08 危ないところだった オークリー目線
08 危ないところだった オークリー目線
「ギルバード殿下の語学教師を務めていただきたいと考えております」
青年二人が同時にリシアを見た。
「語学教師……でございますか?」
「はい。研修期間はまだ半分ほど残っておりますが、あなたにこれ以上、通常の研修は必要なさそうですね」
リシアは驚いていたが、すぐに飛びつくことはしなかった。
「正式な辞令については、追って研修責任者から連絡を入れてもらいます。急な話ではございますが、よろしくお願いいたします」
リシアは膝の上で指を重ね、しばらく考えてから口を開いた。
「あの……私には、難しいかと存じます」
「なぜですか?」
「私は平民でございます。王族の方のおそばへ上がることを許される身分ではございません。それに、私はまだ見習いにすぎません」
やはり、自分の立場を理解している。
殿下に望まれたからと浮かれることもなく、問題になりそうな点を先に挙げた。慎重ではあるが、身分を卑下しているわけではない。ただ事実として受け止めているのだろう。
「その点については、すべて承知しております」
私はリシアの懸念を打ち消した。
「ですが……」
「ご心配には及びません。必要な手続きはこちらで整えます。身分についても、あなたの能力とは関係ございません。ギルバード殿下ご自身のご希望でもあります」
リシアがギルバード殿下を見た。
殿下は身を乗り出し、答えを待っている。
しばらくして、リシアは小さく息をついた。
「かしこまりました。私に務まることでございましたら、精いっぱい努めさせていただきます」
ギルバード殿下の顔が明るくなった。
「本当?」
「はい」
「よかった!」
喜びを隠そうともしない殿下の姿に、私もわずかに頬を緩めた。
「それでは、正式な連絡をお待ちください。突然お引き止めして、申し訳ございませんでした」
話が終わったと判断したのだろう。青年二人が立ち上がった。
リシアの動きを見ながら、ぎこちなく礼をする。今度はダグラスも余計なことを言わず、隣の青年を真似していた。
三人が部屋を出ようとしたとき、ギルバード殿下が椅子から飛び降りた。
「リシア!」
そのまま駆け寄り、リシアの腰へ抱きついてしまう。
「殿下?」
「リシア、わがままを言ってごめんね」
青年二人が足を止めた。一人は目を見開き、もう一人は殿下を疑うように見ている。
私は止めなかった。
殿下が誰かにこれほど懐くことは珍しい。幼い頃から周囲に大人ばかりいたため、甘えることにも遠慮するところがあった。
「リシアは、もっと華やかな場所で活躍できる人なんだと思う。でも、僕はリシアと一緒にいたいと思ったんだ。だから、先生になってほしい」
(殿下。その頼み方をされては、断れる者などおりませんよ)
計算してのことではないだろう。
それだけに、余計にたちが悪い。
リシア嬢は驚いていたが、すぐにやさしく微笑んだ。腰を落とし、ギルバード殿下と視線の高さを合わせる。
「殿下。私の力は、まだまだ足りません」
「そんなことないよ」
「いいえ。知らないことも、できないこともたくさんございます。それでもよろしいのでしたら、リシアは殿下のお手伝いをいたします」
「本当に?」
「はい。それに、わがままだなどとは思っておりませんよ。私を必要としてくださったのでしょう?」
「うん」
「それならば、できる限りお応えいたします」
リシアは殿下を子ども扱いしていない。
できないことまで安請け合いせず、それでも殿下の気持ちは否定しなかった。教師としてだけでなく、殿下のおそばに置く者としても申し分ないように思えた。
安心したギルバード殿下は、リシアの手を取った。
「リシア。宿舎まで送らせてください」
先ほどまでの子どもらしい話し方とは違い、王子らしく振る舞おうとしたらしい。
「お願いいたします」
二人は手をつないで歩き始めた。
青年二人がそのあとに続き、私たち護衛は少し距離を空けて後ろを歩いた。
「ねえ、リシア」
ギルバード殿下が呼びかけた。
「はい、殿下」
「僕に敬語を使うのはやめてほしいな。リシアには普通に話してほしい」
「殿下。私は、研修中の見習い文官でございます。けじめは大切でございます」
「じゃあ、正式に僕付きになったら、普通に話してくれる?」
リシアは殿下にねだられても、すぐには首を縦に振らなかった。
「そのときは、周囲の皆様に相談して、よく考えてから決めましょう」
「すぐにいいよって言ってくれないんだ」
「殿下のお立場にも関わることでございますから」
その返答を聞き、私は心の中でうなずいた。
王族から親しくするように求められ、相手の立場を理由に即答を避けられる者は少ない。リシアは殿下の機嫌を取るよりも、殿下にとって何がよいかを考えている。
「リシアって、先生みたいだね」
「そうでしょうか?」
「あっ、そうだった。これから本当に先生になるんだよね」
リシアが小さく声を立てて笑った。
それにつられて、ギルバード殿下も笑う。
二人の会話は、宿舎棟へ着くまで途切れなかった。
「じゃあ、またね、リシア」
「はい。お気をつけてお戻りくださいませ」
「明日からきてくれる?」
「正式なご連絡をいただきましたら」
「きっと明日だよ」
ギルバード殿下は何度も振り返り、リシアへ手を振りながら歩いていく。
リシアも宿舎の入口に立ち、殿下の姿が見えなくなるまで見送っていた。
私たちはそのまま王太子殿下のもとへ向かった。
「父上、リシアを僕のミルフォーク語の教師にしてください」
ギルバード殿下が切り出すと、王太子殿下はしばらく無言になった。
「ギルバード。いきなり何を言い出すのだ。そのリシアとは何者だ?」
「王宮の見習いです。とてもきれいなミルフォーク語を話します」
説明が足りない。私は一歩進み出た。
「私も彼女の朗読を聞きました。発音、語彙、文章の理解力、いずれも申し分ございません。また、受け答えも落ち着いております。殿下の教師として迎える価値のある女性かと存じます」
「オークリーも推薦するのか」
「はい。教師としての能力は確かです」
王太子殿下は考え込んだあと、側近へ見習いたちの資料を持ってくるよう命じた。
リシアの経歴は、地方の教会で育った孤児となっていた。ギルバード殿下の教師としては異例の出自だが、身分だけを理由に、あれほどの人材を手放すのは惜しい。
「まずは試用という形になる。それでよければ、手続きを進めなさい」
「ありがとうございます、父上!」
ギルバード殿下は満面の笑みを浮かべた。
許可が出た以上、ぐずぐずしている理由はない。私はすぐに、リシアが所属する見習い研修の責任者を訪ねた。
ところが、そこで思いがけない書類を見せられた。
「実は先ほど、外務部からもリシアを引き取りたいと申し出がありまして……」
「外務部から?」
「はい。見習い期間を半分も残して、正式に採用したいとのことです」
私は書類へ目を落とした。
間違いなく、対象者の欄にはリシアの名が記されている。
(外務部も、もう彼女の能力に気づいていたのか)
通常なら、見習い期間を終えてから各部署へ配属される。それを待たずに外務部が直接引き取ろうとするなど、異例だった。
「この件は、すでに決定しているのですか?」
「いいえ。承認を出す上司が、親戚の結婚式で辺境へ出ております。書類は保留されたままです」
なんという幸運だろう。
責任者は困り果てた顔で、私と外務部の書類を見比べていた。
「心配はいりません。以降は、外務部とこちらで話をいたします」
私は外務部へ行って説明して書類を返した。こころよく受け取ってもらえた。
翌朝、私はリシアを迎えにいった。
私を見て、彼女は驚いた顔をした。
彼女を連れて部屋へ向かうと、待ちきれなかったらしいギルバード殿下が、自ら扉を開けた。
「リシア、待っていたよ」
「本日よりお世話になります、殿下」
「さっそく昨日の本の続きを読んでくれる?」
「はい。その前に、殿下がどこまでミルフォーク語を理解なさっているのか、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「分かった。何でも聞いてくれ」
殿下はうれしそうにリシアを部屋へ招き入れた。
私はその様子を見ながら、そっと扉を閉めた。
銀髪の少女を見かけた途端、あとを追って図書館へ入ったときは、どうなることかと思った。
だが、あの行動は間違いではなかったらしい。
ギルバード殿下は、実にいい教師を見つけた。




