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第123話 危険を隠さない村

 黒石祠本体反応上昇。


 その警告音が鳴った瞬間、広間の空気は一度、完全に凍った。


 王都行政庁監査官のマリナ。

 防衛局のガルド。

 外部監査技師のエルナ。

 そして、ローゼン侯爵家代理書記官バルク。


 全員の視線が、地下工房へ続く階段の方へ向いた。


 バルクだけが、わずかに口元を動かした。


「やはり、危険が残っているようですね」


 その声は静かだった。


 責め立てるほど強くない。

 けれど、広間にいる者たちへ聞こえるように置かれた言葉だった。


 不安を広げるには、それで十分だった。


 ハルマ村の若い母親が、思わず子供を探すように周囲を見た。

 北沢の井戸番の女性が土袋を抱え直す。

 ミード村の孫娘は、祖母の絵の木箱を胸に引き寄せた。


 トマの肩が動いた。


 怒る寸前だった。


 だが、その前にマリナ監査官が口を開いた。


「危険が残っていることは、リベル村側の報告書に最初から明記されています」


 声は低く、冷静だった。


 バルクは一礼する。


「もちろん、承知しております。ただ、現地確認中に反応が上がったとなると――」


「だからこそ、現地対応を確認できます」


 マリナ監査官はそう言って、村長を見た。


「村長殿。手順を」


 村長は杖を軽く鳴らした。


「全班、記録開始」


 その一言で、リベル村は動いた。


 走らない。


 叫ばない。


 決められた者が、決められた場所へ向かう。


 中央井戸へは、ニコルと補助記録係。

 旧水路下流へは、トマと若者二人。

 薬草予定地へは、セリアとハンナ、ミード村の孫娘。

 地下工房へは、俺とダリオさん。

 広間の安全線には、リーゼさんが立った。


 王都側の三人も動こうとしたが、村長が手を上げた。


「まず、こちらが初動確認を行う。王都の方々は広間で待機を」


 ガルドが即座に頷いた。


「妥当。反応源不明時の第三者移動は危険」


 バルクは何か言いかけたが、防衛局の男がそう言ったことで口を閉じた。


 俺は地下工房へ向かいながら、携帯札を開いた。


「中央井戸班、状態報告」


 すぐにニコルの声が返る。


『中央井戸、水面微弱揺れ。濁りなし。水温、変化小。青反応、維持』


「旧水路班」


 トマの声。


『下流、黒粒子少し増えた。でも流量変化なし。水量板、未操作。採水中』


「薬草予定地班」


 セリアの声は少し早かったが、落ち着いていた。


『土壌保持線、揺れあり。ただし低下なし。傷洗い草の芽、倒れていません。ミード村の止血草絵、比較準備中』


 比較準備中。


 こんな状況でその言葉が出るあたり、セリアもすっかり記録側の人間になっている。


 地下工房へ降りると、中枢室の結晶柱は黒紫に揺れていた。


 青白い中心線は、まだある。


 水土見守り基点の青反応は消えていない。


 だが、外側の黒紫が先ほどより濃い。


 黒石祠本体が、何かに反応している。


 ダリオさんが水脈棒を床へ近づけた。


「本体反応、上昇。だが命令線は水土見守り基点へ戻ってない」


「では、同期再接続ではない?」


「違う。これは外から叩かれた時の揺れに近い」


「外から?」


 俺は中枢室の表示を読む。


《黒石祠本体反応:上昇》

《水土見守り基点青反応:維持》

《中央井戸導線:安定》

《薬草予定地土壌保持:揺れ小》

《旧水路下流残滓:微増》

《残存命令核:反応》

《外部共鳴:疑い》


「外部共鳴、疑い」


 俺が読み上げると、ダリオさんの顔が険しくなった。


「やっぱりな」


「心当たりが?」


「タイミングが良すぎる。王都確認班が来た時に、黒石祠本体が勝手に反応した。もちろん偶然もある。だが……」


 彼は言葉を切り、地上の広間の方を見た。


「侯爵家の資料箱だ」


 俺も同じことを考えていた。


 バルクは先ほど、写しの紙を並べ替えていた。

 その時、侯爵家側の照合資料も机に出していたはずだ。


 もし、その中に黒石祠系統の命令印、あるいは旧式の施工補助印が含まれていたら。


 黒石祠本体が、それに反応した可能性がある。


 ただし、ここで決めつけるのは危険だ。


 相手が噂でこちらを攻めたからといって、こちらが推測で相手を断じれば同じことになる。


「記録で確認しましょう」


 俺が言うと、ダリオさんは短く笑った。


「いい癖がついたな」


 中枢室の反応写しを作る。


 時刻。

 反応波形。

 中央井戸、水路、薬草予定地の状態。

 外部共鳴疑いの表示。


 ニコルへ通信を送る。


「広間の記録机周辺で、王都側・侯爵家側が机に出した資料の時刻を確認してください。誰が何を出したか。直接触れず、見える範囲で」


『分かりました』


 少し間を置いて、ニコルの声が返ってきた。


『侯爵家代理人の資料箱は、黒革の箱。照合資料として古い封印紙片の写し、金属板のようなものを一枚机上に出しています。時刻は、中枢室警告の少し前です』


 ダリオさんが舌打ちした。


「金属板」


「実物ですかね」


「写しなら金属である必要がない。照合用の古い銘板か、施工補助印の断片かもしれん」


 俺はすぐに返す。


「ニコル、その金属板には触れないでください。王都側にも、現物移動を止めるよう伝えてください。理由は中枢室に外部共鳴疑いが出たため」


『はい』


 地上で少しざわめきが起きた。


 すぐにリーゼさんの声が通信へ入る。


『侯爵家代理人が、資料は正式な照合用だと主張。行政庁監査官が現物保持を指示。防衛局が机周辺を一時封鎖』


 ガルド、仕事が早い。


 ダリオさんは水脈棒を見ながら言った。


「反応、少し落ちた。金属板を動かしてないからか、距離の問題かは不明」


 中枢室の表示も変わる。


《外部共鳴:継続小》

《水土見守り基点:安定》

《危険度:中→低》

《推奨:外部共鳴源候補の隔離》


「隔離推奨」


 俺は通信を入れた。


「広間へ戻ります。侯爵家資料の隔離を提案します。地下工房は一時安定」


 ダリオさんは封印布を手に取った。


「これを持っていく」


「反応遮断布ですね」


「ああ。昔の命令印なら、布一枚でも少しは効く」


 地上へ戻ると、広間の空気は張り詰めていた。


 机の上には、黒革の資料箱。


 その横に、薄い金属板が一枚置かれている。


 古びた銅板のように見えるが、表面には細い刻印が入っていた。


 俺は近づきすぎない位置で足を止めた。


 中枢室の携帯札が、微かに震える。


 やはり、反応している。


 バルクは静かな笑みを保っていた。


「これは侯爵家が保管していた古い照合資料です。リベル村側が水土見守り基点と呼ぶ施設について、関連する旧記録がないか確認するためのものです」


 ダリオさんが低く言った。


「金属板を持ち込むなら、先に申告すべきだ」


「危険物ではありません」


「中枢室が外部共鳴疑いを出した」


 バルクの笑みがわずかに硬くなる。


「それは、リベル村側の装置の反応であって――」


 マリナ監査官が割って入った。


「現地確認中に、未申告の照合資料を机上へ出した直後、黒石祠本体反応が上昇した。現時点で因果は断定しない。しかし、安全上、隔離は妥当です」


 ガルドも頷く。


「防衛局として、隔離に同意」


 エルナ監査技師は金属板をじっと見ていた。


「表面の刻印、旧式の命令補助系に似ているわね」


 バルクが言う。


「監査技師殿。断定は避けるべきでは?」


「だから“似ている”と言ったの」


 エルナは冷たく返した。


「触れずに遮断布で覆う。金属板の持ち主、出所、保管状態、持ち込み申告の有無を記録。これでいいでしょう」


 マリナ監査官は即座に書記へ命じる。


「記録」


 ニコルも同時に筆を走らせている。


『侯爵家代理人、未申告の金属照合資料を机上提示。提示直後、黒石祠本体反応上昇。中枢室、外部共鳴疑いを表示。行政庁、防衛局、外部監査技師立会いのもと、反応遮断布による一時隔離を実施。因果断定せず』


 因果断定せず。


 そこが大事だった。


 決めつけない。


 だが、記録する。


 ダリオさんが反応遮断布を広げ、金属板へ近づける。


「触らないで覆う。布の端を持ってくれ」


 ガルドが手伝った。


 バルクは何も言わない。


 布が金属板を覆った瞬間、携帯札の震えが少し収まった。


 同時に、地下工房から通信が来る。


『中枢室反応、さらに低下。黒石祠本体反応、低位へ。水土見守り基点青反応、維持』


 ニコルの補助係が読み上げた。


 広間にいる者たちが、はっきりとその変化を聞いた。


 マリナ監査官がバルクを見る。


「侯爵家代理人。今後、未申告資料の提示は禁止します。確認が必要な場合、まず行政庁と現地安全責任者へ提示し、安全確認を経てから扱います」


 バルクは深く頭を下げた。


「承知しました。こちらの配慮が不足しておりました」


 言葉だけなら完璧だった。


 だが、ハルマ村の若い母親は、明らかに彼から一歩離れていた。


 北沢の井戸番の女性は、土袋を抱えたまま、ぽつりと言った。


「土より怖い紙もあるんだね」


 ニコルはそれを書きかけて、迷った。


 北沢の女性が言う。


「書いていいよ」


「はい」


 ニコルは書いた。


『北沢証言者発言:“土より怖い紙もあるんだね”』


 トマが小さく笑ったが、すぐ真顔に戻る。


「井戸と水路は?」


 俺は各班へ確認を飛ばした。


「中央井戸」


『濁りなし。水温正常。水面揺れ、収まりました』


「旧水路」


『黒粒子、増加止まり。流量変化なし。水量板、未操作』


「薬草予定地」


『土壌保持線、安定へ戻りつつあります。芽、異常なし』


 セリアの声は、はっきりしていた。


「ミード村の止血草絵との比較は?」


『葉の丸まり反応なし。孫娘さんが確認しています』


 広間に戻って報告する。


「各地点、大きな悪化なし。黒石祠本体反応は低位へ戻りました。水土見守り基点の青反応は維持されています」


 マリナ監査官は頷いた。


「現地対応、確認しました」


 ガルドも言う。


「初動、適切。移動制限、資料隔離、各地点確認。防衛局として評価できる」


 バルクは黙っている。


 その沈黙が、さっきの微笑みよりも多くを語っていた。


 エルナ監査技師は、遮断布に覆われた金属板を見ながら言った。


「この資料、王都へ持ち帰って照合する必要があります。ただし、侯爵家単独ではなく、行政庁と監査部の共同封印で」


 バルクがわずかに目を上げる。


「侯爵家所有資料です」


「だからこそ、共同封印が必要です」


 マリナ監査官も同意した。


「本資料は現地確認中に黒石祠本体反応と同時性を示した。因果は未確定ながら、単独管理は不適切。行政庁預かりとします」


 バルクは深く一礼した。


「……承知しました」


 トマが小声で言う。


「初めて、向こうが押された感じするな」


 ダリオさんが返す。


「まだだ。紙の戦いはしぶとい」


「でも、今のは効いただろ」


「効いた」


 それだけは、ダリオさんも否定しなかった。


 公開確認は、一時中断となった。


 王都側は記録整理。

 リベル村側は各地点の再確認。

 証言者たちは控室へ戻り、少し休む。


 ハルマ村の若い母親は、セリアに小さく言った。


「さっき、怖かったです」


「はい」


「でも、みんながすぐに動いて、少し安心しました」


「怖い時ほど、手順が必要なんです」


 セリアはそう答えた。


 その声は、神殿で教えられた言葉ではなく、リベル村で覚えた言葉だった。


 昼過ぎ、公開確認は再開された。


 ただし、予定を変更することになった。


 地下工房の追加確認は行わない。


 代わりに、黒石祠本体反応上昇時の現地対応記録を、その場で整理し、王都側とリベル村側の双方で照合する。


 マリナ監査官は広間で宣言した。


「本日の確認事項に、未申告資料提示と黒石祠本体反応上昇、その後の現地対応を追加します」


 バルクは異議を唱えなかった。


 唱えられなかった、と言うべきかもしれない。


 記録がある。


 王都側も見ている。


 中枢室の表示も残っている。


 各地点の安定も確認されている。


 危険は起きた。


 だが、リベル村は隠さなかった。


 慌てて誤魔化さなかった。


 手順で対応し、記録した。


 それが、今日一番大きな確認になった。


 夜、俺は地下工房で記録を書いた。


『現地公開確認中、黒石祠本体反応上昇。

発生直前、侯爵家代理人バルク・エイマーが未申告の金属照合資料を机上提示。中枢室は外部共鳴疑いを表示。

行政庁、防衛局、外部監査技師立会いのもと、反応遮断布で隔離。隔離後、黒石祠本体反応は低下。因果は未断定。

中央井戸、旧水路、薬草予定地に大きな悪化なし。水土見守り基点青反応維持。

防衛局より、リベル村の初動対応は適切との発言あり。

当該金属資料は行政庁・監査部共同封印で王都照合へ』


 最後に書く。


『危険は残っていた。

だが、残っていることを隠していなかったから、対応できた。

黒石祠が動いた時、リベル村は騒がなかった。

井戸を見た。水路を見た。薬草を見た。中枢室を見た。

そして、未申告の金属板も記録した。

危険を隠さない村であることを、王都の目の前で示した日だった。』


 地上では、水車がいつも通り回っている。


 王都の馬車は、まだ村に残っている。


 公開確認は、予定通りには進まなかった。


 けれど、予定外の危機こそが、リベル村の本当の記録になった。

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