〇八二 蜀の明暗
~~~武陵~~~
「……………………」
「あぁん? 何者だてめえ」
「見たところ劉備んとこの部下らしいな?
なんの用だ。孫権のように俺たちの協力が欲しいのか?」
「だがあいにくだったな。
うちの族長は大陸一の面倒くさがりなんだよ!
お前らに協力するくらいなら、いやそれどころか寝てばかりで、
立ち上がるくらいなら死を選ぶほどのレベルのな!」
「族長は寝ながら飯を食うしクソも垂れるんだぜ!
それですら一週間に一度やればいいほうだ!
わかったらさっさと帰りな!」
「……………………」
「…………なんとか言ったらどうだてめえ!?
さては俺たちをなめてんな!」
「……いや、待て杜路。こいつのこの目……。
ぞ、族長に似ていると思わねえか?
起きてるのか寝てるのかもわからねえ虚ろな光。
何もかもがどうでもいいと言いたげな目つき……」
「なんだと? ま、まさか、こいつも真性の面倒くさが――」
「……………………」
「ぞ、族長!?」
「あ、ありえねえ……。族長が立って、し、しかも歩いてる……」
「……………………」
「……………………」
「あ、握手を交わしてハグまでしだしたぞーーーッ!?」
「き、共感しているんだ!
こ、こいつと自分は同じだと、あの族長が……。
あ、ありえねえ。ありえね……ありありありありありありあり」
「と、杜路! 気をしっかり持て! 杜路ーーーッ!!」
「………………」
「……………………」
~~~夷陵 劉備軍~~~
「……………………」
「ほうほう、これは馬の絵かのう。
ほんでこっちは棒……いや槍か? それに剣かな。
わかったぞ、武器を描いとるんじゃな」
「……………………」
「これは人か? ずいぶん大きく描くんじゃのう。
はは~ん。さては偉い人とかを表しとるんかな?」
「……………………」
「へ? ほんでせっかく描いたものをみんな地面に埋めちまうのか?
さっぱり意味がわからんのう……」
「…………何してんのよ? 誰その汚いジジイは?」
「おお張さん。こちらは仙人の李意其さんじゃ。
予言が得意じゃと聞いて、わざわざ来てもらったんじゃよ」
「あっそ。ご苦労さん。
銅貨をあげるから帰っていいわよ。しっしっ」
「……………………」
「おいおい張さん、仙人にそんな邪険な……。
すまんかったのう李意其さん。
張さんはご機嫌ななめのようじゃ」
「そりゃご機嫌もななめになるわよ。
得体の知れないジジイがいるわ、
前回から無口キャラが連発で何人も登場してるわで」
「おっ、張さんが久々にメタ発言じゃ。
――そんなことより李意其さんの予言をどう思うかのう?
戦の吉凶を占ってもらったんじゃが……」
「そんなことはどうでもいいわよ!
孫権の援軍がこっちに向かってるわ。
しかも率いてるのはあの陸遜よ」
「りく……そん?」
「呂蒙と一緒に関羽を殺したヤツよ!」
「おうおう、あの陸遜か! それはいよいよじゃな」
「いよいよよ。陸遜の首を挙げるのが
今回の遠征の目的と言ってもいいからね。
――そこで提案よ。軍を4つに分けましょ。
右軍の程畿らに夷陵の孫桓を包囲させて、
他の隊は先に進み陸遜を叩くの」
「ほうほう」
「そんで左軍の黄権は長江の北岸に渡らせ、
陸遜を挟撃するように見せかけるわ。
さらに呉班、陳式の水軍を先行させ、敵の目を引きつける。
三方から兵を進められて、混乱した陸遜を一気に討ち取るわよ」
「なるほどのう。ま、この戦の軍師は張さんじゃ。
好きにやっとくれて構わんぞ」
「ええ、もちろんそのつもりよ。
――伊籍、左右の両軍にこの指示を伝えて」
「はい!」
~~~夷陵 陸遜軍~~~
「ふ~ん。劉備さんは兵を2つに分けたのかあ」
「2つではない。4つだ」
「ううん。2つだよ。
孫桓さんへの備えと、ボクらを叩くための本隊。
あとの2つはただの目くらまし。相手にしなくていいと思うよ」
「左右に展開した黄権軍と水軍は無視すると言うのか?
万が一のことがあったらなんとする?
あいわかった、黄権軍はワシの手勢で食い止めよう!」
「……ならオレは水軍の相手してきてやんよ。
ここにいるより楽しそうだし。じゃ、つーことで」
「じ、徐盛将軍と甘寧将軍が行ってしまいましたぞ。
将軍らの500程度の手勢では危険なのでは?」
「だから黄権も水軍も見せかけだってば。
500もいれば十分だよ。
まあ、お二人はボクの言うこと聞いてくれそうもないし、
ちょうどよかったかな?
それよりボクが気になるのは武陵のほうなんだよね~」
「武陵と言われますと……武陵蛮ですか?
しかし彼らが劉備軍に協力するとは思えませんが……」
「でもほら、劉備さんって扇動が得意じゃん?
荊州は長いこと劉備さんが治めてたから、民も懐いてるしさ。
だから武陵にも手を打っとこうと思うんだ。
歩隲さん行ってくれる?」
「わかった。行ってくる」
「待って待って! そっちは歩隲さんの手勢だけじゃ危険だよ。
うーん、そうだなあ。兵は1万くらい連れてって」
「い、1万ですと!?」
「私は先に向かう。後から兵を送ってくれ」
「歩隲さんはあいかわらずせっかちだなあ……」
「……陸遜殿。たしかに武陵蛮が劉備に味方すれば
我々にとって脅威となりますが、
敵に回るかどうかもわからない相手に、
1万もの兵力を割くのは得策とは思えませんが?」
「でももし敵に回ったら脅威なんでしょ?
だったら手を打っておかないとね。
備えあればうれしいって言うじゃん」
「……ならば陸遜将軍。
夷陵に籠城している孫桓殿の救援はいかがいたそう。
俺がひとっ走り行って参ろうか」
「孫桓さんなら大丈夫でしょ。
ボクと仲良しだけど若いのにしっかりした人だし、
劉備さんも本気で夷陵を攻め落とそうなんて
思ってないから、ほっとけばいいよ」
(孫桓に援軍を送らず、
敵に回るかどうかもわからぬ武陵に大軍を送るだと?
それに小勢の徐盛将軍や甘寧将軍に何かあったらどうするのだ。
この男、やはり戦はズブの素人ではないか!)
「なあ、陸遜サンよ。俺に面白い考えがあるんだがな」
「なになに? 教えて教えて」
「劉備の野郎は関羽の仇討ちに来てやがんだろ?
だったら仇の俺や馬忠が囮になって、
劉備らをおびき寄せたら面白くねえか」
「え!?」
「それは面白いなあ~!
……でも危険だよ。それでもやってくれるの?」
「おう。うまいこと劉備や張飛をおびき寄せたら、
大手柄を挙げられるぜ。やってやんよ」
「し、正気ですか潘璋将軍……」
「何をびびってやがんだよ!
ペーペーだったお前がこうして
軍議の場に顔を出せるようになったのも、
関羽殺しに貢献したからだろうが。
もっと手柄を立ててもっと出世したいと思わねえのかよ」
(こんなことになるなら貢献しなけりゃよかった……。
っていうか俺は別に何も貢献してないのに……)
「そういうわけで俺たちは前線に出て劉備らを挑発してくるぜ。
おっと、その前に他の部隊に売り払っちまった
装備を買い戻さねえとな」
「じゃあお願いするね。
潘璋さんがおびき寄せた敵を叩く伏兵は用意しとくから。
気を付けていってらっしゃーい」
(不可解な用兵をしておいて、
潘璋の乱暴な策には一も二もなく同意とは……。
呉は陸遜の手により初陣で滅亡の危機を迎えるのか……)
~~~夷陵城~~~
「俺たちに援軍は来ないだと?」
「陸遜め……ワタシたちを見捨てるつもりアルか!?」
「譚雄は討たれ、崔禹も捕らえられちまった。
今の戦力で包囲を破るのは不可能に近いぜ」
「……なら破らなければいいだろうよ」
「なんだと?」
「幸い夷陵には数年の籠城に耐えられる兵糧の備蓄がある。
包囲は破れなくても、落城はさせないだけの戦力も残ってる。
なら、おとなしく守ってりゃいいじゃねェか」
「火火ッ。ずいぶんと弱気なことだな。
いいのか? 火計を使えば十分に勝機はあるぞ?」
「失敗して城が延焼でもしたら、籠城もできなくなる。
陸遜の奴は、オレらなら夷陵を守りきれる、
劉備軍の一部をここに引き付けとけば十分だって考えてんだ。
余計なことはせず、籠城に専念しようぜ。
下手にオレらが負けたりしたら陸遜も困るだろ」
「……陸遜と幼なじみだそうだが、
ずいぶんとあいつのことを買ってるんだな」
「あいつは天才だよ。だからあいつに任しとけばいい」
「天才アルか。ワタシもそうであることを祈るアルヨ!
暇だから陳武流奥義の修行でもしてくるアル!」
~~~夷陵 劉備軍~~~
「劉備! 潘璋よ! 潘璋と馬忠が最前線に出てきたわ!」
「はんしょ……ああ、関さんを殺したあいつらか!」
「のこのこ顔を出してきて、アタイらを挑発してるわ。
アイツらの首を挙げる絶好の機会よ!」
「待たれよ。潘璋らの行動はあまりにもあからさま過ぎる。
これは罠ではないか」
「ええ、罠よ。そんなことは百も承知よ。
でも潘璋と馬忠が目の前にいるのは事実。
だったら罠だろうとなんだろうと喜んで掛かってやるわよ!」
「張さん……」
「悪いけどアタイが軍師をやるのはここまでよ。
アタイは潘璋と馬忠を付け狙ってやるわ」
「あいわかった。私とて張飛殿たちの桃園の誓いは知っている。
後のことは我々に任せ、存分に戦われよ」
「ありがと……。
王甫や張苞、星彩は置いてくから、こき使ってやって。
アタイは手勢だけで戦うわ。
大丈夫よ。アタイの強さは知ってるでしょ?」
「張さんのことじゃからなーんも心配しとらん。
わしの代わりに関さんの仇討ち、頼んだぞ。
……でも、無理はしたらいかんからな」
「わかってるわ。アンタはアンタでがんばって陸遜を倒すのよ。
余計なことはしないで、傅彤や王甫の言うことをよく聞きなさい。
いいわね」
~~~夷陵 張飛軍~~~
「ち、張飛です! 張飛が一直線に向かってきます!」
「距離をとって矢を射かけろ! 近づくんじゃねえぞ!」
「そんなヒョロヒョロ矢なんて当たらないわよ!」
「効きません! 矢はまったく効きません!」
「効かねえことはわかってんだよ! ただの時間稼ぎだ!
そろそろだと思うが……」
「掛かったな張飛! 野郎ども張飛の背後を襲え!」
「張飛ママ! 後方から敵が現れたわ! ママのお尻が危ない!」
「うしろは無視して突撃しなさい!
アタイのオカマ掘ろうなんて百年早いのよ!」
「し、周泰の弟・周平ここにあり!
亡き兄に代わり張飛を止めてやるぞ!
ディーフェンス! ディーフェンス!」
「ママ! 左からも伏兵よ!
このままじゃ囲まれて逝っちゃうわ!」
「次から次へと……とりあえず左だけ片付けてやる!」
「ああっ! 張飛が本当に来た!!
ディーフェンス! ディーフェ……うぎゃああああああ!!」
「またモブキャラを殺しちゃったわ……。
どうしてアタイが討ち取るのはこんなのばっかりなのよ!」
「周平がやられたか。周泰の弟だからと期待しすぎたようだな……。
そ、それより周平の左軍がいなくなったが
このまま我々の右軍も突っ込んでいいものか……」
「ママ! 右からも伏兵よ!
いやああ! 右から後ろからなんてダメええ!!」
「……なんか右の伏兵はどうしようか迷ってるみたいね。
潘璋を討とうにもこのままじゃ囲まれちゃうわ。
右の伏兵を蹴散らして包囲を突破するわよ!」
「な、何ィ!? ち、張飛がこっちに来た!
こんな展開は聞いてないぞ! ひ、退け! 退けーーーい!!」
「チッ! 鮮于丹もあっさり敗走しやがった。
陸遜の用意した伏兵はまるで役立たないじゃねえか!」
「わ、我々も逃げましょう!
これでは包囲どころではありません!」
「そうするっきゃねえか……」
「包囲を突破していったん逃げようと思ってたけど……
どうやら相手のほうが浮き足立ってるみたいね。
潘璋の首を挙げる好機よ! 追いなさい!」
「あわわ! 張飛が追ってきます!!」
「見りゃあわかる! 退け! 退きやがれ!」
~~~夷陵 張飛軍~~~
「……潘璋を追ってずいぶんと深入りしちゃったわね。
でも河を背にした丘に陣取れたから、敵も警戒して攻めてこないわ。
今夜はここで一泊して、翌朝早くに包囲を抜け出しましょ。
今日はご苦労様。明日に備えてよく休んでね」
「ええ、おやすみママ」
「おやすみ」
「………………ねえ、張達。アンタはどう思う?」
「どう思うってなんの話よ?」
「アタイたちの置かれた状況よ。
これ、相当マズいわよ。河を背にして丘に陣取ったって、
背後を気にせず見晴らしが利くって言えば聞こえがいいけどさ、
逆に言えば逃げ場がないし、
相手からアタイたちの動きが把握しやすいってことじゃない」
「だ、だからなんなのよ。何が言いたいのよ」
「アタイたち死ぬわよ」
「……そ、それなら何をどうしようってのよ!?」
「決まってるでしょ。呉に降伏すんのよ。
……張飛ママの首を手土産にね」
「あ、アンタいったい何を言って――」
「シッ! 声が大きいわ。……いいこと、張達。
追い詰められたアタイたちがただ降伏しても、
受け入れられるわけがないわ。でもママの首を持参すれば話は別よ。
喜んでアタイたちを迎え入れてくれるはず」
「だ、だからってなんてことを考えるの……?
アタイたちはぐれ者が、
ママにどれだけお世話になったと思ってるのよ!」
「たしかに世話になったわ。
ママにはいくら感謝してもし足りないくらい。
……でも、それはアタイたちの命を差し出すほどかしら?」
「………………」
「なにもアタイたち二人だけが降伏しようなんて考えてないわ。
張飛ママがいなくなれば、兵たちも降伏するしかないんだから。
これはみんなを助けるために必要なことなのよ」
「…………そもそもこの戦って、関羽ちゃんの仇討ちよね。
アタイたち、ママには恩があるけど
関羽ちゃんにはなんの恩もないわ。
それなのに仇討ちのために命を賭けるのって、
あんまり納得いってなかった」
「ほら見なさい! だいたいママはいつも――」
「コラコラ。
アタイの悪口言ってる暇があったらさっさと寝なさいな」
「!? ま、ママ……。い、いつからそこに……?」
「関羽がどうのってあたりよ。……別に気にしちゃいないわよ。
アンタらにとっては仇討ち合戦なんていい迷惑でしょうからね。
危険な目に遭わせてゴメンね。
でもまずは、包囲を無事に突破することを考えましょ」
「ま、ママ…………」
「………………」
「だから夜更かししないで早いとこ寝なさいな。
明日に疲れを残さないようにね。
さっきの話は聞かなかったことにしてあげるから――」
「ママ、ゴメン!!」
「うぐっ!?」
「は、范彊! あ、アンタ何を――」
「ママは全部聞いてたのよ! もう言い逃れはできないわ!
アンタも刺すのよ張達! 覚悟を決めなさい!!」
「マ、ママ……こうするしかないの! ゴメン!!」
「ぐうっ!! あ、アンタたち……。そ、そう……。
そこまで思いつめてるなんて、思わなかった、わ……。
フフ……アンタたちの気持ちも知らないで……
アタイがバカ、だったのね……」
「ママがいけないのよ! ママが、だってママが……!」
「いいのよ。もういいの……。
でもダメ。もっと深く刺さないとアタイは殺せないわ……。
ほら、こうやって……」
「ママぁぁ……」
「あらあら、刺したほうが泣いてるなんておかしいじゃないのさ……。
アンタたち……二人だけで降伏するなんてズルいことしちゃダメよ。
ちゃんと……兵たちも……連れて……くのよ……」
「ママーーーッッ!!」
~~~夷陵 劉備軍~~~
「張さんが……死ん、だ……?」
「敗走する潘璋を追った張飛将軍は、敵陣深くに孤立しました。
全滅を危ぶんだ腹心が反乱を起こし、
将軍を、こ、殺したそうです……」
「張さん……いったい何をやっとるんじゃ……。
関さんの仇討ちをしに来たのに、
張さんの仇まで取らにゃいかんなんて、冗談にもなりゃせんぞ……」
「……陛下、率直に申し上げます。
敵陣深くまで攻め入っているのは我々も同じことです。
張飛将軍のような災禍が起こるとは申しませんが、
戦線は伸びきっており奇襲を受ければひとたまりもありません」
「……じゃからと言って、わしに手ぶらで帰れと言うんか?」
「そ、それは……」
「関さんの仇も取れず、張さんまで失って、
なんにも得られずに帰れと言うのか?
わしは認めんぞ! 戦の指揮はわしが、いや朕が執る!
荊州を完全に奪還し、関さんと張さんの仇を取るまで帰らんぞ!!」
~~~~~~~~~
かくして張飛は暗殺され、劉備は悲嘆に暮れた。
だが劉備は戦いの継続を決め、戦火はさらに東へと拡大する。
一方、迎え撃つ陸遜はその実力を周囲の者に疑われ、呉軍も一枚岩とは行かなかった。
次回 〇八三 夢の終わり




