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第十一話 戦姫降臨、あるいは大奈良帝国の胎動

 深夜。古びたファミレスの一角。唸りを上げるエアコンの真下で、ツバキ、クリス、ヒバナは、使い古されたベタつくテーブルを囲んでいた。


戦姫せんき……出ちゃったよぉ~っ!!」


 クリスとヒバナが、深夜の店内に掠れた悲鳴を響かせる。ツバキの持つ、物理スライダー付きの分厚い未来タブレット。そのバックライトが、三人の蒼白くなった顔を照らし出していた。画面の中で爆速で拡散されているのは、数時間前の奈良公園を捉えたバズ動画だ。


 動画の始まりは、蝉時雨を切り裂く、腹の底に響くような咆哮だった。奈良公園の主として畏怖される巨鹿、鹿王ろくおうが、殺気を帯びて荒ぶっていた。マナーを解さぬ外国人観光客たちが子鹿を追い回した結果、怒りに燃えた鹿王は突進。軽自動車の鉄板を鼻先でひしゃげさせて横転させ、広場は逃げ惑う群衆の悲鳴で満ちていた。


 そこへ、一人の新人婦警が、凛とした足取りで画面の端から滑り込んできた。

黒髪をきりりと結い上げ、制服の下には柳生新陰流の独特な足運びが潜んでいる。葛城明日香かつらぎあすか、十九歳。剣道全日本選手権制覇の天才。鹿王は、立ちはだかる明日香を明確な敵と見なし、土を蹴り上げて突進した。


 だが、明日香の肩の力は抜けている。衝突の直前、彼女はわずかな身のこなしで角の軌道をかわすと、逆らう流れに逆らわず、鹿王の首筋にそっと手を置いた。「柳生新陰流・無刀取り――」流れるような体捌き。明日香は巨鹿の勢いをそのまま前方へと受け流し、その重質量を最小限の力でコントロールした。


ザッパァン!!


 画面の中で、巨体の鹿王が宙を舞い、鷺池へと突っ込んだ。立ち上る巨大な水しぶき。一拍置いて、動画からは撮影者の爆発的な歓声と拍手が割れんばかりの音量で響いてくる。水面から上がってきた鹿王は、完全に戦意を喪失した様子で陸に戻る。明日香は濡れた制服を気に留めることもなく、ポケットから鹿せんべいを取り出した。


「……ごめんね、鹿王。あなたに辛い思いをさせて」


 彼女がそっと差し出したせんべいを、鹿王は静かに咥えた。そして、明日香に対して深々と頭を下げたのだ。力に屈したのではない、魂の融和。少女と巨鹿が寄り添うその光景に、動画のコメント欄は絶賛の嵐で埋め尽くされていた。ツバキは重い物理スライダーを滑らせ、画面を切り替えた。不吉なアラートが鳴る。


対象:葛城明日香。コードネーム――【戦姫】。


「……まさか、このタイミングで接触するとはね」


 ツバキの指先が、端末のベゼルを強く握りしめた。


「冗談じゃないよ!」


 ヒバナが拳でテーブルを叩く。


「あの人、未来で東京都庁を真っ二つにして、そのまま返す刀で第二庁舎もぶった斬ったんだから。人間業じゃない!」


 ツバキはさらに追い打ちをかけるように、未来のデータベースをスクロールさせた。


「……追加情報が出たわ。彼女、幼少期に総一郎と遭遇している」


 ストローが氷を鳴らす音がピタリと止まる。


「小学生時代。大学教授である彼女の父親が主催したゼミのバーベキュー。渓流で溺れた明日香を助けたのが――長屋総一郎」


「……え、嘘でしょ?」


「助けられた明日香は、あの日からずっと総一郎を“王子様”と想い続けていたらしいわ。なお、彼女の父親は長屋の恩師で、あいつはモテないから安心だと娘に言い聞かせていた模様」


「重てぇぇぇえええ!!」


ヒバナとクリスが椅子ごと仰け反った。


「……もし、あの戦姫が総一郎の側についたら……」


「世界、終わるわね」


 ツバキは、端末に表示された「最悪のタイムライン」を見つめた。未来最大の最高戦力が、今、恋という名の引力に引き寄せられ、動き出している。十年後の未来。長屋総一郎は、封じられていたヒヒイロカネの力を完全に解放してしまう。暴走する超能力は世界の理をねじ曲げ、空間を裂き、時間を歪ませていった。


 そして、変貌を遂げた長屋の隣には、三人の女性たちがいた。正妃、アルシア・ロウラン。副妃、橿原結月。そして、もう一人の副妃、葛城明日香。結月は、総一郎への一途な愛ゆえに、その暴走すらも守るべきものとして受け入れた。明日香は、信じる正義と愛の狭間で苦悩しながらも、彼を止めることができず、その剣を彼の盾として捧げた。アルシアの真意は謎に包まれていたが、総一郎が最も愛する者として、静かに帝王の傍らに君臨した。


 そして誕生する、世界を呑み込む新たな秩序。 【大奈良帝国】 ネオ平城京を首都に据えたその征服劇は、鮮烈なまでに迅速に地球を支配下に置いた。長屋総一郎は、玉座から高らかに名乗った。「大ハーン・長屋総一郎」と――。


 端末の画面を消すと、ファミレスの窓にツバキ自身の悲壮な顔が映った。その絶対的な力の前に、もはや人類に抗う術はない。けれど。(未来は、まだ終わっちゃいない)ツバキは奥歯を噛み締め、深夜の伝票を掴んで立ち上がった。不可能に近い戦いは、ここからが本番だった。

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