第141話 王都と同じ時刻を見る
王都方面反応。
その言葉が中枢室に出てから、リベル村の朝は少し変わった。
中央井戸の水を測る。
旧水路を見る。
薬草予定地の土を確認する。
それはいつも通りだ。
だが、ニコルの記録板には、新しい欄が増えていた。
『王都時刻照合』
トマがそれを見つけて、眉を寄せた。
「また欄が増えてる」
「はい」
「記録板、そろそろ板じゃなくて壁になるんじゃないか?」
「壁記録は、移動できないので不便です」
「真面目に返すなよ」
ニコルは少し笑ったが、すぐに水温を書き込んだ。
「朝。中央井戸、水温正常。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。王都方面反応、現時点では検出なし」
最後の一文に、トマは少しだけ顔を引き締めた。
「昨日のやつ、今日は出てないのか」
「今のところは」
「王都が資料を触ってないからかな」
「その可能性があります」
ニコルは記録板を閉じる。
「だから、王都側がいつ何を開くのか、こちらも同じ時刻で見ないといけません」
王都で黒薔薇工房資料を照合する。
その時、森の奥の黒石祠残存命令核が揺れる。
もしそれが本当なら、問題はリベル村だけではない。
王都の机の上の紙と、森の奥の祠が繋がっている。
遠い場所の作業が、村の水と土に影響するかもしれない。
それは、これまでとは違う怖さだった。
村長宅の広間には、朝から人が集まっていた。
机の中央に置かれているのは、王都へ送る緊急返書の写し。
『黒薔薇工房資料照合時、リベル村中枢室に王都方面反応の微弱兆候あり。今後、王都側資料照合とリベル村側水土記録の同時記録を提案する』
ニコルはそれを何度も読み返していた。
ダリオさんが横から言う。
「読み返しても早馬は速くならんぞ」
「分かっています」
「じゃあ、なぜ読む」
「誤字があったら嫌なので」
「もう送った後だ」
「だから余計に嫌です」
トマが小声で笑う。
「分かる。送った後の誤字って、めちゃくちゃ気になるよな」
ニコルは真剣に頷いた。
「はい」
ダリオさんは呆れた顔をした。
「お前ら、妙なところで通じ合うな」
セリアは薬草予定地から戻ってきたところだった。
手には青根布の小試験記録がある。
「薬草土壌緩衝帯は安定しています。青根布も、昨日の灰青反応を留めた痕が少し薄くなりました。ただ、もう一度使うなら、別の布を用意した方がよさそうです」
「使い回し不可か」
ダリオさんが確認する。
「はい。水腐れの反応を一時的に留めることはできます。でも、同じ布を何度も使うと、土壌保持の反応が鈍ると思います」
トマが顔をしかめた。
「布も疲れるのか」
「たぶん、そういう言い方でいいと思います」
セリアは少し考えてから頷いた。
「無理に働かせると、布も土も弱ります」
リーゼさんが壁際から言った。
「なら、撤退用に複数必要だな」
「はい。第一安全線、第二安全線、退避路の足元用。それぞれ小さいものを用意します」
「私の足元にも」
「はい。ただし、踏み続けるのではなく、異常時にそこへ退く形です」
リーゼさんは短く頷いた。
「分かった」
そのやり取りを聞きながら、村長は王都への地図を見ていた。
「同時記録には、時刻が要る」
村長の言葉で、広間の視線が集まる。
「王都とリベル村では鐘の鳴る時が違う。こちらの朝二刻と、王都の朝二刻が同じとは限らぬ」
ニコルが顔を上げた。
「砂時計を使いますか」
「使う」
ダリオさんが答えた。
「ただ、砂時計だけじゃ足りない。王都から送られてきた合図時刻と、こちらの鐘を合わせる必要がある」
トマが首をかしげる。
「どうやって?」
「王都が資料を開く予定時刻を事前に送る。こちらはその時刻に合わせて、中央井戸、旧水路、薬草予定地、中枢室を同時に見る。ズレを減らすために、前日の夕方に予備合図をもらう」
「予備合図?」
「王都側が安全な小資料を開いて、反応するかしないかを見る。こちらも同時に記録する。それで時刻のズレを見る」
トマは腕を組んだ。
「つまり、本番前の練習か」
「そうだ」
「練習、大事だな」
ダリオさんが少し笑った。
「お前がそれを言うようになったか」
「俺も成長してるからな」
「調子に乗るな」
「乗る前に止まった」
ニコルがそのやり取りを一瞬書きかけ、やめた。
ダリオさんが目ざとく気づく。
「今のは書くな」
「村内記録なら」
「やめろ」
広間に小さな笑いが戻った。
だが、すぐに村長が話を戻す。
「王都の返答が来るまでに、こちらの同時記録体制を整える。各班、準備せよ」
まず、中央井戸班。
ニコルの補助として、村の若者二人をつける。
一人は水温と水面。
一人は匂いと濁り。
ニコルは青反応と全体記録。
次に、旧水路班。
トマを中心に、五人体制を正式に決めた。
水量板担当。
青土封じ札担当。
下流黒粒子担当。
上流水流担当。
採水補助。
トマは全体を見る。
「俺、何も直接やらないみたいで落ち着かないな」
そう言うと、ダリオさんがすぐ返した。
「直接やらないのが班長の仕事だ」
「班長って言うな。むずがゆい」
「なら、水路全体見張り役」
「それならいい」
「ほぼ同じだ」
「言い方って大事だろ」
セリアが思わず笑った。
薬草予定地班は、セリア、ハンナ、ミラ。
傷洗い草本株。
新芽。
薬草土壌緩衝帯小区画。
青根布。
この四つを見る。
セリアは言った。
「王都で資料が開かれた時、薬草予定地が反応するかどうかを確認します。もし傷洗い草が強く青くなるなら、水腐れの核や命令補助印との関係がさらに強くなります」
リーゼさんは森の入口へ配置。
黒石祠本体へは行かない。
だが、森の空気や足元の変化を感じるために、第一安全線まで行く。
村長は広間に残り、全体の報告を受ける。
俺とダリオさんは地下工房。
中枢室で王都方面反応を見る。
ニコルは一瞬迷った。
「僕は中央井戸と全体記録、どちらに」
村長が答えた。
「全体記録は広間に副記録を置く。ニコルは中央井戸を見よ」
「中央井戸ですか」
「おぬしは、井戸から始めた記録係じゃ」
ニコルは少し驚いた顔をした。
村長は続ける。
「中枢室の光も大事じゃ。王都の紙も大事じゃ。だが、この村で一番先に見るべきは水じゃ」
ニコルは記録板を抱え直した。
「はい」
その返事は、小さかったが、しっかりしていた。
午後、予行練習が行われた。
王都からの返事はまだ来ていない。
だから、仮の時刻を決めて村内だけで動く。
鐘が一つ鳴る。
中央井戸。
「水温正常、濁りなし、青反応微弱安定」
旧水路。
「水量板未操作、青土封じ札安定、黒粒子微弱」
薬草予定地。
「傷洗い草本株安定、新芽倒伏なし、青根布変化なし」
森入口。
「第一安全線、異常なし。足元、昨日と変わらず」
地下工房。
《王都方面反応:なし》
《黒石祠残存命令核:低位》
《水土見守り基点:安定》
報告は広間へ集められた。
副記録係が慌てながら書く。
村長がそれを見て言った。
「遅い」
副記録係が青ざめる。
「す、すみません」
「謝るな。遅いと記録せよ。次に速くすればよい」
ニコルが中央井戸から戻ってきて、そっと補助する。
「報告順を固定しましょう。井戸、水路、薬草、森、地下。この順にすれば、書く場所を迷いません」
副記録係は必死に頷いた。
「はい」
トマが横から言う。
「練習でよかったな」
「はい……」
「俺も水量板の前で何回もやらかしかけたからな。練習は恥をかく場所だ」
その言葉に、若者の顔が少し楽になる。
ダリオさんがトマを見た。
「たまに本当にいいことを言うな」
「たまに?」
「たまに」
「そこは毎回にしてくれ」
「調子に乗るな」
「止まった」
予行練習を三回繰り返した。
一回目は、報告が重なって混乱した。
二回目は、旧水路班の採水補助が場所を間違えかけた。
三回目で、ようやく流れが整った。
ニコルは練習記録を見て言った。
「失敗がある方が、手順が強くなりますね」
ダリオさんが頷く。
「本番で初めて失敗するより、ずっといい」
その時、村の入口から声が聞こえた。
「王都便!」
全員が顔を上げる。
今回は早かった。
午前に送った警告への返答が、もう来たのだ。
使者は行政庁の印をつけていた。
封書には、外部監査部と防衛局の添え印。
村長が封を開く。
俺は文面を受け取り、読み上げた。
『王都行政庁より。
リベル村からの王都方面反応報告を受領。
黒薔薇工房資料照合時、リベル村中枢室に遠隔共鳴兆候が出た件について、行政庁、防衛局、外部監査部は同時記録の提案を受諾する。
明日、王都第三鐘後、黒薔薇工房関連資料のうち、低危険度資料一件を反応遮断下で開封する。
リベル村側は同時刻に中央井戸、旧水路、薬草予定地、中枢室、森入口の記録を願う。
本作業は予備照合であり、高危険度金属資料は開封しない』
広間に緊張が走った。
明日。
低危険度資料。
高危険度金属資料は開封しない。
つまり、王都側も段階的に始める。
ニコルが小さく息を吐いた。
「受け入れられました」
ダリオさんが腕を組む。
「早いな。向こうも本気になってきたか」
トマが聞く。
「明日の第三鐘って、こっちだと?」
「時刻合わせが必要です」
ニコルがすぐ答えた。
「王都の第三鐘後に合わせるため、使者の砂時計を借りましょう。到着時刻とこちらの鐘を照合します」
使者は頷いた。
「行政庁より、時刻砂を預かっています」
小さな箱が出された。
中には、封印された砂時計が入っていた。
王都とリベル村を、同じ砂で結ぶための道具。
トマがそれを見て呟いた。
「紙だけじゃなくて、砂まで来たか」
ダリオさんが言う。
「同じ時刻を見るには、同じ砂が要る」
「なんか格好いいな」
「言った俺も少し思った」
「書く?」
ニコルが筆を構えた。
「書くな」
今度は全員が笑った。
笑いは短かった。
だが、必要だった。
明日、王都で低危険度資料が開かれる。
その瞬間、リベル村は井戸を見る。
水路を見る。
薬草を見る。
森を見る。
中枢室を見る。
王都と同じ時刻を。
夜、俺は地下工房で記録を書いた。
『王都より同時記録提案受諾の返書。
明日、王都第三鐘後、黒薔薇工房関連低危険度資料を反応遮断下で開封予定。高危険度金属資料は開封しない。
リベル村側は、中央井戸、旧水路、薬草予定地、中枢室、森入口を同時記録する。
時刻合わせ用に、王都行政庁封印砂時計を受領。
本日、村内予行練習を三回実施。報告順を井戸、水路、薬草、森、地下に固定。副記録係の遅れ、旧水路採水位置誤りを修正』
最後に書く。
『王都と同じ時刻を見る。
それは、ただ時計を合わせることではない。
王都の机で開かれる紙が、森の祠を揺らすなら、村の水と土も同じ瞬間を見なければならない。
記録は場所を越え始めた。
明日、リベル村と王都は、初めて同じ砂で黒石祠を見る。』
地上では、水車が回っている。
その音はいつも通りだった。
だが、広間の机には王都の砂時計が置かれている。
遠い王都と、山あいのリベル村。
二つの場所が、ひとつの時刻で繋がろうとしていた。




