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第十話 愚かな夫の受難

 砂浜に膝をつき、

砂まみれになりながら頭を抱えて震える真治の姿は、

哀れを通り越してもはや情けなかった。


「……僕、僕は……なんてバカなことを……っ!」


波打ち際で慟哭する真治を、美咲は冷ややかな、

けれどどこか呆れを含んだ眼差しで見下ろしている。


「本当にバカね。

浮気相手に夢中になってるつもりで、

結局私に惹かれてたなんて」


美咲の容赦ない言葉が、真治の心にグサグサと突き刺さる。

真治は涙目になりながら顔を上げ、

必死の形相で美咲のジーンズの裾にすがりついた。


「み、美咲……! 誤解しないでくれ、

いや誤解じゃないんだけど!

僕が愛していたのは、リリさんの中に透けて見えていた

『君』だったんだ!本当なんだ!

僕は君の面影を追いかけていただけなんだよ……!

愚かな僕を許してくれ……!」


「今さらそんなこと言われてもねぇ」


美咲はすっと一歩引き、真治の手をすり抜ける。


「私を裏切って、離婚まで切り出した事実は消えないわ。

……私とやり直したいなんてよく言えたものね。

許すかどうかは、これからのあなた次第よ」


「な、なんでもする! 君の言いなりになる!

洗濯でも掃除でもなんでもやるから、

頼むから捨てないでくれ……!」


こうして、真治の過酷な「反省期間」が幕を開けた。


翌日から、「美咲家」における真治のポジションは一変した。

「夫」という立場は剥奪され、「下僕」へと格下げされたのだ。

「真治、風呂掃除と洗濯畳み、終わった?」

「は、はい! ただいま完了いたしました、美咲様!」

スーツ姿のままエプロンを身につけ、

必死で家事全般をこなす真治。

以前なら「仕事で疲れた」と言ってソファに転がり、

スマホを眺めていた男が、

今や美咲の指示ひとつで

部屋中を雑巾がけして回っている。

料理の際も、美咲の横で

「次は何を切ればいいでしょうか!」

と目を皿のようにして包丁を握り、

少しでも機嫌を取ろうと必死だ。

しかし慣れない家事に手際が悪く、

皿を割りそうになっては

「すみませんっ!」と平伏する始末。

その空回りっぷりは、怒りを通り越して滑稽ですらあった。


さらに数日後、

真治は美咲によって「あの場所」へと連行された。

美咲の友人の今日子が経営する、あの夜のお店である。


カウンター越しに呆れ顔で煙草の煙を吐き出す今日子に対し、

スーツ姿の真治はテーブルに額がつく勢いで深々と頭を下げていた。


「この度は、お店と美咲に多大なご迷惑をおかけして…

本当に、本当に申し訳ありませんでした……!」


「ほんと、男ってどこまで行ってもバカよねぇ」


今日子は紫煙の向こうから溜め息を漏らし、美咲に視線を向ける。


「まあ、美咲が許すっていうなら私がとやかく言うことじゃないけどさ。

…で? 反省の誠意はどう見せてくれるのかしら、旦那さん?」

「は、はいっ! 僕の個人貯金から、一番高いウイスキーのボトルを

入れさせていただきます……!」


 真治は青い顔をしながら財布から自分名義のカードを取り出し、

今日子に差し出した。

横で美咲が「当然よね。でもこれでお小遣いは半年間カットだけど」

と冷ややかに呟き、

真治は「はいっ……!」と引きつった返事をする。

 額に汗をかきながら、恐縮しきって小さくなっている夫の姿を見て、

美咲は思わず口元をほころばせそうになるのを必死で耐えた。


家に帰ってからも、真治の必死なアピールは続いた。

美咲が買い物や用事から帰ってくれば

「お疲れ様です!」と栄養ドリンクを差し出し、

美咲が少しでも疲れた顔をしていれば

「肩を揉ませてください!」

と背後に回り込む。


 情けなく奔走し、美咲の顔色を伺い続ける真治。

けれど、そんな彼の格好悪いまでの愚直さを見るにつけ、

美咲の心の中にあった刺々しい感情は、少しずつ溶けていった。

 彼は本当に自分の愚かさを噛み締め、猛省し、

そして何より――美咲という妻を失うことを恐怖しているのだ

と分かったからだ。


「……ねえ、真治」


休日、汗だくになりながら廊下を磨いている真治に、

美咲が静かに声をかけた。

「は、はいっ! 何でしょうか、美咲様!」

「明日、予定空いてる?」

「もちろん空いております!

仕事以外はすべて美咲様のために捧げる所存です!」


美咲はふっと、今日一番の小さな微笑みを浮かべた。

「じゃあ、出かけるわよ」

「……え? どこへ……」

「どこでもいいでしょ。用意しておいてね」

反省の終わりと、本当の決着の時。


 夫婦としての新しいスタートラインが、すぐそこまで近づいていた。



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