第28話 王都から来た商人と、怪しい依頼
グランベル商会の馬車が来たのは、リーゼが村の子供たちに木剣の持ち方を教え始めて三日目の昼だった。
その馬車は、リベル村に時々やって来る商人の荷馬車とはまるで違っていた。
車輪には金属の補強。
幌布には防水加工。
側面には、金色の麦穂と秤を組み合わせた商会紋。
御者台に座る男の服も、村へ来るには少し綺麗すぎる。
村の入口で見張りをしていたトマが、すぐに弓を下ろさずに声をかけた。
「止まれ。どこの者だ」
馬車の扉が開く。
降りてきたのは、細身の男だった。年は三十代半ばほど。整えられた髪、柔らかい笑み、汚れひとつない手袋。いかにも王都の商人という風だった。
「突然の訪問、失礼いたします。私はグランベル商会の代理人、マルク・ベネディクトと申します」
男は丁寧に頭を下げた。
「辺境復興の支援について、ご相談に参りました」
トマの表情が険しくなる。
「支援?」
「はい。リベル村が古代結界の復旧に成功し、魔物被害を退けたという話を王都で伺いました。実に素晴らしい。辺境の安定は王国全体の利益です。我が商会としても、ぜひお力になりたいと考えております」
言葉だけ聞けば、ありがたい話だった。
だが、良すぎる話はだいたい危ない。
トマも同じことを思ったのだろう。すぐには通さなかった。
「村長と先生を呼ぶ」
「先生?」
マルクは一瞬だけ目を細めた。
すぐに笑みに戻したが、その反応を俺は見逃さなかった。
俺と村長が入口へ向かうと、マルクは改めて深く礼をした。
「あなたがレオン・アスター様ですね。元勇者パーティー所属の鑑定士にして、リベル村復興の中心人物」
「鑑定士のレオン・アスターです」
余計な肩書きは受け取らない。
マルクはにこやかに続ける。
「そして村長のバルド様。お噂はかねがね」
「噂になるような年寄りではないがな」
村長は穏やかに返した。
穏やかだが、目は笑っていない。
「ご用件は」
「はい。王都ではリベル村の復興が注目を集めております。古代結界、清浄な井戸水、防衛に成功した村人たち。辺境に新たな可能性が生まれたと、私どもは考えております」
マルクは手を上げる。
従者が馬車から木箱を下ろした。
「こちらは高品質な魔石です。結界維持や魔道具の補修に使えるものです。さらに、必要であれば職人の派遣、資金援助、薬草や布の定期供給も可能です」
村人たちがざわついた。
魔石。
資金援助。
薬草。
布。
どれも今のリベル村に足りないものだ。
修復炉の再点火にも、質の良い魔石は欲しい。治療所の物資も、戦闘が増えれば足りなくなる。木柵や水車の補修にも金具が必要だ。
だからこそ、危ない。
村長はすぐには喜ばなかった。
「それほどの支援を、ただで?」
マルクは柔らかく笑う。
「もちろん、商会ですので完全な無償ではありません。ただ、こちらも辺境復興に貢献したいという思いがございます。互いに利益のある形で契約できればと」
「契約書はあるのか」
「はい。ご用意しております」
早い。
最初から契約が目的だ。
村長は俺をちらりと見た。
俺は頷く。
「中で確認しましょう」
村長の家に場所を移すことになった。
同席したのは、村長、俺、トマ、ニコル、セリア、リーゼ。
マルク側は本人と従者一人だけ。
リーゼが部屋に入った瞬間、マルクの視線がわずかに動いた。
彼はすぐに笑顔を作ったが、リーゼはその変化を見逃さなかったらしい。静かに椅子へ座り、剣の柄に手を置いた。
マルクは机の上に契約書を広げる。
羊皮紙は上等で、文字も美しい。
こういう綺麗なものほど、読み手を油断させる。
「概要をご説明いたします」
マルクは慣れた口調で話し始めた。
「グランベル商会は、リベル村へ魔石、修復資材、薬草、布、必要に応じた職人を提供いたします。対価として、将来的に村で生産される加工品、特に水車を用いた粉、浄化水関連の商品、魔物素材の優先取引権をいただきたい」
ここまでは分かる。
商会としては当然の要求だ。
「加えて、古代結界の維持には高度な技術が必要ですので、商会所属技師による定期確認を実施したいと考えております」
村長の眉が少し動く。
「定期確認」
「はい。危険を未然に防ぐためです。村側だけで管理するには負担が大きいでしょう」
柔らかい言葉だった。
だが、意味は分かる。
古代結界に商会が入り込む。
俺は契約書に鑑定をかけた。
《商業契約書》
《表面条項:支援契約》
《隠れた拘束条項:あり》
《危険度:高》
《要注意:共同管理権/優先利用権/人材出向義務》
やはり。
俺は文面を追う。
綺麗な言葉の奥に、何重にも罠がある。
『古代結界および関連設備の安全維持を目的として、商会は定期的な技術監査権を有する』
監査権。
つまり、好きな時に立ち入る口実になる。
『リベル村は、支援物資の対価として古代設備を用いた利益の一部を商会へ分配する』
利益の一部。
割合が曖昧だ。
『必要に応じ、レオン・アスター氏は技術助言者として商会指定地へ出向する』
来た。
俺の定期出向。
さらに下の方には、もっと危険な一文があった。
『未登録治癒能力者および特殊戦闘能力者については、安全確認のため商会指定の鑑定を受けること』
セリアとリーゼのことだ。
俺は顔を上げた。
「この契約は受けられません」
マルクの笑みが少しだけ止まった。
「ずいぶん早いご判断ですね」
「危険な条項が多すぎます」
「危険、ですか。どのあたりが?」
口調は柔らかい。
だが、目は笑っていない。
「まず、古代設備の技術監査権。これは実質的な立ち入り権です。結界や井戸、水車への関与を商会に認めることになります」
「安全確認のためです」
「村の安全確認は、王国防衛局と村が行います。商会に結界管理権は渡せません」
村長が静かに頷く。
マルクは笑みを崩さない。
「管理権ではなく、監査権です」
「文面では、監査の範囲が広すぎます。危険と判断すれば設備停止を勧告できる、とも書いてありますね」
マルクの指が、わずかに止まった。
そこは読み飛ばさせるつもりだったのだろう。
「なるほど。よくお読みになる」
「鑑定士ですので」
俺は続けた。
「次に、利益分配の割合が不明確です。商会側が算定する、とある。これでは将来的に村の収益を自由に持っていかれる可能性があります」
「そのような不誠実なことはいたしません」
「不誠実なことができる契約書になっています」
トマが小さく「うわ」と呟いた。
ニコルは必死に記録している。
マルクの笑顔が薄くなる。
「そして、俺の出向義務。本人同意なく、商会指定地へ技術助言者として出向するとあります」
「必要な場合のみです」
「必要と判断するのは商会です」
「支援の対価として、専門家の協力を求めることは不自然ではありません」
「俺は村の所有物ではありません。村が俺を対価に出す契約は結べません」
その言葉を言い切った瞬間、村長が目を細めた。
たぶん、ラウル査察官の言葉を思い出していた。
自分の価値を守れ。
俺は今、それを守っている。
セリアが小さく息を吐いたのが聞こえた。
マルクは少しだけ黙った。
「では、出向条項は削りましょう」
「最後に、未登録治癒能力者および特殊戦闘能力者の商会指定鑑定。これはセリアとリーゼさんを指していますね」
セリアの肩がわずかに震える。
リーゼの目が鋭くなった。
マルクは涼しい顔で答える。
「安全確認のためです。力ある者が村にいる以上、客観的評価は必要でしょう」
「商会が行う必要はありません」
「王都では、商会が鑑定士や治癒師を手配することも珍しくありません」
「ここは王都ではありません」
部屋の空気が張り詰める。
マルクは俺をじっと見た。
「レオン様。あなたは優秀な方だ。だからこそ分かるでしょう。リベル村は、今後多くの目に晒されます。王都、防衛局、ギルド、神殿、貴族。村だけでそれらに対応するのは難しい」
「分かっています」
「なら、強い後ろ盾が必要です。グランベル商会は、その役目を担えます」
「後ろ盾ではなく、首輪に見えます」
マルクの笑みが完全に消えた。
リーゼが低く笑った。
「よく言った」
マルクの視線がリーゼへ向く。
「リーゼ・ヴァルト様。お久しぶり、と申し上げるべきでしょうか」
やはり知っていた。
リーゼは剣の柄に手を置いたまま答える。
「私はお前を知らない」
「私のような下っ端を覚えていないのは当然でしょう。ただ、王都ではあなたのお名前を存じ上げている者は多い。元剣姫。騎士団を去った悲運の才女」
「臆病者、と言わないだけ礼儀はあるな」
「そのような失礼な言葉は使いません」
「使わずに同じ意味を言うのが王都の商人か」
マルクは微笑む。
リーゼは笑わない。
「私の鑑定も求めると言ったな」
「安全確認です」
「私の腕輪に何があったか、知っているか?」
その瞬間、マルクのまぶたが一度だけ動いた。
本当にわずかだ。
だが、見えた。
リーゼも見ていた。
「知らない顔ではないな」
「何のことでしょう」
「ローゼン家の武勲記章だ」
部屋が静まり返る。
マルクは笑みを戻した。
「私は商会の代理人です。貴族家の儀礼品については存じません」
「そうか」
リーゼはそれ以上踏み込まなかった。
今ここで追及しても、証拠を引き出せないと分かっているのだろう。
村長が契約書を静かに閉じた。
「マルク殿。申し出はありがたい。だが、この契約は受けられぬ」
「修正案を出すことも可能です」
「支援物資を通常価格で買うことは検討しよう。だが、結界管理権、利益分配、レオン殿の出向、セリアとリーゼ殿の鑑定条件は受け入れられん」
「それでは商会の利益が」
「ならば商談不成立じゃ」
村長の声は穏やかだった。
だが、一歩も引いていない。
「リベル村は貧しい。魔石も資金も欲しい。だが、井戸と結界と人を差し出してまで買うものではない」
その言葉に、部屋の空気が少し変わった。
マルクは村長を見た。
しばらくして、ゆっくり笑みを作る。
「残念です」
「そうじゃな」
「ただ、王都の支援を拒むことが賢明かどうかは、いずれ分かるでしょう」
トマの眉が動く。
村長は平然としていた。
「支援は拒まぬ。首輪を拒んだだけじゃ」
マルクは何も言わず、契約書をしまった。
「本日は失礼いたしました。また条件を改めて伺うかもしれません」
「その時は、もっと短い契約書で頼む」
トマがぼそっと言った。
マルクは笑わなかった。
彼らが村を出る時、馬車に積まれていた魔石の木箱はそのままだった。
村人たちは惜しそうに見ていた。
それも当然だ。
欲しいものは確かにそこにあった。
だが、受け取らなかった。
リベル村は、少しずつ貧しさと戦うことになる。
でも、安く売られなかった。
馬車が遠ざかると、トマが大きく息を吐いた。
「あー、疲れた。魔物より疲れるな、ああいう商人」
「戦闘より契約書の方が怖い時もあります」
俺が言うと、トマは顔をしかめる。
「字を武器にするって、本当だったな」
ニコルが記録板を抱えて青い顔をしている。
「僕、途中で手が震えました」
「よく書けていました」
「“首輪を拒んだ”って書きました」
村長が笑った。
「それは書かんでもよかったかもしれん」
「でも名言でした」
「なら残しておけ」
セリアはほっとしたように胸元に手を当てていた。
「レオンさんが、私たちを勝手に鑑定させないと言ってくれて……安心しました」
「当然です」
「当然、ですか」
「はい」
セリアは少しだけ目を潤ませた。
「その当然が、嬉しいです」
リーゼは馬車が消えた道を見ていた。
表情は険しい。
「マルクは腕輪の話に反応した」
「はい」
「グランベル商会とローゼン家は繋がっている」
「可能性は高いです」
「次は、もっと強い手で来るかもしれない」
「そうですね」
リーゼは剣の柄に手を置いた。
「なら、私はもっと戻す」
「無理はしないでください」
「分かっている」
少し前なら、そこで苛立っていただろう。
今はちゃんと頷いた。
「無理をして壊れたら、あいつらの思う壺だ」
「その通りです」
村長が皆を見回した。
「今日のことも記録する。契約書の写しはあるか」
「一部、内容を写しました」
ニコルが答える。
「全文は相手が持って帰りましたが、危険条項は書き写しています」
「よい。レオン殿、鑑定結果も残せるか」
「はい」
俺は頷いた。
「隠れた拘束条項、危険度、対象条項を記録します」
「王都へ出すか」
「今すぐではなく、内部記録として保管しましょう。相手が次に来た時の比較材料になります」
村長は頷いた。
「うむ。村は金を断った。なら、知恵で補わねばな」
その夜、地下工房の中枢室で、俺は契約書に関する記録をまとめた。
『グランベル商会代理人マルク・ベネディクト来訪。
支援名目:魔石、資金、薬草、布、技師派遣。
契約書に以下の危険条項あり。
一、古代設備への技術監査権。
二、利益分配割合の商会側算定。
三、レオン・アスターの商会指定地への出向義務。
四、セリア・ルミナスおよびリーゼ・ヴァルトへの商会指定鑑定。
村長判断により契約拒否。
通常取引は検討可。共同管理権は拒否。』
最後に、一文を加える。
『支援という名の首輪に注意。』
書き終えると、中枢室の結晶柱が淡く光った。
《外部関心度:上昇》
《商会圧力:発生》
《推奨:契約記録保全/代替資材調達/防衛体制強化》
「代替資材調達、か」
魔石は欲しい。
修復炉の再点火も必要だ。
グランベル商会を拒んだ以上、別の方法を探す必要がある。
魔狼の角、呪印核の残骸、黒牙猪の牙。
それらを使えるかもしれない。
王都の支援に頼らず、村の中にあるものでどこまでできるか。
それが次の課題だ。
同じ頃、リベル村から少し離れた街道で、グランベル商会の馬車が止まっていた。
マルクは馬車の中で、短い報告書を書いている。
『リベル村、支援契約を拒否。
レオン・アスター、契約鑑定能力高し。
セリア・ルミナス、村側保護下。
リーゼ・ヴァルト、村に滞在。腕輪に関する言及あり。
村長バルド、交渉に慎重。
現段階で懐柔困難。』
最後に、彼は一文を加えた。
『ローゼン侯爵家への追加指示を仰ぐ。』
封をした報告書を従者へ渡す。
「王都へ。急ぎだ」
「承知しました」
マルクは馬車の窓から、遠くに見えるリベル村の灯りを見た。
小さな村だ。
貧しい。
脆い。
普通なら、魔石と金を見せれば簡単に頷くはずだった。
だが、頷かなかった。
「面倒な村だ」
彼は呟いた。
「だからこそ、早めに折る必要がある」
その言葉は、夜の街道に冷たく消えた。
リベル村では、そんな報告書が王都へ向かったことをまだ知らない。
広場では、村人たちが簡単な夕食を囲んでいた。
豪華ではない。
豆の煮込みと黒パン。
井戸水。
昨日より少しだけ多い干し肉。
トマが木椀を掲げる。
「今日は、首輪を断った祝いだな」
「祝いの名前としては物騒ですね」
俺が言うと、リーゼが小さく笑った。
「だが、悪くない」
セリアも頷く。
「自分で選べた日、ですね」
村長は穏やかに目を細めた。
「なら、その祝いじゃ」
村人たちが木椀を軽く掲げる。
貧しい村の、ささやかな食卓。
けれどその夜、リベル村は確かに一つの選択をした。
金で買える支援よりも、まだ頼りない自分たちの足を選んだ。
それは遠回りだ。
苦しい道だ。
でも、首輪をつけられて歩くよりはいい。
俺は黒パンをかじりながら、村の灯りを見た。
王都の影は近づいている。
ローゼン家も、商会も、いずれまた来る。
それでも、この村は今日、自分の意思で断った。
それを記録しておこうと思った。




