第46話 水は畑へ、文書は王都へ
旧水路に水を通す朝、村人たちは畑側に集まっていた。
畑、と呼ぶにはまだ荒れている。
雑草が伸び、土は硬く、ところどころ石が顔を出している。長く水が来なかった場所特有の、乾いた匂いがした。
それでも村人たちは、そこを畑と呼んだ。
呼び続けていれば、戻せる気がしたのだろう。
「今日は、ここまで水が来るんだな」
トマが鍬を肩に担いで言った。
「予定では」
俺が答えると、隣でダリオが鼻を鳴らした。
「予定ってのは裏切るためにある。だから確認する」
「嫌な言い方ですね」
「技師は予定を信じない。現場を信じる」
リーゼが畑の外周を見回す。
「魔物の気配はない。だが、皆が水路に集中している。警戒は続ける」
「お願いします」
セリアは浄化水の入った籠を持っていた。
「畑側にも呪印があると思いますか」
「可能性はあります」
俺は水路の先を鑑定する。
《旧水路・畑側》
《状態:閉塞解除寸前》
《土質:乾燥》
《残存呪印反応:微弱》
《推奨:低水量通水》
「強い反応はありません。ただ、最初は少量で」
「水路は焦らない」
リーゼが先に言った。
トマが笑う。
「もう村の合言葉だな」
ダリオが水量調整板の前に立つ。
「開けるぞ。いいか、最初は細く流す。畑に水が届いても騒いで走るな。土が崩れる」
「走るなよ!」
トマが子供たちへ叫ぶ。
「分かってるー!」
絶対に分かっていない返事だった。
ダリオが板を少しだけ開けた。
水が動く。
上流から中央部へ。
昨日補強した石組みを通り、細く、慎重に、畑側へ進んでいく。
皆が黙った。
水音だけが聞こえた。
やがて、乾いた畑の端に、小さな水筋が現れた。
「来た」
誰かが呟いた。
水はまだ細い。
畑を潤すには足りない。
でも、確かに届いた。
セリアが口元を押さえた。
「……水が、来ました」
村長が静かに頷く。
「戻ったな」
トマが拳を握る。
「畑、戻せるぞ」
子供たちが歓声を上げかけ、リーゼに睨まれて口を閉じた。
それから、小声で「やった」と言った。
ダリオは水の流れを見ながら言う。
「喜ぶのはいい。だが、今日はここまでだ」
「ええー!」
子供たちが一斉に不満を漏らす。
「水は来たじゃん!」
「来たから止める」
ダリオは真顔だった。
「土が水を思い出す時間がいる。明日は少し増やす。明後日も少し。畑を起こすのはその後だ」
村人の一人が頷いた。
「人間の病み上がりみたいなもんか」
「そうだ。寝込んでた奴にいきなり畑仕事させたら倒れるだろ」
セリアが深く頷いた。
「とても分かりやすいです」
「治療補助者に褒められると自信がつくな」
「先生ではありません」
「先生とは言ってねえ」
ダリオが笑った。
その日の昼、村長宅では管理委員会への正式返答を作っていた。
外では畑に水が届いた祝いで、村人たちが少し浮かれている。
中では、紙と格闘していた。
ニコルが疲れた顔で筆を持つ。
「題名はどうしますか」
俺は考えてから答えた。
「辺境安全管理委員会暫定設置に対するリベル村意見書」
「長い」
トマが呟く。
「王都向けなので」
最近、この説明でだいたい通るようになってきた。
内容は三つ。
一つ目。
リベル村は安全管理に協力する。
二つ目。
ただし、井戸・水車・治療所は村の生活設備および医療区画であり、外部管理対象にはしない。
三つ目。
古代設備調査には、リベル村代表、防衛局、冒険者ギルドの第三者立ち会いを必須とする。商会代表および貴族家推薦技師の単独調査は認めない。
ダリオが横から言う。
「あと、設備台帳の写しを添付しろ。旧水路の通水記録もだ」
「今日の分も?」
「当然だ。村が自分で水路を管理できてる証拠だ」
リーゼが頷く。
「水が畑へ届いたことは、ただの農作業ではない。村の管理能力の証明になる」
セリアも言う。
「治療所の薬草畑予定も書いていいですか」
「はい。治療所の物資安定化計画として」
ニコルが目を回しそうになっている。
「薬草畑予定……治療所物資安定化計画……」
トマが肩を叩く。
「頑張れ、紙の盾職人」
「その呼び方、かっこいいのか悪いのか分かりません」
「俺も分からん」
少し笑いが起きた。
夕方、返答文は完成した。
村長が読み上げる。
『リベル村は、周辺住民保護および危険設備の安全管理に協力する意思を有する。
ただし、リベル村内の井戸、水車、治療所は住民生活維持に不可欠な生活設備および医療区画であり、外部管理権の対象外とする。
古代設備に関する調査は、リベル村代表、防衛局、冒険者ギルドの第三者立ち会いを必須条件とする。
商会代表および貴族家推薦技師による単独調査、無断接触、設備操作は認めない。
リベル村は、設備台帳を作成し、井戸・水車・旧水路・外周結界について定期管理を開始している。
旧水路については、封鎖呪印片を確認・浄化し、段階的復旧を実施中。本日、畑側への低水量通水に成功した。』
読み終えると、部屋は静かになった。
トマがぽつりと言う。
「なんか、強いな」
「強い文です」
俺は頷いた。
「拒否だけではなく、こちらが管理している証拠を出しています」
ダリオも満足そうだった。
「悪くない。王都の机野郎どもが嫌がる文だ」
「それは褒めていますか」
セリアが聞く。
「最高に褒めてる」
リーゼは少し笑った。
「分かりにくい褒め方が多い村だ」
その夜、旧水路のそばに新しい木札が立てられた。
『旧水路・畑側
低水量通水成功
段階復旧中
無断接触禁止』
子供たちはそれを見て、声をそろえた。
「また禁止!」
トマが答える。
「禁止があるから明日も水が見られるんだ」
子供たちは不満そうだったが、少し考え、納得したように頷いた。
夜更け、俺は中枢室で個人記録を書いた。
『旧水路、畑側への低水量通水に成功。
水は細いが、畑へ届いた。
管理委員会への正式返答文を作成。
設備台帳と旧水路復旧記録を添付予定。
リベル村は、管理される対象ではなく、自ら管理する村であることを示し始めた。』
最後に、畑で見た水筋を思い出しながら書く。
『乾いた土に水が届いた時、村人たちは未来の話をした。
それが何よりの復旧かもしれない。』
炉の火は低く、安定していた。
外では、水車の音と、旧水路の細い水音が重なっている。
リベル村は、少しずつ流れを取り戻していた。




