第11話 もう、勇者の荷物持ちではない
中枢室の扉が開いた瞬間、地下工房の空気が変わった。
冷たい風が、奥から静かに流れてくる。
埃っぽさはある。けれど、嫌な匂いではなかった。長く閉ざされていた場所が、ようやく息を吹き返したような空気だった。
扉の向こうは、広い円形の部屋だった。
壁一面に、細い魔力線が走っている。床には村をかたどったような紋様が刻まれ、中央には透明な結晶柱が立っていた。結晶の中には、淡い青い光がゆっくり巡っている。
「これが……中枢室」
セリアが息を呑む。
村長は入口の前で立ち止まり、杖を握ったまま黙っていた。トマも珍しく声を出さない。
俺は一歩、中へ入る。
足元の紋様が淡く光った。
《リベル修復工房・中枢室》
《管理対象:中央井戸/東水車/外周結界/北祠/地下修復炉》
《稼働状態:低出力》
《破損箇所:多数》
《修復鑑定士権限:一部承認》
次々に表示が浮かぶ。
村全体の状態が、ここから見える。
井戸は仮復旧。
水車は低出力稼働。
外周結界は第一層展開中。
北祠は一部復旧。
地下修復炉は停止。
そして、もう一つ。
《防衛結界第二層:未起動》
《起動条件:修復炉再点火/聖女補佐登録》
「聖女補佐登録……」
俺が呟くと、セリアがこちらを見た。
「私のことですか?」
「たぶん。この工房には、修復鑑定士と一緒に聖女系の力を扱う人がいたようです」
セリアは少し緊張した顔で、結晶柱を見る。
「私に、できますか」
「すぐに全部は無理です。まずは記録を読むだけにしましょう」
そう言うと、セリアはほっとしたような、残念そうな、複雑な顔をした。
「焦らなくていい」
村長が静かに言った。
「村も、セリアも、レオン殿も、一晩で全部直す必要はない」
「……はい」
セリアが頷く。
俺は結晶柱に手を伸ばした。
触れた瞬間、視界が広がる。
村の上空から見下ろしているような感覚だった。
井戸。水車。倉庫。外周柱。北の祠。
それらを繋ぐ細い光の線。
壊れている場所も見える。
弱い場所も、歪みも、まだ黒く残っている腐食も。
ただ、それ以上に目を引いたのは、村の外側だった。
街道の方から、一台の馬車が近づいている。
見張り台の少年の声が、地上から微かに響いた。
「馬車だ!」
トマが顔を上げる。
「商人か?」
「いえ」
俺は結晶柱に映る魔力反応を見た。
ひときわ強い剣気。
魔導士の火属性魔力。
賢者の複合魔力。
聖騎士の防護魔力。
見間違えるはずがなかった。
「勇者パーティーです」
部屋の空気が、一瞬で固まった。
セリアが息を呑む。
「レオンさんを追放した人たち……」
「はい」
トマの顔が険しくなる。
「連れ戻しに来たのか」
「たぶん」
村長はしばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「レオン殿。どうしたい」
どうしたい。
その問いは、思っていたより重かった。
カイルたちが来るかもしれない。
それは昨日から考えていた。
でも、実際に近づいていると分かると、胸の奥がざわつく。
怒りではない。
恐怖でもない。
もっと曖昧なものだった。
あの場所にいた自分。
必要とされたいと思いながら、必要だと言われなかった自分。
それでも黙って道具を直し、記録をつけ、仲間の不調を見ていた自分。
全部が、急に戻ってくる。
「会います」
俺は言った。
セリアが不安そうにこちらを見る。
「大丈夫ですか」
「逃げても、たぶん終わらないので」
「戻るんですか」
その声は小さかった。
俺は首を横に振る。
「まだ分かりません。でも、少なくとも、勝手に連れ戻されるつもりはありません」
トマが口の端を上げた。
「それを聞けて安心した」
村長も頷く。
「なら、地上へ行こう。ここは逃げん。中枢室は、あんたが戻ってきてから見ればいい」
俺は結晶柱から手を離した。
中枢室の光が静かに揺れる。
まるで、今はそちらへ行けと言っているようだった。
地上へ出ると、村は少しざわついていた。
街道の向こうから馬車が近づいてくる。
商人の荷馬車とは違い、頑丈な旅馬車だ。側面には王都冒険者ギルドの通行印がある。
村人たちは不安そうに見ていた。
勇者パーティーの名は、この辺境にも届いている。王国の希望。魔王軍と戦う選ばれた者たち。その一行が突然、小さな村へやって来たのだ。
だが、村人たちの視線は勇者への憧れだけではなかった。
彼らはもう知っている。
その勇者パーティーが、レオンを追放したことを。
馬車が村の入口で止まる。
最初に降りてきたのは、聖騎士ガレスだった。大柄な体に傷のついた鎧。次にエレナ。顔色は少し悪く、杖の宝玉にはまだ濁りが残っている。マリウスはいつものように整った服装だが、目元に疲れが見えた。
最後に、カイルが降りてきた。
腰にあるのは、聖剣ではない。
俺はそれだけで、何が起きたのか大体分かった。
カイルは俺を見るなり、眉をひそめた。
「レオン」
「お久しぶりです」
思ったより、声は落ち着いていた。
カイルは周囲を見回す。
井戸の周りに並ぶ桶。
回っている水車。
補強された木柵。
淡く光る外周結界。
そして、俺の背後に立つ村人たち。
彼の顔に、一瞬だけ戸惑いが浮かんだ。
「……何だ、これは」
「リベル村です」
「そんなことは見れば分かる。なぜ、お前がこんな場所で」
「追放されたので、行き先を探していました」
カイルの表情がわずかに動く。
エレナが一歩前へ出た。
「レオン」
その声は、以前より柔らかかった。
「その……無事でよかったわ」
「ありがとうございます」
「杖の調子が悪いの。あなたがいつも見てくれていたところだと思う」
エレナは少し言いにくそうに杖を差し出した。
「後で、見てもらえるかしら。もちろん、対価は払う」
以前なら、彼女はそんな言い方をしなかった。
見ておいて。
これ、調子悪い。
早くして。
そんな言葉だった。
俺は杖を見た。
《炎杖ルベル》
《状態:魔力伝導不良》
《宝玉過熱》
《過負荷使用継続により破損危険》
《修復可能》
やはり、かなり悪い。
「見られます。ただ、今すぐ本格修理はできません。応急処置なら」
エレナの表情が少し緩む。
「ありがとう」
その横で、カイルが苛立ったように口を開いた。
「そんなことは後だ」
エレナが振り返る。
「カイル」
「レオン。戻るぞ」
村の空気が変わった。
トマが俺の隣に一歩出る。
セリアも、治療所の前からこちらへ歩いてくる。
俺はカイルを見た。
「戻る、とは?」
「勇者パーティーに決まっている」
「俺は追放されたはずですが」
「状況が変わった」
「つまり、必要になったと」
「そうだ」
あまりにも当然のような言い方だった。
胸の奥が、少し冷える。
「カイル」
ガレスが低く言った。
「まず言うことがあるだろう」
カイルは彼を睨む。
「黙っていろ」
「黙らん」
ガレスが前に出た。
そして俺に向かって、深く頭を下げた。
「レオン。すまなかった」
村人たちがざわつく。
勇者パーティーの聖騎士が、辺境村の広場で鑑定士に頭を下げている。
ガレスは頭を下げたまま続けた。
「俺は、お前がどれだけ鎧を見てくれていたのか分かっていなかった。何度も助けられていたのに、礼を言わなかった」
「ガレスさん……」
「戻れと言う前に、これを言うべきだった」
エレナも杖を胸に抱え、頭を下げた。
「私も、ごめんなさい。あなたの助言を、細かいだけだと思っていた。杖の調整も、魔物の情報も、全部当たり前に受け取っていた」
マリウスは苦々しい顔をしていた。
しばらく沈黙したあと、視線を逸らしながら言う。
「……私も、評価を誤ったことは認める」
謝罪と言うには硬い。
だが、彼にとってはそれが限界なのかもしれない。
カイルだけが、頭を下げなかった。
「何を茶番みたいなことをしている」
彼は吐き捨てるように言った。
「俺たちは勇者パーティーだ。国を守るために戦っている。レオン、お前の力が必要だ。だから戻れ。それでいいだろう」
「よくないです」
俺の口から、自然に言葉が出た。
カイルの目が細くなる。
「何?」
「必要だから戻れと言われて、はいと答えるつもりはありません」
「お前、自分の立場が分かっているのか」
「分かっていなかったのは、たぶん前の俺です」
言いながら、胸の奥が少し震えた。
でも、逃げなかった。
「俺は、勇者パーティーの荷物持ちではありません。鑑定しかできない無能でもありません」
セリアが、少しだけ息を呑んだ。
村人たちも黙っている。
水車の音だけが、遠くでぎし、と鳴った。
「ここで、俺にできることを見つけました」
カイルが周囲を見る。
「この村で農具でも直すのか? お前の力は、魔王軍と戦うために使うべきだ」
「農具が直れば畑が耕せます。井戸が直れば人が生きられます。結界が直れば村が守れます」
「そんな小さなことに構っている場合か!」
「小さくありません」
初めて、カイルの言葉を真正面から切った。
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「この村の人たちにとっては、小さくありません」
トマが隣で腕を組む。
「そうだな。俺たちにとっちゃ、井戸も水車も命綱だ」
村長が杖をついて前に出た。
「勇者殿。レオン殿は、この村を救ってくれた。追放された者を、今さら必要だから返せと言われても、はいそうですかとは言えん」
カイルの顔が険しくなる。
「村長。これは王国全体の問題だ」
「村も王国の一部だ」
村長は怯まなかった。
「王都だけが国ではない」
その言葉に、カイルは黙った。
マリウスが口を開く。
「レオン。君の力が村で役に立っていることは分かった。だが、前線で必要なのも事実だ。聖剣は破損し、装備も不安定だ。君がいなければ、今後の任務に支障が出る」
「聖剣は?」
俺が聞くと、カイルの表情が歪んだ。
ガレスが答える。
「神殿鍛冶師から、一月は使うなと言われた」
「でしょうね」
思わず言ってしまった。
カイルが怒りを滲ませる。
「分かっていたなら、なぜもっと強く言わなかった」
その瞬間、周囲が静かになった。
エレナが目を伏せる。
ガレスが唇を結ぶ。
マリウスでさえ、何も言わない。
俺はカイルを見た。
「言いました」
「……」
「何度も。記録にも残しました。戦闘前にも伝えました。去り際にも言いました」
カイルの顔が赤くなる。
「だが、お前は」
「聞かなかったのは、あなたです」
声が震えそうになった。
でも、止めなかった。
「俺が何を言っても、あなたは負け惜しみだと笑った。鑑定しかできない無能だと言った。だから俺は追放された」
カイルは言い返せなかった。
少なくとも、すぐには。
「……なら、どうする気だ」
低い声。
「俺たちを見捨てるのか」
その言い方に、胸が少し痛んだ。
見捨てる。
俺がされてきたことを、今度は俺がするのか。
そう問われているようだった。
でも、違う。
「応急修理はします」
俺は言った。
エレナが顔を上げる。
「いいの?」
「はい。杖も、鎧も、代用の魔剣も、見られる範囲で見ます。聖剣はここにはないんですよね」
「王都の神殿に預けている」
ガレスが答える。
「なら、聖剣は無理です」
カイルが眉をひそめる。
「戻らないのに、修理だけはするのか」
「戦場であなたたちが倒れれば、困る人がいます。だから、できる範囲では助けます」
「なら戻ればいい」
「それとこれは別です」
カイルの表情が、理解できないものを見るように変わった。
たぶん以前の俺なら、ここで折れていた。
必要だと言われれば、戻っていたかもしれない。
でも今は、背後に村がある。
セリアがいる。
トマがいる。
村長がいる。
子供たちがくれた黒パンの籠がある。
俺はもう、居場所のない鑑定士ではない。
「俺は、しばらくこの村に残ります」
はっきりと言った。
水車の音が、また一度鳴った。
カイルは拳を握りしめる。
「ふざけるな。勇者パーティーより、この村を選ぶのか」
「はい」
答えは、驚くほどすぐに出た。
「今の俺は、この村を選びます」
セリアが、泣きそうな顔でこちらを見ていた。
トマは小さく笑い、村長は静かに頷いた。
エレナは目を閉じる。
「そうよね」
彼女は小さく言った。
「そう言われても仕方ない」
ガレスも頷く。
「当然だ」
マリウスは不満そうだったが、反論はしなかった。
カイルだけが、まだ納得していない。
「俺は認めない」
彼は低く言った。
「お前は俺たちに必要だ。勇者パーティーには、国を救う使命がある」
「国を救うために、まず壊れたものを見てください」
「何?」
「聖剣だけじゃありません。装備も、連携も、たぶんパーティーも壊れかけています」
カイルの目が鋭くなる。
「お前に何が分かる」
「鑑定士なので」
自分で言って、少しだけ皮肉な響きになった。
「壊れているものは、見えます」
カイルは黙った。
その沈黙を破ったのは、見張り台の少年だった。
「先生!」
少年が村の外を指さして叫ぶ。
「森の方! 何か来る!」
全員が振り向いた。
外周結界の向こう、森の影が揺れている。
低い唸り声。
一つではない。
俺の視界に表示が浮かぶ。
《灰角魔狼》
《数:十二》
《大型個体:一》
《結界反応:敵対》
《襲撃予測: imminent》
英字のような見慣れない警告が、一瞬混じる。
数が多い。
昨日までの群れとは違う。
結界の誘引反応が消えたことで、逆に縄張りを荒らされたと判断したのかもしれない。
トマが弓を掴む。
「来やがったか」
村人たちが動き出す。
昨日までとは違う。パニックにはなっていない。弓を持つ者は木柵へ、子供たちは中央倉庫へ、怪我人は治療所へ。
勇者パーティーの面々も戦闘態勢に入った。
カイルが代用の魔剣を抜く。
「ちょうどいい。見せてやる。勇者パーティーの力を」
俺は魔狼の群れを見た。
結界は第一層だけ。
防げるが、長期戦は厳しい。
中枢室は開いたばかり。
第二層は未起動。
ここを乗り切るには、村人と勇者パーティー、両方の力が必要だ。
「カイル」
俺は言った。
「勝手に突っ込まないでください」
「俺に指図するな」
「指図ではなく、鑑定結果です」
カイルの表情が変わる。
俺は森を指した。
「大型個体は右後脚が弱い。小型は結界の薄い南側へ回り込む。エレナさんの火魔法は効きますが、杖の過熱がひどいので三発まで。ガレスさんは村の門を守ってください。マリウスさんは拘束魔法を低出力で。トマさんたちは、俺が合図した個体だけ狙ってください」
一気に告げる。
以前なら、ここで笑われたかもしれない。
だが今は違った。
ガレスが即座に門へ走る。
「分かった!」
エレナも杖を構える。
「三発ね。了解」
マリウスは苦い顔をしながらも、魔法陣を展開する。
「低出力など屈辱だが、杖の状態を考えれば妥当か」
トマが村人たちへ叫ぶ。
「先生の合図を聞け! 勝手に撃つな!」
カイルだけが一瞬遅れた。
それでも、魔剣を構え直す。
「……大型は俺がやる」
「ひとりではなく、ガレスさんと連携してください」
「分かっている!」
魔狼の群れが、結界へ突っ込んできた。
淡い光が弾ける。
村の防衛戦が始まった。




