第31話 友好的すぎる視察団
ローゼン侯爵家からの使者が来る、という知らせは、昼前に届いた。
伝令は丁寧だった。
馬から降り、村の入口で一礼し、村長宛ての封書を差し出した。封蝋には薔薇を囲む盾の紋章が刻まれていた。
リーゼの顔色が、その紋章を見た瞬間に変わった。
「……ローゼン」
声は低い。
怒りより先に、体が覚えている恐怖が顔を出したような声だった。
セリアがそっと彼女の横に立つ。
「リーゼさん」
「大丈夫だ」
リーゼはすぐに答えた。
けれど、右手は剣の柄に触れている。
俺は封書を開いた村長の隣で、文面を確認した。
内容は、驚くほど丁寧だった。
リベル村が魔物被害を退け、古代結界を復旧しつつあることを王都で聞き、辺境復興に尽力する者として敬意を表する。
ローゼン侯爵家として、支援物資、魔石、技師、治癒師、護衛兵の派遣を検討したい。
ついては、正式な視察団を明日派遣する。
あくまで友好的な視察であり、村の負担にならぬよう配慮する。
綺麗な言葉だった。
だからこそ、嫌な感じがした。
「友好的、か」
トマが腕を組む。
「わざわざ書くあたりが怪しいな」
「そうですね」
俺は文面を鑑定する。
《貴族家公式書簡》
《差出人:ローゼン侯爵家》
《目的:辺境復興視察》
《文面偽装:友好強調》
《潜在目的:情報収集/交渉圧力/対象者確認》
対象者確認。
おそらく、俺、セリア、リーゼだ。
村長は封書を静かに畳んだ。
「明日か。急じゃな」
「断れますか」
ニコルが不安そうに尋ねる。
「断れば、王都に“やましいことがある村”と見られる」
村長は首を横に振った。
「受けるしかあるまい。ただし、受け方はこちらで決める」
リーゼが低く言う。
「門の外で追い返したいところだが」
「それは最後の手段です」
俺は言った。
「まずは記録を取ります。来訪者名、要求、発言、持ち込んだ契約書や物資。全部です」
ニコルがすぐに記録板を抱え直す。
「来訪者記録ですね」
「はい。あと、会話はなるべく複数人で聞きます。一対一で話さない」
「契約書はその場で署名しない」
トマが看板を指さして言う。
「それも徹底です」
セリアは胸元の聖印に触れていた。
「私も会うことになりますか」
「向こうは会いたがると思います」
「治療所には入れたくありません」
「入れません」
俺が即答すると、セリアは少しだけ表情を緩めた。
「ありがとうございます」
「治療所は村の医療の場所です。見世物ではありません」
リーゼが頷く。
「私の腕輪の話も、こちらからは出さない」
「はい。ただし向こうがリーゼさんを挑発してくる可能性があります」
「分かっている」
彼女は剣の柄から手を離した。
指先が少し震えていたが、離せた。
「挑発には乗らない。記録を取る。証拠を先に出さない。分かっている」
自分に言い聞かせているようだった。
セリアが小さく言う。
「一緒に怖がりましょう」
リーゼは一瞬、虚を突かれた顔をした。
「何だ、それは」
「私も神殿の人が来るかもしれないと思うと怖いです。でも、一人で怖がるより、一緒に怖がる方が立っていられる気がします」
リーゼは少し黙った。
やがて、短く答える。
「……悪くない」
それだけだった。
でも、セリアは嬉しそうに頷いた。
午後から、村は視察団を迎える準備に入った。
といっても、歓迎の飾りを作るわけではない。
見せていいものと、見せないものを分ける準備だ。
井戸は見せる。
水車も見せる。
外周結界の第一層も、隠しようがないので見せる。
ただし、地下工房の入口には近づけない。
治療所も、外から説明するだけ。
証拠保管棚は完全に秘匿。
中枢室は当然見せない。
村長宅の机には、来訪者記録、前回のグランベル商会契約記録、ラウル査察官からの文書の写し、村の管理記録を並べた。
リーゼの腕輪と呪印核の本体は、地下工房の封印棚へ移された。
俺が封印棚を確認していると、リーゼが横に立った。
「腕輪は、ここにあるんだな」
「はい。勝手に出しません」
「分かっている」
リーゼは棚を見つめた。
「明日、あの家の者が来る。私を壊したかもしれない家の者が」
「……はい」
「正直に言うと、怖い」
その声は小さかった。
「剣は抜ける。昨日も確認した。だが、あの紋章を見るだけで手が冷える」
「それは当然です」
「当然、か」
「はい。怖くなくなることが、回復ではないと思います。怖くても、どう動くかを選べるようになることが大事なんだと思います」
リーゼは目を伏せた。
「セリアに似てきたな」
「そうでしょうか」
「言い方が少し優しくて、少し厳しい」
「それはセリアの方が上手いです」
「確かに」
リーゼは少し笑った。
その笑みはすぐに消えたが、先ほどより呼吸が落ち着いていた。
「明日、もし私が怒りで口を滑らせそうになったら止めろ」
「分かりました」
「セリアが震えたら、私が前に立つ」
「お願いします」
「お前が一人で抱えようとしたら、二人で止める」
俺は言葉に詰まった。
リーゼは真顔だった。
「修復者は孤立してはならない。そうだろう」
「はい」
「なら、ちゃんと守られろ」
その言い方があまりにも真っ直ぐで、胸の奥が少し痛かった。
「努力します」
「努力ではなく、約束だ」
セリアみたいなことを言われた。
「約束します」
リーゼは満足そうに頷いた。
夕方、村の入口に置かれた木札をトマが新しく書き直した。
『来訪者は村長宅へ。
井戸・水車・結界への無断接近を禁ず。
契約書はその場で署名しない。
治療所への立ち入りは許可制。
発言は記録される。』
最後の一文が追加されていた。
「強いですね」
俺が言うと、トマは鼻を鳴らした。
「どうせ記録するなら、先に言っといた方がいいだろ」
「その通りです」
「字も前より上手くなっただろ」
「かなり」
「よし」
トマは子供みたいに少し得意げだった。
ニコルが隣で看板を見ている。
「“発言は記録される”って、相手が嫌がりませんか?」
「嫌がるなら、記録されたくないことを言うつもりということだ」
村長が答えた。
ニコルは感心したように頷く。
「なるほど」
「ただし、挑発的になりすぎぬようにな。記録は武器じゃが、振り回すものではない」
「はい」
夜、村長宅で最後の確認をした。
応対役は村長。
補佐は俺。
記録はニコル。
治療所周辺の管理はセリア。
防衛上の警戒はリーゼとトマ。
セリアは少し不安そうに言った。
「もし、私に神殿へ戻るよう言われたら」
「その場では返答しないでください」
俺は答えた。
「“本人意思記録と村長の立ち会いのもとで後日返答する”でいいです」
村長が頷く。
「うむ。その場で決めぬ。これが大事じゃ」
リーゼも言う。
「私について何か聞かれたら、私が答える。ただし腕輪の詳細は言わない」
「はい」
トマが腕を組む。
「相手が強引に入ろうとしたら?」
村長は少し考えた。
「まずは止める。次に記録する。最後に追い返す」
「剣は抜かない?」
リーゼが尋ねる。
「抜かぬ方が勝てることもある」
村長は静かに言った。
「相手は貴族の使者じゃ。こちらが先に武力を見せれば、向こうの口実になる」
リーゼは少し悔しそうだったが、頷いた。
「分かった」
話し合いが終わった後、俺は一人で地下工房へ降りた。
いや、一人のつもりだった。
中枢室へ入る前に、後ろから声がした。
「一人で行かない約束では?」
セリアだった。
その横にはリーゼもいる。
「俺は少し確認を」
「一人で抱えない」
リーゼが言った。
完全に見張られている。
「……分かりました」
三人で中枢室へ入る。
結晶柱はいつも通り青白く光っていた。
「明日のために、外部反応だけ確認します」
俺が結晶柱に手を当てる。
村の周囲の反応が浮かぶ。
井戸。水車。外周結界。治療所。南門。西側木柵。
異常はない。
だが、街道の方に小さな反応があった。
《外部接近反応:あり》
《距離:遠》
《到達予測:明朝》
《集団規模:小》
《貴族家紋反応:ローゼン侯爵家》
やはり来る。
セリアが息を呑む。
リーゼの手が剣に触れた。
その瞬間、中枢室の光が赤く変わった。
《警告》
《才能封鎖術式反応、接近中》
部屋の空気が凍った。
「才能封鎖術式……」
セリアの声が震える。
リーゼの目が細くなる。
「使者が持っているのか」
俺は表示を凝視した。
《反応源:複数》
《詳細:不明》
《形態予測:護符/契約書/装身具/鑑定具》
《推奨:直接接触回避》
《推奨:契約書鑑定》
《推奨:聖女補佐および防衛剣士の単独接触禁止》
護符。契約書。装身具。鑑定具。
つまり、相手は何らかの形で術式を持ち込む。
セリアやリーゼに触れさせる可能性がある。
俺に対して使う可能性もある。
リーゼが低く言った。
「友好的な視察団、か」
「そう名乗っているだけです」
「明日、来るんだな」
「はい」
セリアは胸元を押さえたまま、ゆっくり呼吸した。
俺は彼女を見た。
「大丈夫ですか」
「怖いです」
正直な返事。
けれど、彼女は続けた。
「でも、逃げません。単独で会わない。触らない。すぐ記録する。そうすれば、立てます」
リーゼが頷いた。
「私も同じだ。剣は抜かない。怒りで喋らない。相手の持ち物には触らない」
二人とも、自分で対策を言葉にしている。
それが大事だった。
俺は中枢室の表示を記録に写した。
『才能封鎖術式反応、接近中。
反応源複数。形態予測:護符、契約書、装身具、鑑定具。
直接接触回避。
セリア、リーゼの単独接触禁止。
契約書鑑定必須。』
書きながら、手に力が入る。
リーゼがそれを見て言った。
「レオン」
「はい」
「怒るなとは言わない。だが、明日は見ろ」
「分かっています」
「本当に?」
今度はセリアが聞いた。
少し前まで俺が皆に言っていた言葉を、今は二人から返されている。
「本当に」
俺は息を整えた。
「明日は、見ます。記録します。必要なら拒否します」
リーゼが頷く。
「よし」
セリアも小さく頷いた。
「一緒に、ですね」
「はい」
中枢室の赤い光は、しばらくして青へ戻った。
だが、警告の文字は消えなかった。
《才能封鎖術式反応、接近中》
その一文が、翌朝まで俺たちの頭から離れることはなかった。
地上へ戻ると、村は静かだった。
水車は夜のために止められている。
井戸の水面は月を映している。
木柵の向こうには、明日ローゼン家の視察団が通る街道が続いていた。
トマが見張り台から声をかける。
「何かあった顔だな」
「明日、厄介なものが来ます」
「貴族だけでも厄介なのに、まだ増えるのか」
「才能封鎖術式の反応があります」
トマの顔が険しくなった。
「つまり、リーゼやセリアを壊したやつの仲間か」
「断定はできません。でも危険です」
「分かった」
トマは弓を握り直した。
「俺は何をすればいい」
「いつも通り、村を見てください。変な動きをする者がいたら、記録と報告を」
「矢は?」
「最後の手段です」
「分かった。最後まで抜かねえように頑張る」
トマは少し笑った。
「言葉と記録の戦いってやつだな」
「はい」
「苦手だ」
「俺もです」
「先生でも?」
「はい」
トマは少し意外そうにして、それから肩をすくめた。
「じゃあ、皆で苦手なままやるしかねえな」
その言葉が妙に腑に落ちた。
得意だから立つのではない。
怖いまま、苦手なまま、それでも立つ。
セリアもリーゼも、そうしてきた。
明日は村全体がそうする番だ。
夜、俺は個人記録に書いた。
『ローゼン侯爵家の視察団、明朝到着予定。
中枢室が才能封鎖術式反応を感知。
形態は護符、契約書、装身具、鑑定具の可能性。
セリアとリーゼを単独接触させない。
契約書は必ず鑑定。
俺は怒りで動かない。見る。記録する。拒否する。
一人で抱えない。』
最後の一文は、もう迷わず書けた。
外では、見張り台の小さな灯りが揺れている。
リベル村は眠りにつこうとしていた。
だが、明日来るものは、魔物ではない。
笑顔と礼儀と支援の言葉をまとった、もっと厄介な敵かもしれない。
俺は筆を置き、灯りを消した。
明日は、言葉の防衛戦になる。




