第43話 設備台帳という名の盾
翌朝、リベル村に新しい仕事が増えた。
設備台帳作りである。
井戸、水車、木柵、治療所、外周結界、修復炉。
それぞれの状態、管理者、点検日、修復履歴、危険時の対応手順を一冊にまとめる。
聞くだけなら地味だ。
だが、ダリオは豆の煮込みをすすりながら、真顔で言った。
「これがない村は、王都の役人に負ける」
トマが顔をしかめる。
「魔物じゃなくて役人にか」
「魔物は牙で来る。役人は紙で来る。どっちも噛まれると痛い」
「嫌な例えだな」
「分かりやすいだろ」
村長宅の机には、ニコルの記録板が山のように積まれていた。
ニコルはすでに疲れた顔をしている。
「これ、全部書き直すんですか?」
「全部じゃない。王都の役人が読める形に直す」
ダリオは当たり前のように言った。
「現場記録と提出記録は別物だ。現場では分かりやすく。提出用は突かれにくく」
リーゼが頷く。
「騎士団の報告書と同じだな。事実、判断、要望を分ける」
「そう、それだ」
ダリオはリーゼを指さした。
「あんた、書類仕事できるだろ」
「嫌いだ」
「できる奴ほどそう言う」
「本当に嫌いだ」
セリアが小さく笑った。
「でも、リーゼさんの記録は読みやすいです」
「褒めても増やすな」
「増えます」
俺が言うと、リーゼは露骨に嫌な顔をした。
それでも逃げなかった。
午前中は、井戸の台帳から始めた。
管理者は村長とニコル。
点検は毎朝。
異物混入時は使用停止。
浄化確認はセリア、構造異常は俺。
外部来訪者による採水は禁止。必要な場合は村側が汲んで渡す。
ダリオは横から口を挟む。
「井戸は命綱だ。ここは強く書け。“村長許可なき直接接触を禁ず”くらいでいい」
「強すぎませんか」
「弱いと触られる」
トマが頷く。
「前に飛行魔にも狙われたしな」
「それも書く」
ダリオは即答した。
「過去に井戸を狙った魔物誘導事例あり。だから管理が厳しい。理由がある禁止は強い」
ニコルが必死に書く。
「理由がある禁止は強い……」
「それは台帳じゃなくて勉強メモだな」
ダリオが笑った。
昼前には、水車の台帳へ移った。
ここでダリオの顔つきが変わった。
彼は水車小屋の床に膝をつき、軸受けを見て、流路を見て、古い水路跡まで歩いた。
「やっぱり、旧水路が詰まってるせいで水の逃げ場がない。今は水車だけに流してるが、大雨の時に負荷が跳ねる」
「畑側へ水を逃がせれば?」
俺が聞く。
「水車が長持ちする。畑も戻せる。ついでに、村の外周防衛にも使える」
リーゼが反応した。
「水路を防衛に?」
「水は壁にもなる。泥にもなる。黒牙猪みたいな突進型は、足場を崩せば止まる」
トマが目を輝かせた。
「飯も増えて、防衛にもなるのか」
「水路は偉いんだよ」
ダリオは得意そうに言った。
午後、旧水路の調査が始まった。
参加者は、俺、ダリオ、トマ、リーゼ。
セリアは治療所で待機。
ニコルは村長宅で台帳整理だ。
旧水路は村の東側、草に埋もれた細い溝のような場所だった。長年放置されたせいで土と落ち葉が詰まり、ところどころ木の根が入り込んでいる。
俺が鑑定をかける。
《旧水路》
《状態:閉塞》
《構造損傷:中》
《呪印反応:微弱》
《推奨:調査後、段階的掘削》
「呪印反応があります」
リーゼの目が鋭くなる。
「またか」
「微弱です。すぐ危険というほどではありません。ただ、掘る前に確認が必要です」
ダリオはしゃがみ込み、土を少しつまんだ。
「これ、自然に詰まっただけじゃねえな」
「分かるんですか」
「水の止まり方が変だ。普通は低い所から泥が溜まる。ここは逆に、流れの要所だけ固められてる」
トマが嫌そうに唸った。
「つまり、誰かが詰まらせた?」
「かなり昔だろうがな」
ダリオは工具箱から細い金属棒を出した。
「触るぞ。いいか?」
俺は鑑定する。
「棒に危険術式なし。触る場所も、まず表層だけなら大丈夫です」
「よし」
ダリオが土を探ると、硬い感触があった。
掘り返すと、黒ずんだ小さな石板が出てきた。
見覚えのある嫌な紋様。
《水路封鎖呪印片》
《機能:水流停滞/土砂固定/劣化偽装》
《系統:才能封鎖術式類似》
《危険度:低・残滓》
俺は息を吐いた。
「やはり、封鎖されています」
リーゼが剣の柄に触れた。
「村の井戸だけではなく、水路もか」
「村が衰えるように、生活基盤を少しずつ止めたんでしょう」
ダリオの声が低くなる。
「嫌なやり方だ。水を殺せば、畑が死ぬ。畑が死ねば人が減る。人が減れば、村は自分たちが駄目になったと思う」
セリアが以前言った言葉が思い出された。
本人に自分が悪いと思わせる。
人にも、村にも、同じことをしている。
トマが拳を握った。
「じゃあ、直す」
短い言葉だった。
怒りはある。
だが、暴れるための怒りではない。
直すための怒りだ。
俺は頷いた。
「はい。まず呪印片を回収して、浄化。水路は段階的に開けます」
ダリオがにやりと笑った。
「いいね。壊された水路を戻す。王都の管理委員会が来る前に、村が自分で管理できる証拠を増やすわけだ」
リーゼが言う。
「設備台帳にも載せる」
「そうだ。旧水路閉塞原因、外部呪印片を確認。村側にて記録保全、浄化後に段階的修復予定」
ニコルがいないのに、皆が同時に「ああ、書きそうだ」と思った顔をした。
夕方、呪印片を封印して地下工房へ運んだ。
セリアが浄化を担当する。
彼女は石板を見て、少し顔を曇らせた。
「これも、才能封鎖術式に似ているんですね」
「はい。水路の才能を封じていたようなものです」
「水路の才能……」
セリアは不思議そうに繰り返した。
ダリオが横から言う。
「水路の才能は、水を運ぶことだ。水を運べない水路は、自分が壊れたと思うかは知らんが、人間はそう思う」
リーゼが小さく頷いた。
「剣を握れない剣士と同じか」
「そういうことだな」
セリアは石板に手をかざした。
「では、流れを戻すために浄化します」
白い光が石板を包む。
黒い紋様が薄れ、ぱきりとひびが入った。
《水路封鎖呪印片:機能停止》
《証拠保全可能》
《旧水路修復阻害:低下》
中枢室の地図で、旧水路の線が少しだけ明るくなった。
ダリオが目を丸くする。
「おいおい、本当に地図が反応するのか。こいつはすげえな」
「中枢室には触らせませんよ」
「分かってる。今は見るだけで飯三杯分の価値がある」
「また飯基準ですか」
トマが笑う。
「こいつ、意外と村向きかもしれねえな」
夜、村長宅で設備台帳の最初の一冊が完成した。
表紙には、ニコルの字でこう書かれている。
『リベル村設備台帳・第一巻
井戸/水車/旧水路/外周結界』
ニコルはそれを両手で持ち、少し緊張した顔をしていた。
「これで、盾になりますか」
村長は頷いた。
「なる。まだ小さな盾じゃが、確かに盾じゃ」
ダリオが横から言う。
「王都の役人は、こういうのに弱い。ちゃんと管理してますって証拠だからな」
トマがニコルの肩を叩く。
「やったな。紙の盾だ」
「紙の盾って弱そうです」
「でも王都相手には強いんだろ?」
「はい」
ニコルは少し笑った。
俺は台帳を見ながら思った。
井戸を直す。
水車を直す。
剣を直す。
治癒の力を直す。
そして今は、記録の形まで直している。
リベル村は、ただ設備が復旧しているだけではない。
自分たちで自分たちを守る方法を覚え始めている。
その夜、個人記録に書いた。
『設備台帳第一巻、作成開始。
井戸、水車、旧水路、外周結界を記録。
旧水路に水路封鎖呪印片を確認。才能封鎖術式類似。
セリアの浄化により機能停止。
ダリオの技術は有用。試用継続。
王都制度への対抗には、現場の修復と記録の整備、両方が必要。』
最後に、一文を足した。
『水路もまた、自分の流れを取り戻そうとしている。』
炉の火は低く灯り続けていた。
次は、旧水路を掘り返す。
畑へ水を戻すために。
そして、村が「管理される対象」ではなく、「自分で管理できる場所」だと示すために。




