〇三七 小覇王の死
~~~呉~~~
「官渡の戦いで袁紹を破った曹操は、
追撃をかけずにそのまま都へと引き上げたそうじゃ」
「兵糧を失った袁紹軍は大半の兵が脱走したり、
曹操に降伏したそうだぞ。
袁紹は敗戦の失意から立ち直れず、病の床についたと聞くぞ。
もう曹操は手を下す必要はないぞ。
待っていれば袁紹軍は勝手に瓦解するぞ」
「しかし曹操にしては消極的な作戦でゲス。
戦勝の勢いをかって、一息に押し潰せばいいのに」
「それは逆だ。
曹操が攻め寄せれば、追い詰められた袁紹軍は結託して抵抗する。
曹操はそれを恐れているに違いない」
「フッ。曹操は袁紹が死ぬのを待っているのだろう。
彼らは幼なじみだという。
曹操は我々ほど袁紹を甘く見ていないのだ。
坐していれば袁紹が死ぬのなら、それに越したことはない」
「じゃが袁譚、袁煕の大軍はそっくり残っておる。
彼奴らはそれぞれ東西の戦線を担当していたから、兵糧も失っていない。
それを放置したまま引き上げるとは、
まったく曹操は何を考えているのやら――」
「聞いてくりゃいいじゃねェか」
「は?」
「ここでぎゃーぎゃー議論してるヒマがあったらよ、
誰か都に行って曹操に聞いてくりゃいいじゃねェかっての」
「それはごもっともだぞ。
直接聞くのは無理でも、都なら情報も集まるぞ。
名目は孫策殿に官位を与えてくれと、
献帝陛下にお願いすることでいいぞ。どれ、私が行ってくるぞ」
「それなら私もおつれください! 宮中に上がるのが夢でした」
「おう、行ってこい」
「都とはいえ敵地に乗り込むのを、
散歩に行くかのように言いおって……。
孫策殿もお前たちもまったく!」
~~~呉郡~~~
「皆の者、干ばつに苦しむのは今日までだ!
呉郡太守の私が于吉大仙人を呼んできた。
于吉様が雨を降らしてくださるぞ!」
「アブラカタブラピンポンパンノポンキッキ……ビビデバビデブー!」
「見よ! 雨だ! 雨が降ってきたぞ!
于吉様の力を思い知ったか!
さあ、于吉様にお礼のお布施をするのだ!
はっはっはっはっはっ!」
「そこまでだ! お前たち、淫祀邪教を広めたかどで逮捕する」
「な、なんと? これは言われのないことを。
于吉様は善意から雨を降らし、
人々は善意からお布施をしているだけですよ?
それに人々のためになることをしているのに、
淫祀邪教とは言いがかりです!」
「江東ではお前たちの信者がはびこり、
于吉にお布施は払っても税金は払わない者が急増している。
お前たちは治安を乱しているのだ」
「それはいけませんなあ。
信者の方々には私から納税もするよう言い含めておきましょう」
「信者にはお布施と納税を要求し、自分たちは私腹を肥やすのか。
言い訳はたくさんだ。お布施は没収し、教団には解散してもらう」
「こ、これは権力の横暴だ!
信者の皆さん、こんなことが許されるのですか!?」
「……我々を取り囲んでなんのつもりだ?」
「いいえ、何もいたしません。ですが于吉様の仙術が、
たとえばあなたの身に災いを起こすかも知れませんなあ」
「……我々を皆殺しにして、それを于吉の呪いによるものと偽るのだな」
「スーイスーイスーダララ……ギッチョンチョンノパーイパイ」
「手ぬりィよ朱治」
「こ、これは孫策様。御自ら出てこられるとは」
「仙人とやらがいるなら、ぜひ見てみてェと思ってな。
でもがっかりだぜ。こんな真っ黒な曇り空じゃ、
于吉がなんもしなくたって雨くらい降らァな。
朱治を呪い殺すのかと思ったら、
信者どもは武器を片手に忍び寄ってるしよ」
「そ、孫策様が出てきたのなら話は早い。
今すぐ兵を引き上げてください。
さもなくば、孫策様にも于吉仙人の呪いが――」
「ふーん」
「がああああっ!?」
「ほれ于吉、仙術とやらでこの許貢の生首を、
胴体に元通りくっつけてみろや。
太守の任を忘れて、民をいじめて
金儲けすることしか考えてねェバカの首をよ」
「オ……オッペケペッポーペッポッポー……アジャラカモクレン」
「てめェらが劉繇んとこにいた
笮融の指示で動いてんのは知ってんだよ。
笮融の居場所を吐け。そしたら見逃してやんよ」
「ナ……ナンジャラモンジャラ……ホニャラカピー!」
「うるせェよ」
「ぎゃあああああ!!」
「見たかおめェら! こいつは仙人でもなんでもねェよ。
オレの手刀で死んじまう、ただのジジイだぜ。
おめェらは騙されてたんだよ!」
「そ……孫策様、すこし強引ではありませんか?」
「こうやってさっさと片付けちまえば、
笮融のヤローはあわてて逃げ出す。
あわてればどこに隠れてようと尻尾を出すだろうよ」
「そ、そうですな。ではすぐに笮融を探す手配を――」
(おのれ孫策……許貢様と于吉様の仇!)
「ぐうっ!?」
「孫策様!?」
「矢でオレを狙ってやがったか……。
やべえ、毒矢だぜこいつは……」
「げ、下手人を探せ! い、いやそれより先に孫策様の手当てだ!」
~~~呉~~~
「だから軽挙妄動を慎めとワシは常日頃から言っておったのだ!
なぜ孫策殿が自ら出ていったのだ!」
「そう怒鳴るなよ……背中の傷口に響くだろうが……。
オレは笮融に殺されかけてんだ。
そん時は影武者が代わりに死んじまった。
だからオレ自ら仕返ししなきゃ気が済まなくてよォ……」
「たかが影武者の仇討ちに、主君が乗り出すとは……。まったく!」
「孫策様を撃った者は捕らえました。
拷問して笮融の潜伏場所も吐かせましたので、
じきに笮融も捕まるでしょう」
「そうか。オレのしたことが無駄にならなくてよかったぜ……。
ところでおい、周瑜はいるか?」
「ここだ。孫策、お前まさか目が……」
「いや、見えてるぜ。
ただよォ、おめェらの顔が全員、于吉に見えるんだ」
「孫策……!」
「ははっ。やべえな……アイツ、本当に妖術師だったんじゃねェか?
呪いだけはマジで使えたんかもな……」
「そ、孫策しっかりしろ!
いま名医の華佗を探しているんだ」
「おっ。おめェがあわててるとこは初めて見るな。
ケガして良かったぜ。
そうだ、華佗はいいから孫権のヤツを呼んでくれ。すぐにだ」
「兄貴、オレならここにいんよ」
「ああ、そのちょっと若い于吉がおめェだったか。
おめェ、まだ19歳だったよな。
オレが袁術に兵を借りて、決起したのが20歳んときだ。
それよりゃ1つ若いけど、
おめェはオレよりしっかりしてるから大丈夫だ」
「なんだそりゃ。ひょっとして遺言なのか兄貴?」
「!」
「おう、遺言だ。ははっ。やっぱりおめェはすげェや。
オレが死ぬってのにぜんぜん動じてねェな。驚いてねェのか?」
「オヤジがいきなり死んだ時には驚いたけどよ。
兄貴は矢で撃たれてるし、こうして寝込んでるじゃねェか。
ああ、やっぱりって感じだな」
「聞いたかみんな? 権はたいした大物だぜ!
これなら心配いらねェや。オレよりもっといい当主になれそうだ……」
「そ、孫策殿! 何を弱気なことを!
孫策殿には教えなければならぬことが、
まだ700は残っておるのだぞ!」
「700もあんのか。そりゃだりィな……。
そいつぁ、代わりに権に教えてくんな」
「えー。マジかよ兄貴」
「そいつも含めておめェには苦労をかけるな……。
長生きしろよ、権。オヤジやオレを見てわかったろ?
早死にされると、こんなに迷惑なんだ」
「本当だよ。勘弁してくれよな」
「周瑜、張昭。
後はおめェらが中心になって、まあなんとかしてくれや。
700の続きは、あの世で聞くからよ。先に待ってんぜ張昭……」
「孫策殿……。必ずや、必ずや!」
「私の命に替えても孫家を守ってみせる!」
「頼もしいこった。
きっとオヤジも、こんな気持ちで死んだんだろうな……。
なーんも、心配いらねェや……」
「旦那様!」
「艦長!」
「殿…………」
「…………馬鹿野郎が」
「兄貴、任されたぜ。まあ、なんとかして見せるよ。
……だりィけどな」
~~~江夏~~~
「……どうにか振り切ったか。集合場所はここだな」
「あんたが笮融か? ご苦労だったな」
「……孫家の兵に追われている。安全な隠れ家を提供してくれ」
「わかった。一番安全な所につれていってやれ、甘寧」
「ウェ~イ。あの世行きだー!!」
「!? …………ば、馬鹿な……」
「さすが劉表様だな。
うさんくさい教祖と組んで大丈夫かと思ったが、
まさか孫策を殺してくれるとは。
利用価値がなくなったら、あっさり笮融も
殺しちまうってのもさすがだ」
「………………」
「でも孫策が待ってるあの世じゃさー、
一番安全とは言えなくね?」
「黙れ。帰るぞ」
「はい。
笮融の首は国境線で捕らえたと言って、孫家に送っておきます。
これで孫家の目をごまかせればいいがな……」
~~~~~~~~~
かくして孫策もまた父・孫堅と同じく短い生涯を閉じた。
後を継いだ孫権は弱冠19歳。
孫家の行く末に待つのは闇か、それとも光か?
新当主・孫権は早くも決断を迫られていた。
次回 〇三八 孫権の船出
 




