第十四話 飛翔する巨像、あるいは作戦崩壊の予兆
翌朝。発掘現場の差配をアルシアに預け、俺は再び、重厚な石造りの奈良県警へと足を運んだ。署の入り口では、昨日と同じく明日香が直立不動で待っていた。シワひとつない制服の折り目から微かに漂う、柔らかなボディソープの香りが彼女の潔癖さを思わせる。だが、その目元には薄い隈が浮き出ており、網膜を覆う疲労までは隠しきれていなかった。
通されたのは、窓のない取調室。昨夜のカツ丼の残り香を、僅かな煙草の匂いが上書きしていた。担当刑事が、苛立ちを隠さずに分厚いファイルを卓上に叩きつける。湿った紙の束が、バサリと重い地響きのような音を立てた。
「長屋さん。単刀直入に聞くが……あのデカいの、どこへ隠した?」
「……え?」
「消えたんだよ。厳重に施錠されていた県警の備蓄倉庫を、内側からぶち壊してな。現在、器物損壊および重要文化財(?)の行方不明事件として特捜が動いている」
刑事の突き刺すような視線が、俺の喉元を射抜く。説明できるはずがない。あれは確かに俺の言葉に従った。だが、俺が命じたのはお座り(シット)までだ。勝手に家出するなんて、聞いていない。
***
その少し前。国道沿いのファミレスでは、冷房の唸り音に混じって、未来戦士たちの分析会議が行われていた。ただし、山添クリスだけはそこにいない。三連敗を喫したじゃんケンの結果、彼女は県警倉庫の監視というハズレくじを引き当てたのだ。
「――埴輪兵について、情報の整理を」
ツバキが未来型ノートパソコンの冷却ファンの音を響かせながら、画面をスライドさせる。
「現時点での脅威は一機。だが、問題はこの時代に眠る残機数よ」
「一体だけでも、あれだけ硬いんだ。数で押されたら、この時代の兵器じゃ文字通りおもちゃにされるぜ」
ヒバナが、ストローのプラスチックを奥歯で噛み潰しながら忌々しげに吐き捨てた。その時、ツバキの端末に緊急通信が割り込んだ。スピーカーがジリジリと嫌な高音を立てる。発信源は、警察倉庫近くに設営された仮設ブースのクリスだ。
『……笑えない、笑えないよぉ。私だけこんな、暗くて埃っぽい場所で……』
無線越しに聞こえるのは、鼻をすする不細工な呼吸音だった。だが、次の瞬間、受信機が悲鳴を上げるような、バリバリという凄まじい破裂音がスピーカーを震わせた。コンクリートが粉砕される、硬質な破壊音。
「クリス!? 何が起きた!」
『……逃げた。あいつ、目に赤い火を灯したと思ったら、コンクリートの壁を紙細工みたいに突き破って……』
絶句するツバキたちの耳に、クリスのうわごとのような報告が届く。
『……空を飛んだ。重力を無視して、ふわって……消えた』
ツバキの手から、ノートパソコンがガシャンとプラスチックのテーブルに落ちた。
「飛んだ……? 現時点で飛行機能が実装されているなんて、アイツの設計者はどこの狂人よ」
「逃走した方角はどこだ!」
ヒバナが身を乗り出す。返ってきたのは、最悪の地名だった。
『三輪三山……。聖域の方角よ』
一瞬、冷房のインバーター音だけが店内に残り、空気が真空になったかのように凍りついた。三輪三山。記紀に記された最古の禁足地であり、未来の記録において、長屋総一郎が完全覚醒を果たしたと忌まれる場所。
「まさか……もう覚醒の刻が始まったっていうの?」
「予定とは、一ヶ月もズレている。何が、何が原因で因果律が狂ったの……?」
ツバキの指先が、テーブルの上でカタカタと震え始めた。作戦は、もっと前段階で彼を排除、あるいは管理下に置くはずだった。だが、状況は泥濘に足を取られるように、救いようのない方向へと滑り落ちている。
「……ねえ。もし彼が、もう半分向こう側へ行っていたら?」
通信の向こうからのクリスの問いかけに、誰も答えることができなかった。
「……まだ、信じるしかないわ」
ツバキは、震える右の拳を強く握りしめ、自分に言い聞かせるように顔を上げた。
「彼はまだ、この世界の……俺たちの知っている、冴えない考古学者のままだって。そう信じて、動くしかない」
未来戦士たちは、それぞれの瞳に焦燥を宿し、夜の帳が下りる古都の空を見上げた。希望という名の細い糸。それを手繰り寄せた先にあるのが、救いか、あるいは破滅の始まりか。賭けるべき賽は、既に投げられていた。




