第十八話 鏡像の覇王と、奪われた日常
それは唐突だった。玄室を支配していた重苦しい沈黙が、一瞬で凍りつく。
直後、視界が白熱した光に塗り潰された。網膜を直に灼くような、圧倒的な輝き。それは現実の輪郭を暴力的に書き換え、古代の石壁すらも光の粒子へと変えていく。
光が網膜の底へ退いたとき――俺は、その光景に息を止めた。目の前に、俺がいた。ボサボサの黒髪も、眠たげな目の形も、着古したシャツのシワさえも同じだ。だが、決定的に違う。その眼窩の奥には光を反射しない暗黒が張り付き、人間らしい揺らぎが一切ない。冷徹な無機質さがそこに立っていた。
そして、偽の俺の両脇には、俺の心臓をえぐるような姿があった。結月。明日香。服装はさっきまでのままだが、彼女たちの全身からは、陽炎のように歪む濃密なエネルギーが溢れ出している。だが、その顔には生気がない。筋肉の収縮を完全に無視して固定されたその横顔は、ひどく冷たかった。
「……結月さん。明日香ちゃん……なぜ、そこに」
震える声は、湿った闇に吸い込まれた。動揺で膝が砕けそうになったその時、アルシアの指先が、肉をえぐるほどの強さで俺の掌に食い込んできた。その生きた体温だけが、崩れそうな俺の現実を繋ぎ止めていた。視線を向ければ、偽の俺の隣に立つもう一人の彼女が、氷の彫像のような冷たい微笑を浮かべていた。
「ヒヒイロカネ……いや、我が半身よ」
偽の俺が口を開いた。声までも俺に酷似しているが、その響きには神のような傲慢さが宿っている。その手には、禍々しい紫光を放つ蛇行剣が握られていた。蛇がのたうち回るように歪な刀身。それは、俺の持つ七支刀を嘲笑うかのように、鋭く波打っている。
「……良き依代を感謝する。気に入ったぞ、この身体。――そして、この下僕たちもな」
彼女たちを、意志を持たぬ所有物としてしか扱わないその言葉に、俺の指先が怒りで熱を帯びた。
***
「ふざけるな。お前なんかに、誰一人渡すか……!」
「ヒヒイロカネ先生……これ、どうなってんだよ。俺は、力なんか望んでなかったのに!」
俺の叫びが玄室に響く。神棚の奥で揺らめくヒヒイロカネの光が、じりじりと煤けた音を立てて爆ぜた。
《わしにもわからん。まさか、おぬしの鏡像をこしらえ、三姫までも。……支配への妄執、ここまでとはな。やられたわい》
その声には、いつもの余裕が消え失せていた。偽の俺が、腕を大きく広げた。
「久方ぶりの器。実に心地よい。――存分に楽しませてもらうぞ、長屋総一郎」
「貴様なんかに屈するかッ!」
俺が駆け出そうとした瞬間、背後からオゾンの匂いと閃光が走った。
「死ね、コピー野郎が!!」
ヒバナだ。彼女が抱えた光学兵器が火を噴き、高熱の光弾が偽の俺の胸元を狙い撃つ。だが――。
シュイイインッ!
光弾は、結月の前に展開された歪んだ空間の壁に阻まれ、無力な火花となって霧散した。
「っ……結月……!?」
「――御覚悟を」
明日香が、音もなく動いた。流れるような体捌き。彼女が虚空から取り出した光剣を一振りするごとに、空気が真空に近い音を立てて切断される。
ガキン! ギィンッ!
刹那の間に、ツバキのヒートナイフが中ほどから折られ、クリスの未起爆のファンネルが虚しく床に転がった。ツバキたちの荒い呼吸が闇に響く。
「チッ……! 全然、歯が立たんか!」
「やっぱり“戦姫”……本気モードは笑えないよ……!」
俺は歯を食いしばった。隣のアルシアを守るだけで精一杯だ。下手に力を解放すれば、この地下空間ごと全員を圧殺しかねない。
「無様だな、本体よ。安心しろ。お前の居場所は、すでにこちらに移っている」
偽の俺の笑い声が、玄室の壁に反響して増幅される。
「まずはこの依代の能力を解析させてもらおう。なに、少しばかり時間をいただくだけのこと。……三姫の調整も必要だしな。完璧に仕上げてから、21世紀とやらを相手に暴れてやるとしよう」
「――さらばだ、元の俺よ」
ゴウッ! 再び、空間そのものが焼き切れるような閃光。網膜に強烈な残像を焼き付け、激しい風が吹き抜けた。
***
静寂。気づけば、あの不気味な気配は跡形もなく消え去っていた。無数に並んでいた埴輪兵たちも、最初から存在しなかったかのように消滅している。ツバキが、折れたナイフを握り締めたまま目を開けた。
「……いなくなった、か」
玄室に残されたのは、立ち尽くす俺たち五人だけ。アルシアが、俺の腕の中で震える手を必死に握りしめていた。
「……結月さん。明日香ちゃん……」
その名前を呼ぶたびに、胸の奥で黒い火が燃え上がる。必ず、取り戻す。あの人形のような顔ではなく、笑ったり怒ったりする、本当の彼女たちを。
「ヒヒイロカネ先生……俺は、どうすればいい」
《まずは帰るのじゃ。作戦の立て直しが急務じゃぞ、総一郎よ》
地上へ戻ると、暴力的なまでの夏の陽射しが、俺たちの汗ばんだ肌を容赦なく焼いた。そこにはもう、本物の結月と明日香の姿はなかった。
***
地上の発掘現場では、何も知らない学生たちの喧騒が続いている。だが、俺の網膜が捉えたその光景に、喉の奥が張り付いた。ウィーンと、どこか不自然な関節の駆動音を立てて動く「結月」と「明日香」が、発掘現場の作業を再開していた。近づくと、微かに乾いた粘土の匂いが鼻を突く。
《土人形に理力を通して、それっぽい“コピーロボット”をこしらえたわい。対面した相手を催眠で記憶改竄する能力も施した。一週間程度なら、世間は誤魔化せるはずじゃ》
脳内へのヒヒイロカネの念話。それは同時に、一週間という残酷なタイムリミットを意味していた。アルシアの手を、もう一度強く握りしめる。
「絶対に、取り戻す。俺の、大切な人たちを」
夏の熱風を受けながら、俺は歩き出した。俺たちの本当の戦いは、ここから始まる。




