第二十一話 神々の代理戦争:三輪三山の神鳴り
決戦の朝。六畳一間の安アパートの、建付けの悪い木製ドアを開けた瞬間――俺とアルシアは、肌を刺すような異様な静寂に足をとめた。目の前の狭い路地を、あの巨大な鹿王が占拠していた。その後方、視界の果てまで続いているのは、古都の路地を埋め尽くす幾百もの鹿たちの群れだ。アスファルトの隙間もないほど密集した獣たちが、一切の鳴き声を上げず、ただ真っ直ぐに俺たちを凝視している。ガチガチと、硬い蹄が地面を引っかく音だけが小さく響く。
鹿王が、濡れた鼻先を天に向け、立派な角を静かに掲げた。その合図とともに、獣の波が左右に割れ、俺たちの正面へと一本の真っ直ぐな道が拓かれる。鹿王が俺たちの足元で、重厚な首を深々と垂れた。獣特有の生温かな体臭と、朝の冷たい空気が混ざり合い、喉の奥をツンと刺激する。アルシアが俺の右手を強く握り、柔らかな微笑みを浮かべた。
「……行こう、総一郎」
俺たちが歩き出すと、道端の鹿たちが一頭、また一頭と、波打つように膝を折り、頭を垂れていく。
「鹿王、みんな……行ってきます」
アルシアが振り返り、凛とした声で告げる。背後で鹿王が一度だけ短く、腹の底を揺らすような咆哮を上げた。それは、古都の守護を託す、不器用で力強いエールだった。
***
決戦の地、三輪三山。杉の巨木が立ち並ぶ森の中、湿った土と古い葉の匂いが漂う。だが、その静寂の底では、超能力の脈動がピリピリと皮膚の表面を刺していた。俺は、未来戦士の三人と最終的な装備の確認を行う。
「ツバキ――埴輪兵の対策は万全か?」
「ああ。こっちは未来(地獄)で何度もアイツらと踊ってるからな」
ツバキが腰のホルスターから、梨地の鈍い光沢を放つ金属筒を引き抜いた。
「高周波爆弾・術式付与型だ。起動すれば、埴輪兵の制御核に直接干渉して粉砕する。理論上の機能停止率は百パーだ」
クリスが、アップデートされた高機動型スーツの関節を不快な金属音とともに駆動させ、小さく笑う。
「明日香ちゃんは私が引き受けるよ。このスーツの加速なら、羅刹の剣撃も紙一重でかわせる……はず」
ヒバナが、高出力型スーツの重厚な火器をガチリと装填した。
「結月さんはあたいが抑える。制圧用の非殺傷弾頭を叩き込んで、物理的に拘束してやるよ」
ツバキが、冷たい金属の感触を確かめるように爆弾を握り直す。
「後顧の憂いは断つ。総一郎、あんたは前だけを見てろ!」
「……行こう、アルシア。最初から全開で行くぞ。情けは無用だ」
アルシアが頷き、その碧い瞳に静かな覚悟の光を灯した。
《――よいか、七支刀(戦闘モードの儂)があれば、あの蛇行剣の歪んだ理など打ち砕ける!》
小さかったヒヒイロカネが、鋭い金属音を上げて刀剣化し、俺の右手に収まった。
***
地の底から這い上がるような地鳴りが響き、空には紫黒色の裂け目が走る。俺は、内側に澱んでいた全ての超能力を、一気に体外へと噴出させた。一閃。俺の肉体を白熱の神光が包み込み、ボロボロのシャツが金剛の輝きを放つ鎧へと再構成されていく。背中から超能力が純白の光条となって放射され、周囲の空気が強烈なオゾン臭を伴って焦げついた。圧倒的な質量と威厳が、俺の肉体にミシミシと宿る。
隣では、アルシアの足元から温かな光が湧き上がっていた。
「……貴方の隣に、私は在ります」
慈愛と静謐のベールが彼女を包み、陽光をそのまま纏ったような輝きへと昇華する。その光が、三輪山の薄暗い森をまたたく間に聖域へと変えていく。
***
――そして。森の奥から不気味な血の匂いとともに、闇の帝王――闇一郎が現れた。その肉体は変異し、三つの顔と六本の腕を持つ阿修羅の如き異形へと変貌を遂げている。六本の腕がそれぞれ異なる武器を握り、空間を無慈悲に引き裂いていた。その傍らには、魔の影を纏ったアルシアがうねるように浮遊している。
「私が、誰よりも貴方に相応しい……」
人形のような美貌に、どす黒い執着の影が差し、その美しさは網膜を通してこちらの正気を削り取ろうとしてくる。
続けて、愛姫・結月が姿を現した。かつての天真爛漫な面影は完全に消え、肌は硬質な青白さを放つ夜叉の如き魔人と化している。
「大ハーンには、指一本触れさせない……」
虚ろな瞳の奥で、歪められた忠誠心が燃えていた。
最後に、空間を裂く雷鳴とともに現れたのが、戦姫・明日香だ。闘気が黒い稲妻となって刀身から奔る。
「すべて斬る。……邪魔なものは、全て」
かつての憧れは、今や純粋な破壊本能へと変換され、彼女を完璧な殺戮の化身へと仕立て上げていた。上空には、無数の埴輪兵が隙間なく戦列を敷き、地上の獲物をロックオンしている。
ついに。悠久の時を超えた怨念と、未来を救う意志が激突する、神々の代理戦争の火蓋が切られた。




