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The last lesson.

Lesson26「教えてくれて、ありがとう」


 数日後。

 いつもの家。いつもの机。いつもの黒板。

 変わったことがあるとすれば、棚の奥に木箱がもうないこと。代わりに、翻訳した紙の束が丁寧に綴じられて置いてある。


「さて」


 俺は黒板の前に立った。チョークを手に取る。


「最後の授業だ」


 クミとエミリーが、向かい側に座っている。Ep1と同じ配置。あの時は土下座していた二人が、今はちゃんと椅子に座っている。成長したもんだ。……いや、最初から座ってたか。


「最終試験をやる」


「えっ、聞いてない!」


「今言った。英語でスピーチしろ。内容は自由。自分の言葉で」


「むむむ……」


「クミ、"むむむ"は英語じゃないぞ」


「わかってるし!」


「エミリーから先にどうぞ」


「はいですわ」


 エミリーが立ち上がった。紅茶のカップをそっとテーブルに置いて、姿勢を正す。金色のウェーブヘアが揺れた。


 そして——たどたどしいが、確かな声で、英語を話し始めた。


「I am Emerald York.」


 最初の一文。Ep2で教えた、一番最初のフレーズ。


「I couldn't read English before. Now I can.」


 couldn'tとcan。過去と現在。Ep14で教えた助動詞が、ここに繋がる。


「I learned that words are not just words. They are someone's memory. Someone's song. Someone's promise.」


 エレノアの言葉を、自分の言葉に変えている。


「Eleanor wrote her diary alone. But she was not alone. A dwarf continued her words. And we… we read them.」


 エミリーの目が少し潤んだ。でも声は震えなかった。


「I want to be a good storyteller. I want to tell the truth. And I want to… keep making tea for everyone.」


 最後に少し笑った。エミリーらしい締め方だ。


「Thank you for teaching us, Takashi.」


 エミリーがお辞儀をした。深く、丁寧に。巻き毛がテーブルに触れそうになって——今回は触れなかった。学習したな。


「……百点だ、エミリー」


「えへへ」


「発音もいい。文法も正確。何より——自分の言葉で話してた。それが一番大事だ」


 エミリーが嬉しそうに席に戻った。


「じゃあ、クミ」


「……うう」


 クミが立ち上がった。ツインテールが小刻みに震えている。緊張のツインテール。


「I am Kumisteena Jordan.」


 声が少し上ずっている。


「I am a storyteller.」


 語り部。自分でそう名乗る日が来るとは、最初は思ってなかっただろう。


「I have a song that my grandmother taught me. I didn't know what it meant.」


 おばあちゃんの子守歌。意味もわからず歌っていた歌。


「Now I know. It was our language. The language of the elves. It was… beautiful.」


 クミの声が落ち着いてきた。自分の言葉が見つかったのだろう。


「I couldn't sing the songs. But I could remember. And now… I can tell the story.」


 couldn't、could、can。過去の無力、過去の力、そして今。完璧な時制の使い分けだった。


「I have found the truth. We have found the truth. And I…」


 クミが詰まった。

 次の言葉が出てこない。


「……どうした?」


「…………」


 クミの耳が赤くなっていく。ツインテールがぴんと立ったり、しなったり、忙しい。


「I…」


 唇が震えている。


「I don't want you to go home.」


 小さな声だった。

 でも、はっきり聞こえた。


 あんたに、帰ってほしくない。


 ログハウスの中に、沈黙が落ちた。


 クミの顔が、耳まで真っ赤だ。ツインテールが完全に直立している。


「い、今のは例文だから!スピーチの一部だから!」


「……」


「"don't want to"の練習だから! 19話で習ったやつだから!」


「……例文にしちゃ、感情こもりすぎだな」


「こもってない!!」


 こもってる。めちゃくちゃこもってる。


 エミリーが隣で、こっそり目を拭いていた。泣いてるのか笑ってるのか、たぶん両方だ。


「……クミ」


「な、なに」


「百点」


「……え」


「百点。発音も、文法も、構成も。couldn'tからcouldを経てcanに至る流れ、完璧だった。have foundの使い方も正しい。そして——最後の一文も」


「さ、最後のはノーカンで——」


「最後の一文が一番よかった。"I don't want you to go home." ——文法的に完璧。感情的にも完璧。俺の授業で学んだこと、全部入ってた」


 クミが何か言おうとして、口を開けて、閉じて、また開けて。


「……ばか」


 それだけ言って、座った。顔を両手で覆っている。ツインテールが耳たぶと一緒に真っ赤になっている。


「二人とも——百点だ」


 俺は黒板にチョークで書いた。最後のまとめ。


 Lesson 1: I am 〜(自己紹介)

 Lesson 2: Is this 〜 ?(疑問文)

   :

 Lesson 25: have found(現在完了形)


「"Thank you for teaching us."——教えてくれてありがとう。エミリーがスピーチの最後に言ってくれた言葉だ」


「……あたしも思ってるし。言わなかっただけだし」


「知ってるよ」


 黒板を見た。Be動詞から始まって、助動詞、過去形、比較級、現在完了形。

 全部、エレノアの日記を読むために覚えた英語だ。

 そして全部、こいつらの「お仕事」のために使われた。


「最後の授業、終わり。——お疲れさん」


「……お疲れさまでした、先生」


 エミリーが微笑んだ。


「……おつかれ」


 クミが、手の隙間からこっちを見ていた。まだ赤い顔で。


 窓の外に夕日が見える。

 いつもと同じ、異世界の夕暮れ。


 最後の授業が終わった。

 でも——最後じゃない気がした。


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