表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

143/173

第143話 広域同時記録網、再起動

王都の紙が、リベル村の水面を揺らした。


 その事実は、翌朝になっても消えなかった。


 中央井戸の水は澄んでいる。


 旧水路の黒粒子も、青土封じ札の効きで底へ落ち着いている。


 薬草予定地の傷洗い草は、新芽を倒さず朝露を受けていた。


 何も壊れていない。

 誰も怪我をしていない。

 村の暮らしは続いている。


 けれど、昨日の同時記録で、王都とリベル村は繋がってしまった。


 王都第三鐘後、黒薔薇工房関連の低危険度資料が開封された。


 同じ時刻、リベル村の中枢室に王都方面反応が出た。


 中央井戸の水面が微かに揺れ、旧水路の黒粒子が浮きかけ、傷洗い草が青くなり、森の第一安全線の土が冷えた。


 すべて微弱だった。


 短時間で収まった。


 それでも、同じ時刻だった。


 偶然で片づけるには、あまりにも整いすぎていた。


 朝の中央井戸で、ニコルはいつもの記録に一文を加えた。


「朝。中央井戸、水温正常。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。昨日の王都同時記録後、継続異常なし」


 トマが井戸の縁から少し離れて立っている。


「継続異常なしって、いい響きだな」


「そうですね」


「何も起きてないってことだろ」


「はい。でも、一度揺れたあとに何も続いていない、という意味です」


「なるほど。何も起きてないにも種類があるんだな」


 ニコルは頷いた。


「あります」


「記録係っぽい」


「仮です」


「もう誰も信じてないって」


 そのやり取りにも、少しだけ日常が戻ってきていた。


 けれど広間へ戻ると、机の上には昨日の同時記録が並んでいる。


 中央井戸記録。

 旧水路記録。

 薬草予定地記録。

 森第一安全線記録。

 中枢室記録。

 王都へ送った報告写し。


 その中央に、王都から借りた砂時計が置かれていた。


 灰色の砂は、下の球に静かに溜まっている。


 トマはそれを見るたびに、少しだけ妙な顔をする。


「砂時計があるだけで、王都がここにいるみたいで落ち着かないな」


 ダリオさんが言った。


「王都そのものが来るよりはましだ」


「それはそう」


「砂は文句を言わない」


「王都の役人も、砂くらい静かならいいのにな」


「それは望みすぎだ」


 セリアは青根布を広げていた。


 昨日、王都の低危険度資料開封時に灰色の反応痕が残った布だ。


 痕は小さい。


 けれど完全には消えていない。


 布の端に、薄い灰色の点が残っている。


「使い回しは不可です」


 セリアは改めて言った。


「この布は、昨日の反応を留めた時点で役目を終えています。もう一度使うと、土壌保持の反応が鈍ると思います」


 トマが顔をしかめる。


「一回きりか」


「はい」


「もったいないな」


「もったいないですが、無理に使う方が危険です」


 ダリオさんが頷いた。


「撤退用の道具を惜しむな。命より高い布はない」


 リーゼさんが壁際から短く言う。


「次は、足元用を増やす」


「はい」


 セリアは別の布束を見せた。


「第一安全線用、第二安全線用、退避路用。さらに予備を二枚作ります。ただし、薬草予定地の土を取りすぎないよう、日を分けて作ります」


「一気に作らないのか?」


 トマが聞く。


「作れません。土が疲れます」


「土も疲れる」


「はい。昨日の布も疲れました」


 トマは腕を組んだ。


「最近、俺の中で“疲れるもの”が増えてるな。人、布、土、記録係」


 ニコルが顔を上げた。


「僕も入っていますか」


「入ってる。ちゃんと休めよ」


 ニコルは少し驚いたように瞬き、それから小さく笑った。


「はい」


 村長は全員のやり取りが落ち着くのを待ってから、杖を鳴らした。


「王都と同時に見た。次は、周辺村も同じ時刻で見る」


 広間が静かになる。


 ハルマ村。

 北沢集落。

 ミード村。


 現地公開確認の前から、三つの村はリベル村と記録を繋いできた。


 井戸。

 土。

 薬草。


 昨日の王都資料開封でリベル村側に反応が出たなら、周辺村にも微弱な揺れが出ていた可能性がある。


 ただし、昨日は周辺村の同時記録までは整っていなかった。


 それを今から整える。


 ニコルが新しい紙を出した。


『広域同時記録網・再起動案』


 トマがのぞき込む。


「名前が強い」


「少し強すぎますか」


「いや、いいと思う。なんか作戦っぽい」


 ダリオさんが言う。


「作戦だ」


「最近ほんと大ごとになってきたな」


「最初から大ごとだった。ただ、お前が水量板だけ見ていたから小さく見えていただけだ」


「それは言い返せない」


 ニコルは項目を書き始めた。


 一、王都資料照合予定時刻をリベル村が受領。

 二、リベル村は砂時計で時刻合わせ。

 三、同じ時刻に、ハルマ村は井戸水面と水温を確認。

 四、北沢集落は土の冷えと井戸水温を確認。

 五、ミード村は止血草と傷洗い草系薬草の葉反応を確認。

 六、各村は結果を翌日までにリベル村へ送る。

 七、緊急異常があれば狼煙または早馬。

 八、記録は各村にも写しを残す。


 セリアが言う。


「ミード村には、薬草係さんの見方に合わせた記録札が必要です。王都式の項目だけではなく、“葉が硬い”“丸まる”“色が鈍る”のような欄も入れてください」


「はい」


 ニコルはすぐに加えた。


『薬草欄:葉の硬さ、丸まり、色、根元の湿り、薬草係自由記述』


 トマが北沢の項目を見て言った。


「北沢の井戸番さんには、“土を手で触った感じ”の欄がいるんじゃないか」


「そうですね」


 ニコルが追加する。


『北沢欄:手で触れた土の冷え、湿り、重さ、違和感』


「違和感って書いていいのか?」


「はい。違和感は、あとで照合する入口になります」


 トマは少し得意そうに言った。


「勘を黙るな、だな」


「はい」


 ダリオさんが頷く。


「ただし、勘で決めるな」


「それも書く?」


 ニコルが筆を構える。


 ダリオさんが睨む。


「書くな」


 広間に笑いが起きる。


 それでも、ニコルは小さく欄外にこう書いた。


『違和感は記録。判断は照合後』


 ダリオさんは気づいていたが、今回は止めなかった。


 昼前、三つの村へ使いが出された。


 ハルマ村へは、井戸番と若い母親宛て。


 北沢集落へは、土袋を持って来た井戸番の女性宛て。


 ミード村へは、薬草係の老女と孫娘宛て。


 内容は、難しい言葉を避けた。


『王都で黒薔薇工房資料を開く時、リベル村の水と土に微弱な揺れが出ました。

今後、同じような資料照合の時、周辺村でも同時に井戸や土や薬草を見ていただきたいです。

危険な作業をお願いするものではありません。

いつもの場所を、同じ時刻に見て、変化があれば書いてください。

分からない場合は、分からないと書いてください』


 セリアはミード村への手紙に、別紙を添えた。


『傷洗い草の新芽は無事です。

青根布は灰青反応を一度だけ留めましたが、使い回しはできなさそうです。

薬草土壌緩衝帯は、まだ小さな試験段階です。

焦って森へ持っていきません』


 最後の一文を書いた時、セリアは少しだけ笑った。


 ミード村の老女に先に釘を刺される前に、自分で書いたのだ。


 トマがそれを見て言う。


「“焦って森へ持っていきません”って、怒られる前に謝ってるみたいだな」


「怒られると思うので」


「やっぱり怖いんだ」


「はい」


 セリアは真面目に頷いた。


 その素直さに、トマは何も言えず、ただ「頑張れ」とだけ言った。


 午後は、リベル村内で二度目の同時記録訓練が行われた。


 昨日よりも、さらに細かい。


 王都砂時計を使い、井戸、水路、薬草、森、地下に加えて、広間の副記録係がすべての報告時刻を砂の位置で記録する。


 第一回。


 井戸班が早すぎた。


 ニコルが戻ってきて副記録係に言う。


「報告が早すぎると、他班と時刻がずれます。異常がない時は、合図まで待ってください」


「異常があった時は?」


「すぐ報告です。ただし、“定時報告前の異常報告”と付けます」


 トマが聞いていて、感心したように言う。


「報告にも種類があるんだな」


「あります」


「記録係、ほんと大変だな」


「はい」


 ニコルは即答した。


 以前なら遠慮して「そんなことは」と言ったかもしれない。


 今は、ちゃんと大変だと言う。


 それも成長だった。


 第二回。


 旧水路班で、下流黒粒子担当が「変化なし」と言ったあと、少しして「やっぱり揺れたかも」と言った。


 トマは怒らなかった。


「今の、いい。迷ったら言え。ただ、次からは“変化なし”じゃなくて“揺れなし、ただし確認継続”って言え」


 副記録係が書く。


『揺れなし、ただし確認継続』


 ダリオさんが横で聞いていて、少し笑った。


「水路班も育ってきたな」


「誰のおかげだと思ってる?」


 トマが胸を張る。


「調子に乗るな」


「止まった」


 第三回。


 薬草予定地で、青根布の予備布を置く位置が悪く、風で端がめくれた。


 セリアはすぐに記録した。


『青根布予備、風で端めくれ。固定方法要改善。実反応なし』


 ハンナが焦っていたが、セリアは落ち着いていた。


「本番でめくれる前に分かってよかったです」


「はい」


「失敗ではありません。準備記録です」


 その言葉は、どこかニコルに似ていた。


 広間へ戻ると、全員が少し疲れていた。


 同時記録は、ただ見るだけではない。


 待つ。

 合図を聞く。

 同じ時刻で報告する。

 違和感を黙らない。

 でも、勝手に判断しない。


 精神的にかなり消耗する。


 トマが椅子に沈み込む。


「戦ってないのに疲れる」


 リーゼさんが言った。


「戦う前の方が疲れることもある」


「それ、怖いな」


「本番で疲れないためだ」


 セリアは青根布を畳みながら頷いた。


「準備で疲れておけば、本番で驚くことが少し減ります」


 ニコルは今日の訓練記録をまとめる。


『広域同時記録訓練。村内三回。

第一回:井戸班報告早すぎ。定時報告と異常報告の区分を追加。

第二回:旧水路班、違和感報告の言い方を修正。

第三回:青根布予備、風で端めくれ。固定方法要改善。

全体:報告順維持。副記録係、記録速度改善』


 副記録係がそれを見て、ほっとした顔をした。


「改善って書いてある……」


 ニコルが頷く。


「昨日より良くなっています」


「ありがとうございます」


「明日は、もっと良くできます」


「はい」


 ダリオさんが小声で俺に言う。


「記録係が増殖してるな」


「いいことです」


「怖いことでもある」


「なぜですか」


「全員に昔の失言を記録される」


「それは自業自得です」


 ダリオさんは真顔で少し遠くを見た。


「気をつけよう」


 夕方、ハルマ村から早い返事が届いた。


 井戸番からだった。


『同時記録、協力する。水は見る。若い母親も、子供に飲ませる水だから見ると言っている。難しいことは分からんが、濁ったか澄んだかは分かる』


 セリアはその一文を読んで、柔らかく笑った。


 次に北沢集落からも返事。


『土を触る時刻を合わせればいいんだね。分かった。手袋はしない。土は手で見る』


 トマが笑った。


「北沢の人、相変わらず強いな」


 最後にミード村。


 孫娘の字で、老女の言葉が添えられていた。


『焦って森へ持って行かないなら、少しは見込みがある。葉が嫌がる時は、土を急がせるな。青根布は使い捨てで正しい。腐りを留めた布を二度使う者は、鍋を洗わずに粥を煮るようなもの』


 広間に沈黙が落ちた。


 トマがゆっくり言う。


「例えが強い」


 ダリオさんが頷く。


「強いな」


 セリアは赤くなりながらも、真剣に手紙を読んだ。


「青根布、使い捨てで正しいそうです」


「よかったですね」


 俺が言うと、セリアはほっと息を吐いた。


「はい。かなり安心しました」


 ニコルは欄外に書く。


『青根布使い捨て方針、ミード村薬草係も支持』


 村長は三村からの返事を読み終えると、静かに頷いた。


「広域同時記録網、再起動じゃ」


 その言葉に、広間の空気が少し引き締まった。


 リベル村だけではない。


 ハルマ村の井戸。

 北沢の土。

 ミードの薬草。


 それぞれの目が、王都の紙と同じ時刻を見る。


 夜、俺は地下工房で個人記録を書いた。


『王都同時記録を受け、広域同時記録網の再起動準備。

ハルマ村:井戸水面、水温、濁り。

北沢集落:土の冷え、湿り、重さ、違和感。

ミード村:薬草の葉の硬さ、丸まり、色、根元の湿り、自由記述。

リベル村内訓練三回。報告順、異常報告区分、違和感記録、青根布固定方法を改善。

三村より協力返答あり。青根布は使い捨て方針でミード村薬草係も支持』


 最後に書く。


『記録は広がる。

王都の机で開かれる紙を、山あいの村だけで見るのでは足りない。

井戸を見る者。土を触る者。葉を描く者。水路を見張る者。

それぞれが同じ時刻を持つ。

黒石祠の命令核が遠くの紙に反応するなら、こちらはもっと多くの目で水と土を見る。

広域同時記録網は、また動き始めた。』


 地上では、水車が回っている。


 その音に、遠くの井戸や畑や薬草棚の気配が重なった気がした。


 リベル村はもう、一つの村だけでは黒石祠を見ない。


 水と土を守る目は、周辺村へ広がり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ