第37話 神殿検査官と、聖女ではない私
翌朝、村の入口に二台の馬車が止まった。
一台には神殿の聖印。
もう一台には冒険者ギルドの紋章。
先に降りてきたのは、ミリア監査員だった。
前と同じように記録板を抱え、旅装の上からギルドの外套を羽織っている。長旅の疲れは見えるが、目ははっきりしていた。
「リベル村の皆さん。急な訪問で失礼します」
村長が一礼する。
「ようこそ。ミリア殿が立ち会いに来てくださったこと、感謝します」
「セリアさん本人の条件でしたから」
ミリアはそう言って、セリアを見た。
セリアは治療所の前ではなく、村長の隣に立っていた。
白い服ではなく、普段の作業着に近い服。胸元には割れた聖印をつけている。
でも、背筋は伸びていた。
「ありがとうございます」
セリアは頭を下げた。
「今日は、私の意思で検査を受けます。ただし、条件は文書通りです」
「確認しています。検査前、検査中、検査後の記録を私も残します」
それを聞いて、セリアの肩から少し力が抜けた。
次に、神殿側の馬車から二人が降りてきた。
一人は年配の男性神官。白い法衣に銀の縁取り。表情は硬い。
もう一人は若い神官だった。こちらは少し緊張しているように見える。
年配の神官が名乗る。
「神殿検査官、ハーヴェイ・ロダンである。こちらは補佐のユリス」
若い神官が頭を下げた。
「ユリス・カーンです。よろしくお願いします」
声は丁寧だった。
敵意は感じない。
だが、神殿というだけでセリアの指先は少し震えている。
リーゼが、彼女の少し後ろに立っていた。剣には触れていない。ただ、そこにいる。
トマは入口の木札の横。
ニコルは記録板を抱えている。
ハーヴェイ検査官は木札を見た。
「発言は記録される、か」
「はい」
村長が答える。
「リベル村では、外部来訪者とのやり取りを記録しております」
「神殿の検査も記録するということか」
「本人意思保護のためです」
ミリアが横から言った。
「ギルド監査員としても妥当と判断します」
ハーヴェイ検査官は不満そうだったが、反論はしなかった。
「では、検査を始めたい」
セリアが小さく息を吸った。
俺は一歩前に出る。
「その前に、検査具を確認します」
ハーヴェイの眉が動く。
「神殿の正式検査具だ。疑うのか」
「はい」
部屋の空気が少し固まった。
俺は続ける。
「以前、外部の鑑定具に魔力回路情報を写し取る隠し機能がありました。本人の安全のため、すべて確認します」
ミリアが頷く。
「これは事前条件に含まれています。検査官、検査具を机上に」
ハーヴェイは不服そうにしながらも、銀の測定盤と水晶針を机に置いた。
俺は触れずに鑑定する。
《神殿式魔力測定盤》
《表面機能:魔力量測定/魔力波形確認》
《隠し機能:なし》
《術式反応:標準神殿式》
《危険度:低》
水晶針も確認する。
《神殿式感応針》
《表面機能:魔力流路の反応確認》
《隠し機能:なし》
《注意:対象者の魔力に直接接触するため、本人同意必須》
「測定盤に隠し機能はありません。水晶針は魔力へ直接接触します。セリア本人の同意が必要です」
ハーヴェイが低く言う。
「当然だ」
セリアは水晶針を見つめた。
手が震えている。
それでも、逃げなかった。
「検査内容を、先に説明してください」
彼女の言葉に、ハーヴェイは少し驚いたようだった。
「説明?」
「はい。何を測るのか。痛みはあるのか。結果がどう扱われるのか。説明を聞いてから、受けるか決めます」
若い神官ユリスが、少しだけ目を見開いた。
ミリアは記録板に筆を走らせる。
ハーヴェイは咳払いした。
「魔力量、浄化波形、暴走兆候、祈祷回路の安定性を測る。痛みはほとんどない。結果は神殿へ報告する」
「神殿の誰に?」
セリアが続けて聞く。
「神殿上層部だ」
「私にも写しをください」
ハーヴェイが明らかに眉をひそめた。
「検査結果は神殿内部資料だ」
「私の体と力の結果です」
セリアの声は震えていた。
だが、止まらなかった。
「私にも知る権利があると思います」
ミリアがすぐに言った。
「妥当です。ギルド立ち会い記録にも結果概要を添付します」
ハーヴェイは不快そうだったが、ミリアに反論しきれなかった。
「概要ならば」
「全文の写しを希望します」
セリアは言った。
強い。
治療所の中で「失敗作」と呼ばれていた少女とは、もう違う。
ハーヴェイはしばらく黙った。
若いユリスが、小さく口を開く。
「検査対象者本人への開示は、禁じられてはいません」
ハーヴェイが彼を見る。
「ユリス」
「規定上は可能です」
ユリスは緊張しながらも言った。
ハーヴェイは深く息を吐く。
「分かった。写しを出す」
セリアは小さく頷いた。
「では、受けます。ただし、水晶針は途中で止めてほしいと言ったら止めてください」
「承知した」
検査は村長宅で行うことになった。
治療所は見せない。
これは最初から決めていた。
セリアは椅子に座り、両手を膝の上に置く。
俺は右側。
ミリアは正面で記録。
リーゼは入口側。
村長は少し離れた位置で見守る。
ハーヴェイが測定盤を起動する。
「手を盤の上へ」
セリアは一瞬ためらった。
俺は何も言わなかった。
ここで「大丈夫」と先回りしない。
彼女が決めるところだ。
セリアは自分で手を置いた。
測定盤が淡く光る。
《対象:セリア・ルミナス》
《魔力量:中上位》
《浄化波形:安定》
《暴走兆候:なし》
《封印痕:残存》
《祈祷回路:歪みあり/回復傾向》
俺にも鑑定結果が見える。
ハーヴェイの顔が変わった。
「暴走兆候が……ない?」
その声には、隠しきれない驚きがあった。
セリアが静かに聞く。
「以前の記録では、あったんですか」
「神殿記録では、魔力暴走危険ありとされている」
「今は?」
ハーヴェイは少し黙った。
ミリアの筆が止まらない。
ユリスが測定盤を覗き込み、答えた。
「現在の測定では、暴走兆候は確認できません。浄化波形も安定しています」
セリアの目が揺れた。
「そうですか」
それだけだった。
でも、その声には何年分もの重みがあった。
次に水晶針。
セリアの指先が震える。
「始めます」
ハーヴェイが言う。
「はい」
水晶針が彼女の魔力へ触れた。
セリアの肩がわずかに跳ねる。
「痛みますか」
俺が聞く。
「少し冷たいです。でも大丈夫です」
表示が変わる。
《封印痕:旧式》
《神殿式祈祷術に偽装》
《本質:才能封鎖術式類似》
《現在:部分緩和済み》
《自然回復:進行中》
ハーヴェイの手が止まった。
ユリスも顔を青くする。
「これは……」
ミリアが目を細める。
「検査官、何が見えていますか。記録に残します」
ハーヴェイはすぐには答えなかった。
セリアが不安そうに俺を見る。
俺は静かに言った。
「封印痕があります。神殿式に見えますが、本質は別の術式に近い。現在は部分的に緩和されています」
ハーヴェイの目が鋭くなる。
「あなたが緩和したのか」
「セリア本人の意思を確認した上で、危険を避けながら流れを整えました」
「神殿の許可なく?」
「セリアは神殿の保護下にありませんでした。危険な封印痕が彼女の治癒を妨げていたため、本人の同意を得て対応しました」
空気が張り詰める。
リーゼが静かに一歩動いた。
剣には触れない。
ただ、セリアの背後に立つ。
ハーヴェイは俺を睨む。
「それは重大な干渉だ」
セリアが口を開いた。
「私が望みました」
ハーヴェイが彼女を見る。
「セリア・ルミナス」
「私は、自分の力を怖がっていました。レオンさんは、私の意思を聞いてくれました。封印を緩めるかどうかも、治療を続けるかどうかも」
セリアは震えながら続ける。
「神殿では、私は失敗作と言われました。でも、ここでは違いました」
ユリスが唇を噛んでいる。
ハーヴェイは厳しい顔のままだった。
「神殿が正式に失敗作などと言うはずがない」
「文書には書かれていないと思います」
セリアは答えた。
「でも、私は何度も聞きました」
その言葉に、部屋は静まり返った。
ミリアが淡々と記録する音だけが響く。
ユリスが小さく言った。
「検査官。封印処置記録の欠落と照合すべきです」
ハーヴェイは彼を睨む。
だが、測定結果はそこにある。
封印痕。
神殿式に偽装された、別系統の術式。
それはもう、ただの感情論ではなかった。
検査はそこで一度中断された。
セリアの負担を考えてのことだ。
ハーヴェイは不満そうだったが、ミリアが「本人が休息を求める場合、中断は事前条件」と言うと、拒めなかった。
セリアは治療所へ戻らず、村長宅の隣室で休んだ。
リーゼが付き添う。
「大丈夫か」
「はい。少し疲れただけです」
「その言葉は信用しすぎるなと、レオンから学んだ」
「ふふ。では、本当は少し怖かったです」
「それなら信用できる」
セリアは小さく笑った。
「検査結果、悪くなかったんですよね」
「暴走兆候はないと言っていた」
「……嬉しいです」
セリアは自分の手を見た。
「神殿の測定盤でそう出たことが、少し嬉しいです。悔しいのに、嬉しい」
「悔しくて当然だ」
リーゼは静かに言った。
「でも、嬉しいことも本物だ。奪われなくていい」
それは、セリアがかつてリーゼに言ったことでもあった。
今度はリーゼが返している。
隣室では、ハーヴェイとユリス、ミリア、村長、俺が検査結果を確認していた。
ハーヴェイは硬い声で言った。
「現時点で、セリア・ルミナスに暴走兆候は認められない。低位浄化および治療補助は安定している」
ミリアが確認する。
「その文言で記録してよろしいですね」
「よい」
「封印痕については?」
ハーヴェイは黙った。
ユリスが代わりに言う。
「神殿式祈祷術式に似た痕跡がありますが、正式記録との照合が必要です。現時点で断定は避けるべきです」
ハーヴェイは苦い顔をしたが、否定しなかった。
俺は言った。
「神殿の記録欠落と、この封印痕を照合してください。セリア本人にも結果全文の写しを」
ハーヴェイは鋭くこちらを見る。
「あなたは神殿へ要求する立場ではない」
村長が杖を鳴らした。
「儂が要求する。リベル村で暮らす者の安全に関わる」
ミリアも続ける。
「ギルド監査員として、本人への結果開示を推奨します」
ハーヴェイはしばらく沈黙した後、低く言った。
「写しは作成する」
その一言で、この場の最低限の勝利は決まった。
検査の後半は、簡単な浄化実演だった。
セリアは小さな切り傷を洗い、浄化水を使い、ほんのわずかな光で傷の悪化を防いだ。
大きな奇跡ではない。
でも、丁寧だった。
ユリスはその様子を真剣に見ていた。
「……無駄な魔力が少ない」
彼が呟く。
ハーヴェイも認めざるを得ない顔だった。
「基本はできている」
「基本、ですか」
セリアが聞く。
「ああ。治療は力の量ではない。過不足なく、対象を見ることだ」
その言葉に、セリアは少しだけ目を見開いた。
かつてオルデン師にも近いことを言われた。
神殿側の人間すべてが、同じではない。
その事実に、少し救われるような、逆に苦しくなるような顔だった。
夕方、検査官たちは村を出る準備をした。
ハーヴェイは最後まで硬い表情だったが、セリアに向き直った。
「セリア・ルミナス。現時点で、あなたを強制帰還させる根拠はない」
セリアは息を呑んだ。
「神殿へは、そのように報告する。ただし、今後も経過確認は必要だ」
「はい」
「あなたの魔力は安定している。だが、封印痕については調査する」
セリアは震えながらも頭を下げた。
「お願いします」
ユリスが少し近づき、小さな声で言った。
「記録の欠落について、私も調べます」
セリアが顔を上げる。
「ありがとうございます」
「いえ。神殿の者として、知るべきことです」
その声には、若いが確かな誠実さがあった。
馬車が去った後、セリアはその場に座り込んだ。
「セリア!」
俺が駆け寄ると、彼女は慌てて手を振った。
「大丈夫です。本当に、気が抜けただけです」
「今日は信じません」
「では、半分信じてください」
リーゼが隣にしゃがむ。
「上出来だった」
セリアは目を潤ませた。
「暴走兆候、ないって」
「ああ」
「神殿の測定で、ないって」
「ああ」
セリアは両手で顔を覆った。
泣き声は小さかった。
それでも、誰も止めなかった。
その涙は、怖さだけではなかったからだ。
夜、村長宅で検査結果の写しを確認した。
確かに記されていた。
『暴走兆候なし。
低位浄化安定。
治療補助としての活動に大きな危険性は認められない。
封印痕については神殿記録との照合が必要。』
セリアはその写しを両手で持ち、何度も読んだ。
「これ、私が持っていていいんですよね」
「もちろんです」
俺が言うと、彼女は大事そうに胸元へ抱えた。
「これは、私のお守りにします」
リーゼが微笑む。
「紙のお守りか」
「はい。記録のお守りです」
トマが腕を組む。
「やっぱり紙は強いな」
ニコルが少し誇らしそうだった。
その晩、中枢室にも検査結果を登録した。
《セリア・ルミナス》
《神殿検査結果:暴走兆候なし》
《本人意思:リベル村滞在継続》
《聖女補佐安定度:上昇》
結晶柱が淡く光る。
その光は、いつもより少し温かく見えた。
俺は個人記録に書く。
『神殿検査官ハーヴェイ、補佐ユリス、ギルド監査員ミリア来訪。
セリア、本人意思により検査を受ける。
暴走兆候なし。低位浄化安定。治療補助に大きな危険なし。
封印痕について神殿記録との照合へ。
セリアは検査結果の写しを受け取った。
彼女は、自分の力が壊れているだけではないと、神殿の測定で示した。』
最後に一文。
『今日は、セリアが自分を取り戻した日として記録する。』
筆を置いた時、地上からトマの声がした。
「先生! また街道に灯りだ!」
俺は立ち上がる。
中枢室に手を当てると、表示が出た。
《外部接近反応:あり》
《距離:遠》
《反応:勇者パーティー紋章》
《到達予測:明日昼》
勇者パーティー。
ついに来る。
俺は静かに息を吐いた。
セリアの検査が終わったばかりの村に、今度は過去がやって来る。
命令ではなく、客人として。
本当にそうできるのか。
それを確かめる日が近づいていた。




