第45話 水路中央部と、正式通知
旧水路に細い水が戻った翌朝、リベル村の子供たちは、いつもより早く水路を見に来ていた。
「流れてる!」
「昨日より増えた?」
「触るなって書いてあるぞ!」
「見てるだけだもん!」
木札の前で、子供たちがぎりぎりの距離を保って覗き込んでいる。
トマが腕を組んで見張っていた。
「そこから先は駄目だぞ。水路に落ちたら、セリア先生に怒られる」
「先生じゃありません」
少し離れた治療所の前から、セリアの声が飛んだ。
子供たちは笑った。
その横で、ダリオが水量調整板を見ていた。
「悪くない。夜の間に石組みが水を吸った。今日は中央部を開ける」
「畑まで行けるか?」
トマが聞く。
「行かない」
「またか」
「焦るな。水路は女心より繊細だ」
リーゼが冷たい目を向けた。
「その例えはやめろ」
「分かった。水路は王都の契約書より面倒だ」
「そっちは合っている」
ダリオは満足げに頷いた。
旧水路の中央部は、上流より厄介だった。
木の根が複雑に絡み、石組みの一部がずれている。
しかも、土の奥にまだ黒い反応が残っていた。
俺は鑑定をかける。
《旧水路・中央部》
《状態:重度閉塞》
《石組み歪み:中》
《残存呪印反応:三》
《推奨:浄化後、部分補強》
「呪印反応が三つあります。先に浄化します」
セリアが小瓶を手に頷く。
「はい」
リーゼは周囲を警戒している。
「昨日より反応が多いな」
「中央部が要だったんでしょう」
ダリオが土をつまみながら言った。
「ここを止めれば畑へ水は行かない。上流だけ生きていても意味がない」
「嫌な止め方だ」
トマが吐き捨てる。
俺も同じ気持ちだった。
完全に壊すのではなく、肝心なところだけ止める。
そして、止まった原因を自然劣化に見せかける。
水路も、人も、村も、同じやり方で弱らせる。
セリアが一つ目の呪印片を浄化した。
黒い紋様が薄れ、石が小さく割れる。
二つ目も同じ。
三つ目は、少し深い場所に埋まっていた。
ダリオが掘り出そうとして、俺が止めた。
「待ってください。これは少し違います」
《水路封鎖呪印片・中核》
《機能:水流停滞/周辺土砂固定/復旧時崩落誘導》
《危険:除去時、石組み崩落の可能性》
《推奨:石組み補強後に浄化》
「先に浄化すると崩れます」
ダリオが舌打ちする。
「性格悪い仕込みだな。直そうとした奴を潰す罠か」
「はい」
リーゼの表情が険しくなる。
「まるで、腕輪を無理に外すと腕を壊す仕組みと同じだな」
「同じ思想です」
セリアが静かに言った。
「直そうとした時にも、傷つくようにしている」
誰もすぐに笑えなかった。
けれど、村人たちはもう止まらなかった。
「じゃあ、補強すればいいんだろ」
トマが言った。
「どう補強する?」
ダリオは少し驚いたようにトマを見た。
「いい反応だ。そうだ、補強すればいい」
黒牙猪の牙片を砕き、粘土と混ぜる。
そこに灰角魔狼の角粉をほんの少し加える。
ダリオが即席の補強材を作り、俺が鑑定で強度を見る。
《補強材》
《強度:中》
《水路石組み補強:使用可》
《注意:乾燥前の通水不可》
「乾くまで時間が必要です」
「半日だな」
ダリオが言う。
「今日は中央部を開けても、水は通さない。補強して、夕方に確認。通水は明日」
トマが少し不満そうにする。
「また待つのか」
「待てる村は長持ちする」
リーゼが言った。
トマは彼女を見て、少し笑った。
「お前が言うと説得力あるな」
「私は待てなかったから壊れかけた」
リーゼは淡々と言った。
「だから、今は待つ」
その言葉に、トマは黙って頷いた。
作業は昼まで続いた。
中央部の石組みを補強し、呪印片の周囲を固定する。
セリアが浄化水を薄く撒き、残滓を抑える。
俺が流れを見て、ダリオが石を組み直す。
トマたちが土を運び、リーゼが周囲を守る。
誰か一人ではできない作業だった。
昼食の時、村長が旧水路を見に来た。
「進んでおるな」
「今日は水を通しません」
俺が言うと、村長は頷いた。
「焦らぬのはよいことじゃ」
「村長までそれを言うか」
トマが苦笑する。
「言う。長く生きると、焦って壊したものを多く見るからな」
村長は中央部の補強を見た。
「この水路が戻れば、畑も戻る。畑が戻れば、人を受け入れる力も増す」
セリアが静かに言う。
「薬草畑、作りたいです」
「作ろう」
村長は即答した。
「治療所のためにも、村のためにもな」
セリアの顔が明るくなった。
リーゼが小さく笑う。
「では、薬草畑の防衛も考えなければならないな」
「剣の先生に薬草畑を守ってもらうのか」
トマが言う。
「先生ではない」
「そこはセリアと一緒なんだな」
少しだけ笑いが起きた。
午後、王都からの伝令が来た。
行政庁の正式文書だった。
村長宅で封を切る。
そこに書かれていたのは、予想していた通りの内容だった。
『辺境安全管理委員会の暫定設置を決定。
対象地域:リベル村および周辺古代設備区域。
目的:危険古代設備の安全確認、周辺住民保護、復興支援計画の策定。
委員候補:王都行政庁一名、防衛局一名、神殿一名、商会代表一名、貴族家推薦技師一名、リベル村代表一名。
第一回予備協議を十日以内に実施予定』
トマが低く唸った。
「来たな」
リーゼは文面を見て言った。
「商会代表と貴族家推薦技師。そこがローゼンの入り口だ」
「はい」
俺は鑑定する。
《行政庁正式通知》
《制度効力:高》
《介入可能性:中》
《危険項目:商会代表/貴族家推薦技師/古代設備区域の範囲未確定》
《対抗推奨:設備台帳提出/村代表権明確化/第三者記録》
「やはり設備台帳が必要です」
ダリオが文書を覗き込む。
「範囲未確定が危ないな。古代設備区域を広く取られたら、村の外どころか井戸や水車まで管理対象にされる」
「どう返す」
村長が聞く。
ダリオは少し考えた。
「まず、村側から区域案を出せ。井戸、水車、治療所は村生活設備として扱う。古代設備区域は、地下工房関連の外縁に限定。ただし地下内部の詳細は安全上非公開」
「こちらが先に線を引くんですね」
「そうだ。相手に線を引かせるな」
リーゼが頷いた。
「戦場と同じだ。場所を決められたら負ける」
セリアも言う。
「治療所は医療区画です。管理委員会の設備区域には入れないでください」
「書きましょう」
ニコルが筆を取る。
疲れた顔ではあるが、もう逃げ腰ではない。
「設備台帳第一巻も写しを作りますか」
「はい。井戸、水車、旧水路、外周結界の管理状況を添付します」
村長は静かに言った。
「水路作業の記録も入れよう。村が自分で危険を確認し、浄化し、段階的に修復している証になる」
ダリオが笑う。
「いい村だ。王都の役人が嫌がるくらい、ちゃんとし始めてる」
「褒めているのか」
リーゼが聞く。
「もちろんだ。嫌がられるくらい整った記録は、最高の盾だ」
夕方、旧水路中央部の補強が乾いた。
今日は水を通さない予定だったが、状態確認だけは行う。
俺が鑑定する。
《旧水路・中央部》
《石組み補強:安定》
《中核呪印片:浄化可能》
《通水:翌日推奨》
「浄化できます」
セリアが深呼吸する。
「やります」
彼女が浄化水を落とす。
中核呪印片が黒く脈打った。
一瞬だけ、嫌な声のようなものが空気に滲む。
『流すな』
リーゼの目が鋭くなる。
セリアは手を止めなかった。
「水路は、流れるためにあります」
白い光が広がる。
『止まれ』
「止まりません」
セリアの声は静かだった。
「この村も、私も」
黒い紋様が砕けた。
《中核呪印片:機能停止》
《旧水路中央部:封鎖解除》
《通水準備:完了》
誰かが小さく拍手した。
見ると、ニコルだった。
慌てて手を止める。
「すみません、つい」
「いや」
リーゼが言った。
「今のは拍手していい」
トマが続けて手を叩く。
村人たちも続いた。
セリアは驚いた顔をしたあと、少しだけ泣きそうに笑った。
夜、設備台帳に新しい一文が加えられた。
『旧水路中央部、中核呪印片を浄化。封鎖解除。
翌日、段階通水予定。
リベル村側にて危険確認、補強、浄化、記録を実施。』
これは、ただの作業記録ではない。
王都の管理委員会に対する答えだった。
俺たちは管理できる。
危険を見つけ、止まり、補強し、浄化し、記録できる。
村は守られるだけの場所ではない。
自分で自分を守る場所になりつつある。
個人記録に、俺はそう書いた。
『正式通知、到着。
辺境安全管理委員会、暫定設置。
商会代表と貴族家推薦技師に警戒。
旧水路中央部、封鎖解除。
明日、畑側への通水を試みる。
制度が村を囲もうとしている。
だが、水路は外へ流れ始めている。』
筆を置く。
外では、旧水路の細い水音が聞こえる。
明日、その水は畑へ向かう。
リベル村が、もう一度食べていくために。




