第3話 災厄の聖女
「直せる、って……」
白い修道服の少女は、かすれた声でそう言った。
俺の目の前で、彼女の肩が小さく震えている。泥に汚れた銀色の髪。割れた聖印。痩せた頬。年は俺より少し下だろうか。怯えた目だけが、ひどく綺麗だった。
けれど、その周囲に漂う魔力は穏やかではない。
白い光が、彼女の指先から細い火花のように弾けている。癒やしの魔力のはずなのに、流れが乱れ、空気を軋ませていた。
村人たちは遠巻きに見ている。
「兄ちゃん、下がれ!」
さっきから叫んでいた男が、焦った顔でこちらに手を伸ばした。
「その子に近づくな! 悪い子じゃねえのは分かってる。けど、何かあると周りが吹っ飛ぶんだ!」
「吹っ飛ぶ?」
「前にもあったんだよ。怪我人を治そうとして、逆に納屋の壁を壊した。昨日は井戸端の桶が全部割れた」
男の声に、少女がびくりと肩を揺らした。
「ごめん……なさい」
小さな謝罪だった。
誰に向けたものなのか分からない。
村人にか。俺にか。あるいは、自分自身にか。
彼女の周囲の光が、また不安定に膨らむ。
「謝らなくていい」
俺はなるべく声を低くした。
「今は、息をゆっくりして。力を抑えようとしなくていい」
「でも……抑えないと」
「無理に抑えようとするから、余計に詰まってる」
言ってから、自分でも妙なことを口走ったと思った。
けれど、見えている。
彼女の中にある魔力の流れ。
本来なら胸の奥から両腕へ、そして指先へと柔らかく流れていくはずの線が、何かに引っかかって捻じれている。流れを止めようとすればするほど、行き場を失った魔力が別の場所から噴き出している。
それは、強すぎる力ではない。
壊された水路に水を流し込んでいるような状態だ。
「……あなた、神官様ですか?」
少女が尋ねた。
「違う。俺は鑑定士だ」
「鑑定士……」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の村人たちの表情が少し変わった。
期待ではない。
落胆に近いものだった。
無理もない。鑑定士は、物の価値や状態を見る職業だ。病を治すわけでも、魔力暴走を止めるわけでもない。
俺自身、昨日まではそう思っていた。
「名前を聞いてもいいか」
少女は少しだけ迷ったあと、唇を動かした。
「セリア……セリア・ルミナス、です」
「俺はレオン・アスター」
「レオン、さん」
セリアは俺の名を確かめるように呼んだ。
その直後、彼女の右手が強く光る。
「っ……!」
セリアが慌てて手を胸に抱え込む。
「だめ、また――」
白い光が膨れ上がった。
村人たちが一斉に後ずさる。
俺は反射的に、セリアの右手へ手を伸ばした。
「触らないで!」
セリアが叫ぶ。
「私に触ったら、怪我をします!」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないです!」
その声は、悲鳴に近かった。
「私は、何度も失敗しました。治そうとして、壊して、助けようとして、傷つけて……神殿でも、私は……」
言葉が途切れる。
俺はその続きを急かさなかった。
ただ、彼女の手を見る。
細い指先。震える手。
そこに絡みつくような、歪んだ魔力の線。
鑑定結果が浮かぶ。
《魔力回路破損》
《原因:外部干渉》
《封印痕:三箇所》
《現状:魔力制御不能》
《修復条件:対象者の拒絶反応低下》
対象者の拒絶反応低下。
つまり、本人が俺を拒んでいる間は難しいということか。
初めて見る表示なのに、不思議と意味は分かった。
「セリア」
俺は彼女の目を見た。
「君の魔力は、強すぎるから暴れてるんじゃない」
「……え?」
「流れが壊れてる。いや、壊されたと言った方が近い」
セリアの表情が固まった。
「壊された……?」
「断定はできない。でも自然にこうなった感じじゃない。誰かが、君の中の魔力の通り道を無理やり縛っている」
村人たちがざわついた。
「おい、それはどういう意味だ」
「神殿が診ても、原因不明って言ってたんじゃなかったのか」
「この子は失敗した聖女だって……」
その言葉に、セリアが俯いた。
「私は、失敗した聖女です」
静かな声だった。
言い慣れてしまった言葉のように聞こえた。
「神殿で何度も言われました。あなたの祈りは歪んでいる。あなたの魔力は人を救うものではない。聖女にふさわしくないって」
「誰が言った?」
「……神殿の方々です」
「全員?」
セリアは少し迷った。
「優しい人もいました。でも、最後は皆、私から離れていきました」
白い光が、また指先で弾ける。
恐怖と記憶が、魔力の乱れに直結しているのが分かった。
俺は深く息を吸った。
「セリア。俺は神殿の人間じゃない。聖女の基準も知らない」
「……はい」
「でも、鑑定士として見えることがある」
俺は彼女の手元を指した。
「君の力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。流れが正しくなれば、たぶん人を救える」
セリアの目が揺れた。
「本当に……?」
「本当に。ただし、俺が失敗する可能性はある」
村人の一人が「おい」と声を上げた。
俺は振り返らない。
「だから、無理には触らない。君が嫌なら、俺は下がる」
「……」
「でも、直せる可能性があるなら、俺は見なかったふりをしたくない」
セリアは何も言わなかった。
その沈黙の中で、納屋の奥から弱い声がした。
「だれか……いるのか……?」
村人たちが一斉に振り向く。
「爺さん!」
さっきの男が駆け出した。納屋の中にいた老人が、崩れた木材の下敷きになっていたらしい。先ほどの魔力暴走で、壁の一部が内側へ倒れたのだ。
セリアの顔から血の気が引いた。
「私のせいで……」
「まだ生きてる」
俺は立ち上がった。
納屋の中へ入ると、乾いた藁の匂いと、古い木材の埃が鼻についた。老人は太い梁の下で足を挟まれている。意識はあるが、顔色が悪い。
男が梁を持ち上げようとするが、びくともしない。
「くそっ、誰か呼んでこい!」
「待ってください」
俺は梁に手を当てた。
鑑定。
《対象:木梁》
《状態:亀裂多数》
《荷重集中》
《破断危険あり》
《解除手順:右側支柱を先に固定》
……便利だな。
今さらながら、そう思った。
「右の支柱を押さえてください。いきなり持ち上げると梁が割れて、余計に落ちます」
「分かるのか?」
「分かります」
男は迷ったが、すぐに村人へ指示を飛ばした。
俺は梁の歪みを見ながら、力をかける場所を示す。
「せーので少しだけ上げます。無理に高く上げないでください。足を抜ける隙間だけでいい」
「分かった!」
「せーの」
村人たちが力を合わせる。梁がわずかに浮いた。
老人の足が抜ける。
だが、足首から血が滲んでいた。
「うっ……」
「爺さん、しっかりしろ!」
傷は深い。すぐに治療が必要だ。
俺は持っている薬草袋を探った。応急処置くらいならできる。けれど、それ以上は――。
「私が」
入口で、セリアが立っていた。
青ざめた顔で、それでもこちらを見ている。
「私が、治します」
村人たちが息を呑んだ。
「だ、だめだ! また暴れたら――」
「でも、このままだと」
「セリア」
俺は彼女の名を呼んだ。
彼女は俺を見る。
怖がっている。
それでも、逃げていない。
「俺が横で見る。君は治すことだけ考えて」
「でも、また失敗したら」
「その時は俺が止める」
「止められるんですか?」
正直に言えば、分からない。
だが、今のセリアに必要なのは、完璧な保証ではない気がした。
「止める努力はする」
セリアは一瞬だけ目を丸くした。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「……変な人ですね」
「よく言われる」
「たぶん、あまり褒められてないです」
「分かってる」
そんなやり取りをしている場合ではないのに、セリアの肩の力がほんのわずかに抜けた。
彼女は老人のそばに膝をつき、両手をかざす。
白い光が灯る。
さっきまで暴れていた光と同じ色。
けれど今は、少しだけ柔らかい。
俺はセリアの魔力の流れに集中した。
やはり、胸元から右腕へ向かう流れが途中で詰まっている。そこを無理に押し通そうとして、周囲へ弾けている。
「セリア、力を押し込まないで」
「押し込まない……?」
「水を流すみたいに。傷口へ叩きつけるんじゃなくて、染み込ませる感じ」
「やって、みます」
光が老人の足首を包む。
しかし次の瞬間、セリアの手元で魔力が膨らんだ。
まずい。
俺は反射的に、彼女の手首に触れた。
熱い魔力が流れ込んでくる。
視界が白く染まり、無数の線が見えた。
絡まった糸。
ねじれた水路。
塞がれた扉。
その中で、ひとつだけ異物のような黒い点があった。
《封印痕・第一》
《修復可能》
頭の奥で、何かがかちりと噛み合う。
やり方を知っていたわけではない。
けれど、壊れている場所が分かるなら。
歪んでいる向きが分かるなら。
元に戻す方向も、見える。
「ここだ」
俺は小さく呟いた。
「え?」
「セリア、そのまま。怖がらないで」
彼女の魔力の流れに、自分の魔力を少しだけ重ねる。
無理やり押さえつけるのではない。
詰まった流れに、逃げ道を作る。
黒い点が、少しだけ薄れた。
白い光の弾け方が弱まる。
「……あ」
セリアが息を呑んだ。
「痛く、ない」
「そのまま続けて」
「はい」
今度の光は暴れなかった。
老人の足首の傷が、ゆっくりと塞がっていく。完全ではない。骨までは分からない。だが血は止まり、痛みも引いているようだった。
老人が目を開いた。
「……温かい」
その一言で、納屋の中の空気が変わった。
村人たちは黙って見ている。
誰も叫ばない。
誰も逃げない。
セリアは両手を下ろした。
老人の足元には、淡い光の粒が残っている。
「治った……?」
セリアが、自分でも信じられないという顔で呟いた。
「完全じゃない。安静は必要です」
俺が言うと、老人は涙目で頷いた。
「ありがとうよ、嬢ちゃん」
その言葉に、セリアの唇が震えた。
「私……壊さなかった……?」
「ああ」
俺は頷いた。
「壊してない。ちゃんと治した」
セリアはぽろぽろと泣き出した。
声を上げるでもなく、ただ涙だけが落ちていく。
村人たちは気まずそうに視線を交わしていた。
これまで彼女を恐れていたのだから、すぐに態度を変えられるはずもない。
けれど、さっき叫んでいた男が、ぽつりと言った。
「……助かった。ありがとう」
セリアは顔を上げる。
「え……」
「爺さんを助けてくれた。だから、ありがとうだ」
それは決して大げさな感謝ではなかった。
ぎこちなくて、不器用で、まだ恐れも混じっている。
でも、確かに感謝だった。
セリアは両手で顔を覆った。
「はい……はい……」
俺はその横顔を見ながら、自分の手に残る熱を確かめた。
今のは、何だったのか。
鑑定だけではない。
確かに俺は、セリアの中にあった歪みの一部を動かした。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《修復鑑定:部分発動》
《対象:セリア・ルミナス》
《封印痕・第一:緩和》
《魔力暴走危険度:高→中》
俺は息を呑んだ。
修復鑑定。
鑑定ではなく、修復。
そんな職業、聞いたことがない。
「レオンさん?」
セリアが涙を拭いながらこちらを見る。
「どうかしましたか?」
「いや……」
俺は少し迷ってから、首を振った。
「たぶん、君はもっと良くなる」
セリアの目が大きく開いた。
「本当に?」
「一度で全部は無理だ。でも、さっきより流れは整った。時間をかければ、暴走しなくなるかもしれない」
「私が……普通に、治療できるように?」
「普通どころか」
言いかけて、俺は言葉を止めた。
鑑定結果の奥に、まだ見えているものがあった。
封印痕は三つ。
今、緩んだのは一つだけ。
残りの封印の奥には、もっと大きな力が眠っている。
けれど、今それを言うべきではない気がした。
「少なくとも、失敗した聖女なんかじゃない」
そう言うと、セリアはまた泣きそうな顔になった。
納屋の外では、夕暮れが濃くなっている。
遠くで、枯れかけた井戸の滑車が軋む音が聞こえた。
やがて、村長らしき老人が杖をついてやって来た。白い髭を揺らしながら、俺とセリア、そして助かった老人を順に見る。
「旅のお方」
「はい」
「礼を言う。あんたがいなければ、今日はもっと悪いことになっていた」
「俺は少し手伝っただけです。治したのはセリアです」
村長はセリアを見た。
セリアはびくりと肩を揺らす。
長い沈黙のあと、村長は深く頭を下げた。
「セリアも、ありがとう」
その瞬間、セリアの目からまた涙がこぼれた。
村長はゆっくりと顔を上げる。
「だが、問題はまだ山ほどある。この村は井戸も畑も結界も、何もかも限界だ」
その言葉に、村人たちの顔が沈む。
「旅のお方。あんたは鑑定士と言ったな」
「はい」
「ならば、ひとつ見てほしいものがある」
「見てほしいもの?」
村長は村の中央を振り返った。
そこには、石組みの古い井戸があった。
周囲の土は乾き、桶の底にはわずかな水滴しか残っていない。
「あの井戸だ。三年前から水が細り、今年に入ってほとんど出なくなった。王都の技師にも見てもらったが、水脈が死んだと言われた」
「水脈が……」
「もし本当に死んだのなら、この村は終わりだ」
村長の声には、諦めに近い重さがあった。
俺は井戸を見た。
距離はある。
けれど、なぜか分かる。
あれも、壊れている。
完全に失われたわけではない。
どこかが詰まり、どこかが歪み、本来の流れを失っている。
セリアが不安そうに俺を見る。
「レオンさん……?」
俺はゆっくり息を吐いた。
勇者パーティーを追放され、行き場もなくたどり着いた村。
そこで、捨てられた聖女と出会い、壊れかけた井戸を前にしている。
まるで、誰かに用意された道みたいだ。
そう思って、すぐに苦笑した。
そんな大げさなものじゃない。
ただ、目の前に壊れたものがある。
それだけだ。
「見てみます」
俺がそう言うと、村長の顔にわずかな光が戻った。
セリアは胸の前で両手を握りしめている。
もう、彼女の周囲の光は暴れていなかった。
俺は井戸へ向かって歩き出した。
背中越しに、村人たちの視線を感じる。
疑い。期待。恐れ。祈り。
その全部を背負うには、俺はまだ自分の力を知らなさすぎる。
それでも。
視界には、はっきりと文字が浮かんでいた。
《対象:リベル村・中央井戸》
《状態:魔力循環不全》
《水脈閉塞》
《原因:破損結界石の沈着》
《修復可能》
修復可能。
その言葉だけが、夕暮れの中で妙にはっきりと見えた。




