第116話 公開確認の朝は、静かに荒れる
王都へ送った文書の返事は、思ったより早く来た。
現地公開確認を提案した翌々日の朝。
中央井戸の水温を測り終え、ニコルが記録板に、
『朝。中央井戸、水温正常。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定』
と書いた直後だった。
村の入口から、行政庁の使者が来た。
今度の封蝋は、行政庁、防衛局、技師組合外部監査部の三つ。
紙そのものが重い。
それだけで、広場にいた村人たちは足を止めた。
トマは旧水路下流の採水瓶を持ったまま、顔をしかめる。
「また紙か」
ダリオさんが横から言った。
「紙は嫌いか」
「嫌いじゃないけどさ。最近、紙が来るたびに胃が痛い」
「分かる」
「師匠も?」
「師匠じゃない。だが、分かる」
セリアは薬草予定地から戻ってきたばかりだった。
手には土壌記録の札を持っている。
「王都からですか」
「はい」
俺は使者から文書を受け取った。
村長宅の広間に集まり、封を切る。
村長、ダリオさん、リーゼさん、セリア、トマ、ニコル。
全員が同じ紙を見る。
王都の正式文書は、いつも余白が多い。
余白が多いくせに、内容は重い。
俺は読み上げた。
『リベル村より提出された照会事項補足回答および現地公開確認提案について、行政庁は受領した。
行政庁、防衛局、技師組合外部監査部は、現地確認班を派遣する。
確認予定日は五日後。
確認対象は、リベル村中央井戸、旧水路下流、薬草予定地、水土見守り基点に関する中枢室記録、遮断札破片封印記録、周辺村共同記録網。
黒石祠本体および残存命令核への直接接触は、現地安全責任者の判断を尊重する』
そこで、ダリオさんが少し眉を上げた。
「現地安全責任者の判断を尊重、か」
「こちらの条件を一部認めていますね」
俺は続きを読んだ。
『なお、ローゼン侯爵家代理人より、同席希望が提出されている。
行政庁としては、現時点で侯爵家代理人の現地立ち入りを認めるかは未定。
ただし、侯爵家側提出資料との照合のため、代理人または書記官の立会いを条件付きで認める可能性がある』
広間の空気が一段冷えた。
トマが低く言う。
「来るのかよ、侯爵家の奴ら」
「まだ未定です」
ニコルが文面を睨むように見た。
「でも、可能性はある」
セリアは少しだけ表情を硬くした。
「周辺村の方々も来る予定ですよね」
「はい」
俺は頷いた。
「ハルマ村の井戸番、北沢集落の井戸番。ミード村からは薬草係の老女が来られない代わりに署名入り証言ですが、もしかすると代理の方が来るかもしれません」
リーゼさんが静かに言った。
「なら、侯爵家側が来る場合、周辺村の者たちを圧迫させてはならない」
「その通りです」
村長は文書を最後まで読み終えると、ゆっくり杖を鳴らした。
「五日後か」
五日。
短くはない。
だが、長くもない。
黒石祠本体はまだ残っている。
水土見守り基点は復旧途上。
周辺村共同記録網も、ようやく動き始めたばかり。
その状態で、王都の目が来る。
しかも、場合によってはローゼン侯爵家側の目も来る。
村長は広間を見回した。
「隠すな。飾るな。乱すな」
短い三つの言葉だった。
「井戸は井戸のまま見せる。水路は水路のまま見せる。薬草は薬草のまま見せる。記録は記録のまま出す。よいな」
「はい」
ニコルが真っ先に返事をした。
その声は少し震えていたが、逃げる声ではなかった。
トマが腕を組む。
「でも、見せる順番は考えた方がいいよな」
全員がトマを見た。
トマは一瞬たじろいだ。
「え、何?」
ダリオさんが感心した顔で言った。
「今、かなりまともなことを言った」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「水量板の誘惑と戦う男」
「ひどいけど否定しにくい」
俺は地図を広げた。
「トマの言う通りです。見せる順番は大事です。最初に黒石祠や水土見守り基点の話をしても、王都の人間には危険な設備に見えるだけかもしれません」
セリアが頷く。
「まず、中央井戸がいいと思います」
「はい」
俺は井戸に印をつけた。
「一、中央井戸。現在の安定状態と、毎日の記録。
二、旧水路下流。残滓掃除と水量板未操作の記録。
三、薬草予定地。土壌保持線と芽の状態。
四、封印保管している遮断札破片。
五、中枢室記録。
六、水土見守り基点については、現地へ直接案内せず、まず記録と図で説明。安全確認後、森の入口まで案内するか判断」
リーゼさんが即座に言った。
「水土見守り基点そのものへは連れていかない方がいい」
「同感です」
ダリオさんも頷く。
「少なくとも初日はな。黒石祠本体の反応も残ってる。王都の監査員が好奇心で近づいて、残滓影でも出たら面倒どころじゃない」
トマが嫌そうな顔をする。
「いそうだな、そういう奴」
「いる」
ダリオさんは即答した。
「技師組合には、危ないものほど近くで見たがる馬鹿が一定数いる」
「元同僚に辛辣だな」
「事実だ」
ニコルは記録板に新しい見出しを書いた。
『現地公開確認・案内順案』
そして、項目をきっちり書き込んでいく。
その字を見て、俺は少し安心した。
ニコルはもう、ただ言われたことを書く少年ではない。
何を見せれば伝わるのか。
どこを見られると危険なのか。
何を残せば反証になるのか。
それを考える記録係になっていた。
昼前、周辺村へ使いを出した。
王都現地確認班が五日後に来ること。
ハルマ村と北沢集落の記録者には、予定通り参加をお願いしたいこと。
無理な場合は、署名入り証言と記録表の写しを送ってほしいこと。
ミード村には、薬草係本人が難しければ、薬草畑を見ている者を代理に立ててほしいこと。
セリアはミード村への手紙に、もう一文だけ加えた。
『王都の言葉でなく、薬草を見る方の言葉で十分です』
リーゼさんがそれを見て、頷いた。
「よい」
「ありがとうございます」
「王都の言葉だけで戦うと、王都の土俵になる」
ダリオさんが言った。
「そうだな。こっちは井戸と土の言葉を出す。それが一番強い」
午後は、村の各所で準備が始まった。
ただし、飾らない。
村長が最初に言った通りだ。
中央井戸の周りを掃除する。
だが、井戸を普段以上に磨き上げたりはしない。
旧水路下流の採水場所に目印をつける。
だが、水の流れは変えない。
薬草予定地の柵を確認する。
だが、芽を大きく見せようとして余計な水はやらない。
中枢室の記録棚を整理する。
だが、失敗記録は隠さない。
遮断札一号の失敗札も、見せることにした。
ニコルが少し迷った。
「一号札も出すんですか?」
「出します」
俺は答えた。
「遮断力過多で失敗したことを隠すと、こちらが最初から完璧にやったように見えてしまいます。それは逆に怪しい」
ダリオさんが頷く。
「失敗して、止めて、作り直した。それが安全管理の証拠だ」
トマが言う。
「俺が最初に網を深く入れかけた記録も出す?」
「出します」
ニコルが答えた。
「失敗未満で止めた記録ですから」
「それ、なんか恥ずかしいな」
「でも重要です」
「分かった。俺の失敗未満、使ってくれ」
変な言い方だったが、誰も笑わなかった。
いや、少し笑った。
でも、それは馬鹿にする笑いではなかった。
夕方近く、ハルマ村から返答が来た。
井戸番の老人と村長が参加する。
記録表の原本も持参する。
さらに、噂を聞いて不安になった若い母親の一人も、希望があれば話すと言っているらしい。
セリアはそれを聞いて、少し目を細めた。
「その方にも来ていただけるなら、いいと思います。不安だった人の言葉も必要です」
トマが驚いた顔をする。
「リベル村を疑ってた人だろ?」
「はい。でも、不安だった人が、記録を見てどう変わったかを話してくれれば、それも大事です」
「なるほどな……」
トマは腕を組んだ。
「俺だったら、疑われた相手には来てほしくないって思うかも」
「私も、少し怖いです」
セリアは正直に言った。
「でも、不安をなかったことにすると、また噂になります」
ダリオさんが低く笑った。
「セリアは、紙より人の扱いが上手いな」
「上手くはありません。怖いだけです」
「怖いまま考えるのは、強い」
リーゼさんが短く言った。
セリアはその言葉を受け止め、静かに頷いた。
北沢集落からは、井戸番の女性が来るという返事があった。畑北側の土を入れた小袋も持ってくるらしい。
ミード村からは、薬草係の老女本人は足が悪く長距離移動は難しいが、孫娘が代理で来ることになった。止血草の葉の写し絵と、乾燥の記録を持参するという。
ニコルはそれらをまとめながら、ぽつりと言った。
「本当に、公開確認になってきましたね」
「怖いですか」
俺が聞くと、彼は少し考えた。
「怖いです。でも、隠している時よりは怖くありません」
「なぜ?」
「見てもらえるからです」
その答えは、今のリベル村そのものだった。
見てもらう。
井戸を。
水路を。
薬草の芽を。
失敗した札を。
破れた札を。
周辺村の字を。
不安だった人の声を。
それは簡単なことではない。
見られれば、粗も見つかる。
王都の人間は、こちらの言葉を好意的に受け取るとは限らない。
ローゼン侯爵家側の者が来れば、揚げ足も取るだろう。
それでも、隠すよりは強い。
夜、村長宅で最終的な準備表が作られた。
『現地公開確認準備表』
一、井戸記録原本。
二、旧水路残滓採取瓶。
三、水量板未操作記録。
四、遮断札一号失敗記録。
五、遮断札二号破片封印記録。
六、水土見守り基点の本来名解析記録。
七、周辺村共同記録原本および写し。
八、現地案内順。
九、安全上立入禁止区域。
十、黒石祠本体非接触方針。
トマがそれを見て言った。
「十個もあると、王都の人間も逃げられないな」
ダリオさんが答える。
「逃げる奴は、十個あっても逃げる」
「嫌なこと言うな」
「だから、逃げ道にも記録を置く」
ニコルが真面目に頷いた。
「照会への回答と、公開確認の議事録ですね」
「そうだ」
リーゼさんは地図を見ながら言った。
「当日の警備線も作る。王都の者、周辺村の者、村人、全員が自由に動くと危ない」
「森には?」
「入れない」
即答だった。
「森の入口までは、必要があれば案内する。だが、水土見守り基点へは連れていかない。黒石祠本体は論外だ」
村長が頷く。
「その線は譲らぬ」
夜が深くなった頃、俺は地下工房へ下りた。
中枢室の光は、青と黒紫の二色を保っている。
水土見守り基点の青は安定している。
黒石祠本体の黒紫は、まだ外側に残っている。
俺は記録板を開いた。
『王都行政庁より、現地確認班派遣決定の通知。予定日は五日後。
確認対象は中央井戸、旧水路下流、薬草予定地、水土見守り基点関連記録、遮断札破片封印記録、周辺村共同記録網。
ローゼン侯爵家代理人の同席可能性あり。
リベル村は隠さず、飾らず、乱さず見せる方針。
失敗記録も提示対象とする。遮断札一号、トマの水路採取失敗未満、遮断札二号破損、すべて安全判断の証拠として残す。
ハルマ村、北沢集落、ミード村より参加・証言協力の返答あり』
筆を止める。
現地公開確認。
言葉にすると、ただの手続きに見える。
けれど、実際には違う。
これは、王都の視線を村へ呼び込むことだ。
良いことばかりではない。
見せたくない失敗もある。
疑われることもある。
腹が立つことも、きっとある。
それでも、見せる。
俺は最後に書いた。
『リベル村は、危険がない村ではない。
黒石祠はまだ残っている。
残存命令核も未解除だ。
けれど、危険を隠す村ではない。
水を見せる。土を見せる。記録を書いた人の声を聞かせる。
公開することは、無防備になることではない。
守るべき線を決めたうえで、見せるべきものを見せることだ。』
地上では、水車が回っている。
五日後。
王都が来る。
侯爵家の影も、きっと来る。
黒石祠本体を見る前に、リベル村はまず、人の目にさらされることになった。
だが、今の村には井戸がある。
水路がある。
薬草の芽がある。
周辺村の記録がある。
それらを机の上に並べ、堂々と見せる。
その準備が、静かに始まっていた。




