七月二三日
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七月二十三日。
午後一時。
夏休み。自宅。居間の窓から外を見上げてみる。
空は変わらずに夏が広がっている。照りつける太陽。気温は日に日に高くなる。
あれから一週間。
何も変わらない空に不安を感じるのは、なぜだろうか。
「なんだったんだよ、あいつ」
夏の幻だったのかもしれない。
突然に僕の前に現れた昨日は、ふいの突風と共に消えた。
「ほんと……はた迷惑」
あの日、家に帰った後、食べかけの炒飯や、飲みかけのココアがちゃぶ台に置いてなければ、本当に幻だったのではないかと信じてしまいそうだった。
「野球……、どうすんのかな」
あれからみんなとはLINEをしていない。軽い約束。何も言わなければみんなこのまま流してしまう。
雄大の大宮学院は二年連続の甲子園出場を決めた。雄大は決勝でも一五〇キロの速球を見事にホームランにした。
夏海との関係もよくない。あの日の告白への答えをしない限り、ずっとこうかもしれない。
夏海は大切な友達。だからこそ、あのままの関係でいたかった。でも、もういられない。
PTSDの症状は落ち着いている。二週間に一回の通院治療を通して、精神面は安定している。このまま何も起きなければ、
「きっといつか笑い話に出来るね」
なんて三上先生がこないだ言っていた。
そうかもしれない。
「子供のころ、公園のシーソーで遊んだでしょ? そんなもんよ。人間も。いいことも悪いことも、行ったり来たりしてる。生きるってそういうことじゃないかしら」
先生は大人だから、そんな風に受けとめることが出来る。
でも僕はまだ、終わってしまった昨日のことを忘れられずにいる。
午後一時一五分。
僕は押しいれにある古い年賀状を見つけ出した。手書きで《茅野陽太様》と書かれた、五年前のハガキ。
「はは……、目指せ甲子園! なんて……」
蒼衣が昔くれた年賀状だった。引っ越してから最初の年始だけ、蒼衣は連絡をくれた。
そこには愛知県の自宅の住所と電話番号が書いてある。
「なにしてんだろ」
急にいなくなった蒼衣のことが頭から離れなかった。
それに野球はどうするのか。
僕は蒼衣のLINEも結局、聞いてないし、連絡も取れないのである。それは困る。
最低限、連絡先だけは聞かないと、と思い、僕は蒼衣の愛知県の実家に電話を掛けてみることにした。
――ぷるぷるぷるぷる……。
「……ガシャ……、はい? 秋山です」
と電話に出たのは蒼衣の声よりはいくらか大人びた女性の声だった。
「あ……、え、えっと……、あの」
予想はしていたがやはりちょっと動揺した。電話に出たのは多分、蒼衣のお母さんだった。小さいころ、何度も会った相手ではあるが、まるで初めて会うような緊張感があった。
「……あ、えっとお久しぶりです……、あの小学校のころ蒼衣ちゃん……、秋山さんと同級生だった……茅野です」
「え? 陽太……くん?」
と蒼衣のお母さんは驚いたように言った。
「えー! あの? 陽太くん?」
と急に興奮したように言った。
「あ、……はい、多分、その陽太です」
「わー! えー? 嘘ー? ほんとー!」
と何度も感嘆の声を上げて
「わー陽太くんだー、声低くなったねー! わー、素敵だよー!」
なんて、テンション高く言った。
もういい年齢だろうと思うが、その声の調子はどことなく子供っぽくて、やっぱり蒼衣のお母さんなのだと血筋を感じた。
「声変わりだねー! 成長期だねー、んふふー、若いねー」
なんてからかわれても蒼衣のお母さんだったらイライラはしなかった。なんだろう。親戚のおばさんに言われるようなそんな感じがした。
「それで? なに? どうしたの? 急に電話なんてくれて」
「いや……、あの、蒼衣ちゃん……、どうしてるかなって思って」
「……ん? どうしてるって?」
おばさんは意味深げに
「ふぅー」
と溜息を吐いたあと、言った。
「あ! ……やっぱり……、そういうことか」
独り言のように言う。
「……?」
「もしかして……、蒼衣、陽太くんのところに行ってた?」
「え?」
「あー! やっぱりそうだったのかー」
声の反応で、質問の答えを察したのか、僕が言わずともおばさんは納得し話を進める。
「いやー、なるほどねー、そうだったのかー」
「……は、はぁ?」
僕はイマイチ文脈が読めず困惑する。
「もしかして陽太くんの家に泊まってたりした?」
「……え、ええ……、泊まってましたけど」
「あー、そっかそっか」
「……?」
「くすくす……、そっか、あははは」
そうした言葉から僕はなんとなく状況を察して、おばさんに質問をしてみることにした。
「あの……、蒼衣ちゃんもしかして何も言ってなかったんですか?」
蒼衣は僕に、「お母さんにも学校にも狭山に行くって言ってきた」と説明していた。僕は多少疑いつつも、信じてはいた。
「そうねー……、まー、何も? うふふ……、突然にふらりとねー、いなくなってー」
とまるで他人事みたいにおばさんは言う。
「家出かなー、とは思ったけどー……、でも、事件に巻き込まれたりしてたらどうしよう、とか思ったり」
と半分笑いながら楽しそうに言う。
「でもそっかそっか、陽太くんちに行ってたのね」
「ええ……、ずっと泊まってましたよ、二週間……、着替えも何も持ってこないものだから色々貸して……」
手ぶらで愛知から埼玉までくるなんて、肝が据わっているというかバカというか、中々に大胆だ。
「ごめんねー、蒼衣が迷惑かけて。陽太くんのお母さんたちにも迷惑かけたわね」
「いえ……、別に、大丈夫です」
「後でまた、私からお母さんたちにお電話さしあげるね」
「いえ……、その、大丈夫なので」
「え……、でも」
「いや……、あの今、うちの親海外出張で海外に住んでまして……僕一人暮らしなんです、実は」
「あ、あぁ……、そう……、そうなの。一人ー? 中々大変だわね、陽太くんも」
「いえ、僕は別に」
親が死んだことは、口外していない。すごく近しい人以外には、親がいない理由として海外出張と説明している。
「それでその……、蒼衣ちゃんいますか?」
僕もまた本題を切り出す。
「あ、あぁ、蒼衣ね……」
とおばさんはちょっと困ったように言った。
「その……今ちょっとウチにいなくて」
「いない? どういうことですか?」
「あ、あぁ……、ちょっと事情があって他の所にいてね……、あはは、ほんとあの子、激しい子よね」
とおばさんははぐらかすように言った。
「何か急用かしら?」
「いえそういうわけじゃないですが……、蒼衣ちゃん、昔のみんなで野球がしたいって言って、僕と一緒に約束を取り付けにいったりしてたんですが……、僕、蒼衣ちゃんの連絡先知らないから、急にいなくなってこれからどうするのかと思いまして」
「くす……野球?」
「はい、したいって」
「あー、そっかー。蒼衣のやつそんなこと言ったのかー」
おばさんはなんだか嬉しそうだった。
「それは……、迷惑だったでしょ?」
「いえ、そんなことないですが」
「蒼衣、もしかしてお礼言ってない?」
「お礼?」
「そう。泊めてくれたお礼とか、一緒におでかけしてくれたこととか」
「まあ、そう、ですね」
「もう蒼衣のやつー、それくらいはしっかりしなきゃだめなのにー。ごめんねー陽太くん、蒼衣にはしっかり言っておくから」
「あ、え? はい」
「ごめんね! ちょっと、これから用事があって切らなきゃいけないの」
「あ、そ、そうなんですか」
「うん。ごめんねー、せっかく電話くれたのに時間なくて」
「あ、いえ、別に」
「蒼衣には伝えておくから!」
「あ、はい」
「うん。じゃあね、またねー。ごめんねー、ありがとうー」
「あ――」
「またねー」
とおばさんは話しを切るように電話を終わらせた。
突然に電話したし忙しいこともあるだろうと思った。
*
「蒼衣ちゃん……、なんだよ。嘘つきじゃん」
受話器を置いた後、僕は立ったまま思わず呟いた。「親にも学校にも言ってきた」なんて笑ってたくせに、全部嘘じゃないか。
「嘘はだめだとか言って、自分が嘘つきかよ」
誰もいない居間に戻ってココアを入れた。
隙間風は草の匂い。
無性に蒼衣に会いたくなった。古い年賀状には中学校の制服を着た蒼衣の写真が印刷されている。
「蒼衣ちゃん……」
写真の下。
愛知県の住所を僕はじっと見ていた。




