18 王太子殿下 ケント目線
18 王太子殿下 ケント目線
「二人とも、落ち着きなさい」
大きな声ではなかった。
それなのに、その場にいた全員が口を閉ざした。
「お前たちは、いずれ誰よりも責任ある立場になるのだぞ。感情に任せて動けば、守れるものも守れなくなる」
「父上……」
ギルバード殿下が小さな声を漏らした。
俺は声の主が誰なのかに気づき、慌てて頭を下げた。
王太子殿下だった。
(殿下が目の前にいる)
そう思った途端、身体の震えが止まらなくなった。
殿下は医者からリシアの容体を聞くと、深くうなずいた。
「治療を任せる。必要なものがあれば、何でも用意させよう」
「では、静かに休ませてください。今の患者に一番必要なのは、それです」
「わかった。皆にも徹底させる」
王太子殿下がそう答えると、医者はようやく病室へ戻っていった。
その直後、ギルバード殿下が王太子殿下へ抱きついた。
「父上……リシアが……血を流したと聞いて……」
ギルバード殿下は王太子殿下の胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくった。
アレク様も殿下に肩を抱かれ、背中をやさしく叩かれていた。
「大丈夫だ。医者を信じなさい」
王太子殿下に諭され、二人とも少しずつ落ち着きを取り戻した。
ただし、怒りまで消えたわけではない。
涙をぬぐったギルバード殿下が、真っ赤な目でアレク様を見た。
「アレク兄様。あの糞あまたちを、簡単に殺してはいけません」
俺は自分の耳を疑った。
ギルバード殿下は、しゃくりあげながら続けた。
「僕に考えがあります。新しい拷問の方法をいくつか考えましたから、端から試しましょう」
「ギルバード……」
「でも、騒いでリシアに気取られてはたいへんです。静かにやりましょう」
静かにすればよいという問題ではない。
アレク様が本気で考え込む顔をしたので、俺はさらに怖くなった。
「ギルバード、アレク」
王太子殿下が二人の名を呼んだ。
「はい、父上」
「はい、兄上」
「私の前で、拷問の相談をするのはやめなさい」
「では、場所を移します」
ギルバード殿下が素直に答えた。
「そういう意味ではない」
国王陛下は額を押さえていた。
リシアを襲った四人の令嬢は全員、身分を剥奪されて平民となった。令嬢たちの実家も、監督責任を問われて家格を落とされたらしい。
彼女たちはそれぞれ実家の監視を受けながら、怪我人や孤児を支える奉仕活動に従事することになったという。
アレク様とギルバード殿下が望んだような処罰ではなかったと思う。
それでも、人を身分で見下し、傷つけた者にとっては、自分たちが見下していた人々に頭を下げて働くことこそ、重い罰なのかもしれない。
幸い、リシアは順調に回復した。
頬の傷もきれいに治り、手にも後遺症は残らなかった。
ただ、倒れたときにひねった足首だけは、しばらく痛みが続いた。
アレク様はそれをたいそう心配し、温泉というところへリシアを連れていくことにした。
「馬車のほうが楽なのではありませんか?」
大方の意見に、アレク様は首を横に振った。
「道が悪いところでは、馬車の揺れのほうが足に響く。俺が支えていれば、馬のほうが負担は少ない」
そう言って、アレク様は自分の馬の前へリシアを乗せた。
「アレク、私はもうひとりで乗れるわ」
「足が治っていないだろう」
「少し痛むだけよ」
「少しでも痛むなら駄目だ」
リシアが何を言っても、アレク様は譲らなかった。
結局、リシアはアレク様の腕に守られながら、温泉へ向かった。
それから二週間ほど、二人は温泉地で過ごした。
俺には、ずいぶん長い二週間だった。
ようやく帰ってきたリシアは、足の痛みも消え、すっかり元気になっていた。
けれど、二週間会わなかっただけなのに、以前よりずっと大人びて見えた。
表情がやわらかくなり、アレク様と目が合うと、少し照れたように笑う。
(温泉で、何があったんだ?)
気になったが、聞く勇気はなかった。
やがて、俺とリシアの誕生日がやってきた。
俺たちは同じ日に十八歳になった。
同期の仲間たちが食堂を借り、ささやかな祝いの席を開いてくれた。
「ケント、十八歳おめでとう!」
「リシアさんも、おめでとうございます!」
「ありがとう。こんなに大勢に祝ってもらえるなんて、うれしいわ」
リシアが笑うと、皆も笑った。
料理を食べ、くだらない話で盛り上がり、誰かが音程の外れた歌を歌った。
途中で、アレク様とギルバード殿下まで顔を出した。
二人が食堂へ入ってきた瞬間、それまで騒いでいた同期たちは一斉に立ち上がった。
誰も声を出さない。
普通なら、遠くから姿を見かけるだけでも大騒ぎになるような人たちだ。そんな二人が、俺たちの祝いの席へやって来たのだから当然だった。
「今日は堅苦しい挨拶は必要ありません」
ギルバード殿下が笑顔で皆に声をかけた。
「リシアとケントの誕生日を祝う席でしょう。どうぞ、続きを楽しんでください」
アレク様も、同期の一人ひとりへ声をかけてくれた。
そして、二人は長居をしなかった。
「俺たちがいると、皆も落ち着かないだろう」
アレク様がそう言うと、ギルバード殿下もうなずいた。
「差し入れだけ置いていきますね。皆さん、ごゆっくり」
二人が帰ったあと、食堂には豪華な料理と菓子、それに上等な酒が残された。
同期たちはしばらく扉を見つめていた。
「今、ギルバード殿下が俺に話しかけた……」
「アレクサンダー殿下が、俺の肩を叩いたぞ」
「俺、今日のことを一生忘れない」
皆は心から感激していた。
俺も感謝していたのだが、ギルバード殿下は帰り際、俺にだけ妙なことを耳打ちしていった。
「ケント。時間のあるときに、僕のところへ来てください」
「何か御用でしょうか?」
「悪い言葉を、いくつか教えてほしいのです。リシアに知られないよう、こっそりお願いしますね」
「……俺が、ですか?」
「はい。期待しています」
にこやかにそう言い残し、ギルバード殿下は帰っていった。
(俺って、いったい何だと思われているんだ……)
その後に起きた一番大きな出来事は、リシアの婚約だった。
相手が誰なのかは、聞かなくてもわかっていた。
池のそばで倒れていたリシアが、最初に口にした名前。
記憶を失っても、心の奥で忘れられなかった人。
アレク様なら、リシアを大切にしてくれる。それは俺もよくわかっていた。
いつか、この日が来ることも覚悟していた。
それでも、正式に婚約したと聞かされた日は、何を食べても味がしなかった。
「ケント、大丈夫か?」
同期に心配されたが、俺は笑って答えた。
「大丈夫だよ。めでたいことだからな」
嘘ではない。
リシアが幸せになるのは、本当にうれしかった。
ただ、うれしいことと、つらいことは、同時に胸の中にあってもいいのだと思う。
その夜だけは、少しくらい落ち込んでも、誰にも怒られないだろう。




