日沖あかり 道上諒
7
七月十六日。
窓から見える風景が疎らな住宅から、大きなビル街へと変わった。
「池袋ー、池袋ー、終点ですー」
と車内アナウンスが響く。午前十一時五十分。日曜日の池袋を目指してきた車内は、人の群れが密集している。マスクはつけていないため、息を吸うだけで何か、病気になりそうなくらいに変な匂いがする。夏の汗。熱気。普段だったらこんな電車に乗ってまで池袋になんて来ないのだが、蒼衣が行きたがるのだから仕方がないのである。これもまた認知不協和かもしれない。
「ぷはー、暑かったー、なんかさー、東京の人混みってすごいんだね……、私、なんか疲れちゃったぁ……」
「すごいよなぁ……、俺も疲れたよ」
電車のドアが開きホームに降りる。一斉に改札に向かう流れには乗らず、二人して少し立ち止まっている。ホームの外壁には《メイドカフェ猫むす》《KTC中央高等学院》《代々木ゼミ》《池袋ラーメン大勝軒》等、看板が多数出ている。ホームを覆う雨よけの天井は、線路にはなく空が見える。狭山と何も変わらない青空。だけど青空を割って大きな建物がそびえ立っている。
「ね? 私……疲れたから休憩してから行きたい」
「いや……、メイドカフェがまさしく休憩するところじゃん」
「えー、だってあかりんに会うのに疲れた状態で会いたくないじゃん!」
「そんなの関係ないだろ」
「あるよ! せっかくなら可愛い私で会いたいじゃん!」
「じゃあ一生無理だな」
「うるさい! バカ!」
と蒼衣は僕の背中を思いっきり叩いた。パーンッ! という乾いた音が疎らになったホームに響き渡った。それは速球がミットに収まった音よりも遙かに激しい音だった。
「しっかしー人多いね―」
「日曜日の昼間だからな-」
西武線の改札を通り西武口から池袋の街に出る。眼下に飛び込んでくるドンキーホーテの看板。高くそびえ立つビルの群れ。ごった返す人ごみは、駅前の横断歩道の先まで永延と続いている。国道三〇五号線を通り抜ける車。心なしか空気が淀んで、排気ガスやガソリンの匂いが狭山よりも強い気がする。狭山市から都内に出かけるには西武新宿線と池袋線を使うことが多く、新宿と池袋は時折、遊びに来ることがあり、僕には東京では一番馴染みがある街である。
「さて……メイドカフェ……猫むす、はどっちかな」
スマホを取り出して地図アプリを開く。猫むす、と打ち込むと駅からのルートが表示される。これから日沖あかりに会いに行く。あかりは、小学校と中学校の同級生で、今は池袋に住んでいる。女の子だけれど、蒼衣や夏海と同じように子供のころはヤンキースで野球をやっていた。野球は好きそうじゃなかった。いつも気だるそうで面倒くさそうだった。なんで野球をやっていたのか、そういえば聞いたことはなかった。蒼衣の友達だった夏海が、蒼衣に影響されて野球をやり始めたのは知っているが、あかりは特に蒼衣たちと特別に親密というわけでもなかったし、兄妹が野球をやっていたというわけでもなかったから。
「陽太―、どっちー。信号青になったよー」
「あー、サンシャイン通りの方か……」
「なにそれー?」
「とりあえず渡るか」
と僕が歩き出すと、蒼衣は後ろから僕の手をぎゅっと握った。急に握られたので、びくんっ、と体が反応した。温かい手のひらは少しくすぐったくて、都会の群衆の中でちょっとだけ安心した。
「陽太」
と蒼衣はその意味を改めて説明することもなく、ただにんまりと微笑した。
「はぁ……、うん……」
僕も何も言わず、手を握って西武口改札前の横断歩道を渡った。東口交番を横切り、ユニクロの店舗を通ると、再び交差点に着く。眼下にあるビルの屋上には《KTC中央高等学院》という大きな看板が立っており、その横から幅の狭い道が奥まで続いている。歩くスペースが殆どないくらいに人が多くて、活気がある。
「そこがサンシャイン通り」と僕が指さすと蒼衣は「へー」と目を丸くする。人の群れに若干、困惑している様子だった。
「人多いよなー」
「そうだねー。私の地元にはこんなに人いないから……、なんか新鮮」
「新鮮?」
「うん……、なんか、楽しいよ! 陽太といると」
なんて笑顔で言われるとドキンとする。今回は素直に「ありがとう」と言えた。
サンシャイン通りを真っ直ぐに進んでいく。両端にそびえ立つビルはどこまでも続いていて、最上階まで店舗がいっぱいだ。道路は歩行者天国になっていて、ビラ配りをする人たち……、その中にはメイドさんの格好をした人もいる。カラオケやゲームセンター、ファッション雑貨、飲食店……、ありとあらゆるお店がこの狭い区画に密集している。この道の先にはサンシャインへ続く地下道があり、いつ来ても人がたくさんいる。ここにいれば一日中遊べそうなくらいになんでもある。あかりが住んでいる街は、彼女の地元とはまるで違う賑やかな街だ。
「ここ……、右折」
「うん」
何個目かの右折ポイントを曲がると、少し人の流れが少ない路地に入る。カレー屋やラーメン屋等の安価な飲食店や、キャバクラや風俗みたいな夜の看板、そして……、猫むすというメイドカフェの看板が見えた。
「あ、あそこ?」
「そう……みたいだね」
あかりとは高校に入ってから一度も会ってないので、彼女のバイト先らしいそのお店には来たことがない。正直、久しぶりに会うのでかなり緊張している。あかりとは特に仲がよかったわけじゃないし、中二と中三のときはクラスも違ったから、一緒にいる時間も少なかった。
「わー、なんか可愛い? お店だね」
お店の外観はピンク色の壁に、艶やかなアニメキャラクターやメイドさんの写真が飾ってあり、とても派手だ。可愛い、とも思うが、同時に、恥ずかしいとも思う場所である。
「陽太ドキドキしてる?」
と蒼衣は僕の手をぎゅっとして言う。
「え……、あ、あぁ、まあ多少はね」
「やっぱり陽太もメイドとか好きなんだ?」
「え? いや、そういうわけでもないけど」
「え? じゃあ陽太は何が好きなの?」
「何が好きって……?」
「コスプレ」
「え……べ、別に……ないけど」
「へー、ないんだー」と蒼衣は意味ありげに半笑いで言う。
「そ、そうだよ! 悪いかよ」
「悪くないよー」
なんて蒼衣は何かを企んでいるように笑うが、それ以上は何も言わなかった。
入り口の手動ドアを開き、店内へ入る。入った途端に、甘ったるい砂糖の匂いが鼻から通りぬける。明るすぎる照明に目がくらみ、冷房をきかせているのか少し寒いと感じた。ソファ席やテーブル席がざっと見て二十席程度はあり、それなりに広かった。白い壁にはやはりアニメキャラクターやメイドさんの可愛い写真が飾ってあり、ぬいぐるみやら花の飾りものやら装飾品で彩られた店内は、なんというか女の子の場所だった。
「あ、お帰りなさいませご主人様―」
と甲高い声でメイドさんが僕らの所へ来る。
「あ、は、はい」
「えーっと、ご主人様たちはお帰りになるのは初めてですか?」
「は?」
「でしたらご説明をさせて頂きますのでこちらへどうぞ」
とメイドさんがちらちらと僕らを見ながらソファ席へ案内する。
「ご主人様たちみたいなカップルさんは、こちらのラブラブシートがオススメですよ!」
「え? カップル?」
「はい! 最近はカップルでお帰りになるご主人様も多いので、うちにはカップルシートがあるんです!」
「あ、えっと、あの」
「そうなんですね! ありがとう! 陽太! こっち座ろ!」
と蒼衣は僕の手を引っぱって店の隅っこにある狭いソファへ進む。一緒に座ると体が密着してしまう。蒼衣の太ももやお腹や脇腹が当たって、なんとも言えない気持ちになる。手が熱い。顔も熱くなる。手は握ったまま。動揺する。それを蒼衣にバレないように平静を装う。
「ん……、あ! ヒナちゃんと蒼ちゃんだー!」
――と、席に座った僕らを見つけたメイドさんが元気よくかけよってきた。メイド服を着た身長一五五センチくらいの明るい彼女は、ブリーチされて色素薄い髪をツイテールにしていて、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように僕らの側に来て言った。
「わー、もう着くっていうからちょっとトイレいってきたんだけど、ごめんね、お迎え出来なくて!」
「あかりん?」
「そう! あかりんだよー!」
「わー、あかりんだー!」
メイド――日沖あかりと再会した蒼衣は、いつもみたいに彼女に抱きついて、懐かしんだ。
あかりの顔を直接見たのは二年半ぶりだ。LINEのタイムラインに時々、顔写真が上がっていることがあって、見ることはあったが、生で見ると随分と、大人っぽくなった。化粧を変えたのか瞳が大きくなって、顔や唇も形が違うように見える。
あかりはカップルシートの隣に椅子を持ってきて、座る。
「少しなら話せるよー、今暇だから。とりあえず注文だけして! オススメは特製パンケーキだよ」
お店の説明も一緒に聞く。チャージ料が三十分で五〇〇円。ワンドリンク制とのことだった。僕らは九〇〇円のパンケーキとココア、アイスコーヒーを注文する。
「ありがとうございます」とあかりは一旦席を外し、数分後、
「はーい、ご注文のココアになりまーす」
と蒼衣の前にココアを置き、僕の前にはアイスコーヒーを置いた。
「じゃ、はなそ」
と椅子に座る。
「暇なの? 日曜の昼なのに?」
「ん……、お店にもよるんだろうけど……、うちはオープンが十一時からでクローズが二十時だから。メインは午後と夜なんだよね」
「へー」
「しかしまさかヒナちゃんと蒼ちゃんが付きあうとは思ってなかったわー」と感慨深そうにあかりは言う。「いや! 付きあってないから」
「え? そうなの?」
「そうだよ!」
「あ、ごめん……なんか手つないでたからてっきり……」
カップルシートで密着して座っている僕らは、変わらず手をつないでいる。蒼衣が手を離してくれないのである。僕のPTSDのことを知ってから、外に出ると最近はずっとこうである。心配してくれるのは嬉しいのだが、ここまで子供扱いされるのは、男として恥ずかしい部分はある。PTSDはあれから落ち着いている。激しいフラッシュバックを起こしたのはあの日だけだった。パニック発作を起こしたり、意識消失することは今のところないが、いつまた倒れるかはわからない。今のところ安定しているのは三上先生の治療や、内服薬のおかげかもしれない。
「うん! だって陽太がいつ倒れるかわかんないから!」
「倒れる……?」
「陽太病気だから」
「え? 病気なの?」
「おい……蒼衣ちゃん」
「いいじゃん! あかりんは友達だし、隠す必要なんてないじゃん」
「まあ……そうかもしれないけど……でも」
あかりとは長いあいだ連絡をとっていないので、彼女はPTSDのことは知らない。
「陽太さ……、PTSD? ってやつなんだって! だから、側で見守っててあげないといつ倒れちゃうかわかんないの! ね?」
「いや……そんな重病でもないから……。今は落ち着いているし」
「ごめん……ヒナちゃん、私、知ってるんだ」
「え?」
「なっちゃんに聞いたんだ。実は。けっこ前に」
夏海は昔の友達を大事にしている。未だにヤンキースのころのメンバーと親交がある。雄大とも連絡をとっているし、東京の帝都大付属高校の野球部にいる大河原翔のことも、たまに夏海から近況を聞く。
翔は雄大のような野球の才能はなく、ベンチ入りも出来ていない様子だが、野球を頑張っているらしかった。
「ヒナちゃん……、大変だったんだね」
「まあ……大したことないよ」
「実はさー、なっちゃんから色々聞いててね、ヒナちゃんすごいよね! 去年! 甲子園行けそうだったじゃない!?」
「あ、あぁ……それは」
「あの日ね、決勝戦、応援に行ったんだよ!」
「え?」
「だって友達が二人も出るんだよ。ヒナちゃんと大ちゃん! 見に行かないわけに行かないじゃん? そしたら……、なんかヒナちゃん出なくて、大ちゃんがホームラン打って……」
「ごめん……」
「ううん。それでね、なっちゃんに聞いちゃったんだ。何があったか」
「そう、だったんだ」
「うん。でも、疎遠だったし……、今さら私が何か出来るとも思えなかったから……何も言ってなくてごめんね」
「いや……、いいけど」
「調子はどうなの?」
「まあ、最近は落ち着いてるよ」
「そんな感じだね。蒼ちゃんとデート出来るくらいには元気みたいだし」
「デートじゃない!」
「えー? デートだよー、陽太―」
「テキトーなこと言うな!」
「でもお似合いじゃない? 二人」
「え?」
「ね! そうだよね! 陽太を守れるのはやっぱり私だよね?」
「うんうん。ヒナちゃん、体は大きくなったけど、昔から鈍くさいから、蒼ちゃんみたいな子が側にいてくれたら安心じゃない?」
「だよねだよね!」
「勝手に話進めるなよ」
「ん、でもなっちゃんもいるからなー。なっちゃんもしっかり者でヒナちゃんとお似合いだからなー」
「なーちゃん……」
「お前ら俺の話聞けよ」
「ヒナちゃんはどっちが好き? どっち選ぶの?」
「どっちも選ばないよ」
「えー? じゃあもしかして私ー? 私は……、彼氏いるからなー。あー、でもヒナちゃんならいいかも」
「おい!」
「彼氏? 彼氏いるの? あかりん」
「うん。いるよー……、ま、本命にはフラれちゃったけど」
「本命ー?」
「うん……、大ちゃん」
「え? 大ちゃんのことが好きだったの?」
「そだよ。……えへへ……、ちっちゃいころから好きだったんだー。野球やってたのも大ちゃんの側にいたかったからだし……、ま、フラれたけど」
「えー! びっくりー、全然知らなかった!」
「ま、バレちゃったらフラれるような気がしてたから誰にも言ってなかったんだー。中三のとき、告白したけどフラれちゃってね。へへ……、大ちゃんと私じゃ住む世界やっぱ違うよね」
「そんなことないと思うけど」
「だって大ちゃん頭もいいしイケメンだし優しいし、野球で……プロにいくようなレベルの人だもん。なんでもできるスーパースター。憧れの人だったんだー」
「そう……、だったんだ」
「ま、フラれたからってわけじゃないけど、環境変えたくてね。親に頼んでこっちに住まわしてもらってるわけなのさー」
とあかりはおどけた感じで言った。そういうことがあったとは知らなかったので、ちょっと驚いた。
「一人暮らししてるんだ?」
「うん。女の子一人で……って親に反対されるかもって思ったけど、うち、結構放任だから」
「それでここでバイトしてるんだ?」
「だねー、楽しいし時給もいいから」
あかりは昔からこんな感じだったような気がする。おっとりしてて穏やかで、人を傷つけるようなことは言わないけれど、でも、彼女が何を考えているのかはいまいちわからない。
「それで? なんだっけ? 野球、するんだっけ?」
LINEで事前に今日、何を話すかは伝えてあった。蒼衣が帰ってきたから会いに行くということと、また野球がしたいからその話しをしよう、と。
「そうそう! 昔のみんなでさ、野球しようよ!」
蒼衣はいつもみたいにその青臭い動機を説明した。変わらず熱心だけれど、以前に比べどこか消極的に見えたのは気のせいだろうか。
「野球かー……、もうずっとやってないなー。小学校以来かー。私下手だったもんねー。ヒナちゃんよりは上手かったけど」
「うるさいな」
「へへへ、今はもう私なんて比較にならないくらい上手だもんね」
「それは違うけど」
「野球……、うん、いいよ! そのうち、やろうよ。みんなにも声かけてるんでしょ?」
「うん……まあ」
「大ちゃんも来る?」
「あ、あぁ……、甲子園優勝したら来るって」
「あはは。大ちゃんらしいね」
六年前の今頃は、王川小の校庭で野球をやっていた。高校三年の夏なんて、何も想像出来なかった。ただ漠然と、甲子園を目指しているのかな、と思うくらいで。池袋のメイドカフェで、メイドの格好をしたあかりと話をしているなんて想像もしてなかった。
「――お! よーす、あかりー」
と入り口の方から声がした。振り向くと、身長一七〇センチくらいで、今風なカジュアルなファッションをした男がこっちに手を振っていた。
「諒ー! 遅いよー!」とあかりは甲高い声をあげて手招きする。
「諒?」
と蒼衣は疑問を呈する。
「諒ちゃん?」
「そだよ、全然変わってないでしょ、あいつ」
道上諒。
ヤンキースのチームメイトで中学まで僕と同級生だった。
明るい性格で、お茶目な奴だけど、不真面目なところがあって、時々、やんちゃして先生に怒られていた。雄大ほどじゃないがルックスもよくて、女子にも人気があった。ただ勉強は苦手だったし、夜遊びにハマっていたせいか中二の終わりごろからあんまり学校に来なくなって、高校は通信制の学校に行くという選択をした。ちょうど、池袋にある学校だ。ここにある途中のサンシャイン通りの入り口にあった大きな看板、《KTC中央高等学院》というのは、諒が通っている通信制高校である。高校に入ってから一回、清純と夏海と諒と池袋で遊んだことがあった。その時、諒は執事喫茶でバイトしていた。確か都内にマンションを借りてそこで中学の先輩と一緒に住んでいるときいた。今日、あかりにLINEを送った時、「諒も誘ってあげる」と返事をもらっていた。
「おー! 蒼衣ちゃん?」
「おっすー。諒ちゃーん!」
と蒼衣は軽い挨拶をして、やはりいつもみたいに彼に抱きついた。
「お、おぉ……、蒼衣ちゃん積極的―」
「久しぶりー!」
「めちゃいいニオイするー」
「こら諒。変なこと言うな。蒼ちゃんに」
諒の風貌は、なんというか俗っぽい感じだった。髪を薄く脱色し、長く襟足を伸ばし、肌は適度に日焼けしていた。耳にはピアスをつけ、髭まで伸ばしている。
「え? 彼氏? あかりんの?」
「ま……そう。恥ずかしながらね」とあかりは自嘲するように笑う。
「えー? びっくりー!」
「色々あってね……」
「あかりー! 色々ってなんだよ、色々って」
「うるさいな! そうでもなきゃあんたみたいなのと付き合わないでしょー」
「……痴話喧嘩?」
「そういうわけじゃないけど……ま、私、自分の身の丈を知ったのさ」
とあかりは遠くを見つめた後、視線を落とし、過去をかみしめるように語る。
「私さ、小さいころから大ちゃんのことが好きだったんだよ。大ちゃんは、いつもかっこよくてさー、運動も出来て頭もよくて、顔だってよかった。どんなときでも自信たっぷりで、堂々としてる彼が好きだった。でも、雲の上の存在過ぎて……、私なんかじゃ無理だって、なんとなく感じてた。だけど少しでも側にいたいと思って、小三のとき、野球をやり始めた」
「えー? 野球始めたのってそういう理由だったんだー? 私、全然知らなかった」
「ま、誰にも言ってないしねー。言えないから野球やってたわけだし……、当然だけど」
あのころのあかりは、今と変わらず、飄々としていた。つかみどころがなくて、どこに行っても上手く場の空気に合わせ、かといって媚びるわけでもなく、自分のペースも保っている。野球をやっているときも、そんな感じだった。僕や蒼衣みたいに野球に熱心というわけではなく、面倒くさそうにしていたし、センスもなかった。だけど……笑顔は絶やさなくて、よく笑ってた。それは雄大がいたからだったのかもしれない。
「でもさ、中三の時さー、なんか血迷ったていうか……はは、言っちゃったわけよ。で、さっくりフラれて……、現実見たっていうか……、まー、知ってるつもりだったんだけど、改めてスーパースターと、凡人の違いっていうのを感じてしまったわけさ」
「それで諒ちゃんと付き合うことに?」
「そうそう。だってこいつ普通じゃん。なんか悪ぶったり、かっこつけたりするけど、絶対に大ちゃんとかヒナちゃんみたいにはなれないわけじゃん?」
「おいおい。そうとは限らないじゃないか!」
「限るよ。あんたはこっち側の人間だもん。今だってフラフラしてるだけで……、結局、なんにもなれてないじゃない?」
「違うよ。俺だって色々頑張ってるよ」
「でも、モデルになるって言ったって、一回、オーディションに落ちただけで、もう諦めちゃったじゃん」
「諦めてないから。これからもうちょっと自分を磨いてから受けようと思ってただけで……」
「えー? 諒ちゃん、モデルになりたいの?」
「そうそう。こいつファッションモデルになりたいんだって。笑えるよね」
「なんとでも言えよ」
「そっかー、モデルかー」
「もうちょっと身長ないとねー。厳しいよねー」
「うーん、私にはわからないけど……、頑張って」
「まあ……、俺だってわかってるよ。雄大たちみたいにはなれないってさ」
「そうそう。こっち側の人間」
「でもさ……、そっち側に行きたくてもがいてみたっていいじゃん」
「うん。その気持ちは私はよくわかる。だから付き合ってんだよ。あんたとさ」
「あかり……」
二人は共感しあったのか、二人の中だけで通じあう。視線を合わせ、言葉が止まる。言葉なんていらないのだ。それを見ていた蒼衣は、目をぱちくりさせたあと、気まずそうに僕のおなかにワンパンを入れる。痛い。蒼衣は手加減を知らない。こういうところは、変わらずに子供だ。
「イテテ……、痛いな。……ていうか俺をそういう扱いにするのはやめてくれよ」
僕は二人に訂正を依頼する。
「何が?」
「俺を雄大とかと同じ……そのあっち側とかいうものにしないでよ」
「なんで?」
あかりは真顔で言う。
「だ、だって……わかるだろ。俺は雄大とは違うよ。子供のころは下手だったし、勉強も出来ないし、顔もよくないしさ……、俺は凡人だから」
と言うと、あかりは驚いたような顔をし、諒は困ったような顔をする。その反応の意味がわからなくて、僕もまた困惑する。
「……? ヒナちゃん、それ本気で言ってる?」
「当たり前だろ」
「……そっか、そりゃあ、こじらせるわ」
「は? どういう意味?」
「言わなくてもわかるでしょ。しらばっくれないでよ。大ちゃんと……、それになっちゃんと、上手くいってないんでしょ? 知ってるよ、私」
あかりはやれやれといった表情で一息吐き出す。
「……は? なんだよそれ」
「ごめん……陽太。知ってるんだ。俺も。いろいろ、夏海から聞いててさ」
「はぁ? 諒までなんだよ」
「なっちゃんからね、大ちゃんのこととか、たまに聞いてるんだ。別に詮索してるわけじゃなくてさ、友達同士、お互いの交友関係とか聞くのは自然でしょ? 大ちゃんもヒナちゃんも、私たちお互いにとって知り合いだから、話も弾むし……」
「聞いてるって何をだよ」
「それ……、言わせる? 私に」
「……」
夏海とあかりは友達だ。会話の中で、あかりが言うように、僕らの話題が出ることは自然なことだし、ちょっとディープな話題になることも、時にはあるだろうと思う。
「ヒナちゃん……、今更さ、私が言うことなんて何もないけれど……、大ちゃんは多分、悪気があって、ヒナちゃんに怒ってるわけじゃないと思うんだよ。彼……、優しいけどプライド高くて……、言い方がちょっと遠回しなところあるから」
「……」
雄大とは高校に入ってからも友達だった。
会うことは少なかったけれど、たまにLINEをしていた。
両親の葬式にも来てくれた。
「がんばれ」
なんて声もかけてくれた。
だけど冬に野球をやめてから、関係が悪くなった。
「大ちゃんは……、多分、ヒナちゃんに、立ち向かってほしいんだよ。辛いことだけど……、でもそこで頑張るのがきっと一番のヒナちゃんらしさだって、大ちゃんは思ってるんだよ。そうしなかったらいつまでも変わらないって、そう言いたいんだよ、きっと」
「さあ……? なんだっていいよ。俺にはもう関係ないし」
「ヒナちゃん……!」
「もう野球はやめたし。あいつとはもう……、会うことも……」
雄大が言いたいことはわかっている。
「逃げないで、戦え。立ち向かえ。それがお前らしさだろ」
そんな言葉は僕が一番わかっている。
でも、今はそんな気力がない。戦うには多くの人を傷つけすぎた。
「会うでしょ! だって夏の終わりに、みんなで野球やるんだから!」
と蒼衣が突然に元気よく話す。
「そうでしょ! あかりん。諒ちゃん」
「あ、ああ……そうだな、俺はやってもいいよ。野球」
「うんうん。私も楽しみだよ」
「陽太もでしょ? 野球、みんなでやるんだからね!」
「あ、ああ……」
「と・も・か・く! 野球をやる。わかった?」
「あ、あぁ……わかった」
蒼衣が野球にこだわる理由は相変わらずよくわからないが、勢いだけはある。
「それに……、さっきの話だけどね、陽太はスーパースターだよ。絶対にそうだから」
と蒼衣は自信たっぷりに言う。にんまりと笑い、僕の手を両手で握りしめ、嬉々とした光と共に僕の視線を独占する。
秋山蒼衣。
昔、蒼衣のお母さんから聞いたのは、生まれた日の空が、信じられないくらいに青い空だったから、名前は蒼衣。とのことだった。
蒼衣といると、いつも青空が脳裏に浮かぶ。それは小さいころの思い出が刺激されているからだと思ってた。でも違った。
「陽太は私のスーパースターだからね。スーパースターはファンの期待を裏切ったらダメだから。ね? わかった?」
蒼衣は怒ったように笑いながら、僕に同意を求めてくる。正直、言葉の意味はよくわからない。蒼衣の行動の意味はいつでもわからない。でも、響くんだ。心に、蒼衣の言いたいことが広がる。蒼衣が照らす世界は、あのころの夏のような青空が広がる。どこまでも澄んで、広がっていく世界は、心地がよくて、清々しい。




