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第34話 修復炉、低く灯る

 修復炉の再点火は、朝から始まった。


 派手な儀式ではない。


 村人全員を集めることもない。

 鐘も鳴らさない。

 王都の神殿のように祈祷文を読み上げる者もいない。


 参加するのは、俺、セリア、リーゼ、村長。

 地上ではトマとニコルが待機する。


 使う素材は、魔石ではなかった。


 灰角魔狼の角を削った粉。

 黒牙猪の牙から取った硬質片。

 呪印魔獣の外殻片を浄化したもの。

 そして、井戸水で薄めたセリアの浄化水。


 王都の魔道技師が見れば、眉をひそめるかもしれない。

 けれど、今のリベル村にある材料はこれだけだ。


「本当に、これで火が入るのか」


 リーゼが作業台の上を見ながら言った。


「中枢室は、低出力なら可能性ありと出しています」


「可能性、か」


「断言はしません」


「その言い方にも慣れてきた」


 リーゼは苦笑した。


 セリアは浄化水の小瓶を両手で持っている。

 少し緊張しているが、以前のように震えてはいない。


「私は、いつ流せばいいですか」


「俺が合図します。最初はほんの少しだけ。炉が素材を受け入れるか確認してからです」


「はい」


 村長は杖をつき、修復炉を見ていた。


 修復炉は中枢室の奥にある。

 円形の石台の中央に、黒く沈んだ結晶が埋め込まれている。長い間火を失っていたせいで、表面はくすみ、周囲の紋様も半分以上が眠っていた。


《修復炉》

《状態:停止》

《再点火方式:低出力試験》

《代替燃料:受理可能》

《危険:魔力逆流/術式残滓反応》


 術式残滓反応。


 呪印魔獣の外殻片を使う以上、危険はある。

 ただし核ではない。浄化も済ませた。中枢室も使用可能と判断している。


 それでも、油断はしない。


「リーゼさんは、炉の反応が外へ漏れた時の護衛をお願いします。魔物がすぐ来るとは限りませんが、魔力の灯りに何かが反応する可能性があります」


「分かった」


「剣は抜かず、まず見る」


「分かっている」


 リーゼは短く答えた。


 その言葉が自然に出るようになっている。


 俺は修復針を炉の縁へ当てた。


 青白い光が、炉の古い紋様をなぞる。

 灰角魔狼の角粉を小さな皿に入れ、黒牙猪の牙片と混ぜる。そこへ、浄化済みの外殻片をほんの少しだけ加えた。


 セリアが息を呑む。


「黒い反応、残っていませんか」


「微弱ですが、残っています。だからセリアの浄化水で包みます」


「はい」


 セリアが浄化水を一滴落とす。


 水滴が素材に触れた瞬間、白い光がふわりと広がった。


《代替燃料:安定化》

《浄化反応:良好》

《投入可能》


「入れます」


 俺は素材を炉の小さな受け皿へ移した。


 最初は何も起こらなかった。


 静寂。


 地下工房の青い灯りだけが、壁を淡く照らしている。


 リーゼがわずかに剣の柄へ指を近づける。

 セリアは息を止めている。

 村長は動かない。


 やがて、炉の奥で小さな音がした。


 かちり。


 古い鍵が回るような音。


 次に、黒く沈んでいた結晶の奥に、赤い点が灯った。


 火というには小さすぎる。

 灯火というにも頼りない。


 けれど、確かに灯った。


《修復炉:低出力点火》

《出力:三%》

《魔力循環:再開》

《警告:安定化処理が必要》


「点いた……」


 セリアが小さく呟いた。


 村長が深く息を吐く。


「戻ったか」


「まだ三%です」


 俺は表示を見ながら言った。


「でも、動いています」


 その瞬間、床の紋様が少しずつ光り始めた。


 井戸。

 水車。

 治療所。

 外周結界。

 南門。

 西側木柵。


 村の地図を描く線が、今までよりはっきり浮かび上がる。


《拠点機能:部分開放》

《設備状態共有:強化》

《防衛結界第二層:持続時間延長》

《治療所支援:安定化》

《素材加工機能:低位開放》


 リーゼが目を細める。


「第二層が長く持つのか」


「はい。短時間ですが、前より少し余裕が出るはずです」


 セリアは胸元に手を当てた。


「治療所支援も安定化……」


「セリアの負担も少し軽くなると思います。ただし、使いすぎは禁止です」


「分かっています」


「本当に?」


「本当です」


 彼女は少しだけ笑った。


 その時、炉の光が一瞬揺れた。


 黒い靄がほんの少しだけ立ち上がる。


《術式残滓反応》

《浄化推奨》


「セリア、今です。ほんの少し」


「はい」


 セリアが両手を前に出す。


 白い光が炉を包み込む。

 押し潰すのではなく、黒い靄だけを洗い流すように。


 リーゼはその間、入口側を見ていた。剣はまだ抜かない。

 だが、いつでも動ける姿勢だ。


 俺は炉の循環を整える。


 流れすぎている箇所を絞り、詰まっている箇所を開く。


 水車と同じ。

 井戸と同じ。

 人の魔力回路と同じ。


 流れは、無理に押し込むものではない。

 通る道を整えるものだ。


 数分後、炉の光は安定した。


《修復炉:低出力安定》

《出力:五%》

《状態:稼働》

《リベル修復工房:第二段階移行条件達成》


 結晶柱が強く光った。


《第二段階移行》

《登録者:修復鑑定士レオン・アスター》

《聖女補佐:セリア・ルミナス》

《防衛剣士:リーゼ・ヴァルト》

《拠点機能:開放準備完了》


 空気が変わった。


 工房全体が、長い眠りから少しだけ目を覚ましたようだった。


 壁の奥で、水が流れるような音がする。

 床の紋様が、細く脈打つ。

 炉の小さな赤い光は、もう消えそうではない。


 村長が静かに頭を下げた。


「よう戻った」


 誰に向けた言葉かは分からない。


 工房へか。

 村へか。

 それとも、この場所を作った昔の誰かへか。


 俺も自然と背筋を伸ばした。


 リベル村は、また一段階進んだ。


 地上へ戻ると、井戸の水面が淡く光っていた。


 今までより少し澄んで見える。

 水車の音も、かすかに滑らかになっていた。


 トマが水車小屋から顔を出す。


「おい、今何かしたか? 水車の軸音が変わったぞ」


「修復炉が低出力で点きました」


「点いた? 何が?」


「村の地下の心臓みたいなものです」


「言い方が怖いな」


「でも、悪い状態ではありません」


 トマは水車を見て、少し笑った。


「じゃあ、村の心臓が動き始めたってことか」


「そう言えるかもしれません」


「なら飯だな」


「なぜですか」


「心臓が動いた祝いだろ」


 結局、飯に繋がる。


 セリアがくすりと笑った。


「でも、今日は少しお祝いしてもいいと思います」


 リーゼも頷く。


「同感だ。無事に点いたなら、それは勝利だ」


 村長が杖を鳴らした。


「では、昼は干し肉を少し多めに出そう」


 トマが拳を上げる。


「よし!」


 ささやかな祝いだった。


 けれど、今の村にはそれで十分だった。


 昼食の席で、ニコルが修復炉の低出力点火について記録を読み上げた。


「修復炉、低出力点火。出力五%。井戸、水車、治療所、防衛結界第二層への支援強化。参加者、レオンさん、セリアさん、リーゼさん、村長。地上待機、トマさん、ニコル」


「俺も入るのか」


 トマが驚く。


「待機も役割です」


 ニコルが真面目に言った。


 トマは少し照れたように鼻をこする。


「そうか。ならいい」


 リーゼは木椀を見つめていた。


「登録者として名前が出た時、少し不思議だった」


「嫌でしたか」


 俺が聞くと、彼女は首を横に振った。


「嫌ではない。腕輪とは違った」


 セリアが頷く。


「私も最初、怖かったです。でも、工房は私の意思を聞いてくれました」


「人より先に、工房が意思を聞くとはな」


 リーゼは苦笑する。


「王都の連中にも見習わせたい」


 トマが干し肉を噛みながら言った。


「見習う気があるなら、そもそも変な契約書持ってこねえよ」


「それもそうだ」


 笑いが起きる。


 その笑いの中で、俺は少しだけ胸が軽くなるのを感じた。


 修復炉が点いた。

 村の機能は強くなる。

 セリアの治療も、リーゼの防衛も、トマたちの守りも支えやすくなる。


 でも同時に、外部から見れば村の価値はさらに上がる。


 強くなることは、狙われることでもある。


 そこだけは忘れてはいけない。


 王都では、アルヴィン・ローゼンが侯爵家の執務室にいた。


 広い部屋。

 厚い絨毯。

 壁に飾られた薔薇盾の紋章。


 ローゼン侯爵は、アルヴィンの報告書を読み終えると、ゆっくり机に置いた。


「リベル村は従わなかったか」


「はい」


「グランベル商会の契約も退け、我が家の視察も受け流した」


「その通りです」


「鑑定士レオン・アスター。面倒な男だな」


 侯爵は指先で机を叩く。


「セリア・ルミナスは?」


「自分の意思で神殿帰還を拒否。リベル村で治療補助を続けると発言しました」


「神殿の保守派が聞けば不愉快だろう」


「すでに情報を流す準備をしております」


「リーゼ・ヴァルトは?」


 アルヴィンは少しだけ間を置いた。


「折れていません」


 侯爵の目が細くなる。


「剣は?」


「腰に下げていました。実際にどこまで戻っているかは不明です。ただ、彼女は“私は消えていない。剣も折れていない”と発言しました」


 侯爵は低く笑った。


「余計なことを言う女だ」


「腕輪の件についても、こちらを疑っている可能性があります」


「可能性ではなく、疑っているのだろう」


 侯爵は椅子に深く座り直した。


「なら、次は噂を使え」


「はい」


「リベル村は危険な古代設備を無許可で稼働している。元勇者パーティーの鑑定士が村を私物化している。神殿から離れた危険な聖女候補が、無許可治療をしている。騎士団を逃げた女剣士が辺境で武装している」


 言葉が並ぶ。


 どれも、事実の一部を歪めたものだった。


「噂は、真実を少し混ぜるとよく広がる」


 侯爵は冷たく言った。


「防衛局は慎重に動いている。ギルドのミリアも厄介だ。なら、先に世論を濁らせる」


「承知しました」


「それから、神殿へ働きかけろ。セリア・ルミナスの再検査要請を正式に出させる」


「レオン・アスターについては?」


「勇者パーティーを使え」


 アルヴィンが少し眉を上げる。


「勇者カイルを?」


「彼はレオンを必要としているのだろう。なら、“レオンを戻すべきだ”という声を王都で作ればいい。勇者のため、王国のため、という言葉は便利だ」


 侯爵は報告書の上に手を置いた。


「辺境村ごときが、王都の貴族に逆らう意味を知ることになる」


 その声は静かだった。


 だが、そこには明確な敵意があった。


 同じ頃、勇者パーティーの宿舎では、カイルが聖剣の修理報告を待っていた。


 修理は遅れている。

 正式な神殿修復には時間がかかる。


 代用魔剣は、前より丁寧に扱っている。

 それでも、手に馴染まない。


 エレナが部屋へ入ってきた。


「カイル、王都で変な噂が出始めてる」


「噂?」


「レオンが辺境村で古代設備を勝手に動かしているとか、神殿から逃げた聖女候補を匿っているとか」


 カイルの眉が寄る。


「レオンが?」


「私は信じてないわ。リベル村で見た彼は、そんなことをする人じゃない」


 ガレスも続いて入ってくる。


「むしろ逆だ。あいつは村を守っていた」


 カイルは黙った。


 リベル村での戦い。

 レオンの指示。

 村人たちの信頼。

 セリアの白い光。


 思い出すたび、胸の奥がざわつく。


「だが、王都で噂になるなら無視できない」


 カイルは言った。


「レオンに確認する必要がある」


 エレナが少し険しい顔をする。


「確認って、また戻れって言うつもり?」


「……」


「カイル」


 ガレスが低く言った。


「今度は、聞くんだろう」


 カイルは唇を結んだ。


 以前、リベル村を出る時に自分で言った言葉。


 今度は、聞く。


 その言葉が、重く残っていた。


 リベル村では、修復炉の低出力点火後の点検が続いていた。


 井戸の水質は安定。

 水車の軸音は改善。

 治療所支援は微弱ながら向上。

 外周結界の第一層は、安定率が少し上がった。


《外周結界第一層:安定率六十四%》

《防衛結界第二層:持続時間予測延長》

《治療所支援:負荷軽減》

《修復炉:低出力安定》


 セリアは治療所で、浄化水の反応を確認していた。


「前より、少し扱いやすいです」


「魔力が流れすぎる感じは?」


「ありません。むしろ、受け止めてくれる感じがします」


 リーゼは広場で軽く剣を抜き、すぐに戻した。


「手首が温かい。第二層と繋がったせいか」


「防衛剣士登録の効果かもしれません」


「悪くない」


 トマは水車小屋で、軸の音を何度も聞いていた。


「前よりいいな。腹立つくらい分かる」


「腹立つんですか」


「今までの苦労は何だったんだってなるだろ」


「それでも、今よくなったことは良いことです」


「分かってるよ」


 そう言いつつ、トマは嬉しそうだった。


 夕方、村長宅で修復炉点火の記録をまとめた。


 ニコルが書いた記録を読み上げる。


「修復炉低出力点火後、井戸、水車、治療所、結界に微弱な改善あり。危険反応なし。継続観察必要」


「よい」


 村長が頷く。


「王都へ出すか?」


 トマが聞く。


 俺は少し考えた。


「すぐには出しません」


「なぜだ」


「修復炉の存在は、村の価値をさらに高めます。今は、外部に知らせるより安定運用を優先した方がいい」


 リーゼが頷いた。


「ローゼンに知られれば、次は修復炉そのものを狙う」


「はい」


 セリアが不安そうに聞く。


「隠していると思われませんか」


「設備内部の詳細は、安全確保のため非公開。これは前から同じ方針です。嘘はつきませんが、全部は出さない」


 村長が小さく笑う。


「寄合の技じゃな」


「はい」


 トマが苦笑する。


「王都相手に寄合の技、だいぶ板についてきたな」


 夜。


 俺は個人記録を書いた。


『修復炉、低出力点火成功。

出力五%。

リベル修復工房、第二段階へ移行。

井戸、水車、治療所、第二層結界に改善あり。

外部には現時点で詳細非公開。

村は強くなった。

その分、狙われる可能性も高まった。』


 筆を置こうとして、もう一文加えた。


『強くなることは、隠れることをやめることでもある。

だから、守り方も変えなければならない。』


 外では、水車がゆっくり回っていた。


 ぎし、ぎし、ではなく。


 ぎい、すう、と。


 少しだけ滑らかになった音だった。


 壊れたものが、前より少し正しく回り始める音。


 だが、その音はきっと、遠く王都までは届かない。


 届くのは、噂の方が先だ。


 そしてその噂は、もう動き出している。

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