第27話 剣姫は辺境村に残る
翌朝、リーゼは村長の家を訪ねた。
鎧は着ていない。
けれど、腰には剣を下げている。
その姿を見ただけで、村長はだいたい察したようだった。
「決めたか」
「ああ」
リーゼは短く答えた。
「私は、しばらくリベル村に残りたい」
村長は驚かなかった。
トマも、セリアも、俺も同じ部屋にいた。
ニコルだけは記録板を抱えて、緊張した顔をしている。
「理由を聞いてもよいか」
村長が尋ねる。
リーゼは少し考えた。
「剣を取り戻したい。だが、王都に戻るにはまだ早い。ローゼン家の件もある。騎士団に戻るにしても、今の私はまだ中途半端だ」
そこで一度、言葉を切る。
「それに、この村は昨日守られた。だが、まだ弱い。私の剣が役に立つなら、ここで振るいたい」
村長は頷いた。
「役に立つかどうかで居場所を決める必要はない」
その言葉に、リーゼがわずかに目を見開いた。
俺が昨日、似たようなことを言ったからだろう。
村長は続ける。
「だが、役に立ちたいという気持ちは尊い。ならば、村として正式に頼もう。リーゼ・ヴァルト殿、リベル村の防衛を助けてほしい」
リーゼは背筋を伸ばした。
王都騎士団にいた頃の名残か、その姿は美しかった。
「引き受ける」
短い言葉。
けれど、重かった。
ニコルが慌てて書き始める。
「ええと、リーゼ・ヴァルトさん、本人意思によりリベル村滞在、防衛協力を承諾……」
「本人意思、を必ず入れるのか」
リーゼが聞く。
「はい」
セリアが即答した。
「この村では大事です」
リーゼは小さく笑った。
「そうだったな」
村長は俺を見る。
「レオン殿、地下工房の方はどうじゃ」
「昨日の夜、新しい表示が出ました。リーゼさんを防衛剣士候補として認識しています」
「防衛剣士?」
リーゼが眉を寄せる。
「村の結界と連携して戦う役割のようです。登録すれば、第二層結界の支援を受けやすくなるかもしれません」
「登録、か」
その言葉に、リーゼは少し警戒した顔をした。
腕輪の記憶がある以上、当然だ。
「強制ではありません」
俺はすぐに言った。
「説明を聞いた上で、嫌ならしない。登録しても、外せる方法を先に確認します」
「そこまで言うのか」
「言います」
セリアが頷く。
「レオンさんは、こういうところはしつこいです」
「褒めていますか」
「褒めています」
リーゼは少し息を吐いた。
「なら、後で説明を聞く。今すぐは決めない」
「それでいいです」
トマが腕を組んだ。
「じゃあ、リーゼは防衛隊長か?」
「隊長など要らない」
リーゼが即答する。
「私はまだ、この村の戦い方を知らない。勝手に命令する立場ではない」
「じゃあ何だ?」
トマが聞く。
リーゼは少し考えた。
「防衛役、でいい」
「地味だな」
「肩書きで剣は強くならない」
「それもそうか」
セリアが小さく笑う。
「リベル村防衛役リーゼさんですね」
ニコルが真面目に書き込む。
「リベル村防衛役、リーゼ・ヴァルト……」
「本当に書くのか」
「記録なので」
リーゼは少し困った顔をしたが、拒まなかった。
その日の午前、リーゼは村人たちに簡単な防衛訓練をつけた。
といっても、剣の稽古ではない。
まず教えたのは、逃げ方だった。
「魔物と戦う時、全員が前に出る必要はない。むしろ邪魔になることが多い。子供、怪我人、老人は、迷わず倉庫へ入れ。見栄を張るな。逃げるのも防衛だ」
村の若者が手を上げる。
「でも、男なら戦わないと」
「死んだ男は村を守れない」
リーゼはばっさり言った。
「生きて、柵を直し、井戸を守り、畑を耕せ。それも戦いだ」
トマが横で頷く。
「分かったか。俺も昨日、先生に追うなって言われて助かった」
「追わなかったのは良い判断だ」
リーゼが言うと、トマは少し嬉しそうな顔をした。
「そうか?」
「ああ。追撃は、訓練された兵でも危険だ。村の防衛では特に不要だ」
「よし、記録しとけニコル。俺の判断は良かった」
「はいはい」
ニコルが苦笑しながら板に書く。
リーゼの指導は厳しかったが、分かりやすかった。
「弓隊は、倒そうとするな。止めることを考えろ。脚、目の前、進路。急所を狙うより、動きを乱せ」
「でも、それじゃ倒せない」
「倒すのは最後でいい。門を守る方が先だ」
「なるほどな」
村人たちは真剣に聞いている。
リーゼはまだ本調子ではない。
剣を大きく振ることはしない。
それでも、彼女が立つだけで場が締まった。
王都の騎士団で積んだ経験は、消えていない。
奪われたのは剣だけではなかった。
でも、残っていたものもある。
午後、地下工房で防衛剣士登録の確認を行った。
参加したのはリーゼ、セリア、俺、村長。トマは入口近くで待機している。
中枢室の結晶柱は、リーゼが入ると淡く反応した。
《防衛剣士候補:リーゼ・ヴァルト》
《登録条件:本人意思確認/村長承認/基礎同期》
《登録効果:第二層結界内での身体負荷軽減/敵性呪印干渉軽減》
《解除条件:本人申請/管理者承認》
「解除条件がある」
リーゼはそこをじっと見ていた。
「はい。本人申請で解除できます」
「管理者承認とは?」
「おそらく、俺か村長、または中枢室の承認です。強制的に縛るものではないと思います」
「思います、か」
「断言は避けます」
リーゼは少し苦笑した。
「その言い方にも慣れてきた」
セリアが言う。
「私の登録も、今のところ勝手に縛られる感じはありません。むしろ、結界を通じて魔力を調整しやすくなりました」
「怖くはなかったか」
「怖かったです」
セリアは正直に答えた。
「でも、私は自分で決めました」
リーゼはしばらく黙っていた。
それから、剣の柄に軽く触れた。
「登録する」
「今でいいんですか」
「ああ。昨日、村を守った時に思った。私は一人で戦うより、この結界と、村人たちと一緒に戦う方が今は強い」
その言葉は、彼女にとって簡単なものではなかったはずだ。
かつて天才と呼ばれた剣士が、一人ではなく、誰かと戦うことを選ぶ。
「分かりました」
俺は中枢室へ手をかざした。
「リーゼ・ヴァルトさん本人の意思により、防衛剣士登録を行います。村長、承認を」
村長が杖をつき、一歩前へ出る。
「リベル村村長バルドの名において承認する。ただし、本人の意思を最優先とする」
中枢室の光がリーゼの足元に広がった。
《本人意思確認》
《村長承認》
《基礎同期開始》
淡い青白い光が、リーゼの剣と右手首を包む。
彼女の顔が少し緊張する。
「腕輪とは違う」
自分に言い聞かせるように呟いた。
セリアがそっと言う。
「嫌なら止められます」
「ああ」
光はすぐに収まった。
《防衛剣士:登録完了》
《リーゼ・ヴァルト》
《第二層結界支援:有効》
《呪印干渉耐性:微弱上昇》
リーゼは自分の手を開いたり閉じたりした。
「何か変わったか」
「少しだけ、剣技回路の負荷が軽くなっています」
「確かに、手首が温かい」
彼女は不思議そうに言った。
「縛られる感じはない」
「よかったです」
「レオン」
「はい」
「礼を言う」
急にまっすぐ言われて、少し反応が遅れた。
「登録したのはリーゼさん自身です」
「それでも、道を見つけたのはお前だ」
リーゼは少しだけ目を伏せる。
「私は、ここで剣を戻す」
「はい」
「それから、いつか王都へ行く。ローゼン家にも、騎士団にも、私の剣がまだ折れていないことを見せる」
声に、静かな火があった。
村長は満足そうに頷いた。
「なら、その日まで飯を食え。稽古も休息も記録も、全部じゃ」
「また飯か」
「飯は大事じゃ」
リーゼは呆れながらも、笑った。
同じ頃、王都では報告書が届いていた。
冒険者ギルドの監査室で、ミリア・ロイは封印された木箱を前にして眉をひそめた。
箱にはリベル村村長印、鑑定士レオン・アスターの印、記録係ニコルの印が押されている。
「ずいぶん厳重ね」
彼女は慎重に封を解いた。
中から出てきたのは、小さな黒い欠片。
呪印核の一部。
添えられた報告書を読み進めるにつれ、ミリアの表情が変わる。
「人為的な魔物誘導術式……」
彼女はすぐに席を立った。
「ラウル査察官へ連絡を。防衛局にも写しを送る。ただし、この原本は私の管理下に置きます」
部下が驚く。
「原本を防衛局へ送らないのですか?」
「先に送ると、どこかで消える可能性があります」
「消える?」
ミリアは低い声で言った。
「この手の話は、利害関係者が多いのよ」
その頃、防衛局では、ラウル査察官が報告書の写しを読んでいた。
『リベル村周辺において、人為的な魔物誘導術式を確認』
その一文で、彼の表情は険しくなった。
「ただの辺境村の話ではなくなったな」
彼は呟いた。
部下が尋ねる。
「追加査察を出しますか」
「今すぐ大人数を送れば、リベル村を刺激する。まずは呪印核の分析だ。それから、過去の魔物誘導事件を洗え」
「過去の?」
「同じ術式が他にも使われているかもしれない」
ラウルは報告書の次の欄を見た。
そこには、レオンの鑑定記録が簡潔に添えられている。
無駄な誇張はない。
だが、必要な情報は揃っていた。
「……自分の価値を少しは守る気になったか」
ラウルは小さく言った。
一方、神殿では、セリアの記録欠落問題が静かに広がっていた。
若い神官が調べた結果、彼女の封印処置に関する正式記録が消されていることは、ほぼ確実になっていた。
「誰が許可したのか分からない封印処置など、あり得ません」
若い神官が上司へ訴える。
上司は苦い顔をした。
「声を荒げるな。この件は慎重に扱え」
「ですが、セリア・ルミナスは危険人物として扱われていたはずです。それが現地では安定して治療を行っている。なら、神殿の処置に問題があった可能性が」
「だから慎重に扱えと言っている」
上司は低く言った。
「神殿の失敗を認めることになるかもしれんのだ」
若い神官は言葉を失った。
その扉の外で、一人の人物が立ち聞きしていた。
白い法衣をまとった、位の高い神官。
彼は何も言わず、静かにその場を離れた。
そして王都の貴族街。
ローゼン侯爵家の屋敷でも、リベル村の名が出ていた。
「辺境村リベル?」
執務室で、ローゼン侯爵の側近が報告書を読み上げている。
「はい。古代結界が再稼働し、魔物誘導術式の存在を防衛局へ報告したとのことです」
「面倒な村だな」
侯爵は指で机を叩いた。
「レオン・アスター。元勇者パーティーの鑑定士か」
「そのようです」
「そしてリーゼ・ヴァルトの所在も、その村にある可能性が高い」
側近が少し声を落とす。
「騎士団を去った女です。今さら問題にはならないかと」
侯爵は冷たく笑った。
「今さら問題にならない者ほど、余計な証言をする」
室内が静まる。
「商会を使え」
「グランベル商会ですか」
「表向きは支援だ。魔石、資金、技師派遣。辺境村には魅力的だろう」
「条件は?」
「古代結界の共同管理権。それから、鑑定士レオン・アスターの定期出向」
側近が頷く。
「セリア・ルミナスとリーゼ・ヴァルトについては?」
「能力確認を求めろ。従わなければ、村が危険人物を匿っていると言えばよい」
侯爵は窓の外を見た。
「辺境村ごときが、王都に届く声を持つ前に首輪をつける」
その言葉は、静かだった。
だからこそ、冷たかった。
リベル村では、そんな王都の動きをまだ知らない。
夕方、リーゼは村の子供たちに木剣の持ち方を教えていた。
「振るな。まず持つだけだ」
「えー、剣って振るものでしょ?」
「振る前に落とすな。足を斬るぞ」
「木剣だよ?」
「木剣でも痛い」
子供たちは真剣な顔で木剣を持つ。
リーゼは不器用ながら、丁寧に教えていた。
セリアは治療所の前でその様子を見ている。
「リーゼさん、少し楽しそうですね」
「そうですね」
「本人は否定しそうですけど」
「確実に否定しますね」
俺たちが見ていることに気づいたリーゼが、少し不機嫌そうに言った。
「見世物ではないぞ」
「見守りです」
セリアが答える。
「怪我防止です」
「君は本当に便利な理由を持っているな」
「治療補助者なので」
リーゼは呆れた顔をしたが、子供の構えを直す手は優しかった。
夜、中枢室では新しい表示が安定していた。
《登録者》
《修復鑑定士:レオン・アスター》
《聖女補佐:セリア・ルミナス》
《防衛剣士:リーゼ・ヴァルト》
その並びを見て、俺は少し不思議な気持ちになった。
この村に来た時、俺は一人だった。
追放され、役に立たないと言われ、自分の職業の意味も知らなかった。
今は、隣にセリアがいる。
リーゼがいる。
トマや村長、ニコル、村人たちがいる。
村が、少しずつ拠点になっていく。
俺は個人記録に書いた。
『リーゼ、本人意思によりリベル村滞在および防衛協力を正式承諾。
地下工房、防衛剣士として登録完了。
第二層結界との連携が可能に。
王都へ報告書送付済み。
今後、外部からの反応が予想される。
リベル村は、もう隠れているだけではいられない。』
書き終えたところで、外からトマの声がした。
「先生、飯だぞ!」
俺は筆を置いた。
やることは山ほどある。
王都も動く。
ローゼン家の影も近づく。
それでも、今は飯だ。
村長が言う通り、直すには飯がいる。
俺は地下工房を出て、夕食の湯気が立つ広場へ向かった。




