15 十年経ってた リシア目線
15 十年経ってた リシア目線
目を覚ましたとき、最初に見えたのは、見覚えのない木の天井だった。
「生きてる」と思った。
身体の下には硬いベッド。そばにアレクの姿はなく、護衛たちの声も聞こえない。
私は跳ね起きようとして、激しいめまいに襲われた。腕をついて身体を支え、乱れた呼吸を整える。
「冷静であれ。冷静であれ……状況を、状況を把握しなくては」
自分に言い聞かせるように声に出した。
最後の記憶は、魔獣と向かい合った場面だった。
アレクを転移させるための魔法陣だったが、間に合わなかった。だから魔獣ごと移転しようとしたのだが……
誰かに話しかけられたような? いや……皆は……アレクは無事なのか?
私は自分の内側へ意識を向け、魔力を探った。
「……ない」
わずかな魔力さえ感じられなかった。
何度確かめても同じだった。まるで魔力を入れる器そのものが空になってしまったようだった。
(転移の魔法陣を無理に発動させたせい? それとも、時間がたてば戻るの?)
いくら考えても答えは出なかった。
間もなく、部屋へ入ってきたシスターから、ここが町の教会だと教えられた。私を池のほとりで見つけ、運んでくれたのはケントという青年だった。
「最初に、あなたはアレクという名前を口にしたそうですよ」
シスターにそう言われ、胸が締めつけられた。
「アレク……」
「お知り合いですか?」
私はすぐに答えられなかった。
アレクに会いたい。無事を確かめたい。きっと私を捜している。
けれど、何が起きたのか分からないうちに、本当のことを話してよいのだろうか。
「分かりません。とても大切な方だったような気はするのですが……」
私は記憶が曖昧なふりをした。
助けてくれた人たちを疑いたくはなかった。それでも、状況が分かるまでは用心する必要がある。
数日後、さらに信じられないことを知った。
私が知っている年月から、十年が過ぎていた。
「十年……?」
聞き間違いかと思い、何度も確かめた。けれど、町で使われている暦も、教会に届いた手紙の日付も、十年後であることを示していた。
鏡に映る私は、十年前とほとんど変わっていなかった。
(アレクは、どうしているのだろう)
十年もあれば、何もかも変わる。
アレクが無事なら、今はどこにいるのか。結婚しているかもしれない。私のことなど、過去の出来事として忘れているかもしれない。
王族であるアレクのもとへ、身元も明かせない私が訪ねていっても、会わせてもらえるとは思えなかった。
たとえ会えたとしても、この姿を見て私だと信じてくれるだろうか。
(それでも、無事であることだけは知りたい)
私は身を寄せた教会で、手伝いを始めた。
掃除や洗濯をし、食事の支度を手伝った。文字を読めない子どもたちに本を読み聞かせているうちに、文字や計算も教えるようになった。
「リシア先生、ここが分からない!」
「私も!」
「順番に聞きます。一度に話されても答えられませんよ」
子どもたちに囲まれている時間は穏やかだった。
ケントも、ときどき子どもたちに交じって勉強した。
「ケント、この前に教えた文字は覚えていますか?」
「もちろんだ。これだろ?」
「それは隣の文字です」
「似ているじゃないか」
「似ていますが、違う文字です」
「……もう一度教えてくれ」
「はい。何度でも教えます」
そんな生活が続けばよいと思い始めた頃、領主の息子が教会へ現れた。
彼は私に、屋敷で働かないかと何度も持ちかけた。
「妹の家庭教師になってほしい。教会にいるより、よい暮らしをさせてやれる」
「ありがたいお話ですが、お断りいたします。私はこの教会に恩がありますので」
断っても、彼は諦めなかった。
すると王都へ行って文官の試験を受けることを神父に勧められた。
ケントもちょうど、騎士団の試験を受けるというので誘ってくれた。
「リシアも一緒にこないか?」
「私も?」
「ああ。王宮では下級文官を募集しているらしい。リシアなら、きっと受かる。ここに残れば、あいつがまたくるぞ」
王都と聞いた瞬間、私は息をのんだ。
アレクがいるかもしれない場所。
「分かりました。私も王都へいきます」
逃げるためだった。教会を守るためでもあった。
そして、アレクの消息を確かめるためでもあった。
幸い、ケントは騎士団の見習いに、私は文官の見習いに採用された。そこで知り合ったのが、魔術師を目指しているダグラスだった。
ダグラスには豊かな魔力があった。けれど、力の扱い方をほとんど知らない。
「ダグラス。魔力を一度に流しすぎています。もっと細く、一定に保ってください」
「細くって、どうやるんだ?」
「水差しから少しずつ水を注ぐように考えてみてください」
「分かった。やってみる」
やがて、ダグラスの手のひらに小さな光が浮かんだ。
「できた!」
「はい。今の感覚を忘れないでください。きちんと学べば、あなたは重要な戦力になれます」
一方のケントは、剣の扱いには慣れていたが、自分にも魔力があることに気づいていなかった。
「ケント。剣を振るとき、身体が軽くなることはありませんか?」
「ある。調子がいい日はな」
「それは体調ではなく、身体強化を使っているのだと思います」
「俺が魔術を?」
「ほんの少しですが、魔力があります。意識して使えるようになれば、今よりも強くなれますよ」
「本当か?」
ケントの顔が輝いた。
私自身には、もう魔力がない。それでも、二人に教えることはできた。
(使えないことと、知っていることは別だもの)
研修で学ぶのは、王宮で働くための礼儀や作法が中心だった。私には知っていることが多かったので、戸惑うケントとダグラスを手伝った。
「歩くときは、前の人との間を空けすぎないようにしてください」
「このくらいか?」
「ケントは近すぎます。ダグラスは離れすぎです」
「難しいな、王宮って」
「歩くだけなのに、どうしてこんなに決まりがあるんだ?」
二人がそろって首を傾げるので、私は思わず笑ってしまった。
その後、図書館で偶然お会いしたギルバード殿下から、ミルフォーク語の本を読んでほしいと頼まれた。
ギルバード殿下は、王太子殿下の第一王子。そして、アレクの甥にあたる方だった。
私は殿下の語学教師として、おそばに仕えることになった。
(この方のおそばにいれば、いつかアレクに会えるかもしれない)
そう考えなかったといえば、嘘になる。
けれど、実際に会うのが怖くもあった。
アレクは私を覚えているだろうか。
十年の間に別の大切な方ができていたら、私はどうすればよいのだろう。
その日は、ギルバード殿下と庭でお茶を飲みながら、ミルフォーク語で話していた。
「西の棟のいちばん高い部屋から見ると、町の屋根まで金色に見えるんだ」
ギルバード殿下が、覚えたばかりの言葉を使って説明なさった。
「それは、きっと美しいでしょうね」
「今度、一緒に見にいこう。いつか馬に乗って、夕日に向かって走るのもいいね」
「夕日に追いつくおつもりですか?」
「追いつけるところまでだよ」
あまりにも楽しそうにおっしゃるので、私は笑った。
「では、日が沈むまで競争ですね」
そのとき、背後から声が聞こえた。
「楽しそうだね。お邪魔するよ」
十年たっても、聞き間違えるはずのない声だった。
振り向くと、そこにアレクが立っていた。
十年前よりも大人びていた。背も伸び、顔つきも精悍になっている。それでも、私にはひと目で分かった。
生きていた。
アレクが、生きている。
立ち上がろうとしたが、身体に力が入らなかった。手にしていたカップが傾き、受け皿に触れて音を立てる。
「……アレク?」
声が震えた。
アレクは目を見開き、私を見つめていた。
「エリシア……」
彼が私の名を呼んだ。
忘れられていなかった。
そう分かった瞬間、張りつめていたものが切れた。
(やっと会えた)
そう思ったところで、私の意識は途切れた。




