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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第190話 消えなかった手控え

 燃えたはずの紙が、燃えていないかもしれない。


 それは、妙な言い方だった。


 けれど、朝の広間に集まった者たちは、誰も笑わなかった。


 王都再審査室の中間通知には、こう書かれていた。


『没収手控えについては、焼失資料庫への移管完了が確認できず、別保管の可能性を調査する』


 予定と完了は違う。


 昨日、ダリオさんが言ったその一言が、ずっと頭に残っている。


 焼失資料庫へ移管予定。

 だが、移管完了印は不鮮明。

 つまり、焼失資料庫に入る前に、どこか別の棚へ移された可能性がある。


 燃えたと聞かされていたものが、実は燃える前に横へ逃がされていたかもしれない。


 外縁の話みたいだ、と俺は思った。


 水を深く入れず、浅く横へ逃がす。

 冷えを畑へ戻さず、林縁へ逃がす。

 青根布を水へ戻さず、浅い箱へ眠らせる。


 そして、手控えも。


 燃える棚へ行くはずだった紙が、どこかの棚へ逃がされていたかもしれない。


 朝の中央井戸で、副記録係が読み上げた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。ダリオ・ヴェント没収手控え、別保管可能性確認後、継続異常なし」


 ニコルが頷く。


「よいです」


 トマは井戸の縁から少し離れ、腕を組んでいた。


「燃えたって言われてたものが、燃えてないかもしれないって、なんか変な感じだな」


 ニコルが記録板を閉じる。


「はい」


「嬉しいって言っていいのか、まだ分からない」


「分かります」


「期待すると、なかった時にきつい」


「それも、分かります」


 トマは少し驚いたようにニコルを見た。


「今日はずいぶん分かってくれるな」


「記録にも、期待はあります」


「記録に?」


「はい。空欄を残す時、そこへ何かが戻ってくるかもしれないと思います。でも、戻らない可能性もある。だから空欄は、少し怖いです」


 トマはゆっくり頷いた。


「空欄って、ただの空きじゃないんだな」


「はい。待っている場所です」


 ニコルは少し迷ったあと、自分でその言葉を書いた。


『空欄は、待っている場所』


 トマが小さく笑う。


「また詩人だ」


「今日は、そういう日かもしれません」


「じゃあ書いとこう。消えたと思った紙を待つ日」


 ニコルは書きかけて、少し考えた。


『消えたと思った紙を待つ日』


 その文字は、朝の冷たい空気に妙によく馴染んだ。


 広間に戻ると、ダリオさんは机の端に座っていた。


 豆の椀はある。


 減り具合は、昨日と同じくらい。


 トマは見たが、今日は何も言わなかった。


 ダリオさんも、何も言わずに一粒食べた。


 それだけで、十分だった。


 村長は王都から届いた中間通知をもう一度机の中央に置いた。


「今日は、手控えの所在確認じゃ」


 ニコルが頷く。


「はい。王都再審査室、外部監査部、技師組合旧懲戒棚、焼失資料庫目録、外部監査部保管棚。この五系統で確認が進む予定です」


 トマが首を傾げる。


「外部監査部保管棚?」


 ダリオさんが答える。


「通常、技師組合の没収物は組合内で保管される。だが、外部監査印がついたものは、監査部が一時保管することがある」


「じゃあ、そこへ逃げたかもしれない?」


「逃げたというより、移された、だな」


「でも、外縁的には逃げた」


 ダリオさんは少し笑った。


「記録物に外縁思想を当てはめるな」


 トマは真面目に返す。


「でも、燃える棚へ行かずに横へ逃がされたなら、外縁っぽくないですか」


 セリアが静かに言った。


「紙の避難路ですね」


 ニコルが筆を取る。


『没収手控えが外部監査部保管棚へ移されていた場合、焼失資料庫への移管前に別保管された可能性。紙の避難路』


 ダリオさんが顔をしかめる。


「紙の避難路、は王都向けには書くなよ」


「王都向けには別表現にします」


「ちなみに?」


「焼失資料庫移管前の外部監査部一時保管可能性」


「よろしい」


 トマがぼそっと言う。


「硬いな」


「必要です」


 午前、王都再審査室から最初の通信が入った。


『王都再審査室より。没収手控え所在確認について第一報。技師組合旧懲戒棚に、ダリオ・ヴェント処分原本と同一束に綴じられていた添付物一覧を確認。添付物欄に“私的手控え三冊、図面断片一束、封印補助線草案二枚”の記録あり』


 広間の空気が固まった。


 ダリオさんの手が、豆の椀の前で止まる。


 ニコルが復唱する。


『私的手控え三冊、図面断片一束、封印補助線草案二枚』


 トマが低く言った。


「三冊……」


 ダリオさんは、少し目を伏せた。


「そうだ。三冊あった」


 セリアが静かに聞く。


「覚えているのですか」


「ああ。赤い綴じ紐のもの、黒い革表紙のもの、薄い灰色の手帳。図面断片は、俺が最後まで清書しなかった補助線図だ」


 ニコルは急いで書く。


『ダリオ証言:私的手控え三冊。赤い綴じ紐、黒い革表紙、薄い灰色の手帳。図面断片は未清書補助線図』


 王都側の声が続く。


『添付物一覧下部に移管記録あり。“焼失資料庫へ移管予定”。ただし、横に小印あり。“監査確認待ち”。移管完了印なし』


 村長が低く言った。


「予定のまま止まっておる」


 ニコルが記録する。


『焼失資料庫移管予定。監査確認待ち。移管完了印なし』


 ダリオさんは、息を吐いた。


「監査確認待ち……」


 トマが聞く。


「それって、どういう意味ですか」


「誰かが、すぐ焼失資料庫へ入れるのを止めた可能性がある」


「誰かって」


「外部監査部の誰かだろう。少なくとも、監査確認待ちの小印を押した者がいる」


 セリアが言う。


「その人が、紙を守ったのでしょうか」


「分からん。手続き上の一時停止かもしれん。だが、結果として燃える棚へ入るのを止めた可能性はある」


 トマが、少しだけ明るい顔をした。


「じゃあ、いい人がいたかもしれない」


 ダリオさんは苦笑した。


「王都で“いい人”という言葉を使うと、大体ややこしくなる」


「じゃあ、悪くない判子を押した人」


「それくらいにしておけ」


 ニコルが一瞬だけ書きかけた。


 ダリオさんが目ざとく見つける。


「“悪くない判子”は書くな」


「書いていません」


「今、書きかけただろう」


「余白に少し」


「消せ」


「はい」


 広間に小さな笑いが起きた。


 その時、王都再審査室から続報が入った。


『第二報。焼失資料庫目録を確認。ダリオ・ヴェント没収手控え三冊の個別登録なし。ただし、“補助封印事故関連私物一括”の項目あり。該当一括項目は焼失とされるが、内容物詳細目録なし。処分原本の添付物欄と一致せず』


 ニコルが復唱する。


『焼失資料庫目録に個別登録なし。一括項目あり。内容物詳細目録なし。処分原本添付物欄と一致せず』


 トマが言う。


「つまり、焼失資料庫に入ったって証拠が弱い?」


 ダリオさんが頷く。


「弱い。少なくとも、三冊がそこに入ったとは言い切れない」


 セリアが少しだけ息を吐いた。


「まだ残っている可能性が高くなったのですね」


「可能性は上がった」


 ダリオさんは、慎重に言った。


「だが、まだ見つかってはいない」


 ニコルは書いた。


『可能性は上がった。ただし現物未確認』


 昼前には、外部監査部から通信が入った。


 王都再審査室経由ではなく、直接だった。


『外部監査部よりリベル村へ。ダリオ・ヴェント除名処分関連添付物について、旧外部監査部保管棚の確認を開始した。保管棚の一部は旧分類名で登録されており、現行名検索では出ない可能性あり』


 トマが顔をしかめる。


「旧分類名?」


 ニコルが説明する。


「昔の棚名や分類番号のまま残っているという意味です。今の名前で検索しても出ないことがあります」


「面倒くさいな」


 ダリオさんが言う。


「王都の資料庫は、古い水路より曲がっている」


「そんなに?」


「そんなにだ」


 外部監査部の声が続く。


『該当し得る旧分類名を三件確認。

一、“封印補助事故・異論記録”。

二、“外部技師私物保留”。

三、“黒薔薇工房関連・未裁定添付物”。

現在、棚鍵確認中』


 その三つ目で、広間の全員が黙った。


 黒薔薇工房関連。

 未裁定添付物。


 トマが低く言う。


「未裁定って、まだ判断してないってことですよね」


 ニコルが頷く。


「はい。裁定済みではなく、保留された資料の可能性があります」


 ダリオさんの表情は硬い。


「俺の手控えが、黒薔薇工房関連の未裁定添付物として保管されたなら……」


 セリアが続ける。


「処分資料というより、工房関連資料として隔離された?」


「その可能性がある」


 ニコルが書く。


『旧分類候補:“黒薔薇工房関連・未裁定添付物”。没収手控えが処分資料ではなく工房関連未裁定資料として扱われた可能性』


 村長が言った。


「棚を開けるには時間がかかるか」


 外部監査部。


『棚鍵は外部監査部旧封緘庫に登録。ただし封緘管理者二名の立会いが必要。本日午後、開封可否を判断』


 また待つ。


 広間の全員が、それを理解した。


 トマは頭を掻いた。


「午後までか……」


 ダリオさんが言う。


「待つ間に、手控えが出た場合の扱いを決める」


 ニコルがすぐ新しい紙を出した。


『ダリオ・ヴェント手控え発見時の扱い』


 一、現物を急に開かない。

 二、表紙、綴じ紐、封印札、劣化状態を記録。

 三、外部監査部、王都再審査室、リベル村中枢室の同時確認を求める。

 四、危険補助線図が含まれる可能性あり。

 五、命令戻し線に関する記述を探すが、急がない。

 六、本人確認を行う。ただし、ダリオ本人の感情負荷に注意。

 七、見つかっただけで結論を出さない。

 八、写し作成前に保存処理。


 ダリオさんが六番を見て眉を寄せた。


「感情負荷に注意、は要るか」


 ニコルは即答した。


「要ります」


「俺は文書だぞ。扱いに注意される古紙じゃない」


 セリアが静かに言った。


「でも、古い傷は急に乾かすと割れます」


 ダリオさんは言葉に詰まった。


 トマが横から言う。


「ダリオさん、それ前に自分で言ってましたよ。古い紙は急に乾かすと割れるって」


「俺は紙ではない」


「でも、似たようなものかもしれないです。たぶん今日は」


 ダリオさんは、しばらくトマを睨んだ。


 だが、怒らなかった。


「……六番は残せ」


 ニコルが頷いた。


「はい」


 昼食時、誰もあまり喋らなかった。


 トマは椀の中身をやたら丁寧に食べていた。


 ニコルは食べながら記録板を見て、セリアに取り上げられた。


「食べながら記録を読まないでください」


「ですが、午後の棚開封手順が」


「食べ終わってからです」


「はい」


 トマが少し笑う。


「セリア、強い」


「今日は全員、食べないと駄目です」


 ダリオさんが豆をつまみながら言った。


「俺もか」


「もちろんです」


「薬草係に食事まで管理される日が来るとは」


「人も休ませます」


 セリアの声は穏やかだったが、逆らえないものがあった。


 ダリオさんは豆をもう一粒食べた。


「分かった」


 午後、外部監査部から通信が入った。


『外部監査部より。旧分類棚“黒薔薇工房関連・未裁定添付物”の封緘確認完了。封緘管理者二名立会い。外部監査印に破損なし。開封前に、リベル村中枢室との簡易同時確認を要請する』


 広間の空気が一気に張り詰めた。


 村長が俺を見る。


「中枢室へ」


 俺とダリオさん、ニコルが地下工房へ向かった。


 セリアとトマは広間で通信を受ける。


 中枢室の光は、朝よりも静かだった。


 俺は外部監査部の棚名を登録する。


『旧分類棚:黒薔薇工房関連・未裁定添付物。ダリオ・ヴェント没収手控え関連可能性。封緘開封前確認。』


 表示が出る。


《旧分類棚:照合待機》

《黒薔薇工房関連:警戒》

《未裁定添付物:照合候補》

《ダリオ・ヴェント手控え:所在候補》

《注意:開封時、補助印反応確認》


 俺は読み上げた。


「旧分類棚、照合待機。黒薔薇工房関連、警戒。未裁定添付物、照合候補。ダリオ・ヴェント手控え、所在候補。注意、開封時、補助印反応確認」


 外部監査部に伝える。


 しばらくして、向こうから声が入った。


『封緘を開きます。棚内確認開始』


 誰も喋らなかった。


 木扉の軋む音のようなものが、通信越しに微かに聞こえた。


 紙を動かす音。


 金具を外す音。


 そして、外部監査部の声。


『棚内、木箱三つ。いずれも旧封緘。箱番号、黒塗りあり。第一箱、黒薔薇工房外部顧問関連。第二箱、補助封印事故異論記録。第三箱……』


 声が一瞬止まった。


 トマが広間で息を呑む音が聞こえる。


『第三箱、表面札。黒塗りの下に、薄く文字あり。判読候補、“D.V.添付”。』


 中枢室の光が細く震えた。


 ニコルの筆が紙を擦る音が、地下工房に響いた。


 ダリオさんは、動かなかった。


 外部監査部の声が続く。


『第三箱、封緘状態良好。箱側面に外部監査部一時保管印。焼失資料庫移管印なし』


 ニコルが復唱する。


「D.V.添付。封緘状態良好。外部監査部一時保管印。焼失資料庫移管印なし」


 トマの声が広間から入る。


『あった……?』


 ダリオさんは低く言った。


「まだ箱だ」


 それでも、その声は少し震えていた。


 外部監査部。


『第三箱は本日、外観確認までを推奨。開箱には王都再審査室責任者の追加許可が必要。箱内魔導反応は微弱。外部漏出なし』


 村長が広間から言った。


『開けるな。外観確認で止めよ』


 トマが思わず言った。


『え、開けないんですか?』


 村長の声は厳しかった。


『開けぬ』


 ダリオさんも言った。


「開けるな」


 トマはすぐに黙った。


 だが、その気持ちは分かる。


 ここまで来て、箱を開けない。


 だが、それが正しい。


 青根布箱と同じだ。


 見つかったから開けるな。

 反応が弱いから開けるな。

 名前が見えたから開けるな。


 ニコルが記録した。


『D.V.添付箱発見。ただし開箱せず。外観確認で停止』


 外部監査部がさらに報告する。


『第三箱周辺に添付札あり。“処分原本添付物、監査確認待ち。未裁定につき焼失資料庫移管保留”。署名欄、黒塗り。ただし、監査印は正規』


 ダリオさんが目を閉じた。


「保留されていた」


 ニコルが書く。


『監査確認待ち。未裁定につき焼失資料庫移管保留』


 セリアの声が広間から入る。


『燃える棚へ行く前に止まっていたのですね』


 トマが小さく言う。


『旧水路の水量板みたいに……触られなかった』


 ダリオさんは、静かに答えた。


「そうかもしれん」


 その日の確認は、そこで止めた。


 外部監査部は第三箱を再封緘し、開箱許可申請へ回した。


 王都再審査室は緊急確認に入る。


 リベル村は、中枢室の反応を記録し、開箱手順を準備する。


 広間へ戻ると、トマが待ちきれない顔で立っていた。


「箱、あったんですよね」


 ダリオさんは椅子に座りながら答えた。


「箱はあった」


「D.V.添付って」


「見えた」


「外部監査部一時保管印って」


「見えた」


「焼失資料庫移管印なしって」


「見えた」


 トマはそこで大きく息を吐いた。


「じゃあ、かなり……」


「かなり、だ」


 ダリオさんは言った。


「だが、箱の中を見るまでは、俺の手控えとは断定しない」


 ニコルが頷く。


「はい。D.V.添付箱であり、ダリオ・ヴェント手控え箱とは未確定」


 トマが苦笑する。


「ニコル、今日は本当に慎重だな」


「慎重でないと危険です」


 セリアも言った。


「期待が強い時ほど、手順が必要です」


 ダリオさんは、その言葉を聞いて、少しだけ笑った。


「まったく、その通りだ」


 夕方、王都再審査室から緊急通信が入った。


『王都再審査室より。外部監査部旧分類棚より“D.V.添付”箱を確認。ダリオ・ヴェント除名処分原本の添付物欄と照合中。箱番号の一部が処分原本添付物欄の黒塗り番号と一致する可能性。明日、王都再審査室責任者、外部監査部、技師組合保存官立会いのもと、開箱可否を判断する』


 トマが叫びそうになって、口を押さえた。


 ニコルが記録する。


『箱番号の一部が処分原本添付物欄の黒塗り番号と一致する可能性。明日、開箱可否判断』


 村長が静かに言った。


「今日はここまでじゃ」


 誰も文句を言わなかった。


 トマですら言わなかった。


 夜、俺は個人記録を書いた。


『ダリオ・ヴェント没収手控え所在確認。

処分原本添付物一覧に、“私的手控え三冊、図面断片一束、封印補助線草案二枚”の記録を確認。ダリオ本人証言と一致。

添付物欄下部に“焼失資料庫へ移管予定”。横に“監査確認待ち”。移管完了印なし。

焼失資料庫目録には個別登録なし。“補助封印事故関連私物一括”の項目はあるが、内容物詳細なし。

外部監査部旧分類棚“黒薔薇工房関連・未裁定添付物”を確認。第三箱に“D.V.添付”の判読候補。封緘状態良好。外部監査部一時保管印あり。焼失資料庫移管印なし。

添付札:“処分原本添付物、監査確認待ち。未裁定につき焼失資料庫移管保留”。署名欄黒塗り。監査印は正規。

箱番号の一部が、処分原本添付物欄の黒塗り番号と一致する可能性。明日、開箱可否判断』


 最後に書く。


『消えなかった手控え。

まだ、そう断定はできない。

見つかったのは箱だ。

D.V.添付と読める箱。

外部監査部一時保管印のある箱。

焼失資料庫へ移管されなかった箱。

だが、中にはまだ触れていない。

開けなかった。

開けたい気持ちは全員にあった。

トマも、俺も、たぶんダリオさんも。

でも開けなかった。

青根布箱と同じだ。

見つかったからといって、開けていいわけではない。

反応が弱いからといって、安全とは限らない。

名前が見えたからといって、中身を断定してはいけない。

それでも、今日、確かに扉は少し開いた。

燃えたはずの手控えは、燃える棚へ入る前に止まっていたかもしれない。

監査確認待ち。

未裁定につき移管保留。

誰かが押したその小さな保留印が、十数年後の今日、ダリオさんの記録を水面に浮かび上がらせた。

明日、箱を開けるかどうかが決まる。

開けば、戻るかもしれない。

ダリオさんが、命令戻し線を危険だと書いた手控えが。

あるいは、戻らないかもしれない。

空欄は、待っている場所だ。

今夜、広間の記録には大きな空欄を残す。』


 地上では、水車が回っている。


 旧水路の水量板は、触られなかったから証拠になった。


 D.V.添付の箱も、開けられず、燃やされず、どこかの棚で待っていた。


 紙にも、逃げ道があったのかもしれない。

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