第42話 放浪技師は、飯のあとで疑われる
ダリオ・ガンツは、豆の煮込みを三杯食べた。
一杯目は無言で食べた。
二杯目は、黒パンで器の底まで拭って食べた。
三杯目に入って、ようやく人間らしい速度になった。
「……生き返った」
木椀を置いたダリオは、本気でそう言った。
トマが呆れた顔をする。
「どんだけ食ってなかったんだよ」
「まともな飯は三日ぶりだな。昨日は木の実と水。一昨日は硬すぎる干し肉。歯が負けるかと思った」
「技師ってのは儲かるんじゃないのか?」
「組合にいる技師はな。除名された技師は、工具箱の重さで肩が壊れるくらいしか儲からん」
ダリオは肩を回した。
冗談めかしているが、服の擦り切れ具合を見る限り、楽な旅ではなかったのだろう。
村長は食後の水を出しながら言った。
「さて、飯は食わせた。次は疑う番じゃ」
「順番が誠実で助かる」
ダリオは水を飲んだ。
「疑え。俺は怪しい」
「自分で言うな」
リーゼが冷たく言う。
「怪しい奴ほど、自分は怪しくないと言う。なら、先に怪しいと言っておいた方が早い」
「理屈としては分かるが、信用は増えない」
「だろうな」
ダリオは笑った。
村長宅の机には、来訪者記録が広げられている。
ニコルは筆を構え、すでに疲れた顔をしていた。
「お名前をもう一度お願いします」
「ダリオ・ガンツ。元王都技師組合所属。今は放浪魔道技師。仕事と飯を求めてリベル村へ来た」
「目的は?」
「古代設備を見たい。できれば雇われたい。できれば寝床も欲しい」
ニコルが書きながら困った顔をする。
「正直すぎて書きづらいです」
「嘘の方がいいか?」
「いえ、正直なままでお願いします」
俺はダリオをもう一度鑑定する。
《対象:ダリオ・ガンツ》
《職業:放浪魔道技師》
《技能:水路設計/魔道炉補修/結界補助具加工》
《危険術式反応:なし》
《精神状態:空腹解消/警戒/興味過多》
《備考:ローゼン侯爵家施工案件で欠陥指摘後、王都技師組合除名》
「鑑定結果では、危険術式反応はありません」
「だろうな。そんな高級なもん持ってない」
「高級なら持つんですか」
セリアが真面目に聞く。
「持たん。俺は性格が悪いが、人を壊す趣味はない」
ダリオはそこで少し顔を引き締めた。
「ただ、ローゼン家の技師たちは違う。あそこは、設備も人も“扱いやすくする”ことを好む」
リーゼの目が細くなる。
「扱いやすく?」
「ああ。出力を絞る。癖を削る。逆らわないようにする。設備の話だぞ?」
ダリオはそう前置きした。
「だが、人間相手にも似たことをしているんじゃないかと、俺は思ってる」
部屋の空気が少し冷えた。
セリアが胸元の聖印に触れる。
リーゼは右手首の痕を隠さない。
俺はゆっくり尋ねた。
「才能封鎖術式という言葉に、聞き覚えはありますか」
ダリオの顔から笑みが消えた。
「……ある」
短い返事だった。
「詳しく」
リーゼが言う。
ダリオは頭をかいた。
「俺が知ってるのは技師組合の噂だ。昔、修復師たちが禁忌にした術式がある。人の才や設備の特性を殺さず、眠らせて、本人や持ち主に“これは元々壊れている”と思わせる術式だってな」
「設備にも使えるのか」
俺が聞くと、ダリオは頷いた。
「人間用に応用される前は、設備用だったという話もある。炉の出力、結界の癖、水路の流れ。そういうものを“安全管理”と称して鈍らせる」
「安全管理……」
村長が低く呟く。
王都行政庁から届いた文書の言葉と重なる。
ダリオは苦い顔をした。
「便利な言葉だ。暴れる炉を抑えるのも安全管理。邪魔な村の設備を眠らせるのも安全管理。紙の上じゃ同じに見える」
トマが嫌そうに顔をしかめた。
「また紙か」
「紙は強いぞ。剣より安く、人を縛れる」
「それ、最近よく分かってきた」
ダリオは机の上の王都行政庁の予備通知を見た。
「これが来たのか」
「読めるのか」
リーゼが尋ねる。
「王都の嫌な文書は読み慣れてる」
ダリオは文面をざっと見て、鼻で笑った。
「典型だな。危険設備の周辺安全管理。委員会設置。技師派遣。調査権限。最終的には、村の許可なく設備に触れる権利を取りに来る」
「やはりそうか」
村長は静かに頷いた。
「対抗策はあるか」
「ある」
ダリオは即答した。
「設備台帳を作れ」
ニコルの筆が止まった。
「設備台帳?」
「井戸、水車、結界、炉、治療所支援、木柵。全部の状態、管理者、点検日、修復履歴、危険時の停止手順を書いた台帳だ。これがあれば、“村は管理できていない”と言われにくい」
俺は思わず身を乗り出した。
「今の記録を、制度用に整理するんですね」
「そうだ。お前らは記録してる。だが、王都の役人に見せるには形が必要だ。相手の土俵で読める形にする」
ダリオは水を飲んだ。
「あと、外部技師の受け入れ条件も先に作れ。工具の持ち込み確認、術式反応検査、作業範囲、立ち会い、作業後検査。全部書け」
「詳しいですね」
セリアが言うと、ダリオは肩をすくめた。
「そういう書類を作らずに貴族の炉へ文句を言ったから、俺は除名された」
「失敗談か」
リーゼが言う。
「失敗談は役に立つ。痛いからな」
その言葉には、妙な重みがあった。
村長はダリオをじっと見た。
「ダリオ殿。試しに仕事を頼みたい」
「飯つきか?」
「飯つきじゃ」
「寝床は?」
「倉庫の空き部屋でよければ」
「最高だ」
「ただし、地下工房の中枢室にはまだ入れぬ。まずは水車と旧水路の外部調査からじゃ」
ダリオはにやりと笑った。
「妥当だ。いきなり心臓を見せる村は信用できねえ」
「それと、作業中はレオン殿かトマが立ち会う」
「いい。俺も変な疑いをかけられずに済む」
こうして、ダリオは一時協力者として記録された。
肩書きは「試用技師」。
本人はその呼び方に少し不満そうだった。
「試用って、鍋みたいだな」
「鍋は試用しません」
セリアが真面目に返した。
「いや、するだろ。焦げつくかどうか」
「するんですか?」
「する」
トマが横から言う。
「古い鍋は特にな」
セリアは少し考え込んだ。
「では、試用技師で合っているのかもしれません」
「納得されると複雑だな」
その午後、ダリオは水車と旧水路を見た。
工具箱から小さな測量糸と金属棒を取り出し、水の流れを測る。
手つきは雑に見えて、無駄がなかった。
「ここの水路、昔は二股だったな」
彼は地面を棒で突いた。
「一つは水車へ。もう一つは畑へ。今は畑側が埋まってる」
「中枢室の表示とも一致します」
俺は頷いた。
「放棄畑三つ。旧水路一つ」
「なら先に水路だ。畑を耕しても水がなきゃ意味がない」
トマが腕を組む。
「飯が増える道か」
「飯が増える道だ」
「よし、信用した」
「早いな」
リーゼが呆れた。
だが、ダリオの技術が本物なのは確かだった。
夕方には、旧水路修復の大まかな手順が出た。
一、埋まった水路の位置確認。
二、危険呪印の有無確認。
三、掘り返し。
四、水量調整板の作成。
五、畑側への試験通水。
ニコルがそれを書き取り、途中で手を振った。
「今日も文字が多いです」
「村が大きくなると、字も増える」
ダリオが言う。
「嫌な現実ですね」
「でも、字がない村は王都に食われる」
ニコルは真剣な顔になった。
「書きます」
夜。
俺は中枢室に今日の記録を登録した。
『放浪魔道技師ダリオ・ガンツを試用協力者として受け入れ。
危険術式反応なし。
王都技師組合除名歴あり。理由はローゼン侯爵家施工案件の欠陥指摘。
才能封鎖術式および安全管理名目の設備制御について知識あり。
旧水路修復に有用。
設備台帳作成を提案。』
中枢室が反応する。
《新規協力者候補:ダリオ・ガンツ》
《役割候補:外部技師》
《登録条件:本人意思確認/試用期間/村長承認/設備制限契約》
「設備制限契約……」
今度はこちらが契約を作る側だ。
縛るためではなく、守るための契約。
俺は少し笑った。
紙は怖い。
でも、怖いからこそ使い方を覚えなければならない。
外では、水車が滑らかに回っている。
その先に、まだ埋まった水路がある。
飯が増える道。
村が広がる道。
そして、王都の制度に対抗するための道。
リベル村はまた一つ、直すものを見つけた。




