〇八六 三路侵攻作戦
~~~魏 許昌の都~~~
「夷陵の戦いで劉備君は大敗した。
呉軍はそのまま益州へと雪崩れ込むだろう。
僕らはこの機に乗じ呉を討つ。返す刀で益州を討ち、天下一統さ」
「おおっ! なんと素晴らしい! 曹丕陛下バンザーーイ!!」
「……恐れながら申し上げる。
呉軍は本当に益州を攻めるであろうか。
もし我々の侵攻を予期していたとすれば、苦戦は免れますまい。
それよりも主力の大敗で、力の疲弊した蜀を
攻めるほうが良いかと考えますが……」
「蘇則君はこれまで異民族の相手ばかりしてきたから、
遠大な計略というものが理解できないのだろう。
益州を攻める好機をみすみす逃すほど、陸遜君も愚かではないよ。
もし万が一、僕らに対し防備を固めていたとしても、
疲れ果てた呉軍など敵ではないさ」
「……差し出がましいことを申しました」
「別の席でも言ったが、君らの発言は僕の参考になることもある。
今後も遠慮なく忌憚のない意見を述べたまえ。
――それはそうと、軍の編成を発表しないとね。まずは曹休君」
「アイムヒア」
「君は張遼君、臧覇君とともに洞口を攻めたまえ」
「陛下、張遼は病を得て床に臥している。
別の者を選んだほうが良いのではないか」
「元気な良将より重病の張遼君のほうが使えるよ。
それに彼は陣中にいるだけで孫権君の心胆を寒からしめるだろう。
――次に江陵方面。
こちらは曹真君が総大将で、徐晃君、張郃君、満寵君、夏侯尚君が副将だ」
「待たれよ陛下。曹真殿は長安の守りを固めておられる。
軽々に動かすべきではないと考えるが」
「蜀軍の主力が夷陵で大破された今、長安の防備を考える必要はないよ。
楊阜君ら関中勢が残っていれば十分さ。
それでも心配なら、暇そうな曹洪君でも向かわせたまえ」
「……承知しました。曹真殿、曹洪殿にお伝えいたそう」
「そして濡須は曹仁君に任せよう」
「おう! 副将は誰を付けてくれるんだ?」
「いないよ。洞口に兵力を集中させるから、君の手勢だけで足りるだろう。
不満なら誰か付けてあげてもいいけど?」
「そういうことなら俺だけで十分だ! 鍛え上げた新戦力を試してやる!」
「樊城で無様に散っていった連中の代わりかい。それは楽しみだね」
「! …………おうよ!」
「そして僕は宛城に入り、各方面のどこへでも進めるようにしておこう。
留守は王朗君、程昱君を中心に頼んだよ。
この戦で呉を決定的に叩く。励みたまえ、諸君」
「ははッ!」
(……軍師団の意見はことごとく退け、
曹休、曹真ら若手を除き一門衆は第一線から退ける。
曹仁殿でさえ一方面の牽制役の扱いだ。
曹操政権とは全く違う、自分の色をこうして示されるか……)
~~~呉 建業~~~
「陸遜殿の読み通り魏軍が動きました!
洞口、江陵、濡須の三方面から攻め入る構えです!」
「おうおう、せっかく頭を低くしてやってたってのに、
曹丕のヤローから主従関係を破棄しやがったか。薄情なヤローだぜ」
「あっはっはっ。
曹丕も面従腹背を絵に描いたような孫権艦長に言われたくはないでしょう」
「違えねェや。はっはっはっ」
「笑いごとではないぞ! 夷陵で1年以上も蜀軍と戦い、
そのうえ魏軍に攻め入られるとは、国家存亡の危機であろう!」
「なーに。陸遜のおかげで曹丕が攻めてくるのはわかってたんだ。
腹がくくれてて、備えもできてんのに危機もなんもありゃしねェよ。
っつーことで、まずは呂範」
「ああ。洞口の守備は任せよ」
「張遼に臧覇を使うたァ、曹丕は洞口の攻略を一番に考えてるようだ。
おめェには徐盛、全琮、賀斉を付ける。
徐州の豪族だった糜芳も道案内に役立つだろうよ」
「張遼は重病だと聞く。守勢に徹して、張遼が死ぬのを待つのも悪くないな」
「おうよ。死にぞこないでもアイツは怖ェもんな。
――で、江陵には諸葛瑾、それに潘璋を向かわせろ」
「……失礼ながら諸葛瑾殿は戦の経験は少なく、潘璋は一部隊の長に過ぎません。
大軍を任せるにはいささか不安を感じますが」
「でもよォ、孫桓や韓当、甘寧は負傷してるし、
山越どもの備えに呂岱、歩隲は残したいしな。
使える将が足りねェんだよ」
「フゥー! 誰か忘れてないかい艦長? ここは俺を指名する時じゃないか?」
「孫韶か。おめェみたいな派手な奴を忘れるわきゃねェだろ。
悪ィがおめェはオレの手元に残ってろ。遊撃隊だ」
「だったらどうするんだい? 俺も正直、諸葛瑾さんや潘璋じゃ不安だぜ?」
「……そうだ、朱然がいるじゃねェか!」
「し、朱然なら夷陵の戦いで行方不明になっておりますが……」
「誰も死体を見つけたわけじゃねェんだろ。
だったら帰ってくらァな。朱然が戻るまで、諸葛瑾と潘璋で持ちこたえろ」
「はいはい、かしこまりました」
(孫権艦長がここまで朱然を信頼しているとは……。
ただの放火魔ではなかったのか……)
「何をボーッとしてんだよ駱統。おめェは濡須の担当だ。さっさと行け」
「はッ!? わ、私ですか。しかし私は指揮官の経験は――」
「うぬぼれんな。濡須には守将の朱桓がいるだろうが。
朱桓の副将をしやがれってんだ」
「朱桓? しかし、朱桓こそろくに戦の経験はないと思いますが……」
「だーかーらー。将がいねェんだよ。それに戦は経験だけでするもんじゃねェよ。
濡須の守将だった周泰がくたばって、後任に朱桓を推したのは呂蒙だ。
同じく呂蒙が推した陸遜の実力は見ただろ? 陸遜にろくに経験があったか?
オレはそんなもんより、呂蒙の眼力を信じるぜ」
「わかりました。朱桓殿の補佐をさせていただきます」
「軍の手配はこんなところでいいか?
まあ、細けェことは夷陵に残ってる陸遜に聞いてくんな。
知っての通りオレは戦はあんまり上手くねェ。
オレが出張るような事態にならねェよう、がんばってくれや。頼んだぜ!」
「「「はッッッ!!!」」」
~~~魏 洞口方面軍~~~
「フフン。あれが呉のネイビーですか。
さすがに数だけは多いですね。統率もまずまず取れていそうだ」
「おい、なんだあの右翼に展開した山のように巨大な軍船は……。
おまけに金色に輝いてやがるぞ。なんて悪趣味なんだ」
「おそらく賀斉とかいうヤローの船団だろ。大富豪らしいぜ」
「……時に張遼。お前、身体は大丈夫なのか?」
「心配いらねーよ。大丈夫だろうがなかろうが、戦場に出たからにはやってやらあ」
「……屈強を誇った夏侯惇殿や、若い温恢でさえ病には勝てなかった。
無理はするな。お前はいるだけでも相手をビビらせられるんだからな」
「泣く子も黙る遼来来ってか。へっ。そりゃ楽でいーぜ」
「呉の水軍に動きがありました。後方の船団があちらへ移動しています」
「うかつに動けば必ず隙が生まれますよ。これはチャンスで――。
おや、このウエストからのウインドは……」
「どうやら突風が吹きそうだな。それも我らにとっては追い風になるぞ」
「フッ……。このウォーズ、いただきましたよ!」
「おい、待てよ。オレらは、つーか魏はまだ呉と国交を断絶してねーぞ!
宣戦布告もなしに奇襲を仕掛けるつもりか!?」
「何をいまさら……。
建前はどうあれ、こうして互いに兵を展開し、
にらみ合っている様子が見えないのか?
せっかくの好機をみすみす見逃せと?」
「曹丕陛下はすでに開戦を命じられています。
それが早くなるか遅くなるかの違いですよ。
さあ、このウインドに乗って突撃しなさい!」
「曹休、お前――」
「この軍の指揮官はミーです! ミーの意志は陛下の意志と同様ですよ。
ああそうだ、張遼殿は病で無理はさせられません。
後方に下がっていただいて結構ですよ」
「チッ……。これが曹丕やテメーらのやり方か……」
~~~呉 洞口 呂範軍~~~
「曹休め! 宣戦布告はまだであろうが!
突風に乗って奇襲を仕掛けてくるとは卑怯な!」
「がっはっはっ! 面白い! 面白いぞ!
やってくれたな小僧! 目にもの見せてくれるわ!!」
「徐盛殿! 早まられてはいけません!
――駄目だ、手勢を率いて行ってしまわれた……」
「徐盛を見殺しにはできん。全琮、お前は後を追い加勢しろ。
この場は私と賀斉が引き受ける」
「承知した!」
「ヒッヒッヒッ。恐慌をきたし、憔悴しておるぞ。
呉の船団を思うがままに蹂躙してやれ!」
「くっ……。敵の船団にもうここまで切り込まれたか……」
「呂範殿。戦線は崩壊しつつある。もはや撤退するしかあるまい」
「だが、我々が退けば徐盛や全琮が孤立するぞ!」
「心配いらん。
彼らの向かった方角にいる敵船団は、すでにワガハイがあらかた買収した。
ワガハイらも急ぎ徐盛殿らと合流し、退却するとしよう」
「むう……。いたしかたあるまい。撤退だ!」
~~~魏 臧覇軍~~~
「うおおおおおっ!! 道を開けろ雑魚ども!
ワシの行く手をさえぎるならば――。
んん? あんまりさえぎられんのは気のせいか? 勝手に敵がどいて行くぞ」
「おい、周囲の船団は何をしてやがる?
戦いもせずに徐盛から逃げ回っているぞ!」
「どうやら敵に買収されているようです。
あっちの方角から買収を誘う手紙と金貨が風に乗ってばらまかれています」
「……曹休の卑怯な奇襲といい、これが戦と呼べるのか。
くだらん! 俺は抜けさせてもらうぞ!
曹休には山賊は船酔いしたとでも伝えておけ!」
「良いのですか? 曹休殿が黙ってはいませんよ」
「俺は曹休の部下ではない! 魏の臣下だ!」
「……では、私もお供いたします。主力の臧覇殿が撤退したら戦えませんので。
退却するなら、あちらからがよろしいと思います」
「フン! 好きにしろ!」
~~~呉 洞口~~~
「あっちゃあ……。ずいぶん手酷くやられたアルね。
軍船がほとんど焼き払われてるじゃないアルか」
「違う。我々が焼き払ったのだ。
風向きが逆転したのを見計らって、船に火を放ち敵軍に突入させてやった」
「……どっちにしろ、これだけ船を失ったら水戦は無理アルね」
「敵も火に巻き込まれて多くの船を失った。
また主力の臧覇と張遼が急病のため後方に下がり、動きがとれないようだ」
「戦線は膠着しつつあるな。当初の予定通り、持久戦になりそうだ」
「張遼や臧覇が死ぬのを待つのか? つまらん戦だな!
それにワシの見たところ、臧覇は仮病だぞ」
「仮病にしろなんにしろ臧覇が戦意を失っているのは間違いあるまい。
魏軍はワガハイの買収工作で動揺しておるし、
船もないのではもはや攻め入る力はないだろう」
「この洞口を落とされなければそれで良い。
後は同時に攻められている江陵や濡須の動向を見守るとしよう……」
~~~呉 江陵~~~
「おや。そちらにいらっしゃるのは韓当様ではないですか。
負傷されて療養中だったのでは?」
「おい、やめろよ。黙って療養所を抜け出してきたんだ。
俺はここにいねえ。わかったな」
「アンタみたいな目立つジジイが隠密行動なんか無理だろ。
それより、せっかくだから指揮を取ってくれよ。
俺らは指揮官って柄じゃねえからな」
「俺も同じだ。後方で指揮を取るなんてヘドが出るぜ。
……第一、この傷を見ろ。片腕を斬られちまった。もう長くはもたねえよ。
俺は戦場で死ぬために戻ってきたんだ」
「そうですか……。それなら無理強いはできませんね。
指揮は僭越ながら私が――」
「指揮は俺が取ってやる」
「朱然! てめえ無事だったか!」
「ああ。危うく土耳古までぶっ飛ばされるところだったが、
崔禹が身をていして救けてくれたぜ……。
犠牲になった崔禹のためにも、魏軍は俺が消し炭にしてやる!」
(何をどうしたら土耳古まで飛行中の朱然を救けられるのだ?)
「で、状況はどうなってやがる? 空から戻ったばかりでよくわからないんだ」
「魏軍の夏侯尚が長江の中州を占拠して、曹真や徐晃と連携して城を攻撃している。
さらに張郃が背後に回って補給線を断とうとしてるぜ」
「彼我の兵力差は絶望的です。
我々は籠城するしかありませんが、補給線を断たれてはそれもおぼつきませんな」
「ならば張郃は俺が片付けてやる。兵を5百ほど借りて行くぞ」
「……返事も待たずに行ってしまいましたね。どう見ても生き急いでらっしゃる」
「あるいは死に場所を求めてるんだろうよ。
――で、どうするよ朱然?」
「俺も籠城策に異存はない。
数ヶ月も経てば長江の水かさが増し、中州を占拠している部隊は撤退する。
その機に乗じて追撃をかければいい」
「ほほう。放火魔のあなたが水を利用するとは驚きましたね」
「火火ッ。人間、死にかければ考え方も変わるってもんよ。
それに安心しろ。追撃の際には思う存分、火を点けて点けて点けまくってやるぜ!
――で、誰が放火魔だって?」
~~~魏 江陵方面軍~~~
「大軍をたてにひと呑みしてやるつもりだったが、江陵城は陥落する気配がないな」
「江陵城は関羽の荊州における後方拠点で、大量の武具や兵糧が備蓄されていた。
それを呂蒙が奇襲で落としたため、備蓄はそのままに残されている。
籠城の備えは万全なのであろう」
「にしても、攻城戦ってのは退屈だな。
こんなのがいつまで続くんだい大将?」
「一年か、あるいは二年か。それ以上やもしれぬ」
「数年がかりだって? かーっ! やってらんねえよ大将!」
「まったくだ! こんなことなら山賊稼業のほうがマシだぜ!
大将、俺たちは解任してくんねえかな? 泰山に戻りてえや」
「勝手を言うな。
……我慢がならぬならば、張郃殿を手伝って参れ。
敵の伏兵が城外に出てきて、小競り合いをしているそうだ」
「おっ。そっちの方がよっぽど面白そうだな。
へへっ。じゃあ俺らはチョウコウさんとやらを手伝ってくるぜ」
「攻城戦は任せたぜ大将!」
「……規律を重んじる徐晃殿の配下らしからぬ者たちだな」
「亡き先帝(曹操)が直々につけてくださった副将たちだ。
ちと堅物のきらいがあると言われる拙者のため、
あのような型破りな者たちをつけてくれたのだろう」
「まあ、確かに面白い連中だが……。
曹操様らしい人材活用だな。曹丕には考えもつくまい」
「曹真殿は曹丕陛下と兄弟同然に育ち、先帝にも子息のように思われていたのだったな」
「ああ。曹丕は昔っからああいう奴だと言えばそうだが、
しかし皇帝になってから、ますます……。
いや、なんでもない。忘れてくれ、徐晃殿」
「承知」
「曹真殿! 他の方面軍の情報が入った。
洞口も濡須も、どちらも苦戦を強いられているそうだ」
「……不意をついたはずなのに、呉軍は我々の侵攻を
予期していたように厳重な備えをしていた。
やる前は一撃で平らげられると思ってたんだがな」
「拙者らも長期戦は免れまい。
せめて相手の反撃を封じ、敗北だけはしないようにいたそう」
「三方面のどこかで戦況が動けば、他の二方面の状況も変わるだろう。
曹仁殿や曹休殿に期待するしかないか……」
~~~呉 濡須~~~
「駱統サンよ。戦争ってなあ、どうやってやんか知ってんか?」
「そ、そうですな……。やはり地の利を得て、しかる後に天の時を知り――」
「おいおい、俺は兵法の講義をしてくれなんて頼んじゃいねえぜ。
頭でっかちのアンタに教えてやんよ。戦ってのはな、これがモノを言うんだよ」
「腕……ですか?」
「そうだ。大将の腕だ。
戦の勝敗ってなあ、兵力差が何万あろうと、結局は大将の腕で決まんだよ。
曹丕は俺の足元にも及ばねえ。曹仁は曹丕以下だ。
だったら俺が勝つに決まってんだろ」
(指揮官としての経験はほとんどないのに、この自信はどうだ。
だが兵力で圧倒されている現状では、このふてぶてしさは頼もしく思える)
「焦ることはねえ。敵は遠征で疲れてるし、堅固な濡須城を力攻めする気もねえ。
小細工を仕掛けてきたところで、逆に俺の罠にはめてやんよ」
~~~魏 濡須方面軍~~~
「洞口も江陵も戦線が膠着しているそうだな!
だったら兵力差で優勢な俺たちが大勝利を収め、戦況を動かしてやろうぜ!
誰かいい知恵を出しやがれ!」
「私はイマジン……。ならば兵を二手に分け、呉軍を誘い出しましょう」
「陽動作戦か?」
「一隊を濡須城の背後に回します。
そうすれば呉軍も城から兵を出してカムトゥギャザーするでしょう。
城を出てくるのが朱桓の本隊ならば、すかさず包囲殲滅します。
朱桓が城に残ったままならば、別働隊を叩き、
朱桓が救出に出てくるのを待ちましょう」
「朱桓がどう動いても、我々は臨機応変に対処できるな」
「面白い! そんなら背後に回る役は俺がやってやる!
そうすりゃ朱桓はよりあわてるだろうからな!」
~~~呉 濡須~~~
「魏軍が動きました! 曹仁自ら兵を率いて濡須の背後に回ろうとしています。
さらに洞口方面への進出も狙っているのでしょう。
もし曹休軍と合流すれば、洞口も危機に陥ります!」
「あわててんじゃねえよ。ようやく焦れた敵サンが動いてくれたんじゃねえか。
勝機が見えたぜ。駱統サンは2千の兵を連れて、曹仁軍を追ってくれ。
ただし、2千の兵を4千に見せかけろ」
「4千にですか? 隊列を広くし、旗指物や軍楽隊を増やせば可能ですが、
そのまま戦闘となれば不利になりますが」
「曹仁とガチでやり合えなんて言わねえよ。
単純な引き算だ。俺らは5千の兵を持ってる。そこから4千を引けばいくつだ?」
「……1千です」
「濡須城に1千しかいねえと思えば、敵サンも城攻めを考えるだろうよ。
そうしてほいほいやって来たとこに、
3倍の3千の兵が待ち構えてたら……これは面白えことになるぜ」
~~~魏 濡須方面軍~~~
「曹仁将軍! 駱統が4千の兵を率いて濡須城を出たそうだ!」
「4千だと!? ずいぶん多いじゃねえか! こりゃ濡須城は空も同然だぞ!」
「事情が変わりました。全軍を挙げて攻撃すれば、
レット・イット・ビー、城を落とせるでしょう」
「呉軍め、あわてて判断を誤ったな!
よっしゃ! 駱統は俺が食い止める! お前らは反転して濡須城を攻め落とせ!」
~~~呉 濡須~~~
「まだだ……。もっと引きつけろよ。
俺らは1千しかいねえことになってんだ。息を潜めてろ。
…………今だ、撃てえぇぇぇ!!」
「濡須城から一斉射撃だ!
だ、だがこれは……1千の兵にしては矢数が多すぎるぞ!?」
「イエスタデイに4千の兵が出撃したと聞いていたが……
さては偽兵の策だったか!」
「敵は泡を喰ってるぞ! 蹴散らすぜ野郎ども!!」
「し、朱桓が出撃してきたぞ! やはり3千はいる!」
「敵将はそこかああっ!!」
「へ――ヘルプ! 王双ヘルプ! ぎゃああああああ!!」
「常雕ッ!!」
「そいつも大将だ! 引っ捕らえろ!」
「ぐわっ! む、無念…………」
~~~魏 江陵方面軍~~~
「濡須方面の曹仁様が敗走しただと!?」
「うむ。呉軍の策にはまり、大敗を喫したそうだ。
洞口方面の曹休殿も撤退の準備に掛かっている」
「ならば俺たちも退却を考えるべきか……?」
「しかし我々は江陵城を包囲し、優勢に事を進めている。
援軍への対処も万全であり、城が陥落するのは時間の問題だ」
「城内には疫病がはびこり、士気もどん底に落ちていると聞く。
濡須、洞口に展開した呉軍も、そうすぐには援軍に来られないだろう。
我々はここに踏みとどまり、江陵を平らげるべきではないか?」
「御意。拙者も賛成いたす」
「ならば――」
「将軍方! 曹丕陛下の勅使として参りました」
「おお、董昭。都からわざわざやって来たのか。陛下からの勅使だと?」
「陛下は急ぎ撤退をするように命じています」
「撤退!? なぜだ! 江陵城は間もなく陥落するのだぞ!」
「いいえ。窮地に陥っているのは将軍方のほうです。
なぜならば――」
~~~呉 江陵~~~
「妻よ……。なんだか外が騒がしいね……。
あなた、心なしか川の水が増えていません?(夏侯尚裏声)」
「夏侯尚殿! ここは危険だ! 急ぎ撤退せよ!」
「撤退……? しかし江陵城は陥落寸前に――。
あなた大変よ! 呉軍が打って出てきたわ!(夏侯尚裏声)」
「火火ッ! 長江が増水し、中州の夏侯尚軍は取り残されつつある!
今こそ殲滅する時だ!」
「浮き橋を狙いましょう。敵の退路を塞ぐのです」
「ってことは俺の火の出番だな! 火火ッ! 浮き橋を燃やしちまえ!」
「くっ! ひと足遅かったか!
夏侯尚殿、急ぎ俺の軍船に乗り移れ!」
「ほら、船に乗るよ……。足元に気をつけるんだよ妻よ……。
ああっ! あなた危ない!!(夏侯尚裏声)」
「お前らに逃げ場はねえぞ! 観念しな!」
「川の中から韓当が現れただと!? 夏侯尚殿、射たれたが大丈夫か!」
「わ、私は大丈夫です……。妻が身をていして守ってくれましたから……。
妻……。妻よ……返事をしてくれ……。
………………あなた、どうかご無事で。がくっ(夏侯尚裏声)」
「夏侯尚は妻(?)を失い動揺していますよ。
今のうちに包囲するのです」
「気をしっかりもて夏侯尚殿! 気の毒だが奥方はすでに死んでいる!
早く逃げるんだ!」
「妻よ……。ああ、妻よ……。
私は信じないぞ……。お前が死んだなどと……」
「張郃! 夏侯尚に構っている暇があるのか! 喰らえ!!」
「くっ! し、しまった。俺の剣が弾かれ――」
「死ねええっ!!」
「おーっと危ねえ!
どうした張郃? あんたとしたことが隙だらけだぜ」
「そ、その顔は于禁殿!? どうしてここに……」
「へへっ。俺っちは関羽に降伏して以来、気ままな身分に落とされたからな。
張郃の軍に一兵卒として潜り込んでたんだ」
「于禁だと? これはいい相手にめぐり会えた」
「さあ張郃、ここは俺っちに任せて夏侯尚のダンナと一緒に逃げな。
なあに気にすんな。俺っちはただの一兵卒だって言ったろ。
俺っちが死のうが生きようが誰も心配しねえよ」
「于禁殿……。すまぬ、ここは任せた! 行くぞ夏侯尚殿!」
「妻よ……。妻よ……」
「…………ケッ。なんだかてめえからは、俺と同じ匂いがすんな」
「よせよ。ダンナほど磯臭くはないつもりだぜ?
……冗談だ。たしかに俺っちとダンナは同類のようだな。
死に場所を……探してんだろ?」
「ああ。ようやく見つけられた気がするぜ」
「奇遇だな。俺っちもさ! さあ、やろうぜダンナ!」
「行くぞ于禁! うおおおおっ!」
~~~呉 江陵城~~~
「張郃と夏侯尚には逃げられたか……」
「だが追撃でさんざん叩いてやったし、曹真と徐晃にも大打撃を与えてやった。
昨日まで城が落ちるか死ぬかって騒ぎだったんだぜ。贅沢言うなよ」
「たしかに大戦果です。
三方面とも魏の侵攻を退けましたし、上々の出来でしょう。
……しかし、韓当将軍が戻られません」
「…………見つけたんだろうよ、死に場所ってヤツを」
「お~~い。みんな元気~~?」
「陸遜将軍!」
「……今さらのこのこ出てきやがって。
アンタ、今まで何してやがったんだ?」
「そう言わないでよ~。ボクはボクで大変だったんだから。
みんなの兵糧の手配したり、山越に対処したり、
交州を牽制したり、蜀と和睦したりさ」
「さ、さようですか……。
…………んん!? し、蜀と和睦!?」
「り、劉備と和睦したのか!?」
「うん。だって魏軍と戦ってる間に、また劉備さんに攻められたら大変じゃん。
夷陵で大敗してそんな元気はないだろうけど、万が一ってこともあるしね。
まあ和睦って言うか、不戦条約だね。
こっちは攻めないからそっちも攻めないでね~って」
「……火火ッ。アンタはアンタでいろいろやってたんだな」
「ボクだって遊んでたわけじゃないから、そこんとこ誤解しないでよね。
あ、そうそう。その劉備さんなんだけど、もうすぐ死んじゃいそうだよ」
「ええっ!?」
「逃げ込んだ白帝城に留まってるんだけど、
城の名前を永安なんて名前に改めちゃってさ。
たくさん家臣が死んじゃって、ずいぶん弱気になってるみたいだよ。
もう一年ももたないんじゃないかな……」
~~~~~~~~~
かくして呉は魏の三方面からの侵攻を退けた。
一方、失意の劉備は白帝城を永安と改め、死の床に就く。
桃園の誓いは果たされぬまま終わりを告げようとしていた。
次回 〇八七 桃園の誓い




