表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/173

第44話 旧水路に水を戻せ

 旧水路の掘り返しは、朝から始まった。


 派手な作業ではない。

 土を掘る。根を切る。泥をどける。石を運ぶ。


 ただ、それだけだ。


 けれど村人たちは、妙に張り切っていた。


「ここが戻れば、畑に水が行くんだろ?」


「畑が戻れば、豆が増える」


「薬草も育てられるってセリア先生が言ってたぞ」


「先生ではありません」


 少し離れた場所から、セリアが即座に訂正した。


 トマが笑う。


「もう諦めろよ、セリア先生」


「諦めません」


「リーゼ先生は?」


「私は先生ではない」


 二人そろって否定するので、村人たちが笑った。


 その笑いの中で、ダリオは旧水路の前にしゃがみ込み、地面に棒で線を引いていた。


「いいか。ここを一気に掘るな。水路は詰まりを抜けば終わりじゃない。流れが戻った瞬間、弱いところが崩れる」


 トマが腕を組む。


「じゃあ、どうする」


「三つに分ける。上流側、中央、畑側。今日は上流側だけ開ける」


「全部やらねえのか」


「焦って全部開ける奴は、水で村を壊す」


 その言葉に、俺は頷いた。


「水車と同じですね」


「そうだ。水は味方にすれば飯になる。敵にすれば災害だ」


 ダリオは得意そうに言う。


 この男、口は悪いが、現場の説明は分かりやすい。


 リーゼは周囲を見回していた。


 剣は腰にあるが抜いていない。

 防衛役として、作業に集中している村人たちの外側を見ている。


「魔物の気配は?」


「今のところありません」


 俺は外周結界と周辺反応を確認する。


《周辺反応:安定》

《旧水路:封鎖呪印片除去済み》

《残存呪印反応:微弱》

《推奨:浄化補助下で掘削》


「ただ、残滓は少しあります。セリア、掘った土に黒い紋が見えたら触らないでください」


「はい。浄化水を用意しています」


 セリアは小瓶を籠に入れ、治療所ではなく作業場にいた。

 今日は治療補助者ではなく、浄化担当だ。


 村長は杖をつき、少し離れた場所で全体を見ている。


「では始めよう」


 その一言で、鍬が土に入った。


 ざく、ざく、と音がする。


 旧水路は思ったより深かった。

 表面は草と土に埋もれていたが、少し掘ると古い石組みが出てくる。


「おい、石があるぞ!」


「壊すな!」


 ダリオが即座に叫ぶ。


「それが水路の壁だ。壊したら俺が泣く」


「泣くのか」


「技師は良い石組みを見ると泣くんだ」


「変な生き物だな」


 トマが笑った。


 けれど、ダリオの指示で作業は丁寧になった。


 石組みを傷つけず、泥だけを取り除く。

 木の根は、リーゼが短剣で切った。


 その手つきは正確だった。


「剣士に根切りをさせる村か」


 リーゼが呟く。


「防衛役の仕事ですかね」


 俺が言うと、彼女は少し笑った。


「まあ、村を守る根切りなら悪くない」


 掘り進めて半刻ほどした頃、鍬を入れた若者が声を上げた。


「黒い石がある!」


 全員の動きが止まる。


 俺が近づき、鑑定する。


《水路封鎖呪印片・小》

《機能:土砂固定》

《状態:残滓》

《危険度:低》


「残滓です。直接触らないで。セリア、お願いします」


「はい」


 セリアが浄化水を一滴落とす。


 黒い紋様が薄れ、石はただの割れた小石になった。


 村人たちが小さく息を吐く。


「こんなのが、まだ埋まってたのか」


「これで水路が止まってたんだな」


 ダリオが苦い顔で言う。


「一枚一枚は小さい。でも要所に置けば、水の流れは死ぬ」


「人も同じだな」


 リーゼが低く言った。


 誰もすぐには返さなかった。


 小さな呪印。

 小さな言葉。

 小さな制度。

 小さな諦め。


 それらが積み重なって、人も村も止まっていく。


 だから、ひとつずつ取り除くしかない。


 昼前、上流側の詰まりが抜けた。


 ダリオが水量調整板を仮設する。


 古い木材と黒牙猪の牙片を削った補強具を組み合わせた、即席の板だった。


「これで水を少しだけ通す」


 トマが顔をしかめる。


「少しだけって、どれくらいだ」


「水路が思い出す程度だ」


「また変な言い方を」


「長く止まってた水路に一気に流すと崩れる。まず、濡らす。石組みに水を馴染ませる」


 俺は思わず笑った。


「本当に、人の回路みたいですね」


 セリアが頷く。


「少しずつ流すんですね」


「そういうことだ」


 ダリオは水量調整板をゆっくり開けた。


 最初に、ちょろ、と細い水が流れた。


 誰も喋らなかった。


 水は泥の上を迷うように進み、古い石組みの間を通っていく。

 何年も止まっていた水路を、少しずつ濡らしていく。


 やがて、細い流れが一本になった。


 トマが小さく呟く。


「流れた」


 セリアが目を輝かせる。


「本当に、戻ってる」


 リーゼは黙って見ていた。


 その横顔には、どこか自分の剣を初めて抜いた時に似た表情があった。


 ダリオは腕を組み、満足そうに頷く。


「よし。今日はここまで」


「え、ここまでか?」


 若者の一人が不満そうに言う。


「畑まで通さないんですか?」


「通さない」


 ダリオは即答した。


「今日ここで止める勇気がある奴だけが、明日も水路を直せる」


 リーゼが小さく笑った。


「いい言葉だな」


「だろ。飯の前に言うと深く聞こえる」


「台無しだ」


 昼食は水路のそばで取った。


 黒パン、豆の煮込み、井戸水。

 特別なものはない。


 けれど、村人たちはいつもより嬉しそうだった。


「水が戻ると、畑も戻るかな」


「戻るさ」


「薬草も育てよう」


「豆も増やしたい」


「芋も欲しい」


 話はどんどん飯へ向かう。


 トマがダリオにパンを渡した。


「食え。今日は働いた」


「ありがたい。働いた後のパンは技師組合の宴会よりうまい」


「王都の宴会ってそんなに駄目なのか?」


「飯はうまい。空気がまずい」


「なるほどな」


 午後は、流した水の状態を確認した。


 崩れた場所はない。

 水漏れも少ない。

 ただ、一箇所だけ石組みが緩んでいる場所があった。


「ここは明日補強だな」


 ダリオが言う。


「黒牙猪の牙片、まだあるか?」


「あります」


「砕いて混ぜる。衝撃に強い補強材になる」


「魔物素材を水路に使うのか」


 リーゼが聞く。


「魔物を倒したなら、村の役に立てる。牙も本望だろ」


「牙に本望があるかは知らないが、悪くない」


 夕方、旧水路の上流側に仮の木札が立てられた。


『旧水路・上流部

試験通水中

無断接触禁止

管理者:ダリオ/レオン/トマ

浄化確認:セリア

防衛確認:リーゼ』


 ニコルが文字を書いた。


 自分の字を見て、少し満足そうにしている。


「管理者が増えましたね」


「村が広がると、管理も増える」


 村長が言った。


「大変ですね」


「大変じゃ。だが、嬉しい大変さもある」


 ニコルは少し考えてから、頷いた。


 夜、村長宅で設備台帳に新しい項目が追加された。


『旧水路上流部、試験通水成功。

水量は最小。石組み崩落なし。

残存呪印片二つ確認、浄化済み。

中央部および畑側は未開通。

一気に通水せず、段階的に復旧すること。』


 ダリオがそれを見て、満足そうに頷く。


「いい台帳だ。王都の役人に見せても恥ずかしくない」


 ニコルの顔が明るくなった。


「本当ですか?」


「ああ。まだ字は若いが、内容はいい」


「字が若い……」


「褒めてる」


 リーゼが横から言う。


「分かりにくい褒め方だ」


「俺はだいたい分かりにくい」


「自覚があるなら直せ」


「検討する」


 セリアが小さく笑った。


 その日の個人記録に、俺はこう書いた。


『旧水路上流部、試験通水成功。

水は細いが、確かに流れた。

残存呪印片を二つ浄化。

村人たちは畑の話を始めている。

水路が戻ることは、単なる設備修復ではない。

村が先の季節を考え始めたということだ。』


 最後に一文を加える。


『止められていた流れが戻る時、人も村も少し未来を見る。』


 筆を置く。


 外では水車が回っている。


 そして、その近くで新しく戻った細い水音が聞こえていた。


 まだ小さい。


 でも、確かに水は流れている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ