第30話 辺境村、防衛準備
才能封鎖術式。
その言葉が出てから、リベル村の空気は少し変わった。
ただし、村人全員に詳しく伝えたわけではない。
腕輪や封印の話は、セリアとリーゼ本人の傷に関わる。村中に広めていいものではない。
だから村長は、村人たちにはこう説明した。
「魔物を操る悪い術式の痕跡が見つかった。次に備える」
それだけで十分だった。
村人たちは、誰も余計に聞かなかった。
怖くないわけではない。だが、昨日まで井戸を汲み、水車を直し、結界を守ってきた人たちだ。
分からないものを前にしても、手を止めない強さが少しずつ育っていた。
朝から、村は防衛準備に入った。
南門の支柱交換。
西側木柵の補強。
井戸周りの屋根作り。
治療所の物資整理。
弓隊の射線確認。
子供と老人の避難経路確認。
派手な作業ではない。
でも、どれも命に関わる。
「先生、ここは斜めに支え木を入れた方がいいか?」
トマが南門の前で聞いてきた。
俺は木柵の歪みを鑑定する。
《南門補強部》
《横圧に弱い》
《推奨:斜材追加/下部固定杭》
「斜め材を入れて、下に杭を打ちましょう。黒牙猪の突進を横へ逃がせます」
「よし。おい、杭を二本持ってきてくれ!」
トマの声で若者たちが動く。
以前は、俺が一つずつ説明しないと進まなかった。
今は違う。
俺が原因を見る。
トマが人を動かす。
村人たちが作業する。
ニコルが記録する。
役割が分かれてきた。
それが、村が直り始めている証拠だった。
治療所では、セリアが薬草と浄化水の保管棚を整理していた。
「この棚は緊急用です。戦闘中は誰でも分かるように、赤い布を結びます」
村の女性たちが真剣に聞いている。
「これは傷洗い用。これは熱冷まし用。こっちは、私が確認してから使います」
「セリア先生、こっちの瓶は?」
「先生ではありません。それは薄めた浄化水です。子供にも使えますが、飲ませすぎないでください」
「はいはい、セリア先生」
「……もう」
抗議はしているが、以前ほど強く否定しなくなった。
リーゼは村の広場で、防衛訓練をしていた。
剣ではない。
木の棒を使った、立ち位置の訓練だ。
「魔物を倒そうとするな。まず、どこへ逃げるか、どこを守るかを覚えろ」
若者の一人が尋ねる。
「剣を持ってるのに逃げるんですか?」
「逃げる。必要なら何度でも逃げる」
リーゼは即答した。
「死ななければ、次に守れる。死ねば終わりだ」
その言葉には、騎士団で傷ついた彼女だからこその重みがあった。
若者たちは黙って頷く。
「トマ」
「何だ」
「弓隊は、相手を倒した時より、止めた時の記録を重視しろ」
「止めた時?」
「ああ。魔物の進路を変えた。足を止めた。結界へ押し返した。そういう記録だ」
トマが目を丸くした。
「倒した数じゃなくていいのか」
「村の防衛なら、倒した数より被害を減らした数だ」
「……なるほどな」
トマは少し考え、それからニコルの方を向いた。
「おい、今の書いといてくれ」
「書いてます」
ニコルはもう筆を走らせていた。
村長はそれを見て、満足そうに頷く。
「よい。戦い方まで村らしくなってきた」
午後、俺たちは地下工房へ降りた。
目的は、修復炉の再点火に使える代替素材の確認だ。
グランベル商会の魔石は断った。
なら、村で手に入る素材を使うしかない。
作業台に並べたのは、灰角魔狼の角、大型黒牙猪の牙、そして呪印魔獣の核ではない外殻片。呪印核は証拠として封印してあるため、使えない。
《素材照合開始》
《灰角魔狼角:結界補助材として使用可能》
《黒牙猪牙:衝撃吸収材として使用可能》
《呪印魔獣外殻片:浄化後、魔力導線として使用可能》
《修復炉再点火:低出力なら可能性あり》
「低出力なら、いけるかもしれません」
俺が言うと、セリアが少し不安そうに尋ねる。
「危険はありませんか」
「あります。だから一気にはやりません。まず小さな補助炉からです」
リーゼが腕を組む。
「また水車方式か」
「はい」
「この村では、すべて水車になるな」
「大事な水車です」
セリアが真顔で言い、リーゼは笑った。
中枢室で修復炉の状態を確認する。
《修復炉》
《状態:停止》
《主燃料:高純度魔石》
《代替燃料:魔獣素材加工品》
《再点火条件:管理者確認/聖女補佐浄化/防衛剣士護衛》
「防衛剣士護衛?」
リーゼが表示を見て眉を寄せる。
「再点火中に魔力の揺れが出るようです。万が一、外部反応があった時に守る役が必要なんでしょう」
「つまり私は見張りか」
「大事な見張りです」
「便利な言い方だな」
彼女はそう言いながらも、不満そうではなかった。
再点火はすぐには行わない。
まず素材加工。
次に浄化。
それから試験。
焦れば壊れる。
壊れたものを急に動かしてはいけない。
この村では、もう皆がその言葉を知っていた。
夕方、王都からの早馬が来た。
村の入口に立った伝令は、防衛局の紋章入りの文書を差し出した。
村長が受け取り、俺たちは村長宅で内容を確認する。
文書はラウル査察官からだった。
『リベル村より提出された魔物誘導術式に関する報告を受領。
呪印核片はギルド監査員ミリア・ロイ管理下で分析中。
現時点で、外部への詳細公開は控えること。
追加の証拠保全を継続されたし。
また、王都貴族筋より“辺境復興視察”の申し出が出る可能性あり。注意されたし』
最後の一文に、村長の目が細くなった。
「来るな」
トマが低く言う。
「ローゼンか?」
リーゼの声は冷たかった。
「まだ名はありません」
俺は文書を確認する。
「ただ、時期的に可能性は高いです」
セリアは不安そうに胸元を押さえる。
「視察ということは、また村に来るんですか」
「はい。グランベル商会の次は、貴族の使者かもしれません」
村長はしばらく考えた。
そして、静かに言った。
「なら、準備するだけじゃ」
トマが苦笑する。
「村長、最近そればっかだな」
「実際、それしかない」
村長は文書を机に置いた。
「相手が魔物でも商人でも貴族でも、やることは同じじゃ。記録を整え、証拠を守り、村人を守る」
リーゼが頷く。
「貴族相手なら、言葉も剣になる」
「そうじゃ」
村長はニコルを見る。
「ニコル。今日から、来訪者記録を作れ」
「来訪者記録?」
「誰が、いつ、何を言ったか。何を求めたか。何を置いていったか。全部じゃ」
「分かりました」
ニコルは緊張しながらも頷いた。
俺はラウル査察官の文書をもう一度見た。
外部への詳細公開は控えること。
つまり、王都側にも情報を隠したい理由がある。
ローゼン家に漏れるのを防ぐためか。
あるいは、防衛局内にも信用できない者がいるのか。
どちらにせよ、油断できない。
夜、地下工房の中枢室で、俺は今日の記録を整理した。
『防衛準備を開始。
南門補強、井戸屋根、治療所物資整理、弓隊訓練、避難経路確認。
リーゼ、防衛役として村人へ訓練開始。
修復炉再点火について、魔獣素材による低出力点火の可能性あり。
ラウル査察官より文書到着。
王都貴族筋の視察可能性あり。
来訪者記録を開始予定。』
最後に、少し迷ってから書く。
『ローゼン家が来るなら、リーゼとセリアを守る準備が必要。
そして、俺自身も孤立しないこと。』
筆を置くと、中枢室の結晶柱が淡く光った。
《拠点防衛準備:進行中》
《証拠保全:良好》
《外部圧力:接近》
《推奨:応対方針策定》
「応対方針、か」
今度は戦いではない。
言葉と記録の戦いになる。
地上へ戻ると、広場ではリーゼが一人で剣を抜いていた。
素振りではない。
鞘から抜き、刀身を見て、戻す。
それだけ。
「練習ですか」
俺が声をかけると、彼女は剣を鞘へ戻した。
「確認だ」
「何の?」
「私は、まだ剣を抜ける」
静かな声だった。
「ローゼンの名を聞くと、手が冷える。だが、剣は抜ける。それを確認していた」
「無理は」
「していない」
リーゼは俺を見る。
「明日も確認する。明後日も。その次も。そうやって、私の剣を私のものに戻していく」
「いいと思います」
「お前は?」
「俺?」
「お前も確認しろ。自分の意思を」
リーゼは少しだけ口元を上げた。
「修復者は孤立してはならない、だろう」
「……はい」
「なら、困ったら言え。私は防衛役だ」
そう言って、彼女は治療所へ戻っていった。
俺はしばらく広場に立っていた。
井戸の水音。
水車の軋む音。
遠くでトマが誰かと笑う声。
治療所から漏れるセリアの灯り。
リベル村は、少しずつ強くなっている。
だが、強くなればなるほど、外から狙われる。
それでも、もう止まるつもりはなかった。
翌朝、村の入口に新しい木札が立てられた。
『来訪者は村長宅へ。
井戸・水車・結界への無断接近を禁ず。
契約書はその場で署名しない。
治療所への立ち入りは許可制。』
トマがそれを見て、腕を組む。
「最後の一文が強いな」
「必要です」
セリアが言った。
「私、勝手に入られるのは嫌です」
「そりゃそうだ」
リーゼが看板を見て頷く。
「良い。特に契約書のところがいい」
ニコルは記録板を抱えて立っている。
「来訪者記録、準備できました」
村長が満足そうに頷いた。
「よし。これで貴族でも商人でも、まず記録じゃ」
その言葉に、村人たちが少し笑った。
けれど皆、分かっている。
次に来るものは、きっと面倒だ。
そして、その面倒なものはもう、街道の向こうで動き始めている。




