第15話 査察官は、井戸の水を疑う
二台の馬車が、リベル村の入口で止まった。
一台目から降りてきたのは、王国防衛局の制服を着た男だった。年は四十前後。背筋がまっすぐで、軍人というより役人に近い。だが腰には短剣を下げ、歩き方に隙がない。
もう一台からは、冒険者ギルドの紋章をつけた女性が降りてきた。こちらは三十代半ばほどで、手には分厚い記録板を抱えている。鋭い目をしているが、敵意というより、見落としを許さない目だった。
最後に、灰色のローブを着た男が降りた。
神官服ではない。
だが、胸元には小さな聖印がある。
セリアの肩がわずかに揺れた。
「神殿の人ですか」
俺が小声で尋ねると、彼女は首を横に振った。
「神殿直属ではないと思います。でも、聖印を持っています。たぶん、王都の治癒師組合か、神殿と繋がりのある方です」
なるほど。
正式な神殿査察ではないが、聖女候補に関する確認役として同行しているのだろう。
村長が一歩前へ出た。
「ようこそ、リベル村へ。村長のバルドです」
防衛局の男が文書を取り出す。
「王国防衛局査察官、ラウル・ベイカーだ。こちらは冒険者ギルド監査員のミリア・ロイ。治癒師組合より派遣されたオルデン師」
ミリアは軽く頭を下げた。
オルデン師は無表情にセリアを一瞥する。
その視線に、セリアの手が胸元の聖印へ伸びかけた。
けれど途中で止めた。
自分の力は自分のもの。
昨日、彼女はそう言った。
「通達の通り、古代防衛結界の再稼働、治療行為、ならびに元勇者パーティー所属鑑定士の関与について確認する」
ラウル査察官は淡々と言った。
「拒否はありませんね」
村長は頷く。
「ありません。ただし、村は復旧作業中です。危険箇所もありますので、こちらの案内に従っていただきたい」
査察官の眉がわずかに動いた。
「村側が案内を制限すると?」
「制限ではありません。安全確保です」
村長は落ち着いていた。
「井戸も水車も結界も、まだ完全ではありません。王都より来られた方々に怪我をされては、こちらも困ります」
トマが隣で小さく「寄合の技だ」と呟いた。
俺は聞こえなかったふりをした。
ラウル査察官は村長を数秒見つめたあと、頷いた。
「よろしい。では、まず井戸から確認する」
最初に向かったのは、村の中央井戸だった。
井戸の周囲は、朝から綺麗に整えられている。桶は並べられ、汲み上げ量の記録板も用意してある。ニコルが緊張した顔で、その記録板を抱えて待っていた。
ミリア監査員が記録板を受け取る。
「日ごとの水量、濁り、使用量……簡素ですが、よくまとまっていますね」
ニコルの顔が少し明るくなる。
「あ、ありがとうございます」
「あなたが?」
「はい。レオンさんに、異常が出た時に分かるように書けと言われて」
ミリアの視線が俺へ向いた。
「あなたがレオン・アスターですね」
「はい。鑑定士のレオン・アスターです」
あえて、そう名乗った。
修復鑑定士ではなく。
ミリアは少し目を細める。
「元勇者パーティー所属の?」
「はい」
「現在はこの村で何を?」
「破損箇所の確認と、復旧作業の補助をしています」
「補助」
その言葉を、彼女は記録板に書き込んだ。
「井戸を復旧させたと聞いています」
「村人たちと、こちらのセリアの浄化補助があってのことです」
セリアの名が出ると、オルデン師の視線が彼女へ向いた。
「セリア・ルミナス。元聖女候補と聞いている」
セリアは一度だけ息を吸った。
そして、静かに答えた。
「現在はリベル村で治療補助をしています」
治療補助者、セリア・ルミナス。
昨日決めた言葉だった。
オルデン師は表情を変えない。
「聖女資格を放棄したのですか」
空気が少し冷える。
セリアの指が震えた。
でも、彼女は逃げなかった。
「神殿から離れた時点で、私は聖女候補として扱われていませんでした」
「質問に答えていない」
「放棄したのではありません。失敗作として、神殿から退けられました」
その言葉に、村人たちがざわついた。
オルデン師の目が細くなる。
「神殿がそのような言葉を正式に使うとは思えませんが」
「正式な文書では違う言葉だったのかもしれません。でも、私が何度も聞いた言葉は、それでした」
セリアの声は小さかった。
でも、はっきりしていた。
オルデン師はそれ以上、すぐには追及しなかった。
ミリア監査員が井戸を覗き込む。
「水が澄んでいますね。浄化魔力を含んでいる?」
「低位の浄化反応があります」
俺は答えた。
「井戸の水脈と古い結界石が繋がっていたため、詰まりを取り除いた後、セリアの浄化魔力で水質が安定しました」
「古い結界石が井戸に?」
「はい。破損した欠片が沈着していました」
「欠片は残っていますか」
「一部を保管しています」
トマが小袋を持ってくる。中には、黒ずんだ結界石片が入っている。直接触れないよう布で包んである。
ラウル査察官がそれを見て、初めて表情を変えた。
「腐食しているな」
「はい。これが地下の魔力循環を塞いでいました」
「なぜ分かった」
「鑑定です」
そう答えると、三人の視線が俺に集まった。
何度も受けてきた視線だ。
疑い。
興味。
値踏み。
勇者パーティーにいた頃は、その視線の前で自分を小さくしていた。
でも今は、背後に村がある。
「鑑定士として、物の状態を見るのは得意です」
俺はそれ以上、余計な説明をしなかった。
ミリア監査員は何かを記録している。
「井戸の復旧手順は?」
「破損石片の浄化、詰まりの除去、魔力循環の仮接続、水量の段階解放です」
「段階解放?」
「一気に流すと井戸の石組みが崩れる危険があったためです」
ミリアは少し感心したように頷いた。
「判断としては妥当です」
ラウル査察官は井戸の水を小瓶に取った。
「水質は持ち帰って確認する」
「どうぞ」
セリアが少し緊張したが、俺は小さく頷いた。
この程度は想定内だ。
次に、水車へ向かった。
水車は低速で回している。
ぎし、ぎし、と、いつもの不器用な音。
トマが水車記録板を見せる。
「回転時間、水量、軸の状態を書いてあります」
ミリア監査員はそれを受け取り、少し目を丸くした。
「こちらも記録を?」
「先生が、毎日見ろって言うんで」
「先生?」
ラウル査察官が聞き返す。
トマはしまった、という顔をした。
村人たちの何人かが笑いをこらえている。
俺は軽く咳払いした。
「村の方が、そう呼ぶことがあります。正式な役職ではありません」
ミリアの口元がわずかに緩んだ。
「なるほど」
ラウル査察官は笑わなかった。
「水車も古代設備の一部か」
「はい。補助魔石が入っています。ただし劣化していたため、現在は低出力です」
「補助魔石を確認する」
「どうぞ。ただ、触れる時は俺かトマさんに声をかけてください。まだ不安定です」
査察官は俺を見た。
「危険か」
「不用意に魔力を流すと割れます」
「……了解した」
彼は意外にも素直に頷いた。
水車小屋の内部を確認したラウル査察官は、補助魔石の状態を見て、少し考え込んだ。
「この形式は古い。少なくとも百年以上前のものだ」
「地下の記録では、かなり古い村設備のようです」
言ってから、一瞬だけしまったと思った。
地下の記録。
ミリアがすぐに反応した。
「地下に記録が?」
ここは隠しすぎると逆に怪しまれる。
俺は用意していた答えを使った。
「旧倉庫の床下から、古い記録板が見つかりました。すべては解読できていませんが、井戸、水車、外周結界が繋がっていることが分かりました」
「その記録板は見られますか」
「安全確認済みのものなら」
全部ではない。
中枢室の記録や、修復鑑定士に関するものは見せない。
だが、井戸と水車に関する古い記録板は見せる予定だった。
村長が頷く。
「後ほど、村長宅でお見せしましょう」
ミリアは記録板に書き込む。
「分かりました」
次は外周結界だった。
これが一番厄介だ。
結界が復旧していることは隠せない。
むしろ、王国防衛局が最も興味を持つのはここだろう。
村の外周へ向かうと、ラウル査察官の目つきが明らかに変わった。
東柱の補助結界石。
南東柱の仮接続。
南側に薄く巡る結界線。
彼は膝をつき、石柱の表面を確認する。
「これは……本当に稼働している」
その声には、驚きが混じっていた。
「低位ですが、防護効果があります」
俺は説明する。
「以前は反転波形が出ていて、魔物を引き寄せる状態でした」
「反転波形?」
「本来、魔物を遠ざけるはずの魔力が逆向きに漏れていました。東柱が特にひどかった」
「証拠は」
「修復前の記録と、破損石片。あと、魔狼の足跡が残っていた場所の地図があります」
ニコルが用意していた簡単な地図を差し出す。
ミリアがそれを受け取る。
「村人が作成したものですか」
「はい」
「見やすいですね」
ニコルの顔がまた少し明るくなる。
ラウル査察官は東柱から手を離し、俺を見た。
「鑑定士が、結界の反転波形まで見抜くのか」
来た。
ここは慎重に答えなければならない。
「通常の鑑定士がどこまで見られるかは、俺には分かりません。ただ、俺は装備や魔道具の劣化を長く見てきました。勇者パーティーにいた時も、魔道具や結界跡の状態確認をしていました。その経験で、異常の方向は判断できました」
嘘ではない。
全部ではないだけだ。
ラウル査察官はしばらく黙っていた。
やがて、短く言う。
「なるほど。少なくとも、現場判断としては筋が通っている」
ミリア監査員も頷いた。
「記録もありますし、作業経過も複数人が証言できます。現時点では、虚偽報告の可能性は低いと思います」
村人たちの間に、かすかな安堵が広がる。
だが、オルデン師はまだ黙っていた。
彼の関心は、セリアに向いている。
「セリア・ルミナス」
「はい」
「あなたは、この結界に魔力を流したのですね」
「はい。低位の浄化魔力です」
「誰の指示で?」
「レオンさんと相談して、自分の意思で行いました」
「自分の意思」
オルデン師はその言葉を繰り返した。
「神殿では、聖女候補の魔力行使は監督者の許可が必要です」
セリアの表情が一瞬だけ揺れた。
俺が口を挟もうとする前に、彼女は答えた。
「私は現在、神殿所属ではありません」
「それをあなたが決めるのですか」
「少なくとも、私は神殿から保護も指導も受けていません」
セリアの声は震えていたが、続いた。
「リベル村で、私の力は人を傷つけずに使えています。村の皆が必要としてくれています。私は、ここで治療補助を続けたいです」
オルデン師の目が細くなる。
「神殿へ戻って、正式な再検査を受ける意思は?」
セリアの手が震える。
しかし、今度は胸元の聖印を握らなかった。
両手を前で重ね、まっすぐ立った。
「今は、ありません」
はっきりと。
その場の全員が聞こえる声だった。
オルデン師が沈黙する。
村人たちは息を止めている。
俺も、少し息を詰めていた。
彼女は言った。
自分で選んだ。
「理由は」
オルデン師が尋ねる。
「私はまだ、自分の力を学び直している途中です。ここでなら、それができます。神殿へ戻れば、また失敗作として扱われるかもしれません。私はそれが怖いです」
怖い。
彼女はそう言った。
でも、逃げなかった。
「だから、今は戻りません」
オルデン師は何も言わなかった。
代わりに、ミリア監査員が記録板に何かを書き込む。
「本人意思、神殿帰還を現時点で希望せず。リベル村で治療補助継続を希望」
その言葉が、記録になった。
セリアの意思が、王都へ持ち帰られる文書に刻まれた。
たったそれだけのことに、俺は少し胸が熱くなった。
ラウル査察官は外周結界の確認を終えると、村長を見た。
「ここまでの確認では、古代結界の一部復旧は事実と判断する。ただし、管理体制には不安がある」
「承知しています」
村長は頷いた。
「だからこそ、記録を取り、人員を分け、慎重に進めています」
「村単独で扱うには危険な設備だ」
「王都に全面管理されれば、村の暮らしが止まる」
村長の言葉に、ラウル査察官の眉が少し動いた。
「反抗的ですね」
「生活を守りたいだけです」
村長は静かだった。
「井戸も水車も結界も、儂らの村のものです。王都の助言は受けます。だが、村から取り上げられるわけにはいきません」
堂々とした言葉だった。
貧しい辺境村の老村長が、王都の査察官を前にして一歩も引かない。
村人たちの背筋も、少し伸びたように見えた。
ラウル査察官はしばらく村長を見つめていた。
やがて、口元をわずかに緩める。
「取り上げに来たわけではありません。少なくとも、私は」
「それは安心しました」
「ただし、防衛局としては詳細な報告が必要です。古代結界が稼働している村となれば、辺境防衛計画に関わる」
それは避けられない。
村が力を取り戻すということは、王国の目にも入るということだ。
「報告には協力します」
俺が言った。
「ただし、復旧作業はまだ不安定です。外部から強い魔力を流したり、設備を解体したりすれば、再破損の危険があります」
「それは鑑定士としての意見か」
「はい」
「記録に残そう」
ラウル査察官がミリアへ合図する。
ミリアは頷き、書き込んだ。
見せる情報は見せた。
守るべき情報は、まだ守れている。
問題は、この後だ。
村長宅で、古い記録板を確認する段になった。
こちらが見せるのは、井戸、水車、外周結界に関する三枚だけ。修復工房全体、中枢室、修復鑑定士、才能回路修復に関する記録は、地下工房に残してある。
ラウル査察官は記録板を読み、眉を寄せる。
「文字が古いな」
ミリアも覗き込む。
「王都の古文書室に照会しないと、正確な解読は難しそうです」
「持ち帰る必要があるか」
その瞬間、村長の目が鋭くなった。
「それは困ります」
ミリアが顔を上げる。
「理由は?」
「この記録は、現在の復旧作業に必要です。村から持ち出されると、井戸や結界の管理に支障が出ます」
「写しを取ることは?」
「それならば」
村長は俺を見る。
俺は頷いた。
「写しなら可能です。ニコルが写しを作れます」
ニコルは突然名前を出されて、びくっとした。
「え、あ、はい。時間はかかりますが」
「王都側でも写しを取る。原本は村に残す。それでどうですか」
俺が提案すると、ミリアはラウルを見る。
ラウルは少し考えて、頷いた。
「妥当だ」
また一つ、守れた。
昼食は、村で用意した黒パンと豆の煮込み、薄い山羊乳だった。
王都の査察官に出すには質素すぎる。
だが、それがリベル村の食事だ。
見栄を張っても仕方ない。
ラウル査察官は黙って食べ、ミリアは「温かいですね」と言った。
オルデン師は、井戸の水を口に含み、少しだけ目を細めた。
「この水、浄化反応が安定している」
セリアが緊張する。
オルデン師は彼女を見た。
「暴走の兆候は少ない。以前の報告とは、かなり違う」
「以前の報告?」
俺が聞くと、オルデン師はすぐには答えなかった。
「神殿側の記録では、セリア・ルミナスは魔力制御不能、周辺破壊の危険ありとされている」
セリアの顔が少し青くなる。
「……そう、書かれているんですね」
「だが、今日見た限りでは違う」
オルデン師は淡々と言った。
「少なくとも、今のあなたは低位浄化を安定して扱えている」
それは褒め言葉に近かった。
だが、セリアは少し戸惑っていた。
「ありがとうございます」
「なぜ変わった」
問われる。
ここが一番危ない。
封印痕を緩めたから。
修復鑑定士の力で魔力回路を整えたから。
そうは言えない。
セリアは俺を見る。
俺は小さく頷いた。
彼女が答える番だ。
「この村で、少しずつ練習しました」
「練習?」
「力を押し込まないこと。怖がって抑え込みすぎないこと。井戸や結界に、ゆっくり流すこと。レオンさんや村の皆に手伝ってもらって、少しずつ」
オルデン師は彼女を見つめる。
「神殿ではできなかったと?」
セリアは唇を結んだ。
けれど、答えた。
「神殿では、失敗すると叱られました。ここでは、失敗しそうになったら止めてもらえました」
その言葉に、オルデン師は初めて少し目を伏せた。
「……なるほど」
何を思ったのかは分からない。
でも、少なくとも彼は否定しなかった。
午後、査察は治療所へ移った。
大きな治療は見せない。
予定通り、小さな傷の洗浄と、浄化水の使用方法だけを説明する。
村の子供が、わざとらしく膝を見せた。
「昨日転んだやつ!」
セリアが困った顔をする。
「もうほとんど治っています」
「でも見せる?」
「見せ物ではありません」
村人たちが笑う。
ミリア監査員も少しだけ笑った。
オルデン師は、その小さな傷にセリアが浄化水を使う様子を見ていた。
セリアは大きな魔法を使わない。
清潔な布で傷を拭き、水を少し使い、最後にごく弱い光を乗せる。
「丁寧だ」
オルデン師が言った。
セリアが驚く。
「え?」
「治療は力の大きさだけではない。傷を洗い、状態を見て、必要以上の魔力を使わない。基本だが、できない者も多い」
セリアは言葉を失った。
神殿関係者に近い人物から、初めて認められたのかもしれない。
「ありがとうございます」
今度の声は、少し震えていた。
夕方。
査察官たちは、村長宅で最初の所見をまとめていた。
俺たちは別室で待機している。
トマは落ち着かない様子で椅子に座ったり立ったりしていた。
「長いな」
「査察ですから」
「悪い結果だったら?」
「その時は、その時に考えます」
「先生は時々腹が据わってるよな」
「内心は緊張しています」
セリアが隣で頷く。
「私もです」
「セリアはよく頑張りました」
「レオンさんも、変なことを言いすぎずに頑張りました」
「それは褒めていますか?」
「褒めています」
トマが笑う。
しばらくして、部屋の扉が開いた。
ラウル査察官、ミリア監査員、オルデン師が出てくる。
村長も一緒だ。
ラウル査察官は文書を手にしていた。
「暫定所見を伝える」
部屋の空気が張り詰める。
「リベル村における井戸、水車、外周結界の一部復旧は事実と認める。復旧作業は不完全ながら、現時点で村の生活維持および防衛に寄与している」
村人たちの顔が少し明るくなる。
「ただし、古代設備の管理には専門知識が必要であり、今後も監視が必要。王都への定期報告を求める」
これは想定内だ。
「未登録聖女候補セリア・ルミナスについて」
セリアが息を止める。
「現地確認の結果、低位治療および浄化補助において安定した魔力行使を確認。本人は神殿帰還を現時点で希望せず、リベル村での治療補助継続を希望している」
ラウル査察官はオルデン師を見た。
オルデン師が一歩前へ出る。
「私の所見として、現時点で強制帰還を要する危険性は認めません」
セリアの目が大きく開いた。
オルデン師は続ける。
「ただし、神殿記録との齟齬が大きいため、後日、正式照会が行われる可能性があります」
完全に安全になったわけではない。
でも、今すぐ連れ戻されることはない。
セリアの肩から力が抜けた。
俺も、内心で大きく息を吐く。
ラウル査察官は最後に俺を見た。
「鑑定士レオン・アスターについて」
来た。
「古代設備の破損確認および復旧補助において、通常の鑑定士を上回る判断力を確認。詳細な能力については追加調査が必要」
追加調査。
やはり、完全には逃げ切れない。
「ただし、現時点ではリベル村の復旧作業における中心人物であり、無理に王都へ召喚すれば村の安全を損なうと判断する」
村人たちがざわめく。
つまり、今はこの村に残ることを認めるということだ。
「よって、防衛局としては、当面リベル村での復旧継続を認める。月ごとの報告書提出を条件とする」
報告書。
俺とニコルの仕事が増えた瞬間だった。
トマが小声で言う。
「先生、字の仕事も増えたな」
「喜べませんね」
ミリア監査員が少し笑った。
「書式はこちらで用意します」
「ありがとうございます」
ラウル査察官は文書を畳んだ。
「本査察は以上。明朝、王都へ戻る。それまで村に滞在する」
村長が頭を下げる。
「承知しました」
査察官たちが部屋を出ると、村人たちの間に安堵が広がった。
誰かが小さく「よかった」と言った。
セリアはその場で少し膝を折りかけ、俺が慌てて支えた。
「大丈夫ですか」
「はい……安心したら、力が抜けました」
「座りましょう」
「はい」
今度は素直だった。
夜。
村長宅の外に出ると、涼しい風が吹いていた。
査察は終わった。
いや、始まったと言うべきかもしれない。
王都はこの村を知った。
レオン・アスターという鑑定士を知った。
セリア・ルミナスが安定した治療を行っていることを知った。
これから、もっと大きな波が来るだろう。
でも、今日を乗り切った。
それだけで十分だった。
セリアが隣に立つ。
「怖かったですね」
「はい」
「でも、立てました」
「はい」
彼女は夜空を見上げる。
「私、神殿に戻らないって言えました」
「聞いていました」
「手が震えていました」
「それでも言えました」
セリアは少し笑った。
「明日は今日より、少し強くなれるでしょうか」
「なれます」
「即答ですね」
「鑑定結果です」
「そんな鑑定、ありますか?」
「たぶん、あります」
セリアはくすりと笑った。
その笑い声に、ようやく俺も肩の力が抜けた。
遠くで水車が止まる音がした。
井戸の水は静かに揺れている。
外周結界は、今夜も村を包んでいる。
壊れた村は、王都に見られた。
それでも、壊れなかった。
そのことが、何より大きかった。




