第39話 捨てられた者たちの拠点
勇者パーティーが去った翌朝、リベル村は妙に静かだった。
嵐の後の静けさではない。
大きな客が次々と来て、皆がそれぞれ少しずつ息を整えているような静けさだった。
井戸の水は澄み、水車は以前より滑らかな音で回っている。
治療所の棚には、セリアが整理した布と薬草が並んでいた。
南門ではトマが木柵の補強を確認し、ニコルは来訪者記録の束を乾かしている。
リーゼは広場の端で剣を抜いた。
ゆっくりと。
確かめるように。
刀身が朝の光を受け、細く輝く。
彼女は一度だけ軽く振った。
派手な光は出ない。
岩を斬るような大技でもない。
ただ、風が綺麗に割れた。
「無理はしていませんか」
俺が声をかけると、リーゼは剣を鞘へ戻した。
「していない。今日は確認だけだ」
「本当に?」
「本当に。セリアにも言われた」
「なら安心です」
「私はどれだけ信用がないんだ」
「前科があります」
リーゼは少しだけ笑った。
その顔には、まだ傷の影がある。
ローゼン家の名を聞けば手が冷えると言っていた。腕輪の痕も消えていない。
それでも、彼女は剣を抜ける。
怖いままでも、自分で選べる。
それは十分すぎるほど大きな変化だった。
治療所では、セリアが神殿検査の写しを木箱にしまっていた。
大切なものを扱う手つきだった。
「お守りは、胸元に入れないんですか」
俺が聞くと、セリアは少し照れたように笑った。
「持ち歩くと、くしゃくしゃになりそうなので」
「大事ですからね」
「はい。私が壊れていないって、神殿の道具でも出た記録ですから」
その言い方に、少し胸が痛む。
壊れていない。
そんな当たり前のことを、記録に頼らなければ信じきれないほど、彼女は傷つけられていた。
だが、今はその記録を自分の手で持っている。
「今日も治療所ですか」
「はい。あとで村の子供たちに、傷の洗い方を教えます」
「先生ですね」
「先生ではありません」
即答だった。
けれど、表情は柔らかい。
「でも、教えるのは嫌いではありません」
「いいと思います」
「レオンさんも先生と呼ばれるのに慣れました?」
「慣れたくはないんですが」
治療所の外からトマの声が飛んできた。
「先生ー! 地下工房から呼ばれてるぞ!」
セリアが笑った。
「もう定着していますね」
「困ったものです」
地下工房へ降りると、中枢室の結晶柱がいつもより強く光っていた。
修復炉は低く灯り続けている。
出力はまだ五%ほど。だが、その火は安定していた。
《修復炉:低出力安定》
《登録者三名:安定》
《外部圧力初期対応:完了》
《リベル修復工房:第二段階正式開放》
床の紋様が広がった。
今まで見えていた村の地図に、新しい線が加わっていく。
井戸、水車、治療所、南門、西側木柵。
そして、その外側に小さな点がいくつか現れる。
《周辺修復候補:検出》
《廃棄祠:二》
《旧水路:一》
《放棄畑:三》
《避難小屋跡:一》
「村の外まで見え始めた……」
俺が呟くと、後ろからリーゼとセリアが入ってきた。
「どうした」
「第二段階が正式に開放されました。村の周辺にある修復候補が見えています」
リーゼが地図を覗き込む。
「防衛範囲が広がるということか」
「すぐにではありません。ただ、外の祠や旧水路を直せば、村の防衛や生活圏を広げられるかもしれません」
セリアが目を細める。
「放棄畑もありますね」
「はい。水路が戻れば、畑も使える可能性があります」
村長も杖をつきながら降りてきた。
表示を見て、しばらく黙った。
「村が、外へ息をし始めたな」
「息?」
「これまでは、壊れた井戸と木柵の内側を守るだけじゃった。だが、今は水路や畑が見え始めた。生きる場所が広がる」
トマも階段から顔を出した。
「畑が戻るなら、飯が増えるな」
「結局そこですか」
「大事だろ」
村長が笑う。
「大事じゃ。飯は村の力じゃ」
中枢室の表示がさらに変わる。
《拠点機能:低位開放》
《来訪者保護登録:可能》
《一時避難者登録:可能》
《修復対象者記録:可能》
《推奨:受入規則策定》
「来訪者保護登録……」
セリアが呟く。
「つまり、この村に逃げてきた人を、一時的に保護できる仕組みでしょうか」
「おそらく」
俺は表示を読み取る。
「ただし、誰でも受け入れるわけにはいきません。危険人物や、追跡者がいる場合もある。規則が必要です」
リーゼが頷いた。
「捨てられた者が集まる場所になるなら、守り方も決めなければならない」
「はい」
村長は静かに言った。
「リベル村は、これから人を受け入れる村になるかもしれん」
トマが少し不安そうな顔をする。
「村の食い物、足りるか?」
「だから畑を直す」
「なるほど」
「人を受け入れるには、飯と寝床と規則がいる」
村長の言葉は現実的だった。
綺麗ごとだけでは村は守れない。
壊された者を受け入れるなら、受け入れる側も壊れない仕組みが必要だ。
俺は中枢室の記録へ新しい項目を作った。
『リベル村受入規則案』
一、本人意思を確認する。
二、追跡者や所属組織がある場合は記録する。
三、治療・防衛・設備への立ち入りは許可制。
四、村に害をなす術式や呪具を持ち込ませない。
五、保護は無条件の永住許可ではない。村長会議で判断する。
書きながら、少し不思議な気持ちになる。
追放された俺が、誰かを受け入れる規則を書いている。
セリアが覗き込んだ。
「一番最初が本人意思なんですね」
「この村らしいかと」
「はい。とても」
リーゼも頷く。
「良い。本人意思を確認しない保護は、ただの囲い込みだ」
彼女の言葉は鋭かった。
王都で、神殿で、騎士団で、貴族家で。
本人のためという言葉が、どれだけ本人を縛ってきたかを知っているからだろう。
その日の午後、村長宅で正式に「受入規則案」が話し合われた。
村人代表も数名呼ばれた。
最初は戸惑っていたが、説明すると皆、真剣に聞いた。
「つまり、これからもセリアみたいな子や、リーゼさんみたいな人が来るかもしれないってこと?」
村の女性が尋ねる。
「かもしれません」
俺が答える。
「でも、無条件に受け入れると村が危険になることもあります。だから規則が必要です」
「追ってくる奴がいる場合もあるしな」
トマが言う。
「そうです。本人を守るためにも、村を守るためにも記録します」
村人たちは顔を見合わせた。
やがて、一人の老人が言った。
「わしらも、最初はよそ者を怖がった」
皆の視線が俺へ向く。
老人は続ける。
「だが、レオンさんが来て井戸が戻った。セリアが来て治療所が明るくなった。リーゼさんが来て、門の守りが強くなった。なら、次に来る者も、最初から怖がるだけではいかんのだろう」
セリアが少し目を伏せた。
リーゼも黙って聞いている。
「ただし」
老人は杖を鳴らした。
「村を壊す者はいかん。そこはきっちりせねばならん」
「そのための規則です」
村長が頷いた。
「リベル村は、優しさだけで潰れる村にはせぬ」
その言葉に、皆が頷いた。
夕方には、受入規則案が村の記録として保存された。
まだ正式な完成ではない。
でも、第一歩だ。
同じ頃、王都では別の記録が作られていた。
ローゼン侯爵家の執務室。
侯爵の前には、いくつもの報告が並んでいる。
神殿検査ではセリア・ルミナスに暴走兆候なし。
勇者カイルはリベル村を危険視せず、むしろ客人として訪問。
防衛局はリベル村からの報告を正式資料として扱う。
ギルドのミリア監査員は中立立ち会いを継続。
ローゼン侯爵は、しばらく無言だった。
アルヴィンが静かに報告する。
「噂は広がっていますが、リベル村側の記録と第三者立ち会いにより、一部は打ち消されています」
「神殿検査が悪かったな」
侯爵は低く言った。
「セリアを危険人物として扱う線が弱くなった」
「はい」
「勇者も使えない」
「カイルは、レオン・アスターを無理に戻すつもりはないようです」
侯爵は指で机を叩いた。
「ならば、別の口実が必要だ」
「古代設備の無許可稼働については?」
「防衛局が守りに入っている。正面から突けば、ラウルに噛まれる」
「では」
侯爵は少し考えた。
「辺境安全管理法を使う」
アルヴィンの目が動く。
「危険設備の周辺住民保護を名目に?」
「そうだ。リベル村が危険かどうかではない。危険な設備を抱えている以上、周辺地域保護のために管理委員会を設置する、と言えばよい」
「管理委員会に、ローゼン家の者を?」
「当然だ。直接奪えぬなら、制度で囲む」
侯爵は冷たく笑った。
「辺境村ごときが、記録を盾にするなら、こちらは制度を剣にする」
アルヴィンは深く頭を下げた。
「準備いたします」
「それから、リーゼ・ヴァルトの騎士団記録も掘り起こせ。逃亡、任務放棄、武装許可。そのあたりで揺さぶれる」
「承知しました」
「レオン・アスターについては、修復鑑定士という名を広げるな。価値が上がる。あくまで追放鑑定士として噂を流せ」
「はい」
侯爵は窓の外を見る。
王都の空は晴れていた。
「リベル村は、思ったよりしぶとい」
それは、褒め言葉ではなかった。
リベル村では、夜に小さな食事会が開かれていた。
修復工房第二段階開放と、受入規則案の作成祝い。
祝いといっても、豆の煮込みに野草が少し多く入り、黒パンが少し厚く切られただけだ。
それでも村人たちは楽しそうだった。
トマが木椀を掲げる。
「第二段階ってやつの祝いだ!」
村人の一人が聞く。
「何の第二段階だ?」
「よく分からん!」
「分からんのに祝うのか」
「村が良くなったらしいから祝う!」
笑いが起きた。
村長も笑っていた。
「分からずとも、良いことを喜べるのは大事じゃ」
セリアは子供たちに囲まれていた。
「セリア先生、怪我したらどこに行くの?」
「治療所です。あと、先生ではありません」
「でも教えてくれるから先生だよ」
「う……」
困っているが、嫌そうではない。
リーゼは少し離れた場所で、木剣を持つ子供に構えを直していた。
「足を開きすぎだ。転ぶ」
「リーゼ先生も先生?」
「私は先生ではない」
「じゃあ剣の先生」
「違う」
「でも教えてる」
「……今だけだ」
完全に押されている。
トマがそれを見て笑う。
「先生が増えたな」
「俺だけではなくなりましたね」
「リベル村、先生だらけだ」
俺は水車の音を聞きながら、木椀の水を飲んだ。
井戸の水は冷たく澄んでいる。
この村に来た時、俺は追放された鑑定士だった。
セリアは捨てられた聖女候補だった。
リーゼは剣を握れない剣士だった。
今は違う。
俺は修復鑑定士として、村の壊れたものを見る。
セリアは治療補助者として、自分の力を使い直している。
リーゼは防衛役として、剣を取り戻している。
完全ではない。
誰も、完全には直っていない。
でも、それでいい。
直る途中のまま、立っている。
夜更け、俺は中枢室で個人記録を書いた。
『リベル修復工房、第二段階正式開放。
周辺修復候補を検出。
来訪者保護登録、一時避難者登録、修復対象者記録が可能に。
受入規則案を作成。
リベル村は、捨てられた者たちを受け入れる拠点になり始めている。
ただし、優しさだけでは守れない。規則と飯と寝床と防衛が必要。』
最後に、少し考えてから書く。
『ここは、壊れた者が壊れたまま終わらない場所にしたい。』
筆を置いた時、中枢室に新しい表示が出た。
《次期推奨課題》
《旧水路修復》
《放棄畑再生》
《周辺祠調査》
《外部制度圧力への備え》
最後の一つに、俺は目を止めた。
外部制度圧力。
まだ来ていないはずのものを、工房はもう見ている。
俺は小さく息を吐いた。
「次は制度ですか」
魔物、商会、貴族、神殿、勇者。
そして次は制度。
本当に、次から次へと来る。
でも、もう最初の頃とは違う。
俺は一人ではない。
その時、階段からセリアとリーゼが降りてきた。
「また一人で難しい顔をしていると思いました」
セリアが言った。
「記録を書いていただけです」
「一人で抱えない約束だ」
リーゼが続ける。
俺は苦笑した。
「分かっています。ちょうど、次の課題が出ました」
二人に表示を見せる。
セリアは旧水路と放棄畑を見て、少し目を輝かせた。
「畑が戻ったら、薬草も育てられますね」
リーゼは外部制度圧力の文字を見て、顔をしかめた。
「王都らしい嫌な言葉だ」
「来るでしょうね」
「ああ。だが、準備はできる」
セリアも頷いた。
「記録と、本人意思と、第三者立ち会いですね」
「あと飯だ」
リーゼが真面目に付け加えた。
思わず笑ってしまった。
「トマさんの影響ですか」
「村長も言っている。飯は大事だ」
「それは確かに」
三人で中枢室の光を見た。
炉の火は低い。
まだ小さい。
でも、消えていない。
リベル村の灯りも、たぶん同じだ。
小さくて、頼りなくて、王都の大きな灯りに比べれば目立たない。
それでも、ここにいる者たちには必要な灯りだった。
その灯りを、俺たちは守る。
壊れたものを直しながら。
新しく壊されそうなものを守りながら。
リベル村は、第二段階へ進んだ。
捨てられた者たちの拠点として。
そして、王都からの次の圧力は、もう静かに形を取り始めていた。




