NEW HORIZON
Lesson24「大日本人」
翻訳が終わった翌朝。
清書した紙の束をテーブルに並べ、原本と照合する作業に入った。返却期限まであと一日。今日中に確認を終わらせて、明日ブラウネルに箱を返す。
「よし、原本を順番に戻していくぞ。日記、地図、紙片——」
木箱に中身を丁寧に戻していく。日記をそっと底に置き、地図を重ね、紙片を乗せる。
「……ん?」
手が止まった。
「どうしたの、タカシ」
「箱の底……なんかおかしい」
木箱の内側の底板が、微妙に浮いている。これまで日記や地図が入っていたから気づかなかったが、全部出してみると、底板に隙間がある。二重底だ。
「クミ、ナイフある?」
「あるけど、なに?」
「底板を剥がしたい」
クミが台所から小刀を持ってきた。底板の隙間に刃を差し込んで、ゆっくりと持ち上げる。
薄い板が外れた。
その下に、折り畳まれた紙が一枚入っていた。
「……まだあったのか」
紙を広げた。古い。日記よりさらに古いかもしれない。だが保存状態はいい。二重底に守られていたのだろう。
そして——
「これ、日本語だ」
クミとエミリーが覗き込んだ。
「ほんとだ。読める」
「日本語と……英語、両方で書いてありますわね」
左半分に日本語。右半分に英語。同じ内容が、二つの言語で並んでいる。筆跡は達筆な毛筆体。エレノアの字ではない。
日本語の冒頭に、名前が書いてあった。
線地 新平
「せんち……しんぺい?」
俺は声に出して読んだ。
「Senchi。エレノアの日記に出てきた"Senchi"。——大日本人の本名だ」
クミが息を呑んだ。エミリーの手がテーブルの縁を握った。
大日本人には名前があった。英雄でも悪人でもない、一人の人間の名前。
俺は手記を読み始めた。日本語だから、翻訳は要らない。三人で、そのまま読める。
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「私は正しいことをしたと信じたい。
だが、エレノアの顔を思い出すたび、確信が揺らぐ。」
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「……後悔してたんだ」
クミが呟いた。
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「三つの言語を残せば、国はまとまらなかっただろう。
エルフは歌い、ドワーフは彫り、ホビットは語る——それぞれの言葉で。美しいことだ。
だが美しいだけでは、国は立たない。
飢饉が来た時、疫病が来た時、三つの言語で交渉していては間に合わない。
一つの言語は、一つの命綱だった。私はそう信じた。」
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「……理屈は、わかる」
俺は正直に言った。
「間違ってないんだ、たぶん。現実的な判断としては」
「でも」
クミが言った。
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「だが消してよかったのかと問われれば、答えに窮する。
エルフの歌は美しかった。月の下で、森の中で、彼らは歌った。
あの歌を二度と聞けないと思うと、胸が痛む。
私が消したのだ。私が。」
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エミリーが目を伏せた。
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「エレノアに記録だけは許した。
あの女は頑固だった。"消すなら私が書き残す"と言って譲らなかった。
私は折れた。記録を残すことくらいは、許してもよいと思った。
いつか誰かが読むかもしれない。
その時、この国の人々が判断すればいい。
私よりも賢い判断を。」
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最後の一行。
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「未来の読者へ。
どうか、私よりも賢い答えを見つけてほしい。
線地 新平」
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読み終えた。
ログハウスの中に、長い沈黙が流れた。
「……ずるいじゃん」
クミが最初に口を開いた。怒りとも悲しみともつかない声だった。
「大日本人。あたしたちに丸投げかよ。自分で答え出せなかったくせに、"賢い答えを見つけてほしい"って。ずるい」
「ずるいよな」
「消したのは自分じゃん。後悔してるなら元に戻せばよかったじゃん」
「……戻せなかったんだろう。一度消えた言語は、そう簡単には戻らない。地球でもそうだ」
クミが唇を噛んだ。
「でもさ、タカシ」
「ん?」
「"wiser than me"って書いてあるよね。英語の方に」
俺は英語の方を確認した。最後の一行。
"To those who read this in the future: please, find a wiser answer than mine."
「ああ。"wiser than me"——俺より賢く」
「"wiser"って、"wise"の仲間?」
「そうだ。"wise"が"賢い"。"wiser"が"より賢い"。"than me"で"俺よりも"」
「じゃあさ」
クミが顔を上げた。泣いてはいなかった。真剣な、まっすぐな目だった。
「あたしたちは"wiser"になれる?」
「……なれるよ。少なくとも、線地新平よりは多くの情報を持ってる。エレノアの記録。ドワーフの追記。花の秘密。全部読んだ。あとは、それをどう使うかだ」
「……あんたも一緒にやるんでしょ?」
「当然。俺はお前らの先生だからな」
クミがぷいっと横を向いた。耳が赤い。
「タカシさんは、とても良い先生ですわね」
エミリーが微笑んだ。穏やかな笑顔だが、目の奥に決意がある。
「線地新平は"wiser than me"を求めた。お前らは"wiser"になれる。なぜなら、あいつが知らなかったことを知ってるからだ」
「あいつが知らなかったこと?」
「エレノアの記録を読んだ人間がいるってこと。ドワーフが日記を守り続けたこと。子守歌が残ったこと。——線地新平は、それを知らずに死んだ。でもお前らは知ってる。それだけで、もう"wiser"だ」
クミが黒板を見つめた。
それから、小さく頷いた。
「……明日だね」
「ああ。明日、箱を返す」
「語り部として——あたしたちの答えを、出すよ」
木箱の中に、原本を全て戻した。
線地新平の手記も、一番下に。
蓋を閉めた。
明日、この箱はブラウネルのもとに戻る。
でも中身は——もう、俺たちの中にある。




