いえ……水って、こんなに綺麗だったんだなと思って」


「神殿にも水はあったでしょう」


「ありました。でも、こんなふうに誰かが喜ぶ水を見たのは初めてです」


 セリアは手の中の水をそっと地面へ戻した。


「神殿では、聖水も祈りも、正しく扱えなければ意味がないと言われました。私はいつも正しくできなかった。だから、何も持っていないのと同じだと思っていました」


「正しくできるようになればいいんじゃないですか」


「簡単に言いますね」


「簡単ではないです。でも、不可能ではない」


 セリアは俺を見る。


「レオンさんは、どうしてそう思えるんですか」


 俺は少し考えた。


 どうしてだろう。


 勇者パーティーでは、俺も無能だと言われた。

 鑑定しかできない、戦えない、役に立たない。


 昨日までの俺なら、その言葉を半分くらい信じていた。


 でも今は、井戸が戻り、水車が回り、セリアが笑っている。


「壊れている場所が見えるから、かもしれません」


「壊れている場所?」


「どこが壊れているのか分かれば、そこから考えられます。全部がだめなわけじゃないって分かる」


「全部がだめなわけじゃない……」


 セリアはその言葉を、口の中で繰り返した。


 それから、少しだけ微笑んだ。


「私、その言葉好きです」


「そうですか」


「はい。神殿で言われた言葉より、ずっと」


 夕日が井戸の水面を赤く染めている。


 村のどこかで、子供の笑い声がした。

 水車はまだ回っている。ぎしぎしと不格好な音を立てながら、それでも止まらずに。


 俺はその音を聞きながら、思った。


 ここには、壊れたものが多い。


 井戸も、水車も、納屋も、畑も。

 セリアの魔力も。

 たぶん、村人たちの心も。


 そして、俺自身も。


 でも、それは終わりという意味ではない。


 壊れているなら、直せるかもしれない。


 その夜、空き家に戻った俺は、古い机の上に羊皮紙を広げた。村長がくれたものだ。


 そこに、今日見たものを書き出していく。


 井戸。

 水車。

 補助魔石。

 セリアの魔力回路。

 封印痕は残り二つ。

 防衛結界の状態は未確認。

 北の森の祠。

 古い結界石。


 書けば書くほど、この村の不調がひとつに繋がっている気がした。


 井戸が枯れた。

 水車が止まった。

 畑が痩せた。

 魔物が増えた。

 セリアのような捨てられた者が流れ着いた。


 偶然かもしれない。


 だが、俺の鑑定は告げている。


《リベル村・広域状態》

《魔力循環:不安定》

《防衛結界:破損》

《魔物誘引反応:微弱》


 俺は筆を止めた。


「魔物誘引反応……?」


 その文字だけが、嫌に不穏だった。


 村は守られていない。


 むしろ、何かが魔物を呼んでいる。


 空き家の外で、水車の音が遠く聞こえる。


 平和な夜の音に混じって、村の外の森から低い遠吠えが響いた。


 俺は羊皮紙を握りしめる。


 明日、まず見るべきものが決まった。


 リベル村の防衛結界。


 それが壊れているなら、この村はまだ救われていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ