表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/27

NEW HORIZON

Lesson24「大日本人」


 翻訳が終わった翌朝。

 清書した紙の束をテーブルに並べ、原本と照合する作業に入った。返却期限まであと一日。今日中に確認を終わらせて、明日ブラウネルに箱を返す。


「よし、原本を順番に戻していくぞ。日記、地図、紙片——」


 木箱に中身を丁寧に戻していく。日記をそっと底に置き、地図を重ね、紙片を乗せる。


「……ん?」


 手が止まった。


「どうしたの、タカシ」


「箱の底……なんかおかしい」


 木箱の内側の底板が、微妙に浮いている。これまで日記や地図が入っていたから気づかなかったが、全部出してみると、底板に隙間がある。二重底だ。


「クミ、ナイフある?」


「あるけど、なに?」


「底板を剥がしたい」


 クミが台所から小刀を持ってきた。底板の隙間に刃を差し込んで、ゆっくりと持ち上げる。


 薄い板が外れた。

 その下に、折り畳まれた紙が一枚入っていた。


「……まだあったのか」


 紙を広げた。古い。日記よりさらに古いかもしれない。だが保存状態はいい。二重底に守られていたのだろう。


 そして——


「これ、日本語だ」


 クミとエミリーが覗き込んだ。


「ほんとだ。読める」


「日本語と……英語、両方で書いてありますわね」


 左半分に日本語。右半分に英語。同じ内容が、二つの言語で並んでいる。筆跡は達筆な毛筆体。エレノアの字ではない。


 日本語の冒頭に、名前が書いてあった。


 線地 新平


「せんち……しんぺい?」


 俺は声に出して読んだ。


「Senchi。エレノアの日記に出てきた"Senchi"。——大日本人の本名だ」


 クミが息を呑んだ。エミリーの手がテーブルの縁を握った。


 大日本人には名前があった。英雄でも悪人でもない、一人の人間の名前。


 俺は手記を読み始めた。日本語だから、翻訳は要らない。三人で、そのまま読める。


---


「私は正しいことをしたと信じたい。

 だが、エレノアの顔を思い出すたび、確信が揺らぐ。」


---


「……後悔してたんだ」


 クミが呟いた。


---


「三つの言語を残せば、国はまとまらなかっただろう。

 エルフは歌い、ドワーフは彫り、ホビットは語る——それぞれの言葉で。美しいことだ。

 だが美しいだけでは、国は立たない。

 飢饉が来た時、疫病が来た時、三つの言語で交渉していては間に合わない。

 一つの言語は、一つの命綱だった。私はそう信じた。」


---


「……理屈は、わかる」


 俺は正直に言った。


「間違ってないんだ、たぶん。現実的な判断としては」


「でも」


 クミが言った。


---


「だが消してよかったのかと問われれば、答えに窮する。

 エルフの歌は美しかった。月の下で、森の中で、彼らは歌った。

 あの歌を二度と聞けないと思うと、胸が痛む。

 私が消したのだ。私が。」


---


 エミリーが目を伏せた。


---


「エレノアに記録だけは許した。

 あの女は頑固だった。"消すなら私が書き残す"と言って譲らなかった。

 私は折れた。記録を残すことくらいは、許してもよいと思った。

 いつか誰かが読むかもしれない。

 その時、この国の人々が判断すればいい。

 私よりも賢い判断を。」


---


 最後の一行。


---


「未来の読者へ。

 どうか、私よりも賢い答えを見つけてほしい。

                 線地 新平」


---


 読み終えた。


 ログハウスの中に、長い沈黙が流れた。


「……ずるいじゃん」


 クミが最初に口を開いた。怒りとも悲しみともつかない声だった。


「大日本人。あたしたちに丸投げかよ。自分で答え出せなかったくせに、"賢い答えを見つけてほしい"って。ずるい」


「ずるいよな」


「消したのは自分じゃん。後悔してるなら元に戻せばよかったじゃん」


「……戻せなかったんだろう。一度消えた言語は、そう簡単には戻らない。地球でもそうだ」


 クミが唇を噛んだ。


「でもさ、タカシ」


「ん?」


「"wiser than me"って書いてあるよね。英語の方に」


 俺は英語の方を確認した。最後の一行。


"To those who read this in the future: please, find a wiser answer than mine."


「ああ。"wiser than me"——俺より賢く」


「"wiser"って、"wise"の仲間?」


「そうだ。"wise"が"賢い"。"wiser"が"より賢い"。"than me"で"俺よりも"」


「じゃあさ」


 クミが顔を上げた。泣いてはいなかった。真剣な、まっすぐな目だった。


「あたしたちは"wiser"になれる?」


「……なれるよ。少なくとも、線地新平よりは多くの情報を持ってる。エレノアの記録。ドワーフの追記。花の秘密。全部読んだ。あとは、それをどう使うかだ」


「……あんたも一緒にやるんでしょ?」


「当然。俺はお前らの先生だからな」


 クミがぷいっと横を向いた。耳が赤い。


「タカシさんは、とても良い先生ですわね」


 エミリーが微笑んだ。穏やかな笑顔だが、目の奥に決意がある。


「線地新平は"wiser than me"を求めた。お前らは"wiser"になれる。なぜなら、あいつが知らなかったことを知ってるからだ」


「あいつが知らなかったこと?」


「エレノアの記録を読んだ人間がいるってこと。ドワーフが日記を守り続けたこと。子守歌が残ったこと。——線地新平は、それを知らずに死んだ。でもお前らは知ってる。それだけで、もう"wiser"だ」


 クミが黒板を見つめた。

 それから、小さく頷いた。


「……明日だね」


「ああ。明日、箱を返す」


「語り部として——あたしたちの答えを、出すよ」


 木箱の中に、原本を全て戻した。

 線地新平の手記も、一番下に。


 蓋を閉めた。

 明日、この箱はブラウネルのもとに戻る。


 でも中身は——もう、俺たちの中にある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ