第二十三話 古都の残光、あるいは魂の帰還
奈良の街を遥か下界に見下ろす、大気圏の縁。希薄な酸素が喉を焼き、超能力の激突がもたらすオゾンの匂いが肺胞の奥を満たしていた。俺の放つ白金の閃光と、闇一郎のどす黒い波動が正面からぶつかり合い、網膜の底が焦げつくような極彩色の光が視界を埋め尽くしている。
「くそ……、……ッ!」
拮抗する力の奔流に押し返され、俺は奥歯を強く噛み締めた。掌から伝わる七支刀の肉厚な振動が、俺の僅かな戸惑いを敏感に察知して小刻みに震えている。その時、俺の肩に柔らかな熱が触れた。
「総一郎。あなたはやさしいから……同じ顔をした人を、斬れないのね」
振り返れば、アルシアがいた。乱れた金髪を夜風に激しく遊ばせながら、彼女の碧い瞳は真っ直ぐに俺を射抜いている。
「でも、あれは……」
「闇一郎は、蛇行剣が紡ぎ出した歪な写し。人の心を持たない、ただの現象だわ。そう思えばいいのよ」
アルシアは俺の隣に並ぶと、空を掴むようにして細い左腕を突き出した。かつて楼蘭王国の広大な砂漠で、一族の誇りを懸けて弓を引いた遊牧の民の構え。彼女の纏う空気が、一瞬にして鋭い狩人のそれへと変質する。
「離れた場所から……射抜きましょう。私たちの、想いの全てを乗せて」
俺は彼女の白く細い手の上に、自分の手を重ねた。
「……ああ。すべてを、終わらせよう」
二人の呼吸が完全に同期した瞬間、七支刀がその形を変えた。白金の光が極大の弦を張り、天の光を強引に吸い込んで巨大な一矢を成す。
解き放たれたのは、一閃の刺突。空気を一瞬で熱変換し、空間そのものを穿つ光条が、闇一郎の眉間へと真っ直ぐに突き進んだ。
***
「……ヌルいわ!」
闇一郎が三つの顔を歪め、蛇行剣を振り抜りかざす。光の矢を叩き落とそうとした、その刹那だ。奴の背後にいた魔のアルシアが、まるでヤツを守るように、あるいは逃がさぬように、後からその身体を強く抱きしめるのが、俺の目に映った。
「何をする!? 離せ、この人形がっ!」
闇一郎の絶叫が響く。だが、俺がその写しの瞳に見たのは、人形の空虚さではなかった。抱きしめた魔アルシアの唇が、穏やかに弧を描いている。その微笑みは、俺の隣で戦うアルシアが見せる、あの慈愛に満ちたものと完全に重なっていた。光の奔流が、抱き合う二人の輪郭を呑み込んだ。
「バカな……バカなぁああああああああ!!!」
空間を完全に焼き切る閃光の中、闇一郎の肉体が塵となって崩れ、黒い灰が宇宙の闇へと霧散していく。主人を失った漆黒の蛇行剣が、数千年の呪縛が解けたのか、金属特有の音を立て、自重でひび割れて砂鉄となって爆ぜた。急激な静寂が戻る。
「……魔アルシアも、最後はあなたと心を通わせたかったのね。私には、わかるわ」
アルシアが俺の胸に顔を埋め、細い肩を震わせた。消えていった「もう一人の自分たち」を悼む温かな涙が、俺の胸元をじわりと濡らしていく。
***
地上が近づくにつれ、張り詰めていた皮膚の緊張が、干し草と湿った土の混ざった懐かしい匂いに取って代わられた。高度を下げていく俺たちの視界に、救い出された地上の日常が飛び込んでくる。スニーカーの底がしっかりと柔らかな草の地を踏みしめた。
俺は真っ先に、ツバキたちの手によって地上へ降ろされていた結月と明日香の元へと駆け寄った。 闇一郎の消滅とともに憑き物が落ちたように力を失った二人は、今、安らかな寝息を立てて横たわっている。その規則的な呼吸の音を聞いて、俺の胸のざわつきがようやく収まった。
そして、空を見上げれば、もう一つの終焉があった。空を覆い尽くしていた無数の埴輪兵たちが、動力源である帝国の執念を失い、重力に従って次々と垂直に落下していた。
ズドンッ! ズズッ……バリィィン……ッ!
鈍い衝撃音とともに地表に激突したのは、もはや畏怖すべき兵器ではなかった。ただの冷たい素焼きの土器だ。衝撃に耐えきれず、アスファルトの上で粉々に砕け散った破片が、西日に照らされてオレンジ色の粉塵となって舞う。未来で世界を震撼させた大奈良帝国の残骸は、ただの土へと還っていく。
俺は、アルシアの小さな手を、確かめるように少しだけ強く握りしめた。
「……終わったな」
「ええ。でも……始まるのよ。これから、私たちの本当の毎日が」
沈みゆく夕陽が、古都・奈良の街並みを赤く染め上げていく。俺たちの長い一日は、今、ようやく終わりを告げようとしていた。




