04 ギルバード殿下 ケント目線
04 ギルバード殿下 ケント目線
俺たちより年下に見える。服装は上等だったが、子どものような少年が図書館の本棚の陰から突然出てくるとは思わず、俺はすぐに反応できなかった。
少年はリシアの抱えている本を見て、それから彼女の顔をまっすぐに見つめた。
「君、リシアっていうの?」
「はい」
「この先に個室があるんだ。その本を持って、ついてきてくれない? もちろん、その二人も一緒に」
あまりにも気軽な言い方だった。
誰だ、こいつ。
そう思った直後、少年の後ろから護衛らしい男性が現れた。
「殿下。いきなりそのようにおっしゃれば、令嬢が驚いてしまわれます」
「あ……そうか。ごめん」
殿下?
俺の体が固まった。
護衛の男は少年をたしなめてから、リシアへ丁寧に頭を下げた。
「リシア嬢、突然お声がけしましたこと、お許しください。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか。私は護衛を務めております、オークレーと申します」
リシアは相手が誰なのかわかったらしく、本を抱え直すと、すぐに片足を引き、腰を落とした。
「ギルバード殿下、オークレー卿。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。私はリシアと申します」
それは研修で習ったカーテシーという挨拶だった。
俺たちが習ったものより、ずっときれいだった。
動きに迷いがなく、頭を下げる角度まで完璧に見える。まるで昔から何度もやってきたようだった。
「リシア、知り合いなのか?」
ダグラスが言った。
俺はこいつを殴りたくなった。
殿下と呼ばれた相手に、知り合いなのかとは何だ。
リシアも困ったらしい。カーテシーをしたまま、わずかに顔を上げた。
「いいえ、ダグラス。私も、いま初めてご挨拶を……」
「黙れ、ダグラス」
俺は低い声で言い、習ったばかりの礼をした。
足の位置も、頭を下げる角度も自信はなかった。それでも、何もしないよりはましだ。
「お前も真似しろ」
小声で囁くと、ダグラスはようやく自分の阿保を理解したらしい。
「えっ、あっ!」
慌てて俺の真似をして頭を下げる。
リシアはカーテシーをしたまま、俺たちが礼を終えるのを待ってくれていた。
それから、ゆっくりと姿勢を戻す。
「お招きにあずかり、光栄でございます。かしこまりました」
ちらりとオークレー卿を見ると、彼はリシアをじっと見つめていた。
驚いているようにも、何かを確かめているようにも見えた。
俺たちは図書館の奥にある個室へ案内された。
中には丸いテーブルと椅子が置かれており、ほどなくして茶と菓子が運ばれてきた。
俺は緊張して、背中を椅子につけることもできなかった。ダグラスもさすがに大人しくしている。目の前に置かれた菓子を食べていいのか迷い、何度も俺の顔を見てきた。
知らん。俺に聞くな。
全員が席に着くと、ギルバード殿下が口を開いた。
「リシア嬢、お願いがあるんだ」
「何でございましょうか」
「その本を読んでみてほしい」
殿下はリシアが持ってきた本を指した。
「かしこまりました」
「リシアの好きなところね」
「はい」
リシアは迷うことなく本を開いた。
ページをめくった。そして、俺たちには理解できない言葉で静かに読み始めた。
『その湖のほとりの街に住む人々は、心に宝物を持っていると言われている。その街の人々は、妬みや偏見に縛られない自由な心を持っている。何ものにも屈せず、誰にも媚びず、それでいて誇りと謙虚さをあわせ持つ人々だった』
意味はまったくわからなかった。
けれど、リシアの声は不思議な響きを持っていた。
穏やかで、流れる水のように滑らかだった。知らない言葉なのに、まるで遠い国の景色が目の前に広がるような気がする。
俺は息をすることも忘れて、リシアの声を聞いていた。
「そこまででいいよ。ありがとう」
ギルバード殿下が言った。
「とても美しい響きだ。もっと聞いていたくなるね」
「ありがとうございます」
オークレー卿は、リシアから本へ視線を移した。
「発音にも不自然なところがありません。意味も理解して読んでいらっしゃるようですね」
「幼い頃に学んだことがございます。長く使っておりませんでしたので、少々不安ではございますが」
俺には完璧にしか聞こえなかった。
オークレー卿はうなずき、リシアの尋ねた。いや、尋ねたというより確認しているようだった。
「リシア嬢は、現在、文官見習いとして研修中でございますか?」
「はい」
「ギルバード殿下の語学教師を務めていただきたいと考えております」
俺とダグラスは同時にリシアを見た。
「語学教師……でございますか?」
「はい。研修期間はまだ半分ほど残っておりますが、あなたにこれ以上、通常の研修は必要なさそうですね」
「正式な辞令については、追って研修責任者から連絡が入れてもらいます。急な話ではございますが、よろしくお願いいたします」
リシアはすぐには答えなかった。
膝の上で、そっと指を重ねる。
「あの……私には、難しいかと存じます」
「なぜですか?」
「わたくしは平民でございます。王族の方のおそばへ上がることを許される身分ではございません。それに、私はまだ見習いにすぎません」
リシアが最後まで話し終える前に、オークレー卿が穏やかに答えた。
「その点については、すべて承知しております」
「ですが……」
「ご心配には及びません。必要な手続きはこちらで整えます。身分についても、あなたの能力とは関係ございません。ギルバード殿下ご自身のご希望でもあります」
リシアはギルバード殿下を見た。
殿下は期待するような顔で、じっとリシアを見つめている。
しばらくして、リシアは小さく息をついた。
「かしこまりました。私に務まることでございましたら、精いっぱい努めさせていただきます」
ギルバード殿下の顔がぱっと明るくなった。
「本当?」
「はい」
「よかった!」
オークレー卿は少しだけ表情を緩めた。
「それでは、正式な連絡をお待ちください。突然お引き止めして、申し訳ございませんでした」
話が終わったのだと思い、俺とダグラスは立ち上がった。
リシアの真似をしながら、ぎこちなく礼をする。今度はダグラスも何も言わずに俺の動きを真似していた。
俺たちが部屋を出ようとした、そのときだった。
「リシア!」
ギルバード殿下が椅子から飛び降り、リシアに抱きついた。
俺は思わず足を止めた。
護衛のオークレー卿も止めなかった。どうやら、驚くようなことではないらしい。
ギルバード殿下はリシアの腰に腕を回し、顔を押しつける。
「リシア、わがままを言ってごめんね」
「殿下?」
「リシアは、もっと華やかな場所で活躍できる人なんだと思う。でも、ぼくはリシアと一緒にいたいと思ったんだ。だから、先生になってほしい」
俺は殿下を見つめた。
こいつ、策士だ。
まだ子供なのに、リシアの扱いをわかっている。
そんなふうに素直に頼まれたら、リシアが断れるはずがない。
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