05 ギルバードの腹黒 ケント目線
05 ギルバードの腹黒 ケント目線
リシアは驚いたが、やさしく微笑んだ。ゆっくり腰を下ろし、ギルバード殿下と同じ高さまで目線を下げる。
「殿下。私の力は、まだまだ足りません」
「そんなことないよ」
「いいえ。知らないことも、できないこともたくさんございます。それでもよろしいのでしたら、リシアは殿下のお手伝いをいたします」
「本当に?」
「はい。それに、わがままだなどとは思っておりませんよ。私を必要としてくださったのでしょう?」
「うん」
「それならば、できる限りお応えいたします」
リシアの言葉を聞いて、殿下は安心したように笑った。
それから、リシアの手を取った。
「リシア。宿舎まで送らせてください」
さっきまでの子供らしい話し方とは違い、少し背伸びをした言い方だった。
「お願いいたします」
二人は手をつないで歩き始めた。
俺とダグラスはその後ろを歩き、さらにその後ろをオークレー卿と護衛たちがついてくる。
「ねえ、リシア」
「はい、殿下」
「ぼくに敬語を使うのはやめてほしいな。リシアには普通に話してほしい」
「殿下。私は、研修中の見習い文官でございます。けじめは大切でございます」
「じゃあ、正式に僕付きになったら、普通に話してくれる?」
リシアはすぐには約束しなかった。
「そのときは、周囲の皆様に相談して、よく考えてから決めましょう」
「すぐにいいよって言ってくれないんだ」
「殿下のお立場にも関わることでございますから」
「リシアって、先生みたいだね」
「そうでしょうか?」
「あっ、そうだった。これから本当に先生になるんだよね」
リシアが少しだけ声を立てて笑った。
その笑い声は、きらきらと辺りを明るくするようだった。
ギルバード殿下も笑い、二人の会話は宿舎へ着くまで途切れなかった。
宿舎棟の入口で、殿下一行とは別れた。
「じゃあ、またね、リシア」
「はい。お気をつけてお戻りくださいませ」
「明日から来てくれる?」
「正式なご連絡をいただきましたら」
「きっと明日だよ」
殿下はそう言い残し、何度も振り返りながら帰っていった。
俺は、その姿が見えなくなってからリシアを見る。
「リシア、本当に殿下の先生になるのか?」
「そうみたいね」
「そうみたいね、って……すごいことだぞ」
「まだ正式に決まったわけではないわ」
リシアはそう言ったが、ギルバード殿下の様子を見る限り、もう決まっているようなものだった。
「外国語まで読めたんだな」
「昔、教えていただいたの」
「何でいままで言わなかったんだ?」
「聞かれなかったから」
リシアは不思議そうに答えた。
俺は何も言えなくなった。
リシアにとっては、本当にそれだけなのだ。
翌朝、俺はいつものようにリシアを迎えに行った。
昨日のことがあっても、研修は研修だ。正式な連絡が来るまでは、これまでと同じ場所へ行くのだと思っていた。
ところが、リシアの部屋の前には、研修責任者とオークレー卿が立っていた。
二人は俺を見ると、何も言わずに道を空けた。
俺は緊張しながら扉をノックした。
「リシア、俺だ」
「はい」
すぐに扉が開き、いつものようにリシアが姿を現す。
「おはよう、ケント」
「おはよう、リシア」
リシアは俺を見て微笑んだが、その直後、俺の後ろにいる二人に気づいた。
目を見開き、驚いた顔をする。
「おはよう、リシア」
研修責任者が声をかけた。
「お、おはようございます」
リシアは少し戸惑いながら頭を下げた。
責任者はわずかに間を置いたあと、いつもより改まった口調で告げた。
「昨日、ギルバード殿下とお話をしたそうだな」
「はい」
「さっそくだが、これからすぐに殿下のもとへ行ってくれ。研修先の変更については、すでに許可が下りている」
あまりの早さに、リシアは一度瞬きをした。
「これから、でございますか?」
「そうだ。辞令や契約については、追って担当者を向かわせる。待遇や勤務内容についても、そこで詳しく話し合ってくれ」
「承知いたしました」
オークレー卿が一歩前に出た。
「リシア嬢、こちらへ。ギルバード殿下がお待ちです」
「はい」
リシアは部屋の扉を閉め、オークレー卿の横へ進んだ。
それから思い出したように振り返る。
「あっ、ケント。迎えに来てくれてありがとう」
「いや……」
「私は行ってきます。ケントも研修へ行ってらっしゃい」
「ああ。行ってらっしゃい、リシア」
俺が答えると、リシアは笑ってうなずいた。
そしてオークレー卿に伴われ、歩いていった。
俺はその場に残り、遠ざかっていく背中を見送った。
昨日まで、俺たちは同じ見習いだった。
同じ部屋で説明を聞き、同じように失敗し……いや、失敗は俺だけだが……同じ時間に宿舎へ帰っていた。
けれどリシアは、外国語の本を読み、王族の教師として呼ばれていった。
もともと同じところに立っていたわけではなかったのだ。
リシアは、俺の知らないことをたくさん知っている。
俺には見えないものが見えている。
このままでは、いつかあの背中さえ見えなくなってしまう。
「ケント、遅れるぞ」
研修責任者に声をかけられ、俺はようやく足を動かした。
「はい!」
走りだしながら、俺は心の中で決めた。
リシアが先へ進むのなら、俺も進まなければならない。
すぐに追いつけなくてもいい。
何もわからないまま、ただ後ろから眺めているだけの男にはなりたくなかった。
いつか、リシアが困ったときに助けられる人間になりたい。
少なくとも、隣に立っても恥ずかしくない男になりたかった。
だから俺は、この日から死に物狂いで努力を始めたのだった。




