第38話 勇者は、命令ではなく頭を下げる
勇者パーティーの馬車が見えたのは、昼前だった。
村の入口に立つ木札は、今日もそのままだった。
『来訪者は村長宅へ。
井戸・水車・結界への無断接近を禁ず。
契約書はその場で署名しない。
治療所への立ち入りは許可制。
発言は記録される。』
トマが木札の横で腕を組む。
「勇者にも効くかね、これ」
「効かせます」
ニコルが記録板を抱えて真面目に言った。
「強くなったな、ニコル」
「記録係なので」
少し誇らしげだった。
馬車は村の入口で止まった。
最初に降りてきたのは、ガレスだった。重い鎧ではなく、旅装に近い軽装だ。次にエレナ。杖を持っているが、魔力を立ててはいない。
最後にカイルが降りた。
腰には聖剣ではなく、代用の魔剣。
以前より少し疲れた顔をしていた。
勇者らしい輝きが失われたわけではない。
けれど、その輝きを自分で持て余しているようにも見えた。
カイルは木札を読んだ。
それから、俺の方を見た。
「レオン」
「カイル」
名前を呼ぶだけで、胸の奥が少しざわついた。
怒りではない。
恐怖でもない。
懐かしさとも違う。
過去が、まだ完全に過去になっていない感じだった。
カイルは一歩前へ出る。
そして、頭を下げた。
「来訪を許可してくれて、ありがとう」
村人たちがざわついた。
勇者が、辺境村の入口で頭を下げている。
以前のカイルなら、たぶんしなかった。
「今日は、勇者として命令しに来たわけじゃない」
カイルは頭を上げ、村長へ向き直った。
「リベル村の規則に従います。記録も受けます。設備にも、治療所にも、許可なく近づきません」
ニコルが慌てて書き始めた。
トマは少しだけ眉を上げる。
「本当に客人として来たみたいだな」
「そのつもりです」
カイルはトマにも答えた。
トマは少し戸惑った顔をした。
エレナが俺を見て、小さく笑う。
「久しぶり、レオン」
「はい。久しぶりです」
「王都の噂、ひどいわね。最初に言っておくけど、私は信じてない」
ガレスも頷いた。
「俺もだ。リベル村で見たものがある」
その言葉に、少し肩の力が抜けた。
村長が一歩前へ出る。
「ようこそ、リベル村へ。村長のバルドです。話し合いは村長宅で行いましょう」
「お願いします」
カイルは素直に従った。
その姿を見ていたセリアが、小さく息を吐いた。
リーゼは少し離れて、黙って観察している。
勇者パーティーにとっても、リーゼの存在は予想外だったらしい。
エレナが目を丸くした。
「リーゼ・ヴァルト……?」
リーゼは短く答えた。
「今はリベル村の防衛役だ」
「そう。分かったわ」
エレナはそれ以上、踏み込まなかった。
それだけで、リーゼの警戒が少しだけ和らいだ。
村長宅では、席順をいつも通り決めた。
村側は村長、俺、ニコル。
セリアとリーゼは少し離れて座る。
トマは入口近く。
勇者側はカイル、エレナ、ガレス。
最初に口を開いたのは、カイルだった。
「王都で、リベル村に関する噂が広がっている」
「聞いています」
俺は答えた。
「古代設備を私物化しているとか、危険な聖女候補を匿っているとか」
「俺は信じていない」
カイルはすぐに言った。
「ただ、放っておけば王都では噂が事実みたいに扱われる。だから、直接確認しに来た」
「確認した後、どうするつもりですか」
リーゼが聞いた。
静かな声だった。
カイルは彼女を見る。
「必要なら、王都で証言する。リベル村が危険な村ではないと」
リーゼは少し目を細めた。
「勇者の証言は重い。だが、使い方を間違えれば村への圧にもなる」
「分かっている」
カイルはそう答えた。
少し間があった。
「いや、分かり始めたところだ」
その言い直しに、部屋の空気が少し変わった。
カイルは俺へ視線を戻す。
「レオン。俺は、お前にずっと命令していた。必要だと思えば呼び、急げと言い、直せと言った。お前がどう思っているか、あまり考えなかった」
エレナが目を伏せる。
ガレスも静かに聞いている。
「リベル村で、お前が村の人たちに説明して、記録を取って、セリアさんやリーゼさんの意思を確認しているのを見て……俺たちがどれだけ雑だったか分かった」
言葉は不器用だった。
きれいな謝罪文ではない。
でも、カイル自身の言葉だった。
「すまなかった」
カイルはもう一度、頭を下げた。
今度は、俺に向かって。
胸の奥が、少し痛んだ。
謝られたら全部消える、というものではない。
追放された日のこと。
無能と言われたこと。
便利に使われ、価値を見てもらえなかったこと。
それは、まだ残っている。
でも、目の前のカイルが何も変わっていないとも思えなかった。
「謝罪は受け取ります」
俺はゆっくり言った。
「でも、すぐに戻るつもりはありません」
「分かっている」
カイルは頭を上げた。
「それを言いに来たわけじゃない」
「聖剣は?」
「まだ修理中だ。正直、長引いている」
彼は少し苦い顔をした。
「お前がいた時は、壊れる前に止めてくれていた。今は、壊れてから分かる」
「……」
「戻れとは言わない。ただ、もし可能なら、今後装備の扱い方について助言がほしい。対価も払う。リベル村の仕事を優先した上で、できる範囲で」
以前のカイルなら、そんな言い方はしなかっただろう。
俺はすぐに答えず、村長を見た。
村長は静かに頷いた。
「レオン殿個人の判断でよい。ただし、村の復旧に支障が出る形は困る」
「はい」
俺はカイルを見る。
「手紙での助言なら可能です。装備を送る場合は、事前に内容と目的を書いてください。直接来る時は、今回と同じく来訪者として」
「分かった」
カイルは即答した。
エレナがほっとしたように息を吐く。
「ありがとう、レオン。私の杖も、前より丁寧に使うようにしたの。三発までって言われたの、まだ守ってる」
「それはよかったです」
「最初は腹が立ったけどね」
エレナは苦笑した。
「でも、あなたの言う通りだった」
ガレスも言う。
「俺の鎧も、負荷記録をつけ始めた」
トマが驚いた。
「勇者パーティーも記録するのか」
「始めたばかりだ。下手だがな」
ガレスが真面目に答える。
トマはなぜか嬉しそうだった。
「字は武器だぞ」
「そうらしいな」
微妙な空気が少し和らいだ。
だが、話はここで終わらない。
セリアが静かに口を開いた。
「カイルさん」
「はい」
カイルは姿勢を正した。
「王都で、私は危険な聖女候補だと言われているんですよね」
カイルは表情を曇らせた。
「そういう噂がある」
「私は昨日、神殿検査を受けました。暴走兆候はないと記録されました」
セリアは写しを机に置いた。
「私は、神殿に戻るためではなく、自分の力を知るために検査を受けました。もし王都で私の話をするなら、危険な聖女候補ではなく、リベル村で治療補助をしているセリアとして話してほしいです」
カイルはその写しを見た。
そして、深く頷いた。
「分かりました」
エレナがセリアを見る。
「あなた、強くなったのね」
セリアは少し困った顔をした。
「まだ怖いです」
「怖いまま言えるのは、強いと思う」
セリアは黙って、その言葉を受け取った。
次にリーゼが言った。
「私についても、王都で噂があると聞いている」
カイルは頷く。
「逃亡剣士、という言い方をする者がいる」
「私は逃げた。だが、逃げたままで終わるつもりはない」
リーゼは右手首の痕を隠さずに見せた。
「この村で剣を取り戻している。今はリベル村の防衛役だ。それ以上でも以下でもない」
ガレスがリーゼを見る。
「腕、壊されたのか」
鋭い。
戦士だからこそ、痕を見て分かったのだろう。
リーゼは少しだけ黙った。
「その話は、今はしない」
「すまない」
ガレスはすぐに謝った。
リーゼは頷く。
「ただ、王都で私を語るなら、臆病者ではなく、本人意思でリベル村に滞在している防衛役として語れ」
「分かった」
カイルが答えた。
ニコルの筆が必死に走っている。
トマが小声で言った。
「今日、記録多いな」
「多いです」
ニコルは真剣だった。
その後、俺は勇者パーティーを井戸と水車、外周結界の外観だけ案内した。
ローゼン家の時と同じ範囲だ。
ただ、空気は違っていた。
エレナは井戸の水を見て、素直に驚いた。
「本当に澄んでる。前に来た時より、ずっと」
「修復炉……いえ、地下設備の支援もあります」
危うく言いすぎるところだった。
カイルはそれに気づいたようだったが、追及しなかった。
「言えないこともあるんだな」
「あります」
「分かった」
それだけだった。
水車の前では、ガレスが軸をじっと見ていた。
「この音、前より良くなっている」
トマが嬉しそうに言う。
「分かるか?」
「ああ。鎧の関節と似ている。軋みが減っている」
「お前、分かる奴だな」
「多少は」
妙なところで通じ合っていた。
外周結界では、カイルがしばらく黙って光を見ていた。
「レオン」
「はい」
「ここを守っているんだな」
「俺一人ではありません」
「分かっている」
カイルは村の方を見た。
セリア。リーゼ。トマ。村長。ニコル。村人たち。
「本当に、分かった気がする」
その声に、少しだけ寂しさが混じっていた。
夕方、勇者パーティーは村を出ることになった。
泊まるかどうかという話も出たが、カイルは断った。
「長くいると、また王都で余計な意味をつけられる」
その判断は正しいと思った。
村の入口で、カイルは俺に向き直った。
「レオン。今日は話を聞かせてくれてありがとう」
「こちらこそ、客人として来てくれて助かりました」
「次も、そうする」
カイルは少し迷ってから言った。
「俺はまだ、お前にどう接すればいいか分かっていない。でも、命令しないことから始める」
「それでいいと思います」
エレナが手を振る。
「杖の記録、今度送るわ。変なところがあったら教えて」
「分かりました」
ガレスも頷く。
「鎧の負荷記録も送る」
「見ます」
トマが笑った。
「勇者パーティーから記録が届く村って、何なんだよ」
村長が穏やかに言う。
「それもまた縁じゃ」
馬車が動き出す。
カイルは最後に、もう一度頭を下げた。
俺はそれを見送った。
過去が完全に消えたわけではない。
戻るつもりもない。
でも、切り捨てるだけではない道もあるのかもしれない。
夜、村長宅で今日の記録をまとめた。
ニコルが疲れた顔で言う。
「勇者パーティー来訪。客人として。設備見学は外観のみ。セリアさんとリーゼさんの本人意思確認。レオンさんへの謝罪。装備相談は手紙で対応予定……多いです」
「よく書けています」
俺が言うと、ニコルはぐったりしながら笑った。
「今日は手が痛いです」
「記録係も戦ったな」
トマが言う。
「はい」
セリアは少し穏やかな顔だった。
「カイルさん、以前より人の話を聞いていましたね」
「そうだな」
リーゼが答える。
「勇者も壊れかけて、少し直り始めているのかもしれない」
その言葉に、俺は少し考えた。
壊れているのは、追放された側だけではない。
勇者という役割に縛られているカイルも、何かを歪められていたのかもしれない。
ただ、それを直すのは俺の仕事ではない。
少なくとも、今は。
俺は個人記録を書いた。
『勇者パーティー来訪。
カイル、命令ではなく客人として来る。
過去の扱いについて謝罪。
現時点で勇者パーティーへ戻る意思なしと再確認。
今後、装備相談は手紙で対応可能。
セリア、リーゼ、それぞれ自分の扱いについて勇者側へ伝える。
カイルは聞いた。
今日は、それだけで十分だった。』
最後に、もう一文。
『過去は消えない。
だが、過去との距離は選び直せるのかもしれない。』
筆を置く。
外では水車が静かに回っている。
少し滑らかになった音が、夜の村に溶けていた。




