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第47話 乾いた畑に、最初の鍬を

 畑に水が届いた翌朝、リベル村の空気は少しだけ浮ついていた。


 まだ畑と呼ぶには早い。

 土は硬い。雑草も多い。水も細く流しただけだ。


 それでも、村人たちはもう「畑」と呼んでいた。


「ここに豆を植えるか」


「いや、最初は土を戻すのが先だろ」


「薬草畑も作るんだろ?」


「セリア先生が使うやつな」


「先生ではありません」


 セリアはそう言いながらも、どこか嬉しそうだった。


 ダリオは水路の前でしゃがみ込み、土を指でこすっている。


「まだ駄目だな。水が来ただけで畑になるなら、技師も農夫も要らん」


 トマが鍬を肩に担いで言った。


「じゃあ今日は何をする?」


「まず排水を見る。水が溜まりすぎる場所、逆に乾いたままの場所を探す。それから土を起こすのは端だけだ」


「また少しだけか」


「少しずつやる村になったんだろ、ここは」


 リーゼが腕を組んで頷いた。


「正しい。焦って壊すよりいい」


 トマは苦笑した。


「みんな待つのが上手くなってきたな」


「それだけ痛い目を見たということだ」


 リーゼの言葉に、誰も茶化さなかった。


 午前中、畑の端に最初の鍬が入った。


 ざくり、と乾いた土が割れる。


 音は重かった。

 長く放置された土は、簡単にはほぐれない。


 それでも、村人たちは一鍬ずつ入れていった。


 セリアは薬草に向いた場所を探し、ダリオは水の流れを見て、俺は土と水路の状態を鑑定する。


《放棄畑・第一面》

《状態:乾燥/栄養不足》

《水路接続:低水量成功》

《推奨:土起こし/腐葉土投入/薬草区画は半日陰側》


「薬草区画は、水路から少し離れた半日陰の場所が良さそうです」


「はい」


 セリアは真剣に頷いた。


「最初は傷洗い用の薬草と、熱冷まし用を育てたいです」


「食える薬草は?」


 トマが聞く。


「薬草を食べ物基準で見ないでください」


「でも非常食になるなら大事だろ」


 ダリオが横から言う。


「一理ある。食える薬草は強い」


 セリアは少し考え込んだ。


「……では、少しだけ食用にもなるものを」


 トマが満足そうに頷く。


 昼前、王都へ送った意見書の控えを、村長宅で再確認した。


 設備台帳の写し。

 旧水路復旧記録。

 畑側通水成功の記録。

 治療所の検査結果。

 来訪者記録。


 それらは束になると、かなりの厚みになっていた。


 ニコルはその束を見て、疲れた顔で笑う。


「僕たち、こんなに書いたんですね」


「これは村の盾じゃ」


 村長が言った。


「紙の盾、分厚くなってきたな」


 トマが言うと、ニコルは少し誇らしそうに頷いた。


 その頃、王都では、その紙の盾が確かに相手を困らせていた。


 行政庁の会議室。


 辺境安全管理委員会の準備会合で、役人たちはリベル村から届いた意見書と設備台帳の写しを前に、黙り込んでいた。


「……辺境村の提出文書としては、異例に整っています」


 若い書記官が言った。


 ローゼン家推薦の技師は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「見せかけでしょう。現場を見なければ分かりません」


 防衛局代表として出席していたラウル査察官が、静かに言う。


「見せかけにしては、旧水路の封鎖呪印片の記録まである。写真写し、鑑定記録、浄化記録、通水記録。十分に現場性がある」


 商会代表は苦い顔をした。


「しかし、村側は井戸と水車を外部管理対象外にすると主張しています」


「生活設備だから当然です」


 ギルド側の代理人が言った。


「管理委員会が村の生活基盤を接収する権限はありません」


 ローゼン側の技師は口を閉じた。


 リベル村は、ただ拒否したのではない。

 管理している証拠を出した。


 だから、強引に「管理できない村」とは言いにくくなった。


 会議室の端で、アルヴィン・ローゼンは黙って文書を見ていた。


 そこには、ダリオ・ガンツの名もあった。


『試用技師:ダリオ・ガンツ』


 アルヴィンの眉がわずかに動く。


「……面倒な男を拾ったものだ」


 リベル村では、そんな王都の反応をまだ知らない。


 午後、畑の土起こしを終えた村人たちは、泥だらけになっていた。


 作業は進んだと言っても、畑全体のほんの端だけだ。


 それでも、セリアは小さな区画に木札を立てた。


『薬草予定地』


 文字はニコルが書いた。


 セリアはそれを見つめ、少し照れたように笑う。


「まだ何も植えていないのに、予定地です」


「予定を書くと、未来が少し近くなる」


 リーゼが言った。


 セリアは彼女を見る。


「いい言葉ですね」


「ダリオの受け売りだ。技師は予定を信じないと言っていたが、予定がないと作れないとも言っていた」


 ダリオが遠くから叫ぶ。


「俺はそんな綺麗な言い方してねえぞ!」


「今したことにした」


 リーゼが返す。


 トマが大笑いした。


 夕方、畑に細く水を流したまま、調整板を閉じた。


 今日も少しだけ。

 明日も少しだけ。


 村は、待つことを覚えた。


 夜、俺は中枢室で記録を書いた。


『放棄畑第一面、土起こし開始。

薬草予定地を設定。

水量は低水量を維持。

王都管理委員会への意見書は送付済み。

村は拒否ではなく、管理能力の証明で対抗する方針。』


 最後に、昼間の畑を思い出して書いた。


『乾いた土に鍬を入れる音は、村が未来を耕し始めた音だった。』


 炉の火は低く揺れている。


 水車の音。

 旧水路の水音。

 遠くで子供たちが笑う声。


 リベル村は、今日も少しだけ広がった。

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