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第122話 失敗記録は、隠さない

地下工房へ降りる階段は、広くない。


 だから、最初から人数を絞った。


 王都行政庁監査官、マリナ・クレイス。

 防衛局現地安全担当、ガルド・レイム。

 技師組合外部監査技師、エルナ・フォス。


 王都側から入るのは、この三人だけ。


 リベル村側は、俺とダリオさん、村長。

 それから、記録係としてニコルが入る。


 リーゼさんは階段上に残った。

 侯爵家代理書記官バルク・エイマーが、勝手に地下へ近づかないようにするためだ。


 セリアは薬草予定地に戻った。

 証言者たちは、控室へ。


 地下へ入る前、マリナ監査官が足を止めた。


「確認します。黒石祠本体への接触はなし。水土見守り基点の現地立ち入りもなし。本日は中枢室記録と封印保管物の確認のみ。相違ありませんか」


「ありません」


 俺は答えた。


 ダリオさんも頷く。


「ここで見せるのは、記録と反応写し、それから札の破片だ。森の奥へは行かない」


 エルナ監査技師が階段の下を見た。


「黒石祠本体の反応は、この地下工房でも拾えるのね」


「直接ではありません。中枢室を通じた反応です」


「十分危険そうね」


「だから人数を絞っています」


 エルナは短く笑った。


「正しい判断」


 その一言で、ダリオさんの眉が少し動いた。


「お前が素直に褒めると不気味だな」


「現場でふざけるほど若くないの」


「それも不気味だ」


「あとで正式記録に“除名技師が監査技師へ不適切発言”と書くわよ」


「やめろ。余白がもったいない」


 トマがいたら何か言っただろうが、地下にはいない。


 代わりに、ニコルが真面目な顔で記録していた。


 今のやり取りまで書くべきか迷っている顔だ。


「ニコル、今のは要約しなくていい」


 俺が小声で言うと、彼は少しほっとした。


「分かりました」


 階段を下りる。


 地下工房の空気は、地上より少し冷えている。


 だが、以前のような黒紫の圧は薄い。


 水土見守り基点を奪還してから、中枢室の中心には青白い光が通るようになった。外側にはまだ黒紫の揺れが残っているが、それはもう中央を支配していない。


 マリナ監査官は、中枢室へ入るなり足を止めた。


「……これが、提出記録にあった中枢室ですか」


「はい」


 俺は頷いた。


「黒石祠外縁、旧水路下流、水土見守り基点、中央井戸、薬草予定地、周辺村共同記録網の反応を統合して見ています」


 ガルドは部屋の隅々を見ていた。


 武器ではなく、退路を確認している目だ。


「非常時の退避経路は?」


 リーゼさんなら同じことを聞いただろう。


 俺は指で示した。


「主階段が一つ。裏の換気坑は人が通るには狭いですが、反応遮断布を流すための補助口として使えます。異常時は即座に主階段から撤退。中枢室を閉じます」


「閉じる手段は?」


 ダリオさんが壁際の手動板を示した。


「これだ。自動じゃない。人が引く」


 エルナが近づき、手動板を見た。


「自動閉鎖にしていないの?」


「していない」


「理由は?」


「黒石祠の命令線が絡んだ時、自動判断に任せる方が怖い。閉じるかどうかは、人が決める」


 エルナは少し黙った。


「……妥当ね」


 ダリオさんが軽く肩をすくめた。


「今日はよく褒めるな」


「必要な時だけよ」


 最初に見せたのは、水土見守り基点の本来名解析記録だった。


 ニコルが封印箱から写しを取り出し、机に並べる。


 解析前の表示。

 中央井戸導線。

 薬草予定地土壌保持線。

 周辺村共同記録網四地点登録。

 その後に出た本来機能名。


『水土見守り基点』


 マリナ監査官は、文字を指でなぞらず、目だけで追った。


「名称復元処理は、周辺村記録の登録後に進行したのですね」


「はい」


「つまり、リベル村単独の反応ではなく、周辺村の水土異常記録と照合されて、名称復元に至った」


「その通りです」


 エルナが記録の別紙を取る。


「本来機能名が先にあったのではなく、反応一致から復元された。ここは重要ね」


「はい」


 俺は地図を広げた。


「ハルマ村の井戸濁り、北沢集落の水温低下と土の冷え、ミード村の止血草試験種乾燥。これらを登録した後、水土見守り基点の本来監視範囲との一致度が上がりました」


 マリナ監査官が書記へ言う。


「“名称はリベル村の任意命名ではなく、中枢室解析による本来機能名の復元”と記録」


 ニコルも同じように書いた。


 次は、遮断札の記録だった。


 まず、遮断札一号。


 封印布を開けると、硬い木片の札が出てくる。


 今は使われていない。


 札の端には、赤い札がつけられている。


『試作一号。遮断力過多。本来導線損傷の危険あり。使用不可』


 エルナはそれを見て、眉を上げた。


「失敗作も残しているの?」


「はい」


 ニコルが答えた。


「失敗理由が分からないと、次に直せないので」


 エルナはニコルを見た。


「誰の判断?」


「リベル村の記録方針です。最初はレオンさんとダリオさんの判断ですが、今は私も必要だと思っています」


 その答えに、エルナは少し笑った。


「いい記録係ね」


 ニコルは一瞬、耳まで赤くなった。


「ありがとうございます」


 ダリオさんが横から言う。


「水土記録係だそうだ」


「仮です」


 ニコルは即座に訂正した。


 マリナ監査官は、遮断札一号の記録を丁寧に確認していた。


「一号札は黒紫反応を遮断したが、青反応透過が低く、本来導線損傷の危険があった。そこで使用を中止し、二号札へ方針変更した」


「はい」


「これは、重要です」


 マリナ監査官は顔を上げた。


「危険な古代施設へ無許可干渉した、という主張に対し、あなた方が強行しなかった証拠になる」


 その言葉で、地下工房の空気が少しだけ変わった。


 失敗記録。


 恥ずかしいもの。

 隠したくなるもの。


 だが、それが「強行しなかった証拠」になる。


 ニコルは、筆を握る手に少し力を入れた。


 次に、遮断札二号の破片。


 三枚分。


 入口札、中間札、観測点側札。


 封印瓶に分けられ、破片の位置と回収時刻が記録されている。


 エルナは瓶を一つずつ光に透かした。


「負荷痕が違うわね」


「役割が違ったからです」


 ダリオさんが説明する。


「入口札は黒紫の圧を最初に受けた。中間札は負荷分散。観測点側札は青反応を妨げないことを優先した」


「三枚同型ではなく、同系統別調整」


「そうだ」


「設計記録は?」


「ここにある」


 ダリオさんが紙を出す。


 エルナはそれを読み、少しだけ目を細めた。


「かなり慎重ね。あなたらしくない」


「除名されると慎重になる」


「嘘ね。元からこういうところは慎重だったでしょう」


「褒めるなら素直に褒めろ」


「今のは半分褒めた」


 マリナ監査官が咳払いした。


「私語は後ほど」


 二人とも黙った。


 少しだけ、地下工房の空気が地上の広間に近づいた気がした。


 次に、中枢室の時系列記録。


 ここが一番重要だった。


 水土見守り基点の黒石祠同期解除。

 青反応最大。

 三枚の遮断札破損。

 本来導線保護。

 黒石祠本体反応継続。

 残存命令核未解除。


 マリナ監査官は、最後の二行で手を止めた。


「残存命令核未解除。ここを明記した理由は?」


「成功と未解決を分けるためです」


 俺は答えた。


「水土見守り基点の同期解除には成功しました。しかし、黒石祠本体は未解除です。ここを曖昧にすると、王都側に“リベル村が黒石祠を解除した”と誤解される可能性があります」


 マリナ監査官は少し頷いた。


「または、侯爵家側に“勝手に本体へ干渉した”と主張される」


「はい」


 ガルドが初めて口を開いた。


「本体反応は、今もあるのか」


「あります」


 中枢室の結晶柱を指す。


 外側に残る黒紫の揺れ。


「この黒紫が、本体および残存命令核の反応です。水土見守り基点の青反応とは分離しています」


 エルナが近づこうとして、足を止めた。


 自分で制限線を見たのだ。


 床には、白い石粉で線が引かれている。


「ここから先は?」


「近づかない方が安全です」


 ダリオさんが言った。


「黒石祠本体反応を拾っている領域だ。今は安定しているが、刺激する理由がない」


 エルナは素直に頷いた。


「入らない」


 マリナ監査官も、線の手前で止まった。


「現地安全線、確認」


 ガルドは周囲を見て、短く言った。


「防衛局としても、妥当」


 この一言は大きかった。


 ニコルの筆が走る。


『防衛局現地安全担当、地下工房内安全線を妥当と発言』


 マリナ監査官も書記に同じ内容を記録させている。


 地下工房での確認は、想定より穏やかに進んだ。


 だが、地上へ戻ると、広間の空気は少し違っていた。


 侯爵家代理書記官バルクが、写しの束を前に座っている。


 表情は穏やかだ。


 だが、机の上の紙の並びが、入る前と少し変わっていた。


 ニコルがすぐ気づいた。


「紙の順番が変わっています」


 バルクは微笑む。


「確認のため、時系列順に並べ替えようとしただけです」


 ニコルは机へ近づき、紙を見た。


 そして、静かに言った。


「これは時系列順ではありません。遮断札一号失敗記録が、二号札正式試験の後ろに移されています」


 広間が静かになる。


 バルクは微笑みを崩さない。


「失礼。枚数が多く、誤ってしまったようです」


 ニコルはすぐに記録板へ書いた。


『侯爵家代理人、確認中の写し順序を変更。遮断札一号失敗記録が二号札正式試験後へ移動。本人は誤りと説明』


 トマが低く言う。


「記録したぞ」


 バルクの目が、一瞬だけニコルへ向く。


 そこに、先ほどまでの柔らかさはなかった。


 だが、すぐに笑みに戻る。


「もちろん、記録していただいて構いません」


 マリナ監査官が机へ近づき、紙を確認した。


「提出写しは、リベル村側管理順で扱います。閲覧者による並べ替えは禁止。以後、紙に触れる際は記録係立会いのもとで」


「承知しました」


 バルクは一礼した。


 しかし、それで終わらなかった。


 彼は別の紙を手に取る。


「一点、確認したい。周辺村の改善傾向についてですが、水土見守り基点同期解除以前から、一部改善が始まっているように見えます。これは、基点奪還の効果ではなく、自然回復だった可能性もあるのでは?」


 ニコルが一瞬、迷った。


 だが、すぐに顔を上げる。


「改善には段階があります」


 彼は自分の記録表を開いた。


「外縁安定化後、悪化が止まりました。旧水路下流残滓掃除後、黒粒子反応が下がりました。遮断札二号試験後、命令線負荷が下がりました。水土見守り基点同期解除後、中央井戸と周辺村の記録が安定化しました」


 ニコルの声は、最初少し震えていた。


 けれど、続けるほどに強くなった。


「つまり、“すべてが一度に良くなった”とは記録していません。段階ごとに、悪化停止、負荷低下、安定化、改善傾向が出ています。自然回復の可能性を完全に否定するものではありませんが、作業段階と反応変化の一致は記録されています」


 広間がしんとした。


 ダリオさんが、ほんの少し口角を上げる。


「水土記録係、満点だ」


 ニコルは顔を赤くしたが、視線は逸らさなかった。


 マリナ監査官は書記へ言った。


「段階的改善として記録。単一作業の即時効果とは主張していない点を確認」


 バルクは穏やかに頷いた。


「なるほど。丁寧な記録です」


 言葉は丁寧だ。


 だが、次にどこを突くか探している目だった。


 今度は、エルナが先に言った。


「侯爵家代理人に確認します」


 バルクが彼女を見る。


「はい」


「あなた方の提出資料には、水土見守り基点に相当する施設が黒石祠の一部であるという直接記録はありますか」


 バルクは一瞬だけ黙った。


「現在、照合中です」


「つまり、現時点ではない」


「断定は避けるべきかと」


「では、リベル村側の“地域保全施設が同期干渉を受けていた”という仮説と、侯爵家側の“黒石祠の一部である”という主張は、少なくとも現段階では同等に扱えない。こちらには中枢室反応と周辺村記録がある」


 エルナの声は冷静だった。


 ダリオさんが小さく呟く。


「相変わらず刺す時は刺すな」


 バルクは微笑んだまま、一礼した。


「貴重なご指摘、感謝いたします」


 広間の空気が、少しだけリベル村側へ傾いた。


 まだ勝ったわけではない。


 だが、井戸、水路、薬草、地下工房、記録。


 それぞれが、少しずつ線になっている。


 その時だった。


 中枢室の警告札が、階下から鋭く鳴った。


 短い音。


 黒石祠本体反応。


 ダリオさんが即座に立ち上がる。


「全員、動くな」


 リーゼさんが入口へ立つ。


 トマが水路の方を見る。


 セリアが薬草予定地へ駆け出しかけ、すぐに足を止めた。


 まず確認。


 それが、今のリベル村の癖だった。


 ニコルが携帯札を取る。


「中枢室、黒石祠本体反応上昇。水土見守り基点青反応、維持。中央井戸、反応確認中」


 バルクが静かに言う。


「やはり、危険が残っているようですね」


 マリナ監査官が彼を見た。


「危険が残っていることは、リベル村の報告書に最初から明記されています」


 その声は、冷たかった。


 俺は携帯札を握る。


 黒石祠本体は、まだ残っている。


 そして、王都の目がある今、この反応が何を意味するのか。


 それを間違えれば、すべてを利用される。


 だが、リベル村はもう、ただ慌てる村ではなかった。


 村長が静かに言った。


「全班、記録開始」


 その一言で、広場の空気が切り替わる。


 井戸へ。

 水路へ。

 薬草予定地へ。

 中枢室へ。


 公開確認の途中で、黒石祠本体が動いた。


 だが、それもまた、記録する。

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