第40話 小さな炉火と、次に来るもの
リベル村の朝は、前より少しだけ音が増えた。
井戸の水音。
水車の軸が回る音。
治療所で瓶が触れ合う音。
木剣を持った子供たちが、リーゼに叱られる声。
「足元を見るな。前を見ろ」
「だって転びそうなんだもん」
「前を見て転ばない練習をしている」
「むずかしい!」
「だから練習だ」
広場の端で、リーゼが真面目に子供へ木剣の構えを教えている。
本人は先生ではないと言い張っているが、子供たちはすでに「リーゼ先生」と呼び始めていた。
セリアは治療所の前で、布を干している。
「セリア先生、これでいい?」
「先生ではありません。はい、よく絞れています」
「先生って言ってるじゃん」
「言っていません」
「言ったよ!」
こちらも時間の問題だった。
俺は水車小屋の横で、軸の状態を鑑定していた。
《東水車》
《状態:安定》
《修復炉低出力支援:微弱》
《推奨:三日後再点検》
「先生、どうだ?」
トマが横から覗き込む。
「三日は持ちます」
「おお。前は毎日見てたのにな」
「少しずつ楽になります」
「楽になると、逆に落ち着かねえな」
「分かります」
トマは笑った。
「先生も村人っぽくなってきたな」
俺は返事に困った。
その時、村長の家の方からニコルが走ってきた。
「レオンさん! 王都から文書です!」
来たか。
俺はトマと顔を見合わせた。
村長宅に集まったのは、いつもの面々だった。
村長、俺、セリア、リーゼ、トマ、ニコル。
文書の封蝋は、防衛局でもギルドでも神殿でもない。
王都行政庁。
村長が封を切り、静かに読み上げた。
「辺境安全管理委員会の設置に関する予備通知……」
部屋の空気が変わった。
リーゼが眉を寄せる。
「制度で来たか」
俺は文書を受け取り、鑑定する。
《行政庁予備通知》
《目的:危険古代設備の周辺安全管理》
《対象:リベル村周辺地域》
《潜在影響:外部管理委員会設置/設備調査権限/支援名目の介入》
《関連貴族家反応:ローゼン侯爵家》
「ローゼン家が絡んでいます」
セリアが息を呑む。
「また……」
村長は静かに杖を鳴らした。
「慌てるな。まだ予備通知じゃ」
「でも、放っておくと委員会ができます」
俺は文書を見た。
「目的は“危険設備の管理”。つまり、リベル村が危険だからではなく、古代設備が危険だから管理する、という名目です」
トマが顔をしかめる。
「また首輪か」
「今回は契約書ではなく、制度の首輪です」
リーゼは腕を組んだ。
「厄介だな。断るだけでは済まない」
村長は頷いた。
「なら、こちらも正式な文書で返す。設備は村と防衛局の記録下で管理中。第三者立ち会いなしの調査は拒否。委員会に村代表を入れることを要求する」
ニコルがすぐ筆を取った。
「書きます」
セリアも顔を上げた。
「治療所や私のことも、また理由にされますか」
「可能性はあります」
俺が答えると、セリアは小さく頷いた。
「なら、私の検査結果も添えます。暴走兆候なしって、正式に出ましたから」
リーゼも続ける。
「私の本人記録も出せ。逃亡剣士ではなく、防衛役として村にいる」
「いいんですか」
「必要ならな。ただし腕輪の詳細はまだ出さない」
「分かりました」
トマが木札を見るような顔で言った。
「じゃあ、今度の武器は、記録と正式文書か」
「はい」
「やっぱ字は怖えな」
少しだけ笑いが起きた。
でも、誰も気を抜いてはいなかった。
夜。
地下工房の炉は、低く灯っていた。
俺は中枢室の記録に、新しい項目を書き加えた。
『第3章課題候補:辺境安全管理委員会への対応。
王都行政庁、ローゼン家関与。
制度による介入の可能性。
対抗手段:記録、第三者立ち会い、防衛局・ギルドとの連携、村代表権の要求。』
書き終えると、セリアとリーゼが降りてきた。
「また一人で抱えようとしていませんか」
セリアが言う。
「記録していただけです」
「便利な言い訳だな」
リーゼが言う。
俺は苦笑した。
「では共有します。次は、制度との戦いになりそうです」
セリアは少しだけ怖そうな顔をした。
けれど、すぐに頷いた。
「一緒に怖がります」
リーゼも剣の柄に軽く触れた。
「一緒に戦う。剣だけではなく、記録でも」
炉の火が、静かに揺れた。
小さな火だ。
けれど、もう消えそうには見えなかった。
リベル村は、次の朝へ進む。
捨てられた者たちが、自分の意思で立つ場所として。




