第152話 ロッサ家の水脈技師
ロッサ家。
その名が黒薔薇工房名簿に現れてから、リベル村の広間には妙な重さが残っていた。
ローゼン侯爵家。
黒薔薇工房。
ロッサ家。
いままでは、責任の線が一つの方向へ伸びているように見えていた。
王都の侯爵家が、危険な金属資料を隠し、黒石災害封じ祠の封印構造を歪めたのではないか。
だが、名簿が届いてから、線は枝分かれした。
ローゼン侯爵家は、表の保管者だったのかもしれない。
黒薔薇工房は、事業名や組織名だったのかもしれない。
そしてロッサ家は、その中で実際に印を刻み、補助線を引き、外縁杭を調整した技師家系だったのかもしれない。
カリム・ロッサ。
黒薔薇工房外部技術顧問補佐。
旧水脈補助印照合。
外部技師組合連絡。
ダリオさんの除名に立ち会った外部監査役と同一人物の可能性が高い男。
オルド・ロッサ。
水脈封印補助主任。
黒石災害封じ祠関連外縁施工記録担当。
外縁杭調整。
旧薬草緩衝帯照合。
井戸縁反応印確認。
石列冷却逸らし記録。
名前が出た。
けれど、名前が出たからといって、すべてが分かったわけではない。
朝の中央井戸で、ニコルはいつもの記録を読み上げた。
「朝。中央井戸、水温正常。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。ロッサ系統名簿登録後、継続異常なし」
トマが水面を覗きながら言った。
「ロッサ系統名簿登録後、か。名前が出ただけで井戸も記録対象なんだな」
「はい。中枢室が反応しましたから」
「でも井戸は落ち着いてる」
「それも記録します」
「継続異常なし」
「はい」
トマは少しだけ笑った。
「この言葉、そろそろ俺の中で安心の呪文になってきた」
ニコルは記録板を閉じた。
「呪文ではありませんが、安心するための記録ではあります」
「お、いいこと言う」
「書きません」
「なんでだよ。今の自分の名言だろ」
「自分で書くと恥ずかしいので」
トマは笑った。
「記録係にも恥ずかしいって感情あるんだな」
「あります」
その短いやり取りで、朝の井戸まわりに少しだけ日常が戻った。
だが、広間に戻ると、その空気はすぐに引き締まった。
机の上には、黒薔薇工房名簿の写しが広げられている。
カリム・ロッサの欄。
オルド・ロッサの欄。
黒塗りされた名前。
焼失扱いの欄。
欠けた役職名。
ダリオさんは、昨日から同じ場所に座っていた。
もちろん、ずっとそこにいたわけではない。食事も取ったし、休んでもいる。
けれど、広間へ来ると自然にその席へ戻る。
カリム・ロッサの名が見える場所へ。
トマはそれに気づいていたが、茶化さなかった。
セリアも声をかけすぎなかった。
リーゼさんは壁際で黙っている。
村長が杖を鳴らした。
「ロッサ家を整理する」
ニコルが新しい紙を出す。
『ロッサ家関連整理』
その見出しを見て、ダリオさんが低く言った。
「家として見るのは危ないぞ」
ニコルの筆が止まる。
「どういう意味ですか」
「同じ家名でも、全員が同じことをしたとは限らない。カリムとオルドも、役目が違う」
セリアが頷いた。
「オルド・ロッサは、外縁杭や旧薬草緩衝帯を知っていた人ですよね。改変した人かもしれませんが、守ろうとした人かもしれません」
「そうだ」
ダリオさんは名簿を指で押さえた。
「カリムは外部技師組合連絡。資料棚、除名、黒薔薇工房との橋渡しに関わった可能性が高い。オルドは現場の水脈封印補助主任。井戸や石列や薬草帯の本来構造を見ていた可能性がある」
トマが腕を組む。
「つまり、カリムが悪いやつで、オルドはいいやつかもしれない?」
「それも早い」
ダリオさんが即座に止めた。
「いいやつ、悪いやつで分けるな。カリムにも言い分があるかもしれない。オルドが本来構造を知っていたからこそ、黒薔薇工房が利用できた可能性もある」
「難しいな」
「難しいから、記録を分ける」
ニコルが頷き、紙に書き始めた。
一、ロッサ家全体を一括で断定しない。
二、カリム・ロッサは、外部技師組合連絡およびダリオ除名立会いとの関係を照合。
三、オルド・ロッサは、外縁杭・旧薬草緩衝帯・井戸縁反応印・石列冷却逸らし記録との関係を照合。
四、守ったのか、改変したのか、現段階では未確定。
五、責任線と技術線を分ける。
トマが最後の項目を見て、首を傾げた。
「責任線と技術線?」
ニコルは少し考え、言葉を選んだ。
「責任線は、誰が何を指示したか、隠したか、持ち込んだかです。技術線は、どの印を誰が設計したか、どの外縁杭をどう扱ったかです」
「同じじゃないのか?」
「重なることもあります。でも、違うこともあります」
セリアが続けた。
「薬草畑の東側の帯を知っていた人が、必ず悪いとは限りません。むしろ知っていたから守れたかもしれません。でも、それを命令補助印へ変えるために使ったなら、責任があります」
「ああ……なるほど」
トマは少し顔をしかめた。
「知ってるだけじゃ罪じゃない。でも、どう使ったかが問題」
「そうです」
ダリオさんが頷いた。
「その通りだ」
トマは少し驚いた。
「今、褒めた?」
「半分」
「今日も半分か」
「調子に乗るな」
「乗る前に止まった」
広間に小さな笑いが起きた。
それで、ほんの少し張り詰めた空気が和らいだ。
王都からの追加文書には、カリム・ロッサについての簡単な照会結果も添えられていた。
俺はそれを読み上げる。
『カリム・ロッサについて。
王都技師組合外部監査登録あり。黒薔薇工房外部技術顧問補佐としての名簿記載と一致する可能性が高い。
ダリオ・ヴェント除名処分時の外部立会人名簿にも、カリム・ロッサの名あり。
現在所在不明。数年前に王都を離れた記録あり。行方確認中』
ダリオさんは目を伏せた。
トマが低く言う。
「所在不明……」
リーゼさんが壁際から言った。
「逃げたか、消されたか、隠れたか」
「まだ分からん」
ダリオさんの声は硬かった。
「だが、生きているなら話を聞く必要がある」
ニコルが書く。
『カリム・ロッサ、現在所在不明。生存・逃亡・隠匿・死亡いずれも未確定。証言聴取必要』
セリアが少し不安そうに言った。
「もし今も動いているなら、王都資料庫焼失にも……」
そこで言葉を止めた。
断定できない。
それを、皆が分かっている。
ニコルが静かに書き足す。
『王都資料庫焼失との関係は未確定。照合候補に留める』
ダリオさんはそれを見て、少しだけ頷いた。
「いい。怒りで犯人を作るな」
トマが自分の胸を叩く。
「その言葉、俺用だな」
「全員用だ」
「俺が代表で受け取る」
「代表になるな」
次に、オルド・ロッサの照会結果を読む。
こちらは不完全だった。
『オルド・ロッサについて。
黒薔薇工房水脈封印補助主任。黒石災害封じ祠関連外縁施工記録担当。
詳細な施工図は未提出。ローゼン侯爵家側は“旧資料焼失”を理由に一部欠落を主張。
行政庁は追加提出を命令中。
ただし、別系統資料において“オルド外縁覚書”の存在が示唆される。所在確認中』
セリアが顔を上げた。
「オルド外縁覚書……」
ダリオさんが腕を組む。
「それだ。施工図そのものがなくても、覚書があれば本来構造が見えるかもしれん」
「王都にあるんですか?」
トマが聞く。
「所在確認中とある。つまり、あるかもしれないが、どこにあるか分からない」
「また見つからない紙か」
「よくある」
「よくあるのが嫌だな」
ニコルが書く。
『オルド外縁覚書:存在示唆。所在未確認。王都へ探索継続要請』
村長が静かに言った。
「ロッサ家は、悪名として扱うな。だが、軽くも扱うな」
「はい」
俺は頷いた。
「実務技師家系として、技術と責任の両面から見る必要があります」
ダリオさんが言う。
「ロッサ家は、おそらく水脈を知っていた。知っていたからこそ、守れた。知っていたからこそ、歪めることもできた」
その言葉に、広間が静まった。
知ることは、力だ。
そして、危うさでもある。
王都の技師も、村の井戸番も、薬草係も、知ることで守ってきた。
だが、知識は使い方を間違えれば、守りの仕組みを命令網に変えることもできる。
ロッサ家は、その境目にいたのかもしれない。
午後、地下工房でロッサ家の情報を追加登録した。
今回は、カリムとオルドを分けて登録する。
セリアは青根布を持ち、リーゼさんは手動閉鎖板近くへ。
トマは旧水路から通信参加。
俺はまずカリムの情報を登録した。
『カリム・ロッサ。王都技師組合外部監査登録あり。黒薔薇工房外部技術顧問補佐。旧水脈補助印照合、外部技師組合連絡。ダリオ・ヴェント除名処分時の外部立会人名簿に同名記載。現在所在不明』
中枢室の光が、細く揺れた。
《カリム・ロッサ》
《黒薔薇工房外部連絡線:照合度上昇》
《技師組合除名記録:関連性上昇》
《旧資料棚閲覧禁止措置:照合候補》
《責任線:未確定》
《追加情報要求:除名処分原本/没収手控え記録》
ダリオさんの表情がわずかに硬くなる。
それでも、彼は目を逸らさなかった。
「次だ」
俺は頷き、オルドの情報を登録する。
『オルド・ロッサ。黒薔薇工房水脈封印補助主任。黒石災害封じ祠関連外縁施工記録担当。外縁杭調整、旧薬草緩衝帯照合、井戸縁反応印確認、石列冷却逸らし記録との関係あり。オルド外縁覚書の存在示唆、所在未確認』
今度は、中枢室の青白い外縁線が強く反応した。
黒紫ではない。
外側の淡い円弧が、少しだけ太くなる。
《オルド・ロッサ》
《外縁杭施工記録:照合度上昇》
《ハルマ古井戸:井戸縁反応印照合》
《北沢石列:冷却逸らし記録照合》
《ミード旧薬草緩衝帯:照合》
《旧水量板補助印:ロッサ系施工者痕照合度上昇》
《注意:本来構造知識保持者の可能性》
《責任線:未確定》
トマの声が通信札から飛んだ。
『また水量板が反応したのか?』
「はい。ロッサ系施工者痕の照合度が上がりました」
『……そっか』
短い返事だった。
だが、その声にはいろいろなものが混じっていた。
怒り。
納得。
自分が見張ってきたものが、遠い王都の名簿と繋がった実感。
セリアが表示を見上げながら言った。
「オルド・ロッサは、本来構造を知っていた可能性が高そうですね」
「そうだな」
ダリオさんは答えた。
「だが、それでもまだ分からん。守るために記録したのか、改変するために記録したのか」
ニコルが言う。
「オルド外縁覚書が必要ですね」
「ああ」
ダリオさんは中枢室の表示を見たまま、低く言った。
「その紙が、ロッサ家をどう見るかの分かれ目になるかもしれない」
登録はそこで止めた。
中枢室は安定。
中央井戸も異常なし。
旧水路も、トマから「黒粒子微弱、水量板未操作」と報告が来た。
薬草予定地も、ハンナから「新芽倒伏なし」と連絡があった。
王都への返書では、ニコルが責任線と技術線を明確に分けた。
『ロッサ家関連照合について。
カリム・ロッサは、黒薔薇工房外部連絡線および技師組合除名記録との関連性が高まった。除名処分原本、没収手控え記録、旧資料棚閲覧禁止措置記録の提出を求める。
オルド・ロッサは、外縁杭施工記録およびハルマ古井戸、北沢石列、ミード旧薬草緩衝帯との照合度が上昇。本来構造知識保持者の可能性あり。オルド外縁覚書の探索と提出を求める。
ただし、ロッサ家全体を一括して責任断定するものではない。責任線と技術線を分け、現地安全管理を継続する』
最後に、またあの一文を入れる。
『責任線が複雑化しても、安全線をぶらさない』
村長はその文を見て頷いた。
「よい。繰り返せ。王都にも、こちらにも、繰り返しが必要じゃ」
トマが言った。
「最初は長いと思ったけど、だんだん合言葉みたいになってきたな」
ニコルは少し恥ずかしそうにした。
「合言葉にするつもりでは」
ダリオさんが横から言う。
「合言葉になる言葉は、だいたい最初からそのつもりじゃない」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
セリアが静かに頷いた。
「大事なことは、何度でも言う必要があります」
リーゼさんも短く言った。
「逃げる時の合図と同じだ」
ニコルは赤くなりながらも、その一文を清書した。
夜、俺は個人記録を書いた。
『ロッサ家関連整理。
カリム・ロッサ:黒薔薇工房外部技術顧問補佐、王都技師組合外部監査登録あり、ダリオ・ヴェント除名処分時の外部立会人名簿に同名。現在所在不明。中枢室登録により、黒薔薇工房外部連絡線、技師組合除名記録、旧資料棚閲覧禁止措置との関連性上昇。
オルド・ロッサ:黒薔薇工房水脈封印補助主任、黒石災害封じ祠関連外縁施工記録担当。ハルマ古井戸、北沢石列、ミード旧薬草緩衝帯、旧水量板補助印との照合度上昇。本来構造知識保持者の可能性。オルド外縁覚書の存在示唆、所在未確認。
ロッサ家は、表の保管者ではなく、実務水脈技師家系であった可能性が高まる』
最後に書く。
『ロッサ家を単純な悪名として扱ってはいけない。
水脈を知る者は、守ることもできる。
歪めることもできる。
カリムは資料棚と除名へ繋がり、オルドは外縁杭と旧技法へ繋がる。
同じ家名の中に、責任線と技術線が絡み合っている。
それでも、安全線はぶらさない。
井戸を守る。石列を動かさない。青根緩衝帯を疲れさせない。封印層を開けない。
責任の紙がどれほど複雑になっても、現地で守るべきものは変わらない。』
地上では、水車が回っている。
その水音は変わらない。
だが、その下にある古い水脈の線には、ロッサ家という新しい名が浮かび上がった。
守りを知っていた者たち。
あるいは、守りを歪める術を知っていた者たち。
次に必要なのは、オルド外縁覚書。
外縁杭が何のためにあり、誰がどう扱ったのか。
その答えに近づく紙だった。




