Again, what's your job?
Lesson25「あなたたちのお仕事は? part.2」
返却期限の朝。
木箱を抱えて、三人でブラウネルの屋敷に向かった。
街の中央にある大きな屋敷。石造りの門。門番のエルフに「約束の者です」と告げると、すぐに通された。知っていたのだ、今日来ることを。
広間に通された。
ブラウネルが椅子に座っていた。三日前と同じ、まっすぐな背筋。鋭い目。
そして——その隣に、ジャックとベティがいた。
「ジャック、ベティ。なんで」
「呼ばれたのよ。長老に"関係者を集めろ"って」
ベティが肩をすくめた。今日は酒瓶を持っていない。珍しい。
「……座りなさい」
ブラウネルが言った。俺たちは木箱をテーブルに置いて、向かいに座った。
「木箱は持ってきたね」
「はい。約束通り、返します。中身もすべて」
ブラウネルが木箱を一瞥した。
「……中は読んだのか?」
「読みました」
ブラウネルの目が俺を射抜く。
「でも——俺が読んだんじゃない。この二人が読んだんです」
俺はクミとエミリーを見た。二人は立ち上がった。
「ブラウネル長老。わたくしたちは語り部です」
エミリーが口を開いた。いつものふわふわした声ではなかった。静かで、芯のある声。
「語り部として、お話しさせてください」
ブラウネルは黙って頷いた。
クミが一歩前に出た。ツインテールが微かに揺れている。緊張しているのがわかる。でも目は真っすぐだ。
「あたしたちの祖母は、語り部でした。祖母のそのまた祖母も。ずっと昔から、この国の歴史を口伝で語り継いできた」
「知っている」
「でも——祖母は死ぬ間際に、こう言い残しました。"図書館の地下に、読めない言葉で書かれた本当の歴史がある"と」
ブラウネルの表情が、微かに動いた。
「あたしたちは、その言葉を読める人を探しました。それがタカシです。英語を読める、地球の人間」
「そして読んだ。あの箱の中身を」
「はい。全部」
エミリーが息を吸った。
「語り部として——あたしは、もう一つの歴史を語ります」
広間が静まった。ジャックが腕を組んで黙っている。ベティが真剣な顔で聞いている。ブラウネルは微動だにしない。
「大日本人は、この国に言葉と文明をもたらしました。学校を作り、法を整え、三つの種族をひとつの国にまとめた。それは事実です。あたしたちはその恩恵の中で暮らしています」
クミはここで一度言葉を切った。否定から入らない。タカシと相談して決めたことだ。
「でも——その前から、この土地には言葉がありました」
エミリーが続けた。
「エルフには歌がありました。月の下で、森の中で、旋律とリズムで想いを伝える言葉。わたくしたちの祖母が歌っていた子守歌は、その最後の欠片です」
「ドワーフには石文字がありました。大切な考え、約束、記憶を、小さなノミで岩に彫り込んだ。角ばっていて、美しい文字でした」
ジャックの肩が、ぴくりと動いた。
「ホビットには焚き火の物語がありました。書き留めることはしなかった。"物語は語ることの中に生きている"——そう言って、火のそばで語り続けた」
クミが再び前に出た。
「この街ヤクシには、かつて三つの名前がありました」
ブラウネルの目が見開かれた。
「エルフにとっては、シャリヤ。ドワーフにとっては、コラック。ホビットにとっては、ハース——暖炉の街です」
広間の空気が変わった。
名前だ。具体的な名前。「かつて言葉があった」という抽象ではなく、「この街に名前があった」という事実。
「これらは全て、エレノア・レーンという女性が記録していました。大日本人に通訳として連れてこられたイギリス人の言語学者です。彼女は言語が消されていく過程を見て、日記に書き残しました。——たった一人で」
「一人ではなかったですわ」
エミリーが付け加えた。
「エレノアの日記を、一人のドワーフが引き継ぎました。エレノアが亡くなった後も、書き続けた。そしてまた別の誰かが、花の秘密を書き足した。日記は一冊のリレーだったんです」
ジャックが、ごくりと喉を鳴らした。
「そして——」
クミが木箱の蓋を開けた。底板を外し、線地新平の手記を取り出した。
「大日本人ご自身が、手記を残していました。木箱の二重底に隠して」
手記をブラウネルの前に置いた。日本語で書かれている。ブラウネルが読める言語だ。
ブラウネルは手記を手に取った。
読み始めた。
広間に沈黙が落ちた。
ブラウネルの目が、一行一行を追っていく。表情は変わらない。だが、手記を持つ手が——かすかに震えていた。
最後の一行に目が止まった。
「"未来の読者へ。どうか、私よりも賢い答えを見つけてほしい"」
ブラウネルが声に出して読んだ。低い声が、広間に響いた。
長い沈黙。
一分か、二分か。誰も口を開かなかった。
「……大日本人様ご自身が」
ブラウネルが、ゆっくりと手記をテーブルに置いた。
「ご自身が、そう書いているのなら」
老人の目が、クミとエミリーを見た。さっきまでの鋭さが消えていた。代わりにあったのは——疲労と、何か別のもの。
「もはや隠す理由は、ないのかもしれん」
クミの目から涙がこぼれた。声は出さなかった。
「エレノアの記録——翻訳したものを、地上の図書館に置くことを許可する。この箱も、地下に戻すのではなく……地上の書架に」
「長老……」
「ただし」
ブラウネルがクミを見た。
「語り部として語るのなら、公式の歴史を否定するのではなく——付け加える形にしなさい。大日本人様の功績も、エレノアの記録も、どちらもこの国の歴史だ」
「……はい。そうします。最初からそのつもりです」
「……そうか」
ブラウネルが椅子の背にもたれた。疲れたように目を閉じた。
「私も……知りたかったのかもしれんな。あの箱の中身を」
その一言で、俺はわかった。ブラウネルは封印の守り手だった。だが守りながら、ずっと気になっていたのだ。読めない言葉で書かれた、封じられた真実が。
「……じいさんの言葉が」
ジャックの声だった。低く、震えていた。
「やっと、日の目を見る」
ジャックが顔を上げた。目が赤い。煤だらけの頬を、涙が一筋流れていた。
ベティが、黙ってジャックの肩に手を置いた。酒瓶の代わりに、今日はハンカチを持っていた。
「……あんた、たまにはいい仕事するじゃない」
ベティが俺に言った。いつもの軽さだったが、声が少し鼻にかかっていた。泣いてたな、お前も。
俺は黒板を持ってきていないが、今日の英語は一つだけでいい。
「"We have found the truth."」
「?」
クミが首を傾げた。
「"have found"は現在完了形だ。過去に見つけて、今もここにある。"found"だけなら"見つけた"で終わる。でも"have found"は——見つけた結果が、今に繋がってるってことだ」
「こんな時にも授業?ふふ、でも良いね。"We have found the truth."……あたしたちは、真実を見つけた」
「そう。見つけた。そしてそれは、今もここにある。消えない。もう二度と、地下には戻らない」
エミリーが涙を拭いて、微笑んだ。
「……素敵な文法ですわね、現在完了形」
「だろ? 英語で一番いい時制だと思う」
木箱はブラウネルの屋敷に残された。
翻訳した紙の束は、俺たちの手にある。
帰り道。三人で歩く。
ヤクシの街が夕暮れに染まっている。「ようこそ温泉の街ヤクシへ」の看板。
シャリヤ。コラック。ハース。
三つの名前を持つ街。
いつか、看板にその名前が並ぶ日が来るかもしれない。




