表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/173

第24話 第二層結界、試験起動

 森の影が動いた。


 最初に見えたのは、低い姿勢で走る灰角魔狼だった。

 数は五、いや六。木々の間を縫うように進み、外周結界の光に触れる直前で左右へ散る。


 その後ろから、黒牙猪が現れた。


 肩まで人の胸ほどもある大型の魔獣だ。黒い牙を地面すれすれに構え、湿った土を蹴り上げながら一直線に村へ向かってくる。


 さらに上空。


 羽音がした。


 小型飛行魔が、黒い鳥の群れのように森の上から舞い上がる。


「来たぞ!」


 トマの声が村に響いた。


 村人たちは弓を構える。

 だが、まだ撃たない。


 俺は中枢室から送られてくる結界情報と、目の前の魔物の動きを重ねる。


《灰角魔狼:左右散開》

《黒牙猪:正面突進》

《小型飛行魔:上空旋回》

《外周結界第一層:負荷上昇予測》


「黒牙猪が先に門へ来ます! 溝の手前まで引きつけてください!」


「弓隊、まだ撃つな!」


 トマが叫ぶ。


 黒牙猪は止まらない。


 地面を震わせながら、村の門へ突っ込んでくる。木柵の前に掘った浅い溝は、枝と泥で隠してある。深さは足止め程度。だが突進の勢いを乱すには十分なはずだ。


 あと少し。


「今!」


 トマの号令で、弓隊が矢を放った。


 狙いは胴ではない。

 目の前の地面だ。


 矢が黒牙猪の鼻先へ突き立ち、猪が本能的に頭を振る。その瞬間、前脚が隠し溝にはまった。


 巨体が傾く。


 地面がえぐれる。


「リーゼさん!」


「分かっている!」


 門の内側にいたリーゼが動いた。


 外へ飛び出さない。

 正面から受けない。


 彼女は門の隙間から一歩だけ踏み出し、結界にぶつかって勢いの鈍った黒牙猪の横へ剣を走らせた。


 斬るというより、逸らす。


 剣筋が黒牙猪の肩をかすめ、突進の向きをわずかに変えた。

 それだけで、猪は門を外れ、木柵の横へ滑るように突っ込んだ。


 ばき、と外側の補強木が鳴る。


 だが門は無事だ。


「止めたぞ!」


 村人の誰かが叫んだ。


 リーゼの顔は青い。

 右手首にも負荷が出ている。


 けれど、彼女は倒れていない。


《リーゼ・ヴァルト》

《右手首負荷:軽度上昇》

《剣技回路:安定範囲内》

《恐怖反応:自然値》


「良いです! 今の動きで十分です。深追いしないでください!」


 俺が叫ぶと、リーゼは一瞬不満げに眉を寄せた。


 だが、すぐに門の内側へ戻る。


「……深追いはしない」


 自分に言い聞かせるような声だった。


 その間に、灰角魔狼が左右へ回り込む。


 南側に二体。

 西側に三体。

 一体は木柵の低い場所を探している。


「南側、二体! 足元狙い! 西側はまだ撃たない!」


 俺の声をトマが繰り返す。


「南、足だ! 西は待て!」


 村人たちが動く。


 訓練された兵ではない。

 足並みは揃わないし、矢も綺麗には飛ばない。


 それでも、前より明らかに早い。


 記録を取り、配置を決め、役割を分けた結果だ。


 村は少しずつ、戦い方を覚えている。


 南側で魔狼が結界に体当たりした。

 青白い光が揺れる。


《南側結界線:負荷上昇》

《第一層出力:低下傾向》


 セリアが治療所の前で顔を上げる。


「南側が薄いですか」


「まだ大丈夫です! 温存してください!」


「はい!」


 セリアは両手に白い光を宿したまま、動かない。


 以前なら、焦ってすぐに魔力を流していたかもしれない。

 でも今は違う。


 待つ。


 必要な時まで。


 それも、力の使い方だ。


 上空の小型飛行魔が降りてきた。


 黒い羽根を震わせ、甲高い声を上げながら治療所側へ回ろうとする。


「煙を!」


 俺が叫ぶ。


 村の女性たちが用意していた煙壺に火を入れる。湿った草ではなく、乾いた薪と煙草を混ぜたものだ。白い煙がもくもくと上がり、飛行魔の進路へ流れる。


 飛行魔が嫌がるように高度を上げた。


「いいぞ、そのまま煙を絶やすな!」


 トマが叫ぶ。


 だが、一体だけ煙を抜けた。


 小型とはいえ、爪には毒がある。

 治療所へ向かっている。


「右上、一体抜けます!」


 俺が叫ぶより早く、リーゼが反応した。


 剣を抜き、門から離れずに身体をひねる。


 流星剣ではない。

 ただの斬撃。


 だが速い。


 剣先が飛行魔の羽根をかすめた。


 飛行魔は空中で姿勢を崩し、木柵の内側へ落ちる前に、トマの矢が突き刺さった。


「落とした!」


 トマが短く言う。


 リーゼは剣を下ろした。


 肩で息をしている。


「リーゼさん、今の一撃で少し負荷が上がっています!」


「分かっている。次は抑える」


 ちゃんと返事がある。

 自分の状態を聞いている。


 大丈夫だ。


 まだ戦える。


 黒牙猪が二体目を連れてきた。


 今度は溝の位置を避けるように、少し斜めから門へ向かっている。


「学習してるぞ!」


 トマが叫ぶ。


「猪型なのに賢いのは反則だろ!」


「魔力反応があります! 普通の個体じゃない!」


 俺は鑑定を集中する。


《黒牙猪》

《状態:興奮》

《外部魔力刺激:微弱》

《進路誘導反応:あり》


 やはり、誘導されている。


 自然に村へ向かっているわけではない。


「二体目、誘導反応あり! 正面ではなく南門側へ曲がります!」


「南門、補強!」


 村長の声が飛ぶ。


 避難誘導だけではない。

 彼は村の中央で全体を見て、必要な人を動かしている。


「セリア、第二層の準備!」


「はい!」


 ここだ。


 二体目の黒牙猪が南門へ突進する。

 同時に、灰角魔狼が西側へ圧をかける。

 飛行魔は上空で旋回し、煙の薄い場所を探している。


 第一層だけでは、どこかが抜かれる。


「第二層、試験起動します!」


 俺は中枢室へ繋がる結界線に意識を向けた。


 セリアが両手を広げる。

 白い光が足元へ落ち、村の地面を這うように広がる。


 井戸。

 治療所。

 水車。

 外周結界。


 その線が一瞬だけ繋がった。


《聖女補佐同期:開始》

《修復炉:低出力点火》

《防衛結界第二層:一時起動》


 空気が変わった。


 第一層の外側にあった青白い膜とは違い、第二層は村の内側に薄く広がった。

 地面から膝くらいの高さまで、柔らかな光が満ちる。


 体が軽い。


 いや、俺自身が軽くなったわけではない。

 視界が少し澄み、魔物の動きが読みやすくなる。


 弓を構えた村人たちも、驚いた顔をしていた。


「何だこれ、狙いやすい!」


「足が滑らない!」


 第二層は、味方を支える結界だ。


 セリアの額に汗が浮かぶ。


「維持できます。でも、長くは……!」


「短時間で十分です!」


 黒牙猪が南門へ突っ込む。


「リーゼさん、門の内側から左へ流す! トマさん、猪の右目へ牽制!」


「おう!」


「分かった!」


 トマの矢が黒牙猪の右目の前をかすめる。


 猪の頭がわずかに反れる。


 そこへリーゼの剣が入った。


 今度は一撃ではない。


 短く、速い二連撃。


 一つ目で牙の向きをずらし、二つ目で肩を斬って進路を崩す。


 黒牙猪は門に直撃せず、横へ転がるように土をえぐった。


 リーゼの剣筋に、淡い星の光が走った。


《流星剣系統:部分発現》

《負荷:中》

《継続危険》


「リーゼさん、そこで止めて!」


「……っ、分かっている!」


 彼女は追撃しなかった。


 歯を食いしばって、止まった。


 それが今、一番大事な勝利だった。


 魔物を倒すことよりも、自分の剣を制御すること。


 セリアが第二層を支えながら叫ぶ。


「リーゼさん、右手!」


 リーゼは自分の右手を見た。

 指が震えている。


 すぐに剣を下げ、左手を添える。


「大丈夫だ。まだ切れていない」


「無理は」


「しない!」


 その返事に、セリアは頷いた。


 西側で魔狼が結界に食いつく。


 第二層の効果で、村人の矢が以前より正確に飛んだ。

 魔狼の脚に矢が刺さり、一体が後退する。


「西、押し返した!」


「南も持ってる!」


 村人たちの声に、少しずつ力が戻る。


 魔物の群れはまだ完全には退いていない。

 だが、最初の突進は防いだ。


 問題は、上空だった。


 煙を嫌がっていた飛行魔たちが、急に一方向へ集まり始める。


 治療所の屋根ではない。

 井戸だ。


「飛行魔、井戸へ!」


 俺が叫ぶ。


 その瞬間、背筋が冷えた。


 井戸を狙っている。


 偶然ではない。


 村の命綱を狙う動きだ。


「煙を井戸側へ! 弓隊、上!」


 トマが叫ぶ。


 だが、飛行魔は速い。


 数体が煙を抜け、井戸の上空へ降下する。


 セリアが第二層を維持したまま顔を上げた。


「井戸は駄目です……!」


 彼女の光が揺れる。


「セリア、第二層を切らないで! 俺が見ます!」


 俺は飛行魔を鑑定する。


《小型飛行魔》

《弱点:翼根》

《毒爪:あり》

《外部刺激:井戸水反応へ誘導》


 やはり誘導されている。


 井戸の浄化水に反応しているのか。

 いや、反応させられている。


「翼の付け根! 井戸に近い三体だけ狙ってください!」


「狙えるかよ!」


 トマが叫びつつ矢を放つ。


 第二層の効果で、矢の軌道がわずかに安定する。

 一体の翼根に刺さり、飛行魔が落ちた。


 残り二体。


 リーゼが動こうとする。


「リーゼさんは駄目! 距離がある!」


「だが!」


 井戸へ飛行魔が迫る。


 その時、セリアが一歩前に出た。


「第二層を、井戸へ寄せます!」


「できますか!」


「やります!」


 白い光が、村全体から井戸の周囲へ少しだけ集まる。


 第二層の範囲が狭まった。

 その代わり、井戸の上に薄い膜が張る。


 飛行魔が膜に触れ、動きが鈍る。


「今!」


 トマの矢が一体を落とす。


 もう一体は、リーゼの投げた短い木片で軌道が逸れた。


「剣を投げるなよ!」


 トマが叫ぶ。


「投げるか!」


 リーゼが言い返す。


 飛行魔は煙へ突っ込み、嫌がって上空へ逃げた。


 井戸は無事だ。


 セリアの肩が大きく上下する。


《第二層結界:出力低下》

《聖女補佐負荷:上昇》

《持続限界:接近》


「第二層、切ります! 全員、防御姿勢!」


 俺が叫ぶ。


「セリア、解除してください!」


「はい!」


 白い光がすっと引いていく。


 体の軽さが消える。

 村人たちも一瞬ふらつきそうになったが、すぐに踏みとどまった。


 第一層はまだ生きている。


 魔物の群れは、最初の勢いを失っていた。


 黒牙猪二体は負傷。

 魔狼も数体が後退。

 飛行魔は煙を嫌がり、上空で旋回している。


 ここで押し切られなければ、退かせられる。


 だが、森の奥にまだ気配がある。


 俺の視界に、新しい警告が浮かんだ。


《統率反応:増加》

《不明個体:接近》

《呪印反応:微弱》


 呪印反応。


 やはり、群れを動かしている何かがいる。


 リーゼも森の奥を見た。


「まだいるな」


「はい」


「強いのか」


「分かりません。でも、普通の魔物ではない可能性が高い」


 彼女は剣を握り直す。


 俺はすぐに言った。


「リーゼさん、無理は」


「分かっている」


 今度は遮られた。


 リーゼは森の影を見たまま続ける。


「私は無理をしない。だが、逃げもしない」


 その声は静かだった。


 セリアは治療所の前で膝に手をつき、息を整えている。

 トマは弓を構え直し、村人たちは矢を補充している。

 村長は子供たちを倉庫の奥へ移し、ニコルは震える手で戦況記録をつけている。


 リベル村は、まだ持っている。


 そして、森の奥から。


 黒い紋を額に刻んだ魔獣が、ゆっくり姿を現した。


 狼でも猪でもない。


 痩せた鹿のような体に、獣の爪。

 額には、見覚えのある黒い呪印。


 リーゼの腕輪に浮かび上がったものと、どこか似ていた。


「……あれか」


 リーゼが低く言う。


 俺は鑑定する。


《呪印魔獣》

《種別:不明》

《機能:魔物群誘導/結界負荷増幅》

《弱点:額呪印核》

《危険度:高》


 防衛戦は、まだ前半にすぎなかった。


 ここからが本番だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ